三匹の野犬の正体
意識を無意識領域から引き戻した俺は、石化した樹木から手を離し、改めて先へ向かおうと考え、ふと気になって後方に視線を向ける。
そこには三匹の野犬が地面に座り込んでいた。
一定の距離を保ち、遠間からこちらの様子を窺ったり、周囲を警戒するそぶりを見せる犬共。
人間を襲おうというのではないようで、ただただ俺のあとをついて来る。
俺は犬の事はほんの少し警戒するにとどめ、北西の荒れ地を支配していたらしい古代の蜥蜴亜人や、この荒れ地にあるという遺跡の事。そして──上位存在が送り込んでくるらしい、禍々しい両生類の怪物に思いを馳せた。
今探している遺跡らしい物は、あの蜥蜴亜人の遺した遺跡なのだろうか。
冷たい、乾いた風が吹きつけ、かつて起きた先住亜人と怪物の戦いで死んだ者たちの無念と、怒りの叫びが木霊したように感じた。
──我らがいったいなにをしたというのだ──
そんな風に彼らは思ったのだろうか。
いずれにしろ上位存在は彼らの敵対者を送り込み、野に危険な魔物を解き放ったようだ。
亜人の絶滅をもくろんだかは分からないが、石化しただけでなく、その亡骸すら残さぬよう喰らうなど、あの怪物は常軌を逸している。
俺が見た光景ではどうもあの怪物は、一定の亜人を喰らうと撤退しているようだったが、そうやって何度も襲っては撤退し、じわじわと追い詰めていったのだろうか。
そうこうしているうちに、目線の先に灰色の柱状の岩や、茶色い岩が立ち並んでいる場所が見えてきた。
それらは不自然なほど直立しており、人工物に見えたとしても不思議ではなかったが、規則正しく並んでいるというほどではなく、先端の尖った岩が立ち並んでいるだけとも受け取れた。
そこにはいくつもの岩が乱立している。
「ん……なんか変な感じだな」
岩の形や配置に人為的な物はあまり感じられない反面、岩の一部には加工されたような形跡があった。
それに柱状の岩は、二つの陣地を分けて置かれているようにも見える。
南側と北側を分けているように感じられるのだ。
北側の岩の密集と、南側の岩の密集の間には、まるで広場のように開けた空間がある。
「間隔を空けたのは境界線を示す為──かな?」
広場のような場所の真ん中には、平べったい岩の壁が立っていて、表面が平らに削られているようだ。
岩に触れられるほど近づくと、平らになった岩の表面には、なにやら文字のような物が刻まれているように見える。
「ん────? 風化していてよく分からん」
俺は背嚢から剣の汚れを拭う為の布を取り出し、それを使って岩の表面に付着している砂などを取り除く。
そうやって刻まれた文字を読み取りやすいようにした。
「見た事のない文字……文字? なのか?」
それは単純な記号。または数字を意味しているように見えたが、それは他の物を見てみないとなんとも言いがたいものだった。
北側に位置する岩に刻まれていた文字を調べると、それはすべて単純な形をした記号のように見えた。文字の種類も多くはない。
「こんな棒と点を使用した文字は初めて見る。発音も単純なものになるんじゃないか」
そう考えつつ今度は南側の岩群を調べてみる。
やはりこちらの岩も文字が刻まれているようで、埃が積もっていた。しかし、北にあった物とは決定的に違う部分がある。
「こっちの文字は浮き彫りにされているな」
それに岩の表面もきちんと真四角に削られていて、まるで石版がはめ込まれているみたいに見えた。
岩のすべてに文字が彫られている訳ではないが、どの文字も砂埃で汚れていた。
「もしかして調査隊が調べたという遺跡とは違う場所か?」
そしてこの南側の文字には見覚えがあった。
それはコーグ山の中腹で見つけた至聖所。あそこの石版に刻まれていた文字だ。
「つまりこの南側の岩に彫り込まれた文字は、あの至聖所を作った人間と同じ、という事か」
俺はそこで一つの推論に辿り着いた。
「北側の文字は蜥蜴亜人が。南側の文字は古代人が刻んだ物か」
ここにある物が古代の物とは限らないかもしれないが。
この石柱にも精神世界と接続して、簡単な調査をおこなってみたが、やはり断絶の向こう側に行くと、なぜか靄がかかったみたいに不鮮明な影像になってしまう。
(これも神々の呪いかなにかか?)
しかし南側の人間たちの行動を探っていると、彼らがこの広場のような場所で、蜥蜴亜人たちと交流している姿があった。
ただしそれは友好的な関係という感じではなく、なにやら互いに警戒しながらも持ち物を持ち寄って、物々交換をおこなっているようだった。
どちらも恐る恐るといった様子で、言葉が通じない為かたどたどしく、身振り手振りでやりとりしているのだった。
「なるほど。ここは言わば交易の場だったのか」
不鮮明な影像から見えたのは、蜥蜴亜人が人間に渡している石。宝石らしい物や金属の丸い塊(延べ棒のような物か)を食料と交換している様子だった。
「どうやら北西の荒れ地からは金属や宝石が採取できるようだな」
今でもそれが採れるかは分からないが、一つ有益な情報を得た。
「広場中央にある柱の文字は恐らく、互いの領域を侵犯しないようにとか、物々交換の場に関する説明が書かれているのだろう」
周囲には呪術的な力が施された形跡もないし、精霊に関係するようなものも見当たらない。
一通り調べ終わった俺はさらに西へ向かうか、それとも荒れ地近くにあるバフサフ村まで行くかを思案し始めた。
そんな俺に、誰かが声をかけてきた!
『もう、気は済んだか?』
それは頭の中に響く声。
突然頭に直接語りかけてきた相手に警戒し、俺は反射的に魔剣を引き抜いた。
『落ち着け。俺様は敵ではない』
『まったく、こんな辺鄙な場所までやって来るとは、聞いていた以上におかしな人間だな』
『魔術師とはそんなものであろう』
などと一遍に語りかけてくる。
(⁉ なんだ、こいつらは……!)
威圧的なしゃべり方とは違い、どこか相手を小馬鹿にするような、あるいは自分の優位性を疑わないような言葉。
どうも三人の相手が居るようだ。
──三人? 俺は慎重に振り向いて三匹の犬を見る。
地面に座っていた犬は立ち上がっており、こちらを六つの眼がじっと見つめていた。
『そうだ。俺様たちだ』
『このような場所をうろうろと……本当に奇特な奴よ』
『一人で荒野を進んでいたかと思えば、急に立ち止まって石の木に寄りかかったり……。本当にこんな奴がラウヴァレアシュ様のお気に入りなのか?』
三人──いや三匹の犬は、そう念話で語りかけると「バゥフバゥフ」「ワッフワッフ」と、それぞれの鳴き声でまるで馬鹿にしているような、笑い声らしきものをあげた。
「ラウヴァレアシュだと──? あんたらはあの魔神の遣いか?」
『そうだ。我らは暗黒星を識る王の使者にして、その守護者である。その名も高き幽玄なる門の支配者。始まりと黄昏を刻む柱の守り手』
『俺様たちこそ貴様らの真理の番人であり、深淵より汝らを守るもの』
『おお、魔術師の魂。賢人の魂に幸いあれ!
呪われよ! 愚かで無知なる穢れし魂!
汝らの命は闇が闇たる所以なり!』
彼らはそう高らかに宣言すると、一斉に遠吠えを発する。
(真理の番人──だと? 番犬ならいざ知らず)
俺は口に出す事はせず、彼らの言葉の真意を探って思考したが、番人が口にしたものの意味を理解する事はできなかった。
甲高い遠吠えが、ばりばりと耳鳴りがするような咆哮に変わり、まるで雷を孕んだ雷雲が大気を震わせるような音を響かせ、荒れ地の空気を一変させた。
「────! こいつは……⁉」
突然嵐が訪れたみたいに空気が変わり、空が曇天に覆われた。
なによりも──目の前に広がった闇。
空間が黒く沈み込んだのだ。
バシッ、バシッと音が鳴り、黒い闇の中に雷光に似た光が走る。
その闇が広がると、燃え広がるような暗がりから巨大な犬が姿を現した。
真っ黒な体の、三つの頭を持つ巨大な犬。
それぞれの眼が赤色、青色、黄色に光り、闇の中で危険な視線が燃え上がった。
『おまえに話そう。魔神ラウヴァレアシュが望む事を』
『聞け、そして挑め。自らの力を示し、深淵を自らの意志で撥ね除けられると』
『おまえが真に暗黒星の王に認められし者かどうか、そこで分かるであろう』
三つの巨大な犬の頭がまた咆哮し、異空間の中に木霊する怒号を響き渡らせた。
「ッぅ……! いったい、なんの事だ」
『我らがおまえを連れて行ってやる』
『貴様の魂が全ての困難を打ち払うほど強いかどうかを試す戦場へ』
『ラウヴァレアシュはこう言った。
「レギよ。私とお前が出会った場所──不死者の怨念渦巻く湿地帯に行け。あの場所を巡る人間たちの命が脅かされている。不本意な事に、あの館に残された力が暴走し、死が解き放たれてしまった。神々との闘争の間隙を突かれたのだ。
お前を狙う魔術師の力か、あるいは神々の歪んだ策謀か。──いずれにしろお前の力で以て、死を打ち倒してみせよ。それが私がお前に望む事だ」
だそうだ』
ラウヴァレアシュと出会った場所……あの黒曜石の館があった荒れ地と湿地帯。
そこに出向いた人間が居るのを俺は知っていた。
「ベグレザ南西部の禁足域か」
そしてそこへ向かったのは戦士ギルドが集めた冒険者たち。
その調査隊に加わった傭兵のシグン。──彼はまだ生きているだろうか。
『覚悟を決めよ、魔術師』
『おまえはこの戦いに加わらなければならぬ』
『溢れ出した死を食い止めるのだ』
そう言うと巨大な犬がその場に伏せた。
『さあ俺様の背に乗るがいい』
『貴様を戦場へ送り届けてやる』
『そこでおまえの力を示すのだ』
突如現れた三つ首の魔犬に導かれるまま、俺はその前足を踏んで背中へ飛び乗った。
ごつごつとした骨張った背に乗ると犬は立ち上がり、軽々と駆け出す。
ここは幽世と幽世の狭間。
闇と魔素が広がる異空間。
魔犬はそこを駆け抜けた。
俺は魔素から身を守りつつ犬の硬い毛にしがみつき、振り落とされぬよう、その暴れ馬ならぬ暴れ犬の背中にかじりついた。
闇の中をどこまでも走って行く。どれほどの速度なのかは分からない。
引き剥がされそうになるのを堪え、しばらくすると魔犬の動きはゆっくりとした駆け足に変わった。
『そろそろだ』
『我らはここまでだ。おまえの健闘を祈ろう』
『さあ行け。そして戦うのだ。おまえの全てを使って生き残ってみせるがいい!』




