荒れ地と三匹の野犬
ここから新章「死霊の王と魔剣の再生」の開幕とします。(この前の段階にある故郷でのお話も別の章としてまとめようかとも思ったのですが)
この戦いでレギが得るものと失うものは……
ウイスウォルグから西に向かう荷車が数台、護衛を連れて連隊で向かうというので、その荷車に同乗させてもらう事にした。
冒険者の護衛は馬に乗り、皆は毛皮の防寒具や外套を羽織ったり、それぞれの装いで寒さから身を守っている。
俺は革の上着の上に革鎧を着て、毛皮の手袋と籠手に革の長靴を履いてきた。
背嚢には旅用の道具と食料を入れているが、必要な物のほとんどは影の倉庫にしまってある。
「西の──どの辺りまで行けばいいですかい?」
「ん──いや、途中までで構わないよ。こちらが判断すれば、道の途中で勝手に降りるので」
「しかし道の途中は危険ですぜ。先日も魔獣に襲われた隊商がいたらしいですわ」
「そうなのか。──それで、魔獣は討伐した?」
「ええ、護衛が倒したらしいです。しっかし隊列を組んでいた相手にも向かってくるなんて、やはり魔獣は他の獣とは違いますな」
御者からそんな話を聞きながら、荷車の隊列は西へ向かい続けた。たまに北側に道を曲がったかと思えば、今度は南に向けて緩やかに下って行く。
道の周辺はでこぼことしており、大きな岩を避けたりしながら道は曲がり、ちょっとした坂道を上がったり下ったりする。
しばらくすると大規模な工事がおこなわれている場所の近くを通って行った。そこは二本の道が交差する新たな十字路で、どうやら今通っている道と繋がり、直線的な道を作って移動距離を短縮する道を整備しているようだ。
隆起した地面を削り、岩をどかして道幅を確保したりしながら、直線的な道路を建設している。
村へ繋がる道の横を通り、西へ西へと進み続ける荷車の一団。
俺はその途中で降りる事にし、彼らが進むのを見送ってそのまま北に向かって移動する。
そこは道の無い広野だ。
今は灌木とまばらに生えた樹木を数本目にするくらいの、寂しい土地でしかない。
春になれば草が生え、生き物の姿も目にする事ができるようになるのだろう。
空高く飛ぶ猛禽類の姿が見えるが、たぶんあれが狙っているのは、この先にある荒れ地に生息する小動物だ。
ぐるぐると旋回していたが、地上に向かって勢いよく下降して行くのが見えた。
かなり遠くに消えた大型の鳥。──そちらに向かって俺は進み続けた。
光体の視点を利用して、自分の立っている場所から先にある荒れ地との距離を探る。
街道からかなり歩いて来たつもりだが、まだ荒れ地への距離は離れていた。周囲には村も無く、どこまでも地面の茶色と、ほそぼそと生えた草の緑色が見えるだけの土地。
たまに羊や鹿に牛などの動物の姿を確認できたが、あまり数は多くない。狼などに襲われて頭数を減らしてしまった群れかもしれなかった。
遠くの空は一部が曇り、一部は晴れて日の光を地上に降り注いでいる。頭上には薄雲が覆っており、雨を降らせるつもりはないようだが、日の光は雲の幕に隠されている。
昼を過ぎ、太陽が雲の隙間から光の帯を下ろし始めた頃。俺はようやく荒れ地の手前まで来る事ができた。
黒い土と焦げ茶色の土。一部は黄土色に染まっている乾いた地面。中には赤茶けた土壌も広がっていた。
荒れ地の奥の方は灰色の地面が広がっており、まるで焼き払われ、すべてが炭になったみたいに見えた。
斑模様を作っている荒れ地の入り口には、どこかからか流れてきた土砂が堆積した川の跡があり、今はその川の真ん中にある細々とした水の流れしか残されていない。
軟らかい土が堆積した所に蹄の足跡がついていて、羊や山羊が水を飲みに来ているのが窺われた。
川の跡を越えた先に進むと、荒れ地の固い地面を踏んでさらに奥へと進む。
周囲は丘や岩が視界を遮り、窪んだ場所はぬかるんだ泥や濁った水が溜まり、荒れ果てた土地が広がっていた。
基本的に荒れ地の地面は水分が少なく乾いている。
吹きつける冷たい風も乾燥し、荒れ地の空気は土の匂いしかしないような、生命感のない空虚な空気に満たされていた。
やがて赤茶けた地面の上に黒っぽい岩が転がる場所に辿り着いた。大きな岩は丸い物や柱みたいに地面に立った物。まるで椅子みたいな背もたれがついた物など、形も様々な物があった。
それらは自然が作り出した物であろう。
目的の人工物らしい遺跡を求めて周囲を見回し、さらに光体の視点を利用して周辺の岩を調べたが、それらしい物は見つけられなかった。
クーゼの話では西側の山に近い場所で発見されたと言っていた。
「もっと西に向かった方がいいか」
北西方向に移動しながら周囲を警戒していると、狼か野犬の群れが遠くに見え、俺は姿を隠すようにして移動した。
冷たい風の中に一瞬獣の匂いを感じた俺は、そちらを振り向く。そこには隆起した地面の陰から現れた三匹の野犬が居て、こちらに向かって歩いて来るところだ。
薄汚れた黒いごわごわの毛をした大きな犬たち。
「おいなんだ、俺を襲ってもいい事なんかないぞ」
いざとなったら「獣霊支配」を使って追い払ってやろう。そう考えて先へ進む。
だがそいつらはとぼとぼと、こちらを襲う気配も出さずに、ただ俺が歩いているその後ろを黙ってついて来るのだった。
一匹の親と子供が二匹かな?
そんな風に考えながら、離れた場所からついて来る三匹は放っておく事にして、西に向かって歩き続けた。
遠くに見える茶色の丘や、赤茶けた岩の塊がごつごつと生えている場所や、高い崖状の壁も見える。赤茶色の壁はまるで血が染み出したみたいな、赤黒い筋ができている部分もある。
赤みを帯びた岩の柱や壁がある場所近くにはわずかな緑が残されていて、岩の下には苔が生していた。
崖状の壁から染み出している赤黒い物は、土から染み出す水分の残した跡のようだが、土の中に含まれた鉄分が土の色を赤くしているのかもしれない。
草は乾燥地帯でも生き続ける生命力の強い種類のものらしい。
小さな丸い葉っぱを広げるものから、大きく長い葉を伸ばしているものなど、いくつかの植物が存在していた。
岩の間を通って崖の近くまで来ると、錆色の壁を回り込んで西に向かう。
ごつごつした岩を踏み越え、でこぼこの固い地面を転ばぬように気をつけながら進み続ける。
岩の転がる場所を抜けると視界が開けた。
そこには数本の枯れた樹木があり、灰色の幹から細い枝を頼りなく広げている。まるで人の手によって植えられたかのように規則正しく、一定の間隔で生えていたようだ。
中には倒れた木もあり、かなりの年月が経っているのを感じる。
「……いや待て。これは──」
灰色の木は枯れているのではないようだ。
「石になっている……?」
木に触れてみると、それは化石みたいに固く冷たくなっていた。
地面から直立したまま石になる事などあるのだろうか……?
いつからここにあるのかも分からないが、これはかなり異常な事なのだと感じられた。
「神話には命あるものを石に変える怪物も居たというが」
もしかすると古代にはそうしたものも存在したのだろうか?
なんとかこの場にある樹木の成れの果てから読み取れるものはないかと、無意識領域に入って探ってみる事にした──
* * * * *
深い、深い領域まで遡り、古代との間にある断絶した領域を越えた先に、やっと朧気なものが見えてきた。
色褪せた影像を見るような感じで、その古い出来事を確認するのは骨が折れた。
その影像はここにある木が青々としていた頃の記憶だろうか。
そこに突如現れたのは、蜥蜴亜人の群れらしい姿。──しかし、どこか現在存在する蜥蜴亜人とは見た目からして微妙に違う者たち。
彼らはこの荒れ地に住んでいる者たちなのだろうか。
この蜥蜴たちはそれぞれ武器を手にし、鎧らしい防具などを身に着けていた。
その出で立ちも現在見られる蜥蜴亜人の物よりも、数段文明的な物に見える。身に着けている物の素材や色の付いた装飾がそう感じさせるのだ。
武装した蜥蜴亜人たちはなにかと戦っていた。
それは巨大な両生類の怪物。──神話にあるような、おぞましい姿の化け物だ。
青紫色の毒々しい皮膚をした四つ足の、山椒魚を思わせる手足と胴体をした怪物。
長い首をもたげて大きな目玉をぎょろつかせ、石像となった蜥蜴亜人を丸呑みしている。
こいつが吐き出す煙を浴びた蜥蜴亜人は石に変えられてしまうようだ。
蜥蜴亜人の攻撃は怪物の体を傷つけてはいたが、致命傷にはなりそうもない。
鋭い鉤爪の付いた足で攻撃され、次々に地面に倒れていく亜人たちに容赦なく口から煙を吐き出し、石へと変えていく怪物は魔獣と言うよりは──……
その怪物の大きな頭。その上を見ると、なにかがあるのが見えた。
一瞬それは銀色の王冠の様に見えたが、どうやら光の輪であるらしい。
(まさか──こいつは天の使いなのか?)
光輪は両生類の頭に対し小さい物で、巨大な体に対して驚くほど小さな印のようなものだった。
青や緑の体表をした怪物は蜥蜴亜人らしい種族を蹂躙していく。
吐き出す煙に巻き込まれた木々も石へと変わっていき、この異形の怪物はひとしきり暴れ回ると、どこかへと歩き去って行ったのだった。
* * * * *
この荒れ地に住んでいた者は人間ではなく、亜人だったのだろうか? それも蜥蜴亜人に似た種族の。
「エブラハ領北西部の先住民が蜥蜴亜人だったなんて」
もちろん他にも人間が居たはずだが、北西部の土地には亜人が住み着いていたのは事実であるようだ。
思えば蜥蜴亜人はかなり古い時代から存在していたらしい。
まるで人間のように文化を築いていたとしても不思議ではないほどに。
道具に衣服なども使用し、武器や防具を身に着け、集団で狩りをし、時には集団から仲間を追い出しもする……
それは奴らの中にも人間と同じような社会秩序があるのだと推測された。
蜥蜴亜人は一般的には知能の低い亜人であり、小鬼と変わらぬ凶暴で獰猛な性質だと思われている。──現実として奴らは人間に敵対的な亜人だ。
「しかし──なぜだ? あの巨大な両生類の化け物。あれが天の使いだとすれば天上の存在はなぜわざわざ、蜥蜴亜人の群れにあんなものをけしかけたのか」
気味の悪い両生類型の天の使い。生き物を石へと変える毒煙を吐き出す怪物。
あんなものを使役する天上の存在は、いったいなにが目的で物質界にあのようなものを送り込むのだろう。
考えても答えが出るはずもないが、奴らに対する嫌悪と疑念が浮かんでくる。
上位存在が簡単に下界への干渉をする事などあり得ないと思われていた。
ところが一転して、奴らは思うままに下界への干渉をする、というのが明らかになった。
これは俺にとっても危険な兆候であるが、人類や世界にとっても同様に危険な、重大な規則(秩序法則)違反に該当するような大問題だ。
強大な力を持つ上位存在が思うままに下位世界で力を振るえるとなれば、もはや人間に居場所など無いに等しい。
まさか荒れ地の探索でこのような大問題を発見するとは思っていなかった。
「……本来の調査に戻るとしよう」
俺は無理にそう言って、西への移動を再開した。




