目覚めた父に
誤字、脱字の修正に感謝します。
レギが貴族とか権力者を嫌う理由は、自分がその貴族でありながら、父からはまったく跡継ぎとして見られなかったり、家族の領民に対する振る舞いに納得していなかったからでしょう。
屋敷に戻ると義母は俺に謝罪と礼を口にして自分の部屋に戻って行った。
彼女にとってエブラハ領の領主権を委譲される事は、別に喜ぶようなものではないだろう。
領民たちの信頼を得る為に奔走したり、領地で起こるあらゆる問題に対して解決策を考えるなど、本来なら引き受けたくはないはずだ。
この地にイスカが眠っているという事実がなければ、彼女はエブラハ領を出て自身の故郷へと帰っていたかもしれない。
後妻が領主になるというのは、重い選択になるだろう。
しかし彼女が息子を失った哀しみを忘れ、別の事柄に積極的に関わって自らの人生を──失ったものを取り返すには、それくらいの変化が必要でもあった。
失ったものをいつまでも嘆いていても、決して救われる事はないのだ。
それにエブラハ領はこれからも発展を続け、きっと今よりも豊かな領地になる。
そうなれば彼女にも様々な転機が訪れるはずだ。──そう、再婚する事だってあり得るかもしれない。
「まあそれは、余計なお世話というものだが」
俺は自分の部屋に戻ると、すぐに次の目的地に向かう準備を始めた。──エブラハ領北西部にある広大な荒れ地。そこにあるという遺跡の調査に向かうのだ。
クーゼからもらった胸当ては影の倉庫にしまい、いつでも取り出せるようにした。籠手は防寒にもなるので着けて行く。
馬で行ってもいいが、荷車が西に向かって行くのでそれに途中まで乗せてもらおうと考えている。道の途中で降り、北西に向かって歩いて行くつもりだ。
着替えなどを入れた背嚢を肩に担ぎ、部屋を出るとエクアにばったりと会った。
「どこかへ行かれるのですか?」
「ああ、北西の方に用事があって。たぶん数日間は冒険をして、そのあとで直接ブラモンドに戻るかな」
「そうですか。冒険にというのであれば、なにか食べ物を用意しましょうか?」
「そうだね……じゃあ、保存できる食べ物があればいくつか持ってきて」
そう言うと彼女は「かしこまりました」と口にして食堂の方へ立ち去る。
俺はエンリエナの部屋を訪れて、彼女に冒険に出る事を告げておいた。
「また冒険に? 危険なことは……」
「冒険に危険はつきものです。それを恐れていてはなにもできない。──もし俺が帰らなくても仕方ありません。その時は諦めてください」
俺が冷たく言い放つと彼女は悲しそうな、怒ったような顔をする。
彼女がなにか言おうと口を開きかけた時、部屋のドアを誰かが大急ぎで叩いてきた。
「奥様! 失礼いたします!」
そう言って入って来たのはケルンヒルトの世話をしている侍女だった。
「旦那様の意識が戻られました!」
その言葉を聞いた義母は慌てて部屋を飛び出し、父が横になっている部屋へと駆けて行く。俺もそのあとを追って一階にある客間へと向かった。
エンリエナはドアを開けて部屋の中に入ると寝台に駆け寄り、衰弱した夫の顔を覗き込んだ。
父ケルンヒルトは弱々しい声で「ここは?」と呟く。天井の作りが違ったので自室ではないと気づいたのだ。──記憶ははっきりしているようだが発する声は小さく、苦しい状態にあるのが分かる。
「……レギ」
俺の姿を認めて声をかけてきた。その目の中には自分が置かれた状況をある程度理解しているような、そんな意思が宿っていた。
「私は……病なのか」
俺が返事をしようとするとエンリエナは一瞬、凍りついたみたいに体を硬直させた。
父は自分の息子に毒を盛られていたとは、微塵も考えていない様子だった。
「病ではありませんよ。──あなたは毒を盛られていたのです」
「毒──? まさか。いったい誰に」
呼吸を乱れさせながら父は起き上がろうとするが、腕に力が入らず上体を起こす事すらできない。
「スキアスにですよ」
「まさか」
父は信じられないといった様子だったが段々と思い出してきたようだ。いつから体の状態が悪くなり、薬を飲み続けるようになったかを。
「スキアスは領主の座を簒奪した罪で投獄されました。ジウトーアも兄に──スキアスに殺害されたのです」
俺が淡々と説明すると、ケルンヒルトは寝たままの状態でうなだれた。自分の身に起きている事と、今説明された物事を受け入れて、これからどうするべきか考えているように見えた。
「……レギ。では、おまえが領地を。──家督を継げ」
なんとか力を振り絞ってそう告げたケルンヒルト。
それが領主としての最後の勤めのつもりなのだろう。
「いえ、俺は領主にはなりません。あなたの妻であるエンリエナが新しい領主になるのです」
「なに?」
そう言った男の顔には怒りに似た表情が浮かんでいた。
「なぜだ。──エンリエナは確かに、私の妻だが……ごほっ、ごほっ! エーデンドレイクの血筋を守るには、おまえしか……ごほっ」
咳込んだ夫を心配してその胸を押さえる義母。
俺は冷たく父を見下ろしたまま、溜め息を一つこぼした。
「血筋? ──そんなもの、なくなればよろしい。領民を苦しめるばかりの領主の血筋など、誰がありがたがるものですか。
だいたいあなたは俺の事を軽んじ、後継ぎになどまったく考えていなかったではないですか。領主として地勢や経済の事を学ぼうともしない兄を引き立てておきながら。──学校の進学を願い出た俺にあなたはどういった態度を取りましたか? 三男坊に使う金が惜しい。そんな態度を隠そうともしなかったあなたが、いまさら俺に領主になれと? ……馬鹿にするのもいい加減にしろ」
つい怒りの感情を出してしまった。
俺が放った気迫に気圧され、父はぐっと息を詰まらせる。
幼少の頃から勉学に励み、父親について行って領地を回ったり、余所の領地を治める領主に会いに行くのもいつも俺だった。兄二人は自分の領地でくだらない遊びに耽るばかりで、領地の経営の事などなにも考えていなかったのに。
「レギ──それは」
「父よ。もうそんな事はどうでもいいでしょう。俺もつい乱暴な口を利いてしまいましたが、そんな昔の事はどうでもよろしい。
要はあなたが引き立てた息子によって毒を盛られ、あなたは現在のような状況になっている。それが事実です。毒を盛るような領主候補を育ててしまった。その事実だけで十分でしょう。あなたは領主として間違った判断をした。それだけです」
俺はもう父と話す気持ちが萎えていた。
これから死にゆく者に対する優しさも慈悲も、この男にはかける価値がない。
はっきりと事実を突きつけ、自分の過ちを悔いながら逝けばいい。
「レギ──もう許してあげて」
そう義母は言って、ケルンヒルトの手を握った。
「レギはあなたが倒れてからというもの、領地の為に奔走してくれました。大丈夫です。あなたの息子は立派に勤めを果たしてくれますよ」
優しい声をかけられた父は、縋るように後妻の顔を見て涙ぐんでいるようだった。
「エンリエナ、すまない。私は──わた、しは……ごほっ、ごほぉっ!」
苦しげに呻くと、ぜぇぜぇと洗い呼吸をして、声を発する事もできなくなってしまう。
結局この父は自分に残された唯一の息子に対し、なんの言葉も残せなかったのだ。自分の都合しか口にせず、相手の事を理解しようともしてこなかった領主。
彼は自らの過ちを理解する機会もなく、自身の思慮の未熟さを抱えたまま死を迎える。真義を見抜く力を持たなかったゆえに。彼は自分の望むような結末を迎えられないのである。
それも当然で、彼は普段から曖昧な理解しか持てずにいたからだ。
周囲の物事に対しても、自分自身についても。
彼の理解は「このようなものであってほしい」という、上辺だけの願望からくる理解でしかなかった。
事実がどうあれ、現実がどうあれ、彼には理解できなかったのだ。
それがスキアスにも伝染し、自分の都合のいい未来しか求めず、なおかつその未来には具体的な理想を描く事すらできないような、愚かな息子を育てていたのである。
(なぜこんなにも愚かでいられるんだ!)
俺はそう叫びたい気持ちになった。
こいつらの本質は、都会の貴族生活に憧れた子供が大人になり、自分の都合しか見ずに、他人の財布から金を搾れるだけ搾り取ろうとしたようなものだ。
計画性も持たずに、ただ自分のしたいようにしただけの子供じみた行動。
欲しければ奪い、気に入らなければ排除する。そんな程度の低い生き方。──まるで獣だ。
ケルンヒルトもスキアスもジウトーアも、水をやらずに作物が育つと本気で思っていたのだ。
畑を耕さず、家畜に餌を与えずに、野菜も肉も手に入ると信じて疑わなかった彼ら。
そんな愚かな貴族と民衆との間で話し合いが成立する訳がない。
今や父は死を迎える準備を始める為に、まるで仮初めの夢を見るようなつもりで目覚めたようなものだった。
そんな男がいまさら血筋の心配をするなど、寝言は寝てから言えという気持ちしか湧かない。
俺は父と義母を二人きりにしてやる為に部屋を出た。
「レギ様……旦那様の様子はどうでしたか?」
部屋の外にはエクアや他の侍女や執事も集まっていた。彼らは心配そうにしているが、それは自分の今後の生活を心配しているのもあるようだ。
「ああ、いや──。容態は良くなる事はない。おそらく……もって数日の命だろう」
「そんな……」
使用人たちはそれぞれの顔を見合い、これからどうなるんだといった感じでいる。
「言っておくが君らの主人はもうエンリエナなのだ。これからは新しい領主を支え、この領地がよりよいものになるよう努めてくれればそれでいい」
俺は彼らに悩むべきところを間違えるなと言い含め、それぞれの仕事に取りかかるよう訴えた。
「やれやれだ」
「レギ様」
廊下にはまだエクアが立っていた。彼女は心配そうにこちらを見ている。
「なんだ?」
「その……お父様の事は──」
「それは気にしないでいい。覚悟はしていた」
彼女に対し、別に父の死などどうでもいい、といった態度を取るのは止めておいた。彼女は彼女なりにケルンヒルトを主と認めていたし、その息子の中では唯一まともな俺を尊重してくれてもいた人物だ。
「冒険に出るのは少し先にしよう」
そう言って自分の部屋に戻った。
寝台に腰かけると、自分が酷く苛立っているのに気づいた。
もちろんその感情を抑えられているが、父のあまりの身勝手さに──
「腸が震える」
俺は舌打ち混じりにそう呟き、影から短剣を取り出すとそれを引き抜いた。
精霊の剣士からもらった魔法の短剣。その刃から冷気が漏れ出てくる。
その冷たさが俺の中に発生した熱を冷ましてくれる気がする。
人間の世界の──その不条理な世界の事など精霊たちには分からないだろうし、きっとどうでもいいと考えるだろう。
このように俺が怒りを感じているのは俺が人間である証。人間の世界に居る証。
不条理で非合理な人間精神。自分の都合や感情ばかり優先する者たちで構成された世界。
精霊のように明確な理法の上に存在する訳ではない。
人間は自由意志を持つと同時に、その生物としての生命活動に囚われ、そしてさらに人間社会の中で生活するという柵に囚われている。
人々の中にはそれぞれの生きる理由があり、目的があり、望みがある。だからこそそれらが対立し、あるいは他者を束縛し隷属化する。
それを理解するからこそ人々は自らの想いに囚われ、そして他者の想いに囚われもする。あまりに複雑な人間の存在のありよう。
俺は父の愚かな振る舞いを許す事はできる。──だがそれを自分の中に許容しようとも思わない。
彼とはそもそも生きる目的が違うのだ。
存在の在り方が違うのだ。
自らの自由意志をなにに振り向けるか。
そしてなにより大切なのは、それが本当に自らの自由意志で選択されたものであるかどうか。
我々は精霊の様に理を中心に生きているのではない。
階級社会の片隅で生きるのも結構だ。
だが──だからこそ、自らの意志でその中心を定めなければならない。
本当にその社会的道徳や価値観が、自らの求める生き方の中心足り得るのか。
その中心となるものが普遍的でないものになれば、人は時世に流され、場当たり的な情勢の流動の中に押し流されるだけとなるだろう。
社会的規範や価値観など、時代が移り変われば変化するのである。
その波に従って生きるだけなら、なにも考える必要はない。
自らの意思も持たず、ただ時勢に流されて生きればいいのだから。
「真義を見抜く力」「自らの意志でその中心を定め」
ややこしい言い回しと内容。
単純に言えば、自身で決定したところに自らを投げ入れ、そこに打ち込む事。とかそういった意味。
自分の信念からの行動が問われ、そこに責任を負うのが真の個人主義。誰かから見れば間違った行為だとしても、その人自身が決定した(自身に課した契約した)ものに従うという判断基準。




