暗殺者とキオロス島に伝わる神話
序盤の「糸」はあくまで比喩(精神世界での事)です。レギの持っている情報に関連するものを探る──言うなれば「ダウジング」の道具みたいなものでしょうか。地中に流れる水脈や金属に反応して開く二本の棒みたいに、近づけばなんとなく反応する……みたいな感覚。
かなり長い時間をかけてオルダーナとの接点を捜し回っていた。そろそろ探索に必要な精神力も厳しくなってきた、そんな感じを持ち始めた頃。俺が持つ”糸”を引くなにかを感じた。──もちろん実際に引っ張られる訳ではなく、あくまで比喩にすぎないが──
そちらに向かうと暗闇の中にぽつんと、薄暗く光る靄があった。
特殊な発光をするそれが、オルダーナに関わる記憶の集合体であるらしい。幽鬼となった影響なのか、彼女の精神史であるその光は、歪な光と形をして、闇に溶け込もうとしているみたいに見えた。
「これは──オルダーナの過去の一部か? それとも……」
集合体である無数の小さな光が今にも消えそうにぼんやりと発光する。
俺はその光の中へと飛び込んだ。
* * * * *
暗殺者オルダーナ。彼女はルシュタールの暗殺組織の刺客だった。国が秘密裏に作った影の組織。表舞台には立たずに暗躍する組織。
彼女はその中でも精鋭の中の精鋭。暗殺集団「断罪の影」が誕生して以来、もっとも優れた能力を持つ暗殺者となった女。
断罪の影と呼ばれる組織ができたのは、今よりもっと古い時代かららしい。正確な年代は不明だが。
彼女は今から七、八十年前にルシュタールで暗躍した人物だった。
生まれもはっきりとせず、ルシュタール人とアントワ人あたりの混血であったのかもしれない。
幼い頃の記憶はここには残っていなかったが、彼女が断罪の影に加えられてからの事は大体確認できた。
ルシュタールが戦乱の中でもっとも国内情勢が不安定だった頃に、彼女はある侯爵に仕えていた。その仕事の多くは国の内部に居る不穏分子の抹殺。
他国と内通している者の所へ送り込まれ、どんなに多くの兵士に守られている人物であっても、確実に命を奪う彼女は「死を運ぶ者」と呼ばれ、断罪の影の中でも恐れられていたそうだ。
そんな彼女の最期は凄絶な戦いの中で迎えた。
戦争がしだいに終結の兆しを見せ始めると権力者たちの間で、暗殺者の組織を立ち上げ、自らの保身の為に有望な領主を殺害してきた者が居る、という告発を受けたのだ。
国の意思でおこなわれてきたはずだが、国は断罪の影という秘密組織の存在を否定し、一つの公爵家の主を捕らえさせ、この組織の設立と活動に組していた貴族も滅ぼそうとしたのである。
断罪の影と通じていたという疑いをかけられた侯爵もまた、他の領主と共に兵士を送り込み、暗殺者の一団を撃滅させるに至った。
権力者の中にはこの暗殺の手練れを有効に使うべきだと主張する者も居たが、暗殺者されたと考えられる貴族の親族から疑いをかけられると、彼らは最終的に組織の廃棄を認めたのである。
オルダーナたちの最期……それは、二百を超える兵士に取り囲まれ、小さな砦ごと焼かれるといったものだった。
彼女は仲間数名と共に拠点としていた場所から逃げ去り、その逃亡の際にも兵士を十数人殺害した。
国境を越えて逃れようとしたのか、それとも追っ手から逃れる為に偶然そこまで移動して来たのか。彼女たちは国境近くにある使われていない砦に身を隠した。
しかしすぐに見つかってしまい、兵士たちが砦に突入して来たのだ。──だが、そうした狭く暗い空間での戦いは、暗殺者であるオルダーナたちに有利な戦場だ。
突入した兵士たちは物の数分で全員殺されてしまった。
それを察した指揮官は砦を取り囲み、砦に火をかけたのだ。
開かれた扉から建物の中に油の入った樽を投げ込み、魔法使いに火の魔法を撃ち込ませ、建物を内部から焼き尽くさせた。
砦の上部にも火の魔法を浴びせかけ、炎と煙で中に居る暗殺者を全滅させようとしたのだ。
──ところが一人、生き残った者が居た。
それがオルダーナだった。
ごうごうと燃え盛る砦の入り口から影の様に飛び出すと、全身に巻き付けた黒い革帯からぶすぶすと煙を立ち上らせながら兵士に襲いかかったのだ。
短刀を手に素早い動きで接近すると、槍や剣や盾を手にして鎧で身を固めた相手に挑みかかり、あっと言う間に三人の兵士が地面に倒された。
しかし多勢に無勢──劣勢は明らかだった。オルダーナ自身もこの包囲を突破できるとは考えていなかっただろう。
弓矢による攻撃を浴び、動きが鈍ったところを槍兵に胸や腹部を突かれ、彼女は絶命した。
炎に包まれた砦から飛び出した彼女は、わずかな時間で十四人もの兵士を道連れにして──この世を去ったのである。
記憶の中から彼女の思考や心の一部を読み解く事もできた。
オルダーナという女は、自身の事を心を持つ人間とはみていなかった節がある。
それは彼女が最期を迎える時に明確になった。
潜伏していた砦に火をかけられ、仲間たちが炎と煙に包まれて死んでいく中で、彼女は兵士を送り込んだ侯爵への強い怒りを感じていた。
裏切られた事への、自分と仲間を躊躇なく殺そうとする貴族や兵士への憎しみ。
ルシュタールという国家の為に働いていたという意識も持っていなかったが、彼女は死の間際に至って初めて、自分の生い立ちや境遇を含めた世界に。裏切りの果てに殺されそうになっているその仕打ちに、初めて人間的な怒りを覚えていたのだ。
それはまるで、今まで氷河の様に冷たく冷徹だった暗殺者が、砦にかけられた炎の様に理不尽な死と絶望を与えられ、彼女自身が自らの内なる憎しみの炎を具現化させたかのようだった。
炎に飲み込まれそうになったオルダーナは、水袋に入っていたわずかな水を浴び、体を包む耐火性の強い革帯に水を含ませ、なんとか出口近くまで逃れたのだ。
そして彼女は殺意に駆り立てられるようにして兵士たちに立ち向かって行った。
絶望的な死地に臨み、生への渇望など欠片も持たず、ただ目の前の敵を殺す事だけを求めて。
彼女は復讐など考えもしなかった。
初めて知った「怒り」の感情に急き立てられるようにして、兵士に襲いかかったのだ。
「死を運ぶ者」はそこで死亡した。人生の幸福も、黄昏も知る事なく。
オルダーナは自分が何者かも知らずに生き、そして死んだ。
ただ才能を開花させる厳しい訓練と戦いだけが彼女の生きた証であったかのように。命の意味など彼女には無かった。人生がかけ替えのないものであると理解する事も。
そんな彼女が他人の痛みや死に対し、なにかを感じるはずもなかった。
戦乱の時代が彼女のような存在を作り、戦乱が終息に向かうと彼女は捨てられた。
ただ人を殺めるだけの道具。
そのように育てられてしまった女。
その彼女が今は、俺の為に戦う亡霊となっている。
もちろん幽鬼兵に生前の記憶などないし、心も感情もありはしないが。
* * * * *
オルダーナの記憶の一部を手に入れ、俺は精神世界を離れた。
真っ暗な部屋の中に立ち上がると、俺は窓を閉じた木戸を開放して、月明かりに照らされた庭見る。
──救われない魂に祈りを──
青白い光を放つ銀月がそんな詩を思い出させた。
今日の月はやけに明るかった。満月でもないのに煌々と夜を照らしている。
窓を閉めようと木戸に手をかけた時、背後になにかがゆらゆらと現れた。
振り返るとそこにはオルダーナが立っていた。
「おいおい──喚び出した覚えはないんだが」
月明かりを受けた俺の影が室内に伸び、その影の中から姿を現したようだ。
俺が意識を失ったりした時は、幽鬼兵や霊獣が肉体を守る事になっているが、まさか俺の意識がある状態で姿を見せるとは。
「どうした? 確かにあんたの過去について調べていたが、それが気にくわなかったのか?」
革の目隠しを付けた彼女は黙って立ち尽くしている──当然だ。ここに居るのは幽鬼。死者の残した残滓に過ぎない。
自我が残っているはずがないのだから、会話が成立する訳がないのだ。
彼女は青白い月明かりの中に亡霊のように立ち、なにか言いたげにこちらを見ていたが、やがてその場にしゃがみ込むみたいに影の中へと戻って行った。
……あり得ない事が起きたのだが、俺は冷静に今起きた事を分析するよう努めた。たぶん無意識がなんらかの判定を下して幽鬼兵との接点を開いたのだ。──まさか俺の身が危険だと判断した訳ではないだろう。
無意識領域での活動がオルダーナに伝わり、それを「俺が喚んでいる」と誤認したのだろうか。
奇妙な出来事は月の魔力の所為かもしれない。
昔から月は魔術と関わりが深かった。
夜は死と関係が深いし、それらの様々な条件が幽鬼兵と結びついてしまったのかもしれない。
それにしても────
冥府の神器の力で得た幽鬼兵。
この二体の力は相当なものだ。
かつて現世に登場し、死によって冥府の世界にその戦闘技術を継承した「幽鬼」として作られた存在。
こうした兵士がグラーシャとラポラースの配下として何体存在しているのか。
火山島トルーデンで死導者と戦った時、グラーシャの送り込んだ幽鬼兵の助力を得た。あの戦士たち。一体一体がとんでもない強さを持った精鋭たちだった。
人類の歴史に存在していた英霊。
噂程度に聞いた話によるとキオロス島に住む人々の信仰の中には、戦いで勇敢な死を迎えた者の魂を神が招来し、天上の世界で神の兵士として迎えられる。といった信仰があるらしい。
グラーシャの兵士はそんな神話を思い出させるものがある。
キオロス島の神話は、あの大きな島の中でも国や部族同士の戦争があった事を意味しているのだろう。
そんな戦いを経験した彼らの宗教観(死生観)には、戦士を鼓舞するという意図を持った教義が示されていたようだ。
今ではジギンネイスの軍が領土に入り込み、その侵攻を押し止めているらしい。勇敢で死を恐れぬ戦士たちでも、軍事的な勢力の差を覆す事はできなかったようだ。
春になればまたあの遠い地で戦いが始まるか、それともジギンネイスの属国として敗戦を受け入れるか──
キオロス島にはいくつかの民族が暮らし、国と呼べる統治機構とは毛色の違う、独特な文化が根づいているとも聞く。
まだまだ未開の凍土が多い大地に暮らす人々も、最近はジギンネイスと歩調を合わせようとする革新的な、開明的な人々も増えたらしい。
しかしジギンネイスに抵抗する反対派は捕らえられ、奴隷としてノーアダリス大陸に送られているとも聞く。
凍土と氷河の大地が赤く染められる前に、ジギンネイスは降伏を求めるだろう。彼らが極北の厳しい環境にそこまで求める物があるとも思えない。おそらくキオロス島の資源──陸の物も海の物も──を、条件のよい形で手に入れたいだけなのだ。
あるいは彼らの権力の中心的な位置にある、レファルタ教を布教する目的の為か。
北にある神話や文化について、もっと知りたいという気持ちもある。
海を挟んで繋がっているジギンネイスやウーラだけでなく、ユフレスクもまたキオロス島との接点を持っているらしい。
他国の文化や魔術について調べようとする風土を持つユフレスクには、多くの研究者や学者が居るが、彼らの中にキオロス島について研究している者が居るかもしれない。──未だそれらしい研究に関する書物や論文は発表されていないようだが。
「少し調べてみるか……」
残りの時間を使って、北の地に関連する事象について精神世界を探ってみる事にした。




