レギとアルマの見た夢
「そうだ。明日から義母と共にウイスウォルグに帰るよ。義母は数日の休暇を取ったらブラモンドに戻る予定だ」
「わかった。──レギは予定していたとおり、ウイスウォルグからバフサフ村に行くの?」
「バフサフには寄らない可能性もあるな。直接荒れ地に向かう事を考えている」
「なによ。荒れ地って」
俺とクーゼの会話に割って入るアルマは、なぜか不機嫌そうに言った。
かいつまんで遺跡らしい物が見つかったのを話し、そこに調査に行くと説明すると、アルマは納得したようだった。
「そう……気をつけてね」彼女は心配そうに言う。
それがなにか引っかかった。
豪放磊落な性格のアルマ。その彼女が冒険者となった俺の行動を心配するとは。
旅の先で危険があるなんて百も承知でいるはずの彼女が、今になってなぜ俺の身を心配するような事を……?
「なにかあったのか」
俺が逆に心配になって尋ねてしまう。
「いえ……べつに」
そう言いながらもちらりとクーゼの方を窺った彼女。その視線には気づかずに、クーゼは朝食を食べ終え、皿を手にして流しに持って行った。
「実は……変な夢を見たの」
「夢?」
「なんて言うか……奇妙な、それでいてすごく現実感のある──そんな夢」
彼女は思い出すようにぽつりぽつりと話し始める。
「はじめに方の内容は忘れてしまったけど、灰色の空が広がる場所。遠くに大きな山が見えて──、見た事のない大きな山よ。……ええと、私の前に大きな木が立っているの。葉っぱの無い、枯れた大木のようだった」
そこまで話すと彼女の表情が曇った。まるで現実にそれを見てきたかのように顔を歪ませる。
「その木の上に、あなたが横たわっていたの。──首から真っ赤な血を垂れさせて」
その話を聞いた時──俺は違和感を覚えた。
どこかで聞いた話だと思っていたら、俺が今朝がた見た夢の記憶だと気がついた。目覚めから時間が経ち、夢の事を段々と忘れてきた頃だったようで、すぐにはそれと思い当たらなかったのだ。
しかし微妙に違う部分もあった。アルマは木の下から俺の体を見上げ、俺の夢の中では見下ろしていた。──それになんの意味があるかは分からないが。
それにアルマの話で具体的だったのは、首から血が垂れていた、という部分だ。
血が流れている、ではなく──血が「垂れている」という表現を使った。それは偶然ではあるまい。
「なるほど、それでその夢を見て──お前はどう感じたんだ?」
そう聞くと彼女はまた、顔を曇らせた。
「夢の中で私は、あなたが死んだのだと思った。──いえ、そう感じたと言った方がいいかもしれない。それほど具体的に、あなたの死を感じたの」などと不吉な事を口にする。
「首から赤い物が垂れ下がっていた、と言っていたな?」
「ええ──そう、血だと思ったのだけど……。変ね。まるで首からぶら下がるみたいに見えたから」そう言ったのだった。
彼女が見たのは血ではなく、もしかすると赤いギルド印章。──赤鉄印章だったのではないか、そう思えた。
しかし俺は彼女に自分が赤鉄階級になった事を言っていないし、印章を見せた事もなかった。にもかかわらず、それを予期した夢を見たのだとすれば……
いや、まさか。
しかし偶然で済ますには奇妙なほど、俺の見た夢と一致している。
いったい何者が俺とアルマにそのようなものを見せたのだろうか。それとも本当にただの偶然なのだろうか。
「……まあ、せいぜい気をつけるとしよう」
俺はそう言葉を濁し、戻って来るクーゼには夢の内容を話すなと言っておく。
「旅に行くな、などと言われても困るからな」
アルマが見た夢。
俺が見た夢。
そこにある類似点と相違点。
奇妙な夢の啓示に隠された意味を理解するのは難しいようだった……
ドゥアマ邸から出る時に、明日ウイスウォルグに行く前に渡しておく物があるとクーゼに伝えると、友人もまた「ぼくからも渡したい物があるんだ」と告げられた。
それがなにかは「あとでのお楽しみだ」と言われ、俺は幼馴染みがなにか企んでいる時に見せる、笑いを隠そうとする唇の動きを見てとった。──だが、それは悪いものでもなさそうだ。
「分かった」俺はそう返事をし、今日の午前はゆっくりと街を見て回る事にし、夕方の鐘が鳴る頃に持って行くと告げて友人と別れる。
しばらくすると朝を告げる鐘が鳴り、街は目を覚ました。
大通りの店が開き、通りを歩く人や、街から商品を運ぶ荷車などが活動を始める。
その中には西に運ぶ石材や、木材を載せた大型の荷車があった。砦などの建造に使う物資がブラモンドに用意されていたのだ。
それは他の領から運び入れた物資などと共に、次々に運び出されて行く。西の──辺境と呼ばれた地域に向けて。
「……ついに、この寂れた領地にも変化が訪れるのかな」
思えばここに暮らす領民は長い年月を、閉ざされた世界で生きていたものだ。
俺は彼らを解放する義務があった訳でも、そうしたいという想いがあった訳でもなかったが、結果として彼らに変化を与え──良きにしろ悪しきにしろ──、彼ら領民が外の世界と触れる機会を与える事になった。
正直俺は、ここの領民にはいい想いを抱いてはいないのだ。
彼らがあらゆる事柄に無知で、そしてなによりも自身に無知であるゆえに。
彼らは領主に不満を持ちながら、それを訴える時には弱腰で、どのようにすればいいかを調べようともせず。ただ不満を飲み込み妥協し、それでいてやはり常に不満を抱えていら立っていた。
なにかを求めるのならば、その具体的な方向性なり、手段を学び構築する必要があるにもかかわらず、彼らはその無学さを受け入れて、そこから脱そうとしなかった。
──きっと、そんな事を言えるのはお前が貴族だからだ、と彼らは言うだろう。
しかし俺は父から教養について学んだ記憶もないし、あらゆる知識や知性は自らの独学によって、努力によって勝ち得たものだった。
それは己の無知を理解し、その無知無学な状態から脱するにはどうすればいいかを考え抜いたからだ。
もちろん環境的には彼らよりも恵まれていたと認めるところだ。
しかし環境を理由に引き下がっていたら、いつまで経ってもなにも変わらないのだ。貴族であっても、平民であっても。
己の手で環境を変える努力をしなくては。
自らの足で踏み出し、外の世界を知らなくては。
大胆に。恐れや不安を踏み越えて行く気持ちで。
彼らにはそうした度胸が足らない。
貧しい生活と、そこから脱する方法すら分からない彼ら。あまりにその生活に苦しみ、慣れてしまったのだ。
街の一角に数人の女と子供たちが集まっていた。母親とその子供だろう。──ふと、その中に自分の知った顔があったのを見つけたが、それが誰か思い出すまで時間がかかってしまう。
……そうだ。
俺の初めての相手ではないか。
彼女とはあれ以来あまり話した事もなかった。どういった女だったかと聞かれても、俺には答えようがないくらいの浅い関係。
今の彼女は母親になったようだ。
毛皮の上着を重ね着した少女と手を繋いで歩いている。
街中にある広場を利用した朝市のようなものがあるらしい。
女もこちらに気がついたようだったが、その男が手解き(筆下ろし)をした相手だとは気づかなかった様子だ。
俺も別に挨拶をするでもなく、朝市のおこなわれている広場を通る事にした。
朝市の様子を歩きながら見ていると敷地内に小さな天幕などが設置され、棒から吊された羊肉の塊などが売られていた。
中には鍋などが火にかけられ、料理を提供している屋台のような物もある。
早朝だというのにずいぶん賑わっているようだ。
多くは食料品を扱っていたが、その他にも衣類や雑貨を売っている出店みたいな物もある。
狐の毛皮で作った首巻きや手袋など、冬に入る今の季節に必要な品も出品されていた。
商業ギルドが呼びかけて開かれている市場らしく、しかしここには商業ギルドに加入していない一般市民も参加が許されているようだった。
領外から運ばれて来た品物もあるが、多くはこの領で取れた物を加工した商品で、品物によっては明らかに素人の手によって作られたような商品も売りに出されていた。
「ああ、それは確かに商業ギルドが推奨してやっている朝市だね。──まあなにしろ、朝市を提案したのはぼくとアルマだから」
俺は夕方までエーデンドレイク家の別邸で領内の物資運搬と在庫管理の書類仕事に協力し、そのあとでクーゼの元を尋ねたのだった。
「市民にとってはいい刺激になるな」
「そうだね。自分の趣味でやっている手仕事で作った物が商品になって、それで収入が得られるわけだから。こういった取り組みが街の内外で経済活動を活性化していくはずさ」
そう話を切り出したところで俺は持って来た皮袋を差し出し、テーブルの上に置く。
「なんだい? ずいぶん重そうな音だったけど。……また資金を預けてくれるってのかい?」
「金貨だ」
「へぇ……って、ええ⁉ またか! いったいレギはどういう仕事をしているんだよ!」
「まあ、この金は──貴族相手に高価な物を買い取らせて得た収入だよ」
すると幼馴染みはいったいなにを売ったんだ、どこで手に入れたんだとしつこく尋ねてきた。──新たな商売の可能性があると勘違いしているのだろう。
「冒険先で偶然手に入れた古代の遺物だよ。そんな物、しょっちゅう手に入る訳がないだろう。だから、それを説明したところで商売のきっかけにはならないぞ」
そう話すとクーゼは「そうかぁ……」と溜め息混じりに呟く。
「しかし気前良く金を出してくれるなぁ。こちらとしてはありがたいけれど」
「お前に金を出しているんじゃないぞ? あくまで商業の、領地の発展に対して投資しているんだからな。それを間違えるなよ」
「それはわかっているさ」
彼はそう言いながら皮袋の口を開け中を覗き込んだ。
「五百枚くらいか? これだけあれば交易路に繋がる街道の整備にも人員を回せるかな。──ありがたいよ」
その金は俺がアゼルから受け取った金額の一部だった。
残りの半分くらいはエンリエナに預けようと思っている。これからエブラハ領に必要な人材を確保するには金が必要で、その金を支払えないと交易路の建設も、そこへ物を運ぶ道の安全も確保できないのだ。
「あとその金は、俺の学友が尋ねて来た時に支払う前金も兼ねているから、そのつもりでな」
俺はそう言いつつ懐から封筒を取り出し、それをテーブルの上に置いた。──朝市を見学したあと別邸に戻り、認めておいたのだ。
「手紙かい?『ゼアラ・ベラジェにレギスヴァーティより』──ゼアラ・ベラジェとは誰なのか、そこから聞こうか」
俺は細かい説明は省いて、自分が彼女に言った言葉で彼女を動かした事を話し、その宗教学的、歴史学的意義のある知識を書物として残すよう、その為の費用を渡すよう説いた。
「……なるほど、わかったよ。本を残すのは構わない。売るのが目的ではなく、学術的な研究資料として残そうと。……了解した。それまでになるべく中央図書館に顔を売っておくよ。その方が話が進めやすいだろうから」
「おいおい、ずいぶん切り込むじゃないか」
「まあね。これからはエブラハ領も、もっと大きな仕事に参画できると踏んでいるから。だからこそこの領地に学校を設立したり、あるいは外から多くの人を呼び込めるような街作りを提案したいと思ってる」
「そこは義母と相談して決めてくれ」
「……できればレギには、一番の相談役として残ってほしいんだけど」
「それは断る」
俺が即座に断ると、友人は苦虫を噛み潰したような表情を隠そうともしない。
「ぼくが子供の頃から得た知識の大半は、レギから受けた教育の賜物なんだぜ。──君なしで上手く領地の発展が可能か、まだまだ自信がないんだ」
クーゼはときおり子供の頃のような、いきがったガキみたいな口調になる。──彼が子供時代の記憶に触れる時。俺との会話の中でふと顔を出すそれは、友人相手ならではの感覚の蘇りみたいなものなのだろう。
少年時代のクーゼは、割とやんちゃな悪ガキを気取っていた部分があった。それはあくまで、貴族である俺に負けないぞといった、子供じみた強がりだったのかもしれない。──いまさらながらその事に気づかされたのだった。
アルマの見た夢と、一話前に見たレギの夢の符合。
なにかを暗示しているのか、それともただの偶然か──




