悩み多き女領主と素晴らしき友。
レギが下級貴族という立場も、上級貴族に対する気持ちも受け入れられたのには理由があった。というエピソード。
館に戻ると俺とルディナスは応接室で話をする事にした。
そこでルディナスが持って来た白葡萄酒の事や、彼女の領の話を聞いた。
そして今でもなんとか魔法の訓練をして、少しは上達したと彼女は嬉しそうに話す。
「あなたはきっと、たくさんの魔法を扱える冒険者になったのでしょうね」
「まあな」
あまり多くを語らない俺に対し、ルディナスがつっこんで聞いてくる事はない。学生時代に俺が、魔術師や魔法使いが自らの手の内を晒すような真似はしない、と言ったのを覚えているからだろうか。
「学生時代が懐かしい。──思えばあの頃が一番、楽しかったかもしれません」
「おいおい、なにを老け込んでいるんだ」
俺の言葉に困ったような、苦笑いを浮かべる彼女。
領主として民を治めるというのは、彼女が学生の頃から心がけ、腐心していたはずだが。
思っていたのと現実とでは、まったく異なる負担や不自由があると知ったのだろうか。しかし彼女は貴族の役割というものに矜持を持っていたし、それを信じていたはずだ。
「領主の職務がうまくいっていないのか」
「え? ……いいえ、それは平気です。私には優秀な部下が居ますし。ただ──」
と、彼女は言い淀んだ。
「そろそろ私も婚約者を見つけなければならないと、家族からも言われていまして」
「ああ、そうか。──だがそれも、貴族の役割の一つだ。……そう言ってなかったか」
「それはそうなのですが」
彼女は少し暗い顔をする。
よほど嫌な相手との見合いの予定でも入れられたのだろうか? 俺はそれをそのまま尋ねた。
「──最近、私の故郷の友人が結婚しまして。その友人が言うには、恋をしてその相手と結婚するというのは女としての至上の喜びだと、そんな風に言うものですから」
「ああ、それな。つまり自分は学生時代にでも恋愛を経験しておくべきだった、とかいういまさらな後悔をしている訳か」
俺の痛烈な言葉に彼女は露骨に不満そうな顔をする。
「まあ、そのとおりなのですが。──いえ、別に学生時代に限った事ではありませんが」
俺は「ふん」と鼻を鳴らす。
「くだらん。恋をして結ばれるのが至上の喜び? 俺は冒険者としていろいろな人生を見てきたが、恋をして人生観が変わったなどと言い出す奴に限って、ろくな人生を送っていなかったか、あるいはそもそも物事を考えていないような連中ばかりだったぞ」
「そう言い切ってしまうのもどうなのでしょう」
「人生に意義を求めるのならば、自らの意思や存在のあり方にあるべきであって、他人に依存する事ではない。
いつまでも変化しない感情もないし、まして変化をしない感情だとしたら、それはただ鈍重な──主体性のない感情でしかない。新鮮な感覚のままでいるには常に感覚や感情を刺激し、新しい経験として取り入れなければ。
恋から昇華できない感情では、相手に飽きがきた瞬間、別のものに興味がいくだろう」
痛烈な恋愛感情の否定に、ルディナスはげんなりした様子で聞いていた。
「あなたはときおり、そうした悪態を吐きますね。……到底私の友人には聞かせられません」
俺はにやりと笑ってさらに彼女を不快がらせる。
「あなたにはないのですか。大切に想う人とか。愛情にあふれた人生への期待とか。寄り添う人への感謝とか」
「人をなんだと思っているんだ……。俺だってそれなりに────まあ、あれだ。少女から娼婦まで、それなりの経験はある」
少女だの娼婦だの、彼女にとって聞き捨てならない言葉が出たようで、眉間にしわが刻まれた。
「あなたの言うそれは、ぜんぜん恋愛とは違うようですが」
「恋だのなんだの言う感情は初体験から、偽物の戯れ言だと見抜いていたのさ」
ルディナスは大きな溜め息を吐き、冷たい目を向けてくる。
「もう結構です。話す相手を間違えました」
「おいおい、そう切り捨てるもんじゃない。恋愛も結構だが、しょせんお貴族様の結婚相手と言えば政略結婚の相手だろう? つまりその相手が嫌だというだけなんじゃぁないのか」
核心を突くと彼女は目を細めた。
その顔は「相変わらず嫌なところを攻めてくる」と言いたげな顔つきだ。
「まあそれは確かに。今まで紹介された相手というのはほとんどが性格に難ありで、治めている領地の民から嫌われるような人ばかりでした」
「ふむ。大領主のスピアグラーニ家に取り入ろうという連中か」
その言葉に肩を竦めるルディナス。
「私は別に恋愛をしたい訳ではありませんが。しかしそうは言っても一人の女。せめて家柄ではなく、私個人を見てほしいものです」
「まあそう言うな。その見合いの相手がどうかは知らんが、お前の地位の高さゆえに気後れするような男だって居るものさ。
──見合いの相手が嫌だと言うのなら、自分から好みの男を漁って捕まえてくればいいだろう」
「私が優れた猟師なら、そうしているでしょう」
そうルディナスが言い、俺と目を合わせる。
俺と彼女は同時に吹き出した。
数秒に渡って笑っていると、そこにアゼルがやって来た。
「なんだ、楽しそうだな」
「おう、お疲れ」
やや疲れ気味な表情をしていた友人に声をかける。
「なんの話で盛り上がっていたんだ?」
「猟師と獲物の話」
俺がそう言うとルディナスが笑いを堪えようとして、くすくすと声を漏らす。
「それのどこに笑える要素があるのか分からないが……」
まあいい、アゼルはそう言って「そろそろ夕食の支度が整う頃だ」と、指を絡ませた両腕を上げて背筋を伸ばしている。
「もうそんな時間か」
「外出していたようだが、街の様子はどうだった?」
今度はルディナスに尋ねるアゼル。
「ええ、いい街ですね。公共施設なども多くありますし。なにより清掃が行き届いています。人々の様子を見れば、ここでの生活に心から安心し、幸福を感じているのが伝わってきます」
彼女の返答に領主は満足したようで、頷きながら「そう思ってもらえるようなら良かった」と、まんざらでもない様子を見せる。
応接室で話を続けていると、侍女が食事が整いましたと告げに来た。
三人で居ると俺たちは束の間の時間、学生の頃に戻ったような、不思議な時間を共有した。
廊下に出て食堂に向かう時でも、まるで戦士ギルドで依頼達成報酬を受け取り、そのまま食事にでもくり出そうというみたいに。──そんな懐かしい記憶が蘇る。
魔法を学ぶ学校に入ると決めた頃の俺は、こんなではなかった。
あの頃の俺は義弟を失った喪失感に沈み、二人の兄や父親に対する憎しみに似た感情を持て余していた。
自身の貴族という立場にも失望に近い気持ちを持っていて、このまま自分は孤独の中で生きるのだと誓ったくらいだ。
その為に──一人でなにもかもできるように、あらゆる事を学ぼうと決めた俺は、今以上に刺々しい印象を持たれる若者だっただろう。
俺が民衆も貴族も嫌っているのは、彼らが自分の在処を理解しようともせず、ただ漫然と生きているその姿勢。そこに苛立ちを覚えるからだ。
戦って己の真価を確かめ、それを高めようともしない。そんな連中に。
そんな想いは今でも残っているし、それは決して無くなりはしないが。
それでも俺は学校でアゼルゼストやルディナスと出会い、だいぶ丸くなったのだ。
鼻持ちならない貴族連中の特権意識や、自らの身分に順応し、それを甘んじて受け入れてしまう被支配者階級の面々に、不条理な社会構造そのものに。言葉にならない苛立ちをいつも抱えていた俺。
そんな俺に対しても気さくに話しかけ、下級貴族の俺からも学ぼうとする上級貴族の彼らに出会い、俺の心はしだいに偏見から解放されていった。
──もちろん本質的には、傲岸不遜な貴族にも、群れなす弱者でしかない民衆に対する嫌悪も。俺の中にははっきりとした区別がつけられているのだが。
アゼルやルディナスは貴族でありながら、その地位に甘んじるのではなく、貴族の役割について考える──本物の貴族であった。そんな二人の影響が、自分の個人的な生き方に対する自信にも繋がった。
結局のところ本当に大切なものは、自分の意志で決定し、覚悟を持って臨んでいく自らの目的意識にあるのだ。
それが小さなものであっても、大きな事柄であっても。
自らの意志でこれだと決めたものに向かって立ち向かう。
その道には必ず、自分との対決が待っている。
自らの弱さ。惰弱さや愚かさとの戦い。
欠けている部分を理解し、いかにそこを埋めていくか。
それには自らの弱さと向き合う強い心が必要だ。
嘘で塗り固めた小さな自尊心では、決定的な戦いの場面(弱さの克服)では役に立たない。──覚悟が無いからだ。
錆の浮いた刃を鍍金で誤魔化し、それで途轍もなく強大な敵に立ち向かおうなど、無謀を通り越してもはや愚者の奇行に過ぎない。
弱い魂では、己の中に潜むさまざまな邪悪に打ちのめされ、早々に逃げ出してしまう。
多くの者はその逃げた先が、なんらかの権威や集団の中であり、つまるところ妥協の中に逃げ込んでしまうのだ。
自分の内的な闇から逃げ出した者は、気づかぬ内にその闇に取り込まれていく。なぜなら自身の影──ある魔術師は影の事を「大いなる闇の出入り口」と称している──からは逃亡できないからだ。
魔術は、そうした弱き者を認めない。
魔術はその内的な活動の真を問い、常に自らの意思を原理として活動する事を要求するからだ。
誰かの想いではなく、自らの意思にあるものだけを頼りに。
あらゆる理念も理想も、自身が判断し、受け入れたものだけが力を持つ。
世界に一つだけの、固有の意思。
己のちっぽけな全存在を賭けて──それを手にするまで。
魔術師の探求は続くのである。
俺たちは三人で小さな食卓を囲み、夕食を楽しんだ。
学校時代にも食べていたピアネスの料理が出されると、ルディナスは「懐かしい」と口にして、それを喜んで味わっていた。
ルディナスもアゼルゼストも見た目が成長し、いくらか性格にも変化が現れていたが、根本的な部分では変わらない。──それは俺も同じだ。
技術や力をいくら持とうと、それによって変わるのは物事への対応の仕方くらいだ。力に振り回される事なく、自身の意志で行動を決定するという誓約にも似た魔術への参入。
冒険者になって数年後にはずいぶんと荒み、失意の底に横たわってしまっていたが。俺は自分を取り戻したように感じる。
若い頃の様に活力と反骨心にあふれ、どこまでも自分の信念に従って行動する──あの感覚。
自由で、活動的で、力にあふれている精神と肉体。
それらがある事に感謝し、周囲にある世界と、そこに住むあらゆるものへの愛着も感じるように。
不意に、精霊界で対峙した大いなる存在の言葉が蘇ってきた。
『魔術師という奴は傲慢で謙虚で恥知らずであり、二律背反の中に真理の言霊を探し求めようとするかの如く、悪意も善意も、罪も真(誠)も飲み干して生き急ぎよる』
精霊を束ねる王。その言葉は難解で、やや皮肉に聞こえるものだった。
傲慢で謙虚で恥知らず──その言葉には、魔術師が自然の摂理を理解しながらも、それを逆手にとって利用している事を糾弾するかのようだった。
魔術師は自然を軽んじたりはしない。
しかし同時に、それを脱却したいと望んでもいる。慈しむと同時に、それから自由になりたいと望むのだ。
いかに花が好きでも、花になりたいと望む者は少ないだろう。
所詮人間というものは、利用されるよりも利用する方が好きなのだ。精霊の王はそうした人間の性を軽蔑しつつ、そうした人間を受け入れているようでもあった。
自然の守護者たる者も、複雑な神格で我々を見つめているのかもしれない。
彼らの眼差しの中には人間への愛情はないかもしれないが。少なくとも彼らを慕う人間が存在する限り、彼らもまた、人間への愛情を完全に消失させたりはしないだろう。
ふと、食卓を囲む二人の級友を見て、俺の彼らに対する愛情はもしかすると、精霊が人間を見る時のそれに似ているのかもしれないと思った。
社会の中に生き、民衆の幸福なる社会生活を願う友人らへの愛着。
俺にとってそうしたもの(人々の幸福)は、なにやら異質なものに感じられる時がある。
人間の中には、自らの幸せを願いながら他者を傷つけ、時には他人から奪い、殺す者が居る。
そうした彼らもいつか奪われ、殺される立場になるとも知らずに。
巡り巡って運命の刃が自分の命を奪うかもしれないのだ。
魔術は正義を謳わない。
魔術は正義も不義も、道具に過ぎない事を知っている。
アゼルとルディナスの二人は魔術については未熟だが、その心根にあるものは魔術のそれと似通っている部分を持つ。
時に正義に反する事であっても、自らが守ると決めたものを守る為ならば、進んで彼らはその手を汚すだろう。
この友人たちは差し迫った危機の前にただ不満を唱えたり、誰かの所為にして責任から逃れるような真似はしない。
いつでも責任を負って、自ら決断を下して行動する。
そんな友人たちに出会えたからこそ、今の俺があるのだ。──そんな風に思う。
自身の内的な闇──無意識の中に存在する”悪意”の根源の事。その影響を受けてしまった意識は”影”と同化する。影は悪意の根源から伸びた力の一部。他者に対する臆見などはここから生まれる。このネガティブな力は衝動として人の心をコントロールしてくる。




