魔導師レギと女領主ルディナス
アゼルと談笑しながら館まで戻って来ると、執事服を身に着けた若者が出迎えてくれた。
執事は複数居るようで、この利発そうな、少年ぽさの残る若者は俺の顔を見ると、丁寧にお辞儀をして「初めまして、アゼルゼスト様のご友人様」と、ばか丁寧な挨拶をしてきた。
どうやらアゼルには領主としての事務作業が待っているらしく、若い執事は申し訳なさそうにその事を告げる。
「すまん。ルディナスが来るまでこの館で休んでくれ。──街に出て時間をつぶしてくれてもいい」
「ああ大丈夫だ」
俺は一人になると客室へと戻った。
こちらはこちらで、精神的な領域ですべき事柄があるのだ。
友人は現実的な諸問題に向かい。俺は内的な世界を通じて多くの領域世界を探索し、さまざまな事柄を探究する。
まずは多くの死者や生者から奪った魂魄の欠片(霊質の欠片)を使って、幽鬼兵を強化する。
────そう、俺はこの技術の危険性について感づいていた。
何故ならこの技術は不死者から得られるものだけでなく、生者からも獲得できる魂魄を使用するからだ。
もしこの技術を持つ者が居たら、無差別に人間を襲い、その魂から得られる霊質を集め、自らの望むがままにその魂魄の欠片を使用するだろう。
自らの力を強化する為に、他者の命を狩り集める。──そのような技術なのだ。
冥府に関する死の技術は、現実的な生の世界に真っ向から対立する。
この技術が人の手に余るのは当然と言えた。
自己の精神をどの領域に結び付けるか。それを問われるようなものだ。
同類の命を軽んじ道具と見なすか。
それともその技術を捨て、遠ざかるか。
自らの倫理観、などというものに準じて。──それでは魔術師としても、人としても半人前だと言える。
俺はどちらかに偏った結論を出さないし、あらゆる選択肢を放棄しはしない。
自らの考えるところを軸に、必要であるなら使用し、必要なければそれを無理に使おうとはしない。それだけの事だ。
彷徨える不死者の魂を狩り、時には生きた人間をも殺害する。
そこには常に俺の独善的な選択が働き、なんの落ち度もない人間の命を略奪するかもしれない。
しかしそこには状況や判断理由があり、それに基づいた行動を選択するのである。自身の意志で決定を下すのだ。
そこには自身の最終的な目的到達への決意が表れる。
成すべき事柄から遠ざかる可能性がある場合、躊躇う事はない。
その結果として大切な者の命を奪うとしても。
感情を切り離し、選び取る未来の道筋から損害の無い選択をする。そこに尽きるのだ。
苦悩の無い人生など、自らの願いすら捨て去った者だけが望めるのだ。
生ける屍となった存在だけが、苦悩も喜びも捨て去った世界で”死”んだ自己を生かし続ける。──こうした亡者は当然のように、他の生者を妬み、恨むようになるものだが──
それでは亡霊と変わらない。
魔術師はそんな生き方はしない。
どこまでも貪欲に。
渇望し。
飢え。
望むがままに探求を続ける。
そこに喜びを感じる。
そうした強固な魂の持ち主だけが、真実の扉へ至る鍵を手にできるのだ。
妄執ではなく、冷静な判断力を持ち合わせ。
魂の天秤に自らの生死を賭ける者。
ああ──俺はなんて気高く、そして強欲で傲慢なのだろう。
それを理解しているからこそ、現世の功名や富に執着しないのだ。命以上のものを得ようとしている者にとって即物的な価値など、なんの意味もない。
自らの生きる糧以上の物を貯め込むだけの人生に執着し、自らの奥津城を財宝で満たした王や財務官が居た。
彼らは死後の世界で、その富を使って生前のように享楽を謳歌しているだろうか?
いいや、そんな物が冥府の世界でなんになる?
そんな事すら考えられぬ無知蒙昧な輩が、自らの魂を泥沼の底に沈めた自らの本懐。
魂の、霊的本質から遠ざかったその魂で、いったい彼らが辿り着く場所はどこだったのか。
執着以外の想いを忘れ、苦悩も渇望も無くした亡者に相応しい居場所。あの冥界で彷徨っていた目も見えぬような亡者の正体。それが連中のような魂の持ち主だったのではないか。
愚かな魂は自らが作り出した汚辱の重さにつぶされ、死後も彷徨い続けるだろう。
解放など訪れるはずもなく。永遠に死の淵で彷徨うのだ。
* * * * *
バンタロンという男の幽鬼化した戦士を確認する。
こいつは生前の子供への愛情などは消失し、むしろ逆にすべての生者を憎んでいるような執念を持つ怪物となった。
強靭な肉体をさらに強化した為、もはや通常の不死者のような存在とは根底から違う怪物と化していた。──それは見た目にも表れており、革鎧の下の肉体には肉体強化と、魔法抵抗の呪文が紋様として浮き出ている。
体内を巡る魔素や魔力の脈動から異様な光を放つ紋様。
身体に巻き付けた魔力の鎖もぼんやりと発光している。
皮の仮面を付けているが、そのうち鉄仮面に変えようか。そんな考えをしながら、この怪物と対峙する──闘う為に。
魔術の庭にある訓練場での戦闘。
試しにこちらの用意した虚兵を数体使って戦闘させたが、想定以上の結果を見せてくれた。
三本の太い鎖を薙ぎ払っての攻撃の威力。
上から叩きつけるように振り下ろされる鎖による攻撃。それには鉄の鎧を打ち砕く威力がある。
この怪物──「鉄鎖の幽鬼兵」との戦いからは多くを学べた。
薙ぎ払われる鎖を魔晶盾で防いでも、鎖は盾を巻き込んで身体に絡みつこうとする。これを防ぐには盾を薙ぎ払うようにして、鎖を弾かなければならないのだ。
相手を威圧する咆哮には呪いに似た霊的な言霊が付与され、敵を萎縮させる力がある。優れた戦士でない限りこの咆哮を浴びれば、恐怖から身動きが取れなくなったり、怯えて逃げ出すだろう。
打たれ強さを第一に考えて強化した鉄鎖の幽鬼兵は、思った以上に危険な戦士になっていた。
巨人の戦士の腕を落とした英霊「ガゼルバローク」のような洗練された戦闘技術は無いが、彼に迫る攻撃力と防御力を持っていると言えよう。
中距離戦闘に強いが、接近されると剛腕を使った打撃や、掴みかかっての投げなどに動きが限定される。
俺はその欠点をなくす作業に没頭した。足を使っての攻撃や、敵の身体を掴んで盾に使うなどの「判断力」を植え付け、さまざまな場面での対応力を学ばせた。
戦闘技術を高める為に、人型の敵や四つ足の魔獣などと何度も戦闘訓練させ、さらなる強化を図った。
* * * * *
こうした作業に取り組んでいると、現実の方でなにか動きがあったのを感じた。──部屋のドアを叩く音に反応し、無意識が肉体を動かしているのだ。
俺は意識を現世に戻し、ドアを開ける。
そこには侍女が立っていた。
「ご友人が到着されたとの事で、アゼルゼスト様がお呼びです」
「そうか」
魔術領域での作業は──いわば思考実験だが、精度の高い精神世界での作業でもある。それは厳密には現実とは違うのだが、それでも互いに影響し合う。
いきなり現実に戻って「懐かしい友人と再会しよう」という気持ちを作るのに、一定の神経を使う感覚が生まれる。これは特殊な疲労を生むだろう──通常なら。
だからこそ、常人では魔術の奥義への接触は危険なのだ。
俺は侍女について行き、アゼルとルディナスが待つ応接室へと向かった。
そうしながらも魔術的思考は、幽鬼兵の強化に向けられている。
俺が幽鬼兵の強化を急ぐのには訳がある。
ベルニエゥロが警告してきたのは、俺にも神々の刺客が送られて来る可能性について感じていたからだろう。別に俺の事を心配しているのではないはずで、あの魔神の行動にはなんらかの企みを感じる。直接俺を攻撃するような真似はラウヴァレアシュの手前、してこないだろうが──
そうした数々の危険に備える為にも手札を用意すべきだ。
魔神も神の使いも、どちらも危険なものには違いない。
俺はそんな事を考えて溜め息を吐く。
……これから懐かしい友人との再会があるというのに、暗い顔を見せるのはまずい。
俺は学生時代のルディナスと、その後に再会した彼女の姿を思い出し、あれ以来会っていない友人がどのように変わっているかを想像する事にした。
「お久しぶり」
それは意外な再会になった。
想像していた姿とは違っていたからだ。
「レギは偶然ここを訪れたそうですね。まさかあなたに再会できるとは思っていませんでした。思いがけずこうして会えるなんて。いったいなんのお導きでしょうか」
ルディナスは男装とまではいかないまでも、どこか女性らしさを感じさせない風貌を好み、動きやすいズボンや上着を着ていたものだ(もちろん学生服の時は他の女生徒と同じくスカートを履いていた)。
──それが一変して、長いスカートを履いている。しかも女性的な口調まで使って。
「……おう」
俺は思わず生返事し、彼女の爪先から頭のてっぺんまで視線を巡らせた。
「おい、なんだその目は。私がこのような格好をしていたら不満なのか」
急に記憶の中のルディナスのように振る舞う彼女。
「いや、不満という訳ではないんだ」
旅用の飾り気の無い上着とスカートだが、どこか品良く纏まっており、金の縁取りがされた緑色の外套は格式が感じられる。
「以前に見た時は領主らしいというか、学生時代と変わらない感じだったが」
「いつの話だ。私だって女なんだぞ」
「その口調でか」
そうつっこむと彼女は眉を顰めて顔を紅潮させる。
「……そういうところは変わっていませんね。レギ」
言葉遣いは柔らかく女性的で、口元は笑っていたが──目が笑っていない。
「むぅ……」
「二人とも、せっかくの再会なんだ。もう少し穏やかにだな……」
堪らずにアゼルが間に入って場の空気を変えようと試みる。
「ふん、まあいい。──……おかしいな、どうも二人の顔を見ていると昔の話し方になってしまう。もう学生時代ではないというのに」
どうやら最近のルディナスは女性的な言葉遣いを駆使しているようだ。
「まあ俺としても、いきなり女言葉を使われると違和感しかないんだが」
「あら、それは慣れていただかなくてはなりませんね。あなたももうピアネスの領主の一人として、それなりの立場での生活を考えているのではなくて?」
口元に手を当て、にこやかに言葉を紡ぐ彼女。
まるで演者の様だ。
「あいにくだが俺は以前会った時と同じく、ただの冒険者だよ」
そう口にすると、ルディナスはちらりとアゼルに視線を送る。その目は無言で「どういう事だ」と訴えていた。
「……実は手紙で彼女とやりとりしているのだが、そこでお前は領主の仕事をこなしているようだ。と教えてしまってな」
「おい。それは語弊があるだろう」
どうもアゼルは俺が領主という地位を得て、ピアネスという国を盛り立てて欲しいと望むあまり、手紙で先走った事を書いていたようだ。
「──確かに俺が今日ここに居るのも、自分の生まれ故郷と他国との交易路の建設で協議してきたからだが。それはあくまで一時的な事であって、この件が終わったので領主代理としての仕事を終えて、また冒険者稼業に戻るのさ」
「あなたの兄は──その、どちらも領主としての地位から外されたと聞きましたが」
彼女は「外された」と遠回しな言い方をしたが、俺は肩を竦め「どちらも死んだんだよ」と口にして用意された紅茶を飲む。
「おいおい、まだ長男の方は……」
「投獄されている、か? だがそれも、処刑されるのが前提の猶予に過ぎない。死んでいるのと同じ事だ」
俺は兄の話をしたくはないと、この話をばっさりと切り捨てた。
「常人では魔術の奥義への接触は危険」
簡単に説明すると、現実的な感覚と魔術的な感覚の間に齟齬が生じる事について言ってます。
普段の生活になんらかの精神的な影響が(多くは悪い意味で)出るのです。




