危険な来訪者の誘い
今回の話もかなり脱線かな?
一応隠された伏線みたいな部分でもあるんですが。──斜め読みでも結構ですよ。
「それにしても魔女王やツェルエルヴァールムは、未来を予知する技術に長けているようだな」
「魔女にはそうした側面の術を扱う者も居る」
魔女たちを庇護する魔神に人間の未来を見通す力があっても不思議ではないが、まさか自分に干渉してくるとは──
かつて冥府より救い出した事があの魔神に、なんらかの想いを俺に抱かせたのだろうか。
あるいはラウヴァレアシュと密約が交わされ、俺の守護を引き受けたのか。──そこまであの魔神が人間一人にこだわるとも思えないが。
だがもし──
もし、あの魔神が俺に力を与え、五柱の魔神に接触させた理由があるとしたら。
それはあの魔神が未来を見越した上で、俺には分からない役割を帯びた行動をさせている、と考えられる。
そこにどのような意味があるか分からない以上、危険を承知で取り組まなければならない。
魔神との繋がりを持ち続けるというのは、闇に包まれた崖の上を歩くような、危険な道を歩むがごとくである。
自然の秩序と共に歩む魔女にとっては、その神が魔神であろうと関係がないのだろうが。──たしかにツェルエルヴァールムは、魔神というよりは「女神」という印象が強い存在であると感じたが。
その点、魔神ラウヴァレアシュはいかにもな雰囲気と、圧力を持って立ち現れていた。あれで本来の力を奪われているというのだから──底が知れない。
この場での話は終わったようだ。そんな風に思い始めた時、大柄な魔女が頭巾の中で頭を巡らせた。
「……なにかが来る」
それはどすの利いた、女の声とは思えない響きを持っていた。やはりこの女は──
「敵ならば排除を。ヴァーナ、その力を見せなさい」
ヴァーナと呼ばれた大女が頭巾を下ろした。
暗闇に浮かび上がる瞳が焚き火に照らし出されて朱色に輝く。
黄色に近い色を帯びた瞳が森の奥を睨み、白銀色の短い髪がざわざわと揺れ動いた。
手を見ると白い毛で覆われ始め、長く鋭い爪が指先から生え出してきた。──やはり、人狼だったようだ。
その顔はしだいに鼻先が伸びていき、犬に似た特徴的な顔へと変わり、白い牙を剥き出しにして低い唸り声を発した。
森の奥を探知してみると、確かになにかが近づいて来ている。
巨大な蛇──いや、上半身は人の体のようだ。
下半身は巨大な蛇のそれが地面を這うようにして、こちらへ向かって迫って来ているのだ。
「まさか、妖人アガン・ハーグか?」
「奴らの臭いだ。間違いない」
白い人狼と化した大女──ヴァーナが言った。
彼女はセルシャナを後方に下げると、森の方へ一歩進み出て戦いの姿勢を取る。
一方、地面を這って近づいている怪物は、その勢いのままこちらに向かって来ている。
戦いになる──俺は魔剣の柄に手をかける。
身構えた瞬間、森が開ける手前で蛇の動きが止まった。
「待て、待ってくれ」
しわがれた男の声だった。
その声は怯えており、こちらの戦意がそがれてしまう。
「黙りなさい。森を駆け抜けなにをしに来た。鈍色の王の下僕ごときが神聖な森を汚すなど、許される事ではない」
セルシャナが断固とした口調で言う。
森の暗がりから現れたのは、大蛇の下半身を持つ老人であった。
老人の顔は窶れ、垂れ下がった皮膚はところどころ黒い斑点が目立つ。浮き上がった肋骨からは生気が感じられない。
灰色の鱗をした蛇の下半身にも精細が無く、よく見ると鱗がはげ落ちている部分もある。
「わしに戦う意志などない。──そこの、そこの若い男に言伝があるのだ」
と、小枝の様な細長い指を俺に向けた。
その指先は震え、しゃべるたびに歯ががちがちと音を立てている。
「俺に?」
そう言われて俺は一歩前に出て、二人の魔女を制止する。
「そう、そうだ。おまえはレギと言うのだろう? わしらの主が、おまえを喚んでいるのだ」
「────そうか。だがそれは難しい。俺は馬を待たせているし、虚ろの塔にまで足を運ぶ訳には行かない」
「それは心配ない。主は虚ろの塔には居ないからな」
そんな言葉を口にし、小汚い腰巻きの上に下がる皮袋を手にした。
「これを、これを使え。そうすれば次元を超えて、主の居る場所まで行ける」
汚れた爪で皮袋をつまみ、それを差し出してくる。
「危険よ。妖人たちの王。灰色の闇の王子。邪悪な妖術師の庇護者。──そのようなものに近づくなんて」
理の魔女セルシャナは、ベルニエゥロを表す様々な呼び名を使って彼の魔神を謗る。
半人半蛇の遣いは黙って誹謗に耐え、皮袋を受け取るよう差し出し続けていた。
「まあ、せいぜい注意するとしよう」
俺は妖人の手から皮袋を受け取り、中身を確認する。
それは以前見た黒い結晶に似ていたが、結晶の中に紫色の煙みたいな物が蠢いているのが見える。
「これをどうするんだ?」
「う、馬と一緒にそれを使え。こ、ここでは駄目だ。森の外に出て、月を見上げる場所で高くかかげよ。そして魔神の名を喚ぶのだ。お、恐れる事なく。さすればおまえは主に招かれるであろう」
「……分かった」
「それとこれを。この黒い布で馬に目隠しをするのだ。そうすれば馬は、あちらでも怯える事はないだろう」
俺はその結晶と布を受け取ると、二人の魔女を見る。
「ひとまず彼を帰したらどうだろうか。君らは戦う意志のない者を、むやみに殺したりはしないだろう」
「……そうね」
セルシャナは一応の納得を示したが、ヴァーナは喉元から獰猛な唸り声を発して、蛇妖人を怯えさせる。
「疾く去るがいい。──私の気が変わらないうちに」
白い人狼は牙を剥いて威嚇し、殺気を消した。
蛇妖人はずるずると後退して行くと、来たのと同じくらいのすばやさで逃げ去って行く。
木々を避けながら暗い森の中をすさまじい速度で駆け抜けて行った。
白い人狼の大女は頭巾を被った。するとその顔は人間の顔に戻っていた。──もしくは魔術の力でそのように見えているだけなのだろう。外套と一体になった頭巾などに魔術が掛けられているようだ。
姿形を変える魔術は、魔女や呪術師の得意とする技術である。
それにこのヴァーナという女は元から人間ではないのだ。──人狼でもなく、その正体はおそらく、ラプサラが過去に遭遇し助けられたという、銀色に光る狼なのだ。
霊獣に近い存在だったものをセルシャナは、自身のそばに仕える守護者として受肉化し、人の姿に変えているのだと思われた。──彼女自身、相当の実力を持つ術者に違いない。
焚き火の火が弱まり始めた。
森の中に闇が静かに忍び寄り、音もなく俺たちの周りを取り囲んでいく。
「静かだ」
「この森には精霊の力が残っている。かつてこの森に住んでいた魔女が、彼らとの経路を保っていたのよ」
見えざる力が森の平穏を維持していると言うのか。彼女は不意に空を見上げた。
木々のない上空の半分には雲がかかり、星の光を隠してしまう。
「不吉ね」
星々の輝きから未来を読み取る魔女も居ると聞く。まさか彼女自身が予知をしたのだろうか?
「あなたは暗黒星を知っているかしら?」
「暗黒星……ラウヴァレアシュの呼び名の一つに『暗黒星の王』というのがあるらしいな」
そう言うと、彼女は重い頷きをして大きく息を吐く。
「暗黒星とは人が視認する事のできない暗闇の星の事よ。魔術師なら聞いた事があるでしょう。星々の光の中に混じって、光を飲み込む闇があるというのを」
「嘘か真か、古代には星の海(宇宙)を観測する技術があったらしいな。古代から受け継がれている魔導の知識には確かに、そういった文言があるようだが……」
現在は誰もその星を知らないのだ。
そんな物があるというのを魔術師ですら、言葉の上でしか理解していない。
「ときどきあるはずの星が見えなくなる事があるの。その時、暗黒星がその星の前を通過しているからだと考えられている」
空を見上げたが、毎日星を観察している訳ではない俺には──判断がつかない。
「暗黒星は他の星々とは違い、自律した動きをするの。通常の星は一定の軌道を巡っているというのは知っているでしょう」
「ああ」
「暗黒星は自らの意志を持っているかのように動き回り、この大地(惑星)の周辺を漂っていると言われているわ」
「まさか」
「事実よ」
彼女はきっぱりと口にした。
「……その暗黒星とラウヴァレアシュの関係は?」
「それは──分からない。伝承でそう伝えられているのよ」
「それと、いま言った『不吉』とはどういう意味だ?」
「見えるはずの星が見えないからよ」
「……雲の所為だろう」
「だといいわね」
彼女はこちらが信じようと信じまいと関係がない、といった態度だ。もしかすると魔神ベルニエゥロとの関係を疑われているのかもしれない。
敵とは考えていないだろうが、好かれてもいない様子だ。
それにしても──
暗黒星は星の運行を無視している? そんな事があり得るのか?
星々は中空(宇宙)に浮かぶ石や金属の塊だと考えられている。
それが独自の動きをする──そんな馬鹿な。
星が一定の規則性を持っている事は知っている。
季節ごとに移ろいゆく夜空には、多彩な色の星々が浮かんでいる。
夜空を見上げると一瞬、その一部の星が光を失ったように見えた。
俺は上を見上げたまま時間を忘れて見入ってしまった。
空に浮かぶ星の瞬きに気を取られていると、近くに居たはずの二人の魔女の姿がなくなっているのに気づいた。
「不破の隠幕」でも使ったのだろうか。見事なほど鮮やかに、気配も残さずに居なくなっている。
「……馬のところに戻るか」
暗くなった森の中を歩きながら、これから向かう異空間へ思いを馳せる。
魔神ベルニエゥロは人間にとって危険な魔神であるのは間違いない。魔女たちの守護者である魔神ツェルエルヴァールムとは違い、その行動に、人間には理解できないものを持っているように感じるのだ。
あの魔神は力を求めながらも、それを多くの人間に与えており、人間を妖人などに変化させたりしている。
人をより遠大な領域へ導くのではなく、人間から魔物への転落という──魔道への誘惑を勧める魔神。
それでいながら、別にそれが目的という訳でもない。
妖人同士で殺し合いをしても、我関せずといった風で。妖人となった者がどうしようと、どうなろうと、まったく気にもしないらしい。
まさに人間など玩具と変わらぬといった感じで、彼の魔神と接触した魔術師は多くの場合、人の道を踏み外す運命にみまわれる。
「ともかく誘いを受けたからには、無視する訳にもいかない」
俺は森の出口近くまで来ると、馬の吐く白い息を見て、こちらも溜め息を白く曇らせるのだった。
不穏な空気感のまま次話に。




