魔術師の警告
魔神ディス=タシュに関係する話や魔術に関するうんちく。
魔術とは精神の変容に関する技術でもある、といった話。かなり難しい内容となっております。
魔術師ゲーデから語られたものは意外なものだった。
まさか五大魔神の一柱──しかも、あの悪名高い破滅の魔神の従属神に当たる存在だとは。
「それは確かか」
「ああ、だからこそ君が関わったいくつもの『柱の王』について詳しいのだ。
そして謝らなければならないというのは、君の存在を奴ら──『明星の燭台』に教えてしまったのは、この私なのだ」
「おい」
「すまない。──だが、決してわざとではないのだ。奴らが巫術師の予言で導いた疑問に対して私が答えているうちに、君が関わってきた魔神と、その魔神たちから力を与えられた魔術師だという確証が得られ、奴らは君の力を狙い始めてしまったようだ」
「厄介な」
「だが、なにも君を抹殺しようと言うのではないだろう。そのうち君に接触し、自分たちの仲間になるよう勧誘してくるはずだ」
そうなのだろうか? どうもそうはならない気がする。
「ではなぜ、奴らはアボッツを使って俺に接触させた? そこになんの意味があるというんだ」
「それは……私には分からないが。まあ、魔術師のやる事など、どんな理屈の元にその行動原理があるかなど、その個人によって違うというのは明白だろう」
「確かに」
俺は妙に納得してしまう。
アボッツを利用し、俺に再会させた理由。そんなものがあるだろうか? 魔術的な意味ならあるが、それは相手が素人の場合なら大きな意味があるだろう。だが──
「高度な魔術師である君には対抗魔術があるだろう。奴らがそんな初歩的な事に気づかないはずがない」
ゲーデは俺の心を読み取ったような言葉を口にした。
「ともかく、今の私は奴らとは関わりがないのだ」
俺はその言葉を信じた。
仮面を付けているとはいえ、自ら姿を晒して「明星の燭台」についてわざわざ警告してくれたのだから。そこを疑っても意味はない。
確かめるように「蜘蛛妖女と魔神を融合させるような儀式に立ち会ったか?」と尋ねると、彼は首を横に振る。
「いいや、そんな事をしているとは聞いた事もないが」
魔術師が明星の燭台を抜けたあとに、女魔法使いを犠牲にする儀式をおこない、あの怪物を生み出したようだ。
「それで? あんたの契約している魔神とは何者なんだ? あのディス=タシュのへギアの魔というなら、なぜ主人(ディス=タシュ)と共に──」
そこまで言って、俺は言葉を切った。
魔神ディス=タシュについては分からない事が多い。──だが、あの魔神が多くの神の使いと共に天上の支配者に反逆し、今までの輝く姿を捨てたのは間違いない。
だったら、ゲーデの契約している相手もディス=タシュと共に神と戦い、消滅するか、封印されているのではないだろうか。
「私の協力者は、従属すべき上位存在(ディス=タシュとなる前の存在)に取り込まれそうになり、そこから逃げ出したのだとか。どういう事か私には分からないのだが、ともかくディス=タシュとなった上位存在は、多くの同胞を取り込み、神に弓を引いたと聞いている」
その魔神にラウヴァレアシュやツェルエルヴァールムと関係がある、俺の事を聞かされたらしい。
「あんたには手を出すな、魔神にそう警告された。私は端からそんな気はなく、初めは魔術知識に引かれて『明星の燭台』に参加したのだが。まさか魔神の王とも言われる五大魔神に力を与えられた魔術師を、仲間に引き入れる為かなにかは分からないが、つけ狙うような真似をするとは思っていなかった」
それで慌てて一団から抜けたのだと説明するゲーデ。
うっかりと魔神に説明された情報を漏らしてしまい、俺が狙われる理由を与えてしまった訳だ。
「まあそれは仕方がない」
俺はゲーデを許し、しばらくゲーデの契約した魔神について探ろうとしたが、魔術師自身もその魔神について詳しく理解していないと言う。
「さっきも言ったが、あいつが俺に交信したりする事はほとんどないのだ。こちらから接点を取ろうとしても、ほとんど無視される」
契約と言っても魔神からすれば、ちょっとした暇つぶしのような感覚だったのかもしれない。
そんな魔神も、俺が数々の「柱の魔神」と接点を持つ事を知り、ゲーデに、俺と敵対関係になるなと強く警告してきたそうだ。
「誰が柱の魔神に力を与えられた者と敵対するものか。──それにしても契約者が言うには、あんたは別に五大魔神と契約関係にある訳ではないらしいが」
「ああ」
「いったいそれでどうして力を与えられ……いや、言わなくていい。五大魔神のする事など、人間には理解できない事柄に違いないからな」
魔術師はそこで身震いするように身体を震わせた。
「俺が契約した魔神から、いくつかの知識と過去の幻像を見せられた事がある。もっとも、あいつは俺に見せるつもりで見せた訳じゃないらしいが。
それは恐ろしい光景だった。あの魔神の主だった者──つまり、魔神ディス=タシュの姿。いま思い出しても恐ろしい……! あれが神の座に居た上位存在の一柱だとはとても思えない」
どうやらゲーデが見せられた光景というのは、危うく彼の魔神に吸収されそうになった、(契約した)魔神の記憶の一部であったらしい。
生々しい破滅の光景の心象を見せられたゲーデは、その場で吐いたと言う。それほど精神を蝕むものだったのだ。
「あんたもせいぜい気をつけるんだな。俺は『明星の燭台』にも、五大魔神にも関わるつもりはない。──それではさらばだ」
魔術師はそう一方的に宣言し、テーブルの上に置かれた燭台に灯る火を消した。
するとどうだろう。
奴は忽然と部屋から姿を消したのだ。
まるで最初から部屋には誰も居なかったかのように。
壁にかかっていた燭台の火も消えている。
推察するに奴の魔術は、姿をくらましたり、魔術的な防衛に特化した能力が高かったようだ。
痕跡すら残さず消えたところを見ると、明星の燭台がアボッツの記憶から自らの存在を消し去った手際よりも、遥かに高い技術を持っているように思われた。
それがゲーデが契約した魔神に与えられた力なのかは分からない。
身を守ったり隠れたり、そうした技術に優れた才能を持つ魔術師だ。
攻撃よりも、自らの生存を第一に考える類型の魔術師。そうした術師の多くは、世界を生きている間に感じた世界との疎外感から、そうした魔術に対する適性を得るのだとか。……本当かは知らないが。
ある意味そうした性質は、人間の社会に適合するよりも遥かに、未知の──魔導に関する物事に引かれやすいのではないだろうか。
俺もそうした傾向があったからこそ、今は独りで活動しているとも言える。──そしてその結果、魔神との接触を果たしたのだ。
魔神との接点を持った事は俺にとって目的の一つであり、それが達成されれば、その先に新たな領域への道が開かれる。
魔導の探求とは、霊的発展への道であり、肉体に囚われた意識の上昇。あるいは昇華といった、目標との霊的結合であったり、不滅の魂の獲得といったものを意図するものなのだ。
それは「知」であり「技術」であり。
霊・魂・肉という、意識を捕らえて離さない秩序機構に対する、理解と技術の体系とも言える。
先鋭化した魔術師の目的は様々だが、究極の目的はだいたい似通っている。
我々はその意識の変容を、どこを目指して霊的昇華を成し遂げられるか。そこに最大限の注意を払っているのだ。
その他の事はおまけでしかない。
あっても無くても、それは野山にある草木や色とりどりの花々のようなもので、別に無かったからといって困るものでもない。
そこには俗人の感性や感覚は必要なく、いわゆる人間社会といったものは魔術師にとって、世界の中に住む生物の一形態に過ぎないのである。
蟻や蜂が巨大化し、多様な生活形態をとるようになったら、現在ある人間の生活模様と大した違いはないだろう。
巣が巨大化し、まるで建造物の様な蜂の巣や蟻塚が作られ、他の生物との戦いが激化する。
その中で生物は進化し、生き物としての発展を模索する。──ただそれは自然現象に過ぎないのだ。己の意志で果たすものではない。
精神の窓の閉じた生き物では、窓の外にある世界を知る事はない。──だから彼らは、世界とは環境の事だと思っている。
世界とは──彼らの意識領域の閉塞そのものであり、そこから脱却できぬ魂は、生物(獣)の理に縛られる他ないのだ。
それにしてもゲーデは「ギゥルスーザ」という言葉を使っていた。
それは古代語の「ギヴルスージァ(列柱の王)」からきた言葉で、現代の魔術師が五大魔神を呼ぶ時の「隠語」に近い言葉だ。──古代では偉大な王たちの名を刻んだ柱が立ち並んでいたのだとか──
たぶんゲーデは恐れていたのだろう。その名を口にする事からくる、呪いや禍などの迷信的な力を。──魔神と契約している癖に、ずいぶんと気弱な男だ。
ふと、アボッツの事を思い出した。
あいつは己が、貴族に相応しい人間だと思っていた訳ではない。
ただ上位の社会的地位が、自らに属するべきだと思い違いしていただけなのだ。
それを取りにいこうともせず。
憧れるでもなく。
それは自分のものになるべきだ、という──意味のない思い込み。
強烈な劣等感ゆえに、自分の魂の所在すら分からなくなってしまった小人の歪んだ欲求は、自らを否定する結果に導くだけだと踏み止まる事もなく、なにも省みずに破滅への道を突き進んだ。
それは魂の。霊的なものへの。あるいは人間的理性の拒否に他ならなかった。
自業自得。
自分の精神や霊的本質を理解せず、ただ内なる暗闇から沸き上がる妄執だけを頼りに生きてきたツケが回ってきたのだ。
それでもまさか、級友に命を奪われるなどという結末は、あいつも──俺にとっても、思いも寄らないものであった。
そこにはどうも、魔術師の意図が深く関わっているようだが、その目的は判然としない。
もし魔術的な意味があるとしても、俺にはいくらでも対処可能なものだと考えられる。──なぜなら、命を奪った事による因果応報(連関呪術)などの呪術形式は、「死」の領域の事柄に属するからだ。
いまや俺はその分野では、熟練者の術師だと言って差し支えない技量を持っている。
死導者の魂を二つも獲得した俺は、死に関わる呪術など、たやすく無効化してしまえるのだ。
「ま、他の系統の魔術にも警戒すべきだが……」
今のところ、なにか問題となる魔術的因子は感じない。それすらも悟らせずにおこなうとしたら、相当な術師が相手の魔術師たちには居る事になる。
用心しておくとして、今はせっかく歓楽街に来ているのだ。少し寄り道しても……と、思ったのだが。
「……この街といえば、やはりライカのところに寄って行くか」
街の北西区画にある歓楽街。そこに向かって行く途中、子供たちの姿を見かけた。
(そういえば孤児院に預けた少女──名前は確かイエナ、だったか。彼女は元気だろうか)
そんな事も考えたが、少女の人生にこれ以上関わるつもりもなく、孤児院の様子を見ようとも思わなかった。──なるようにしかならないものだ。
──徒労だ。徒労。──
そんな、どこかで聞いた言葉が頭の中に浮かんでくる。
思えばラウヴァレアシュとの遭遇から、様々な経験を積み上げてきた。
その旅と冒険の果てに、こうしてこの街に戻って来たのだ。
多くの出会いと、危険な戦いを乗り越えて。
その合間に、今まで出会って来た友人や恋人に再会するのもいいだろう。
そうした記憶が時になによりも心を落ち着けてくれる、安らぎの時間となるのだから。




