ベグレザ南西部の禁足域と、魔術師との対話
森で接触してきた魔術師との対話。
そして魔神ラウヴァレアシュと出会った場所についての戦士ギルドの動向について。
葦毛の馬を気ままに駆け出させたり、歩かせたりしながら街道を進み続けた。秋と冬の匂いが混じったような空気を感じながら、以前にも来た街──レインスノークが見える場所までやって来た。
歓楽街として賑わう街だけあって、街の手前にある交差路に来る頃には、街を目指して歩く者や、馬や馬車を使って移動する者を何度も見かけた。
今も前方には俺と同じく馬の背に揺られた男が二人、並んで街道を進んでいるのが見える。
街道が誘う街の入り口は南側にある大きな門。
高い壁に守られた街の中に入る時、俺はいつでも例の魔術師が見張っているものとして行動する事にした。
まずは相手が接触して来るのを待つ為に、戦士ギルドに馬を預けに行く。
ギルド付きの厩舎に馬を預け、馬係りに銀貨を支払うと、上等な餌を与え毛繕いをするよう頼んだ。
次に戦士ギルドに入って掲示板を確認したあと受付に行き、階級印章を呈示していくつかの情報を確認した。
アーヴィスベルで起きたという事件について尋ねたが、大陸の東にある国の事件についての情報は、まだベグレザに届いていなかった。
そもそもブラウギールには戦士ギルドが存在しない為、ブラウギールに接する国から伝わってくる情報を当てにするしかないのだ。
「アーヴィスベルでの不死者の大量発生……ですか。いいえ、こちらにはそうした話は入っていませんね」
受付嬢からそう言われてしまい、俺は大人しく引き下がった。
あの街で事件を経験し、そこから逃れた者だけが、事件の一部を語る事ができる状況だったのだ。
詳細がどんなものであったとしても、それはブラウギールの国家魔術師などが知り得るものとなる。あの国ではそうした情報が市民に知らされる事は無い。知り得る者だけが知ればいい、そう考えるはずだ。
「不死者と言えば」と、受付嬢が別の案件についてしゃべり始めた。
「ベグレザ南西部にある湿地と広野の禁足域に、ギルドから調査隊が派遣される事になりまして、先月から複数の一団が出動していたのですが。夜になると不死者が活動を活発化させ、なかなか調査が進まず、多くの赤鉄階級以上の戦士を募集しています」
参加してみませんか? そんな風に誘われたが俺は断った。
南西部にある湿地と広野。そこは俺がラウヴァレアシュとの接点を持つ事になった、あの黒い館があった所ではないか。
俺があの土地を歩いていた時は、魔剣を手にする事になった死霊の戦士としか出会わなかったが。
……なぜだろう。
俺はそこに違和感を覚えた。
受付嬢に礼を言って戦士ギルドを出たが、そこで聞いた話と、俺があの場所で経験した事柄に、なにか奇妙な齟齬があるように感じたのだ。……それがなんなのかは分からなかったが。
俺は腰に下げた魔剣に触れ、なにか決定的なものを見失ったみたいに思考を彷徨わせた。
訝しみながら街中をうろうろと歩いていると、いつの間にか路地裏に入っていた。
どこか腰を落ち着ける場所を探そうとしていたつもりで、なにやら怪しげな住宅地に足を踏み入れてしまったらしい。
そこはあまり身分の高くない、あるいは貧民街に似た雰囲気のする場所だった。
街の南東に位置する区画だろうか? 人通りのない薄暗く細い道を通り、なんとか日の当たる場所にまで来ると、やっと不快な臭いのする場所から脱出できた。
広い道の先には水路があり、その先にこの辺りにある建物よりも立派な──通常の住宅が──建ち並んでいる。
水路に架かった木造の小さな橋を渡ろうとすると、その欄干に一羽の小鳥が飛んで来た。
見慣れぬその小鳥は全身緑色で、きょろきょろと辺りを見回して周囲を警戒しているが、俺が近づいても逃げようとしない。
『約束どおり来てくれたか』
小鳥を通じて念話が頭の中に響く。
小鳥はやはり周囲を落ち着きなく見回しながら、俺の事は無視して羽繕いを始めた。
「守宮の魔術師か」
『ああ。名前は──そうだな、ゲーデとでも呼んでくれ』
ゲーデと名乗った魔術師は『ついて来い』と言った。
『あんたは名乗らなくていい。それを知ったところで俺にはどうする事もできん』
拒絶的な言葉を吐くと、小鳥が欄干から橋に飛び降り、とことこと愛らしく尻を振りながら歩き始める。
その小さな案内役のあとをついて行き、水路横の道を歩いて一軒の建物の前に来た。
木の柱と煉瓦で造られた建物には白い塗料が塗られている。──少し汚れてくすんではいたが。
小鳥は開いたままの窓から建物の中に入って行った。
俺はドアを叩くと返事を待たずに建物の中へと入る。もちろん罠を警戒しながら。
だがそこにはなんの罠も仕掛けられている様子はない。
玄関先にあるのはいくつかの部屋へと繋がるドアがある通路。先に続く通路があるが、小鳥は開放されている部屋の方から「ピィ、ピィ」と、鳴き声を上げて俺を呼んでいる。
部屋の前に来ると小さな部屋の中に明かりが灯っているのが見えた。テーブルの上に置かれた燭台と、壁にかけられた燭台から橙色の光が部屋に滲む。
部屋の中に入ると、奥にある窓からうっすらと外光が入ってきているが、部屋を明るくするほどの光量はない。
魔術師はテーブルの前に座り込んでいた。
そいつは口元まで覆う白色の仮面を付けていた。その仮面は目の部分と口の部分に穴が空いている。
額の部分に青い意匠が施されているが、呪術的な意味があるものではなさそうだ。──たぶん、顔を隠す為だけの仮面だろう。
魔術師は背もたれのある椅子から立ち上がる気はないようで、俺を手招きすると、前の椅子に座るよう促す。
「確認するが、ゲーデで間違いないな?」
「もちろん」
俺は慎重に椅子の背もたれに手をかけて椅子を引き、そこに腰かける。
仮面を通して聞こえるその声や皮膚の感じからすると、三十代半ばの男だろうと推測した。
「敵意はなさそうだが、いったいなんの話があるのか。──こちらから聞きたい事はいくつかあるが」
すると魔術師は考え込んだ。
「では、まず君から聞きたい事を言ってくれ。こちらから話すのは、そのあとで構わない」
どうやら本当に話し合いをするだけの目的であるようだ。──少なくとも魔術や呪術でこちらを攻撃しようという意思がないのは間違いない。
「では、なぜあの森に俺の級友であるアボッツが居た? 偶然ではあるまい」
確証はなかったが、俺は断言した。
魔術師は頷く。
「そのとおりだ。──それについてはこのあとで説明しよう」
他になにか聞きたい事は? と次の質問を待つような間を作る魔術師ゲーデ。
「なぜ俺がベグレザに来る事が分かった? どこでその情報を掴んだのか」
「それは魔術師の一団の中に居た巫術師の予知を使った為だ。あの老婆は一団の長に仕える立場にあったようだったが」
魔術師の一団。その話が向こうから出されて、俺はその一団について尋ねようとしたが、ゲーデは手を挙げてそれを制した。
「うむ。ではこちらからいくつか説明しようか。私はその魔術師の一団の話を君にするよう言われているのだ」
「言われている……? 誰にだ。魔術師の組織にか」
「いや、私の契約している魔神にだよ」
俺は一瞬、心の中で身構えた。
魔神と契約するほどの術者なら、危険な力を有していても不思議ではない。──だが、それをわざわざ話すという事は、やはり敵意はないと考えるべきだろう。
「心配しなくても、私は君と敵対するつもりはない。……というのも、私の契約している魔神が言うには、君が接点を持つ魔神と比べれば、自分など影のようなものだ、と言うのだ。
もし君を害するとするなら、魔術師の一団と別れず共闘しなければ、到底勝ち目はないとも言われたな」
ゲーデは自虐的にそう言うと、また頷く。
「そう、私は確かにアボッツという男を利用した魔術師の一団に参加していたが、あくまで研修のようなものでね。彼らとはもう袂を分かっている」
「いったいそいつらは、どんな魔術的目的をもった集団なんだ? 魔術師が目的もなく集団を組織するとは思えないが」
「うむ。──私が聞いたのは、あくまで魔術師としての力を存続する為の組織だと言っていた。──レファルタ教の活動について知っているか?」
「──? いいや、なんの事だ」
「北の方で顕著になった、魔術師や魔女の迫害についてだよ」
ああ、と俺は納得した。それについてはいくつかの話を耳にしている。
「まさか、レファルタ教に対抗する為の組織だとでも言うのか。いくらなんでも無茶だろう。表立って活動できるレファルタ教と違い、魔術師はそこまで表立って動けないのだから。それは歴史的な──伝統、と言ってもいいくらいのものだ」
魔術師は歴史の表舞台に立つ事は少ない。
世俗的な事柄に関わらない、個人的な事柄を目標とした活動が大半だからだ。
もちろん生活の為に人と関わる事は少なくないが、ある種の徹底した魔術師ともなると、世俗との関係を完全に断ち切り、魔術──魔導の研究に没頭するものだ。
それくらいに本物の魔術師というのは、世俗に関わりを持たない。
よって民衆は大抵、魔術師にとって敵となる。
宗教家によって扇動され、魔術師や魔女を仇のように憎んだという事は、歴史的に何度か起こっているのだ。
冒険者の魔法使いが、多くの外敵(亜人や魔物)を排除している現実があっても、魔術や魔法に対する偏見はなくならないのかもしれない。
「ふむ。伝統、か。悪くない表現だ。──だが奴らは本気で、レファルタ教のような魔術師を異端とする連中と、事を構える気でいるようだった」
「……仮にそれが目的だったとしても、なぜ俺にちょっかいをかけるって言うんだ?」
「それは──。ふむ、それについて私は君に、謝罪しなければならないかもしれない」
ゲーデは青い小鳥に指示するように指を払い、窓の外へと小鳥を飛ばす。
「私の契約する魔神は、実は下級の──あるいはそれ以下の存在でね。それでも私には十分過ぎるほどの契約相手なのだが、私の魔神は『ヘギアの魔』と呼ばれる眷属なのだと言えば分かるかな?」
「へギアの魔──つまり魔神が堕ちる前の、上位存在に遣われる従属神のような、神の使いの事だな」
「そう。私の契約相手はそのへギアの魔の中でも、少し特殊な存在であるらしいがね。──それでも、君が関わったいくつかの『柱の魔神』とは比べるべくもない」
そう言いながら肩を竦める魔術師。
「……にしても、そのへギアの魔から神々の情報を得られるなら、かなりの知識を与えられたのでは?」
「そうでもないだろうな。彼らが簡単に上位存在の理について話す事はない。ただ君について魔術師の一団──おお、その集団について話すのを忘れていたな。……彼らは自分たちの集団に『明星の燭台』という名前を付けたらしい」
だいぶ仰々しい名を付けたようだ。──だがそれよりも……
「それで? ゲーデの魔神はどのような上位存在のへギアの魔だったんだ?」
相手はそれを説明するのを躊躇うと思ったが、あっさりとこう言った。
「上位存在の──神々の座に居た頃の話は分からない。ただ、私の契約相手は、魔神ディス=タシュの眷属であったらしい」




