ケディン団長との再会
馬車に乗ってアベレートの街まで来た。
ザムピレーから馬車で半時(約一時間)ほどだった。
街道は舗装され、石畳が続いていたので走りやすく、揺れが少なく移動できたのである。
アベレートは大きな街で、街の外にも布製の天幕や、木造の建物が建てられているのが見える。
街の中に入る事が許されなかった者などが建てた、掘っ立て小屋の集まり。
そこでは行商の営みがあったり、街の中で建物を建築する作業員や、あるいは周辺の農地に出稼ぎに来た者も居るだろう。
大きな街の利益にあやかろうとする人の流入が多く、定住者が限られているのだと思われた。
街を囲む壁も高く、歪な形状をしており、兵舎や壁の上にある弩砲に投石機なども設置されている。
門の左右にある壁が剣の切っ先のように突き出ており、守りの堅い城塞を思わせる造りだ。門扉を守る兵士たちが壁の上にも詰めており、櫓の役割も果たす囲壁の間を通って馬車が街の中に入った。
さすがに首都を守る最後の砦とも言える街だ。
ザムピレーも砦としての働きを帯びていたが、こちらの街は流通の要衝としても必要な、二重の役割が与えられた重要な街であると考えられた。
街道と街道を繋ぐ重要な商業の拠点であり、首都防衛の最後の要ともなり得る都市。
街を守る兵士たちも充実した装備に身を固め、金属鎧や革鎧。それぞれの防具と武器を携えて見回りをしている。
きっと夜中の警備にもかなりの人員を割いているだろう。
街の周辺にある空地には、夜襲を警戒する土塁や、篝火の為の薪が積まれていた。
こうした街の仕組みを見ると、エブラハ領にある街の防衛の脆弱さがよく分かるというものだ。
これからはエブラハ領も、外敵に対する守りを強化しなければならない。アベレートやザムピレーのような要塞みたいな造りの街を作るというのではなく、兵士を囲う施設を備え、常に兵士に街を守らせるよう整える必要がある。
街道を守る砦の建造は急いでいるが、今のままでは、街の防衛に回せる人材は数えるほどしか居ないのだ。国を守る兵士の数も交易路の建設と共に増やせるだろうが、そうした兵士を受け入れる準備が必要になる訳だ。
食料に関しても金銭的な問題にしても、これからはエブラハ領にもいろいろな変化が訪れるだろう。
他国の都市を見比べてきた俺からすると、物資の流通がおこなわれる場所から発展していくというのは、自明の理なのである。
街の発展と共に人口は増加し、善いものも悪いものも流入してくるようになる。──初動を間違えば悪の温床となったり、近隣諸国の密偵が暗躍するような事にもなりかねない。
きちんとした引き締めと対応が必要だ。
馬車が街の中を進み、人々の歩く間を通って行く。
馬車を先導する騎馬がおり、どうやら門で待っていたベグレザ側の使者が案内しているようだ。
黒い衣服を身に着けた馬上の人物は、ゆっくりと馬を進め、やがて大通りから、大きな建物が建ち並ぶ道に入って行く。
貴族たちの屋敷などが建ち並ぶ区画だ。
先導する馬がある屋敷の前で止まると門が開かれ、馬が敷地の中に入って行く。
馬車はその後ろについて行き、玄関前にある円形の道を進んで行き、建物の入り口前で停車した。
かなり立派な建物で、貴族の邸宅かと思っていたが──どうやら、この施設は国の所有物であったようだ。
言わば迎賓館のような役割を持つ建物であるらしい。
馬車を降りると、あちらの官僚らしい人物が俺たちを迎えてくれた。
「よくお越しくださいました」
そう言うと召し使いなどを数名呼び、荷物を部屋まで運ぶように言う。
「今日はこちらにお泊りください。──バクシルム領の領主らとの会談もこちらでおこないますので、まずは部屋で一休みしていただいて、できれば昼食を共にしていただき、そのあとで交易路の建設に伴うお話をしていきましょう」
「分かりました」
ベゼルマンはそう返答し、相手と固い握手を交わす。
その熱の籠もった対応からすると、相手の官僚もかなりの想いを以て、今回の仕事に向き合っているようだ。
国の利益を左右する問題でもあるが、ピアネス国という──隣国でありながら、今まで山脈によって阻まれていた国との交流を開始するという、歴史的な岐路を迎えているのだから。
そうした場面に参加する事の意義を理解し、今回の会談を重く見ているのだ。
ベゼルマンや護衛、俺にも部屋が用意された。
そこは小さな部屋だったが、寝台やテーブルなぢ高価そうな調度品が置かれ、優待されている事が窺われる。
荷物を置いて早々に、誰かが部屋にドアを叩いた。
ドアを開けるとそこには一人の侍女が立っており、「主があなたとお話がしたいとおっしゃっています」ち言ってきたのである。
俺は了解し、すぐに彼女のあとをついて行く。
侍女は二階から一階へ降りて行き、一つの部屋の前で立ち止まり、ドアを叩いた。
「入れ」
部屋の中から男の声が聞こえ、それが記憶の中にある男の声であると認識する事はできなかったが、おそらくはケディンのものだろう。
侍女が開けたドアから部屋に中へ入る。
そこは執務室か小さな応接間のような部屋で、本棚や、調度品の並んだ棚などがずらりと壁際に配置されていた。
「久しいな」
「ケディン団長。お久し振りです」
俺の返答に満足したのか、頷きながらにやりと口元に笑みを浮かべる。
その笑顔は以前にも見た記憶がある。少し好戦的な印象を持つ、独特の笑みだった。
「お互い、なにやら厄介な境遇に身を置いたものだな」
「まあ俺は、領主代行として来た訳ですが」
そう返答すると「まあ座れ」という感じで長椅子の方を指し示す。
互いが向き合う形で長椅子に腰かけると、ケディンは「酒でも飲むか?」と口にした。
「これから交渉事があるでしょう。やめておきましょうよ。──まあ俺は、文官に任せますけど」
「はは、それは私も同じだ」
そう言いながら硝子の器に氷を入れ、瓶から蒸留酒を注ぐケディン。──追って水を注ぐ。
「これくらいの分量なら酔いは回らないだろう」
団長はそう言って再びにやりと笑う。
「氷があるんですか」
「この街には冬に蓄えた氷室がいくつかあるからな。私の治める領地でも、氷作りのための池を作ってある。──そこから切り出した氷を都会に売りつける訳だ」
「なるほど」
それはおもしろい発想だ。さっそくクーゼに話してやろう、そんな風に思いながら厚めの硝子容器を手に取り、蒸留酒の水割りを口にする。
「華やかな香りですね」
「だろう? ベグレザの中央は最近、ジギンネイスの蒸留酒が流行っているそうだ」
そういえばケルンヒルトもジギンネイス産の蒸留酒を好んでいたようだった。──このような場所に来てまで、あの父親を思い出すような物を前にするとは。
「どうかしたのか?」
表情に出たのだろうか、ケディン団長が尋ねてくる。
「いえ、なにも。──私は団長に飲んでもらおうと、葡萄酒を持って来たのですが。あとで先ほどの侍女に渡しておきましょう」
翡翠の羽根飾り付きですよ、そんな風に説明する。
「それはありがたい。こちらの葡萄酒に飽きていたところだ。──それと、レギよ。私はもう団長ではないのだが……」
「おっと、そうでしたね。今は領主になられたんでした」
「はは……そうではない。今ではただの隠居したじじいだよ。──まあ、まだまだ剣の腕で若い者に負けるつもりはないがな」
そう言うケディンからは活力があふれている。
まだ現役として戦えるはずだ。──それでも後進を育てる為に一線を退いたのだ。顔にそう書いてある。
「少し前にルシュタールで雷鉄狼の構成員だった人と会いましたよ。ええと、名前は……」
「ルシュタール……ラゥフの事か」
「そう、そうです。あの人から団長は故郷の領主になった、と聞かされていたので」
なるほど、彼はそう言って蒸留酒を口にした。
俺はそこで貴族を守って賊と戦っていた彼らと出会った事を話し、彼は(頭髪以外は)元気にやっていると説明した。
「ラゥフはああ見えて実直で堅実な男だ。きっと優秀な傭兵団を作るだろう」
元団長の言葉に頷き、彼は仲間たちに信頼されているようだったと報告すると、ケディンは初めて優しい笑みを浮かべる。
傭兵団の団長を辞めたケディンは母国の田舎に帰ると、そこで領民たちの為に働いているようだ。
「最近、よその国でも増えた亜人や魔物の襲撃が、ベグレザでも増え始めている。それに対応する為に砦や町を守る防壁を作り、自警団に所属する戦士の育成もしているところだ」
傭兵団を辞めたとしても、彼の戦士としての本質は変わらないらしい。戦士ギルドを介さず、何度も亜人の討伐に参加したと話す。
「なにしろ私の治めている領地は辺鄙な場所だからな。戦士ギルドも領地内にあるにはあるのだが、彼らだけを当てにしていたら、町や村は守れないのだ」
「ルシュタール辺りでは、かなり大がかりな討伐部隊が編成されていたりしましたね。軍と冒険者が協力し合い、亜人と魔物の群れを撃退した話も聞きました」
シン国にあるエッジャの町が全滅していた件について話し、亜人が巨人を率いている事を告げると、ケディンは真剣な表情で頷き、森巨人などの大きな敵との戦闘を想定した訓練も取り入れなければならないな、と口にする。
こんな具合で昼餉まで話しをし、久し振りに再会した年長者と若輩者は、互いの領地よりも大きな、国や大陸全体に起きている危険な兆候について、それぞれの思うところを話し合ったのだった。
そうして双方の国の人間を食堂に集め、顔合わせを兼ねた昼食会が開かれた。
昼餉の内容はベグレザの一般的な食事から、材料にまでこだわり抜いた一品など、多くの種類と系統から選ばれた食事が出された。──中産階級の人間が食べるような皿から、上流階級が好むような料理まで、幅広い内容で我々を驚かせようというのだ。
……少なくともベゼルマンは、そう受け取ったようだった。
俺は二つの国の対外的な思惑など気にせず料理を楽しみながらも、ベグレザの官僚が語る料理の解説や、フィエジアやエンシアとの交易内容についての話を聞いた。
食事を終えると、紅茶や葡萄酒を口にしつつ、双方の国益に関する交易路の建設について話が進む。
だが、おおよその概要はすでに取り決められていたようで、細かな確認を書類上でおこなうだけのようだ。
俺とケディンは顔を見合わせて肩を竦める。
道路の建設はどうやらベグレザ側の方が厳しいようだった。
というのも、こちらの山間部の斜面はかなり急で、山間部までの道を用意するには、蛇行しながら上り続ける道を造らなければならないらしい。
工事費は互いの国の領土について責任を持ち、山間部に作る関所はあまり厳格なものにせず、双方の民が行き来しやすいようにする事が決定したのである。
関所周辺の建造物は互いの領土側に、それぞれの門と壁を設置する事が決まり、関税は当面の間は免除される事になった。
「互いの国がこの交易路の建設で豊かになる事を願って」
ベグレザとピアネスの官僚たちが乾杯の音頭を取り、此度の会談は双方の和合が成立する形で幕を閉じたのである。




