魔物や魔獣、戦士ギルドの事
ザムピレーの町の宿屋で目覚めた俺は、昨夜の訓練を思い出していた。眠りにつく前に魔術領域で、幽鬼兵のガゼルバロークと改めて戦闘訓練をしてみたのだ。
さすがに巨人の腕を斬り落とした猛者だけはあると、改めて優れた技量を持つ幽鬼兵を心強く思う。
その剛力も脅威だが、剣技にも独特の受け流しや反撃。回避動作など、参考になる動きが随所に見られた。
力業だけでない洗練された動き。
何度も繰り返された戦いの中で自然と身についた動き。それは一介の戦士の技量を超えて、達人に並ぶような動きに思われた。
強さを求める事の意義。それを再認識させてくれた──過去の情景。強くなければ生き残れない。その過酷な戦場で、彼は戦い続けたのである。
朝食を食べるかどうか考え、一応食堂に顔を出しておく事にした。──食欲は特に無い。食わずとも問題ないだろう。
旅用の水や酒。紅茶の茶葉やパン。塩漬け肉などを補充し、紅茶だけ飲んで行く事にする。
充実した朝食の献立を前にしても、食欲は湧かなかった。
紅茶を飲んでいるとベゼルマンたちも食堂にやって来て、朝食を頼んでいた。──その様子を見ると、二日酔いにはなっていなようだった。
俺は彼らに簡単に挨拶すると、部屋へ戻る事にした。──他にも数人の客が食堂に居たが、そのどれもが裕福な家柄の男女であるようだ。
さすがに高級宿に泊まるような冒険者は居ない──、そんな風に思っていたが、そうでもなかったらしい。
食堂へ朝食を食べに来ていた四人の若い男女。
身なりは旅人風の男女だったが、明らかに鍛えられた体をした者たちで、先頭に立つ男からは研ぎ澄まされた戦士の気配が感じられる。
相手もこちらに気がついて──一瞬、眉をぴくりと動かし、鋭い視線を向けてきた。
彼らの横を通り過ぎる一瞬の間。
ちらりとこちらを窺う複数の視線。
高位冒険者の優れた洞察力で、互いの力量を見抜いているのだ。
俺と同年代くらいの連中だが、かなりの手練ればかりなのは間違いない。
それも魔物や亜人ばかりでなく、人間相手の戦闘を繰り返してきた、傭兵のような仕事をしている奴らだと感じた。
後方に居た女とすれ違いざま──、女の体が強張るのを感じた。
目が合った一瞬の事だ。
相手の女は魔法使いだと思われるが、俺の顔を見た瞬間──まるで悪夢に現れる存在を目にしたかのように、顔を背けたのだ。
その表情には嫌悪や恐怖に似たものが表れており、俺の顔の印象から、なにかを感じ取ったのだと思われた。
(まさか、魔眼に反応した訳ではあるまい)
おそらく魔術師特有の心理的影響が、無意識(本能的)に相手に恐怖を感じさせたのだろう。
俺の精神を形作るもの。そこから影響するものが表情に印象として表れ、人によってはそれを敏感に感じ取り、不快な感情を発生させたり、恐怖したりするのだ。
だがそれは生理的な拒絶と同じものなので、本人にも理由は説明できない程度のものだ。詳しく分析して説明するにしても、自分の内面の──さらに奥底にある部分について熟知していないと、その感情の発生源を突き止める事は不可能。
彼女の感じた恐怖とはつまり、命の危機に対する恐怖や、原始的な、暗闇を恐れる恐怖と同類のものなのだ。
それを本人に理解させようとしても無駄で、かかる感情については、本人が取り除こうとしても不可能に近い。
彼女が自らの精神の制御が可能なくらいの魔術師ならば、そうした問題について変化を与える事はできるだろう。
無意識に内在する恐怖を駆り立てる、俺の魔術師としての表情。それは俺の無意識と相手の無意識が感応し合う事による、副次的に生まれ出た──意味のない感情に過ぎない。
そうした嫌悪などの感情は酷く人間的であり(時に動物的である)、そして精神の程度の度合いでは解決しようのない問題でもある。
要するに話し合いでどうにかなるものでもない。
印象とはそうした、自分勝手な感情によるものなので、嫌いなものは嫌いなままに終わるのがほとんどなのだ。
だからこの場合、俺は彼女の存在を無視する事にした。関わらないのが一番だ。──互いの為にも。
部屋に戻った俺はいつでみ出られるよう準備をし、窓から外を窺った。
そこで──この宿屋を見張っている男たちの姿を発見した。
イェベトロウに街から尾行してきた連中だ。
次の街アベレートまでついて来るつもりなのだろう。
エブラハ領としてもベグレザのバクシルム領としても、他国に知られて困るような事をやりとりする訳でもないので、尾行されてもなんの問題もない。
交易路を建設する交渉をおこなうだけだ。
いずれはどの国にも知る事になるのだ。
俺は戸を閉め、戦士ギルドで見た──新たな魔物に関する情報を思い出す。
姿形の異様さでは、人間の胴体に犬の下半身を持つ者。
頭部は無く、代わりに無数の蛇が生え出ている化け物。こいつは魔法も使ってくるらしい。
さらには翼を持つ怪物についての報告もあった。こいつはガリガリに痩せた人型の魔物で、長い尻尾を持っていたり、槍を手にする者も居るとあった。
顔は蝙蝠か鼠のようであり、魔法を使用したり、口から音波を発して攻撃してくるのだという。
大型の鼬に似た魔獣の報告もある。
長く太い尻尾にはギザギザの棘が生え、近寄る者を手に付いた爪や、棘の生えた尻尾で殴りつけてくると書かれていた。
かなり凶暴な奴で、動きも速く、すでに冒険者が犠牲になったようだ。
大陸の北側でも魔物や魔獣の出没が増えているらしい。亜人の活動も活発化し、戦士ギルドは警戒を強めている。
ピアネスでも国の働きかけを受けた戦士ギルドが、各地に冒険者を送り込むようになった。西の果てであるベグレザも例外ではない。
この土地は交易路の開発で将来的に発展する可能性がある、と戦士ギルドの掲示板や商業ギルドの掲示板にも書かれた為、それを見越した商業ギルドの協力も取りつける事ができたのだ。
これはあちらから申し出てきた話だった。
俺も商業ギルドに協力を求めようかと考えてはいたが、こちらから協力を要請すれば、間違いなく不利な要求を押しつけてくると考えていた。
商業ギルドも街道の安全を戦士ギルドと国の兵士らに任せている訳で、新たな交易路の建設も関心事であるのは間違いないが、活発化した魔物の動向についてみ神経を尖らせているようだ。
ピアネスへと続く街道を守る砦の建設と、街道の舗装を商業ギルドが提案し、それに対していくらかの支援金が支払われた。
少ない金額ではない。
それは当然、山間道を交易路に変えるのを前提とした投資だ。
街道の整備費が増量したので、そちらに回す分の金を山間部の方に回せる。
余剰分があった訳ではないが、戦士ギルドを誘致する為にいくらかの資金を支払い、エブラハ領の西寄りにある町「バドフ」に戦士ギルドを招く事が決定した。こうして冒険者や自由戦士をバドフに呼び込み、街道や町周辺の安全を確保する下地を整えた。
交易路の建設と、戦士ギルドの誘致。
この二つが決定し、エブラハ領最大の街ブラモンドにある商業ギルドの建物も、大きな物に増築する事が決まったらしい。
一つの流れが始まると大きな流れが生まれ、それはすべてを押し流したり、整えたりするのだ。
社会の中で起こるあらゆる事象。──それは人々の希望や感情だけで決まる訳ではない。むしろ打算的な利益の追求から始まるものの方が多いだろう。
そういう意味では、商業ギルドというものが社会の中にある不和を煽ったり、秩序を守ったりする事ができたと言える。
時には国家の支配すら超える、厳格な利益至上主義の彼ら商人の前では、国家の威信など関係なく、貪欲に己の利益を第一に考え、時にはそれゆえに世の中に混乱を撒き散らす事もあった。
ピアネスも小麦の買い取りで他国と小競り合いをしたし、それどころか内戦にまで発展した事すらある。
不作の時に小麦を買い占めた商人が、わざと市場への流通を止めて、価格を吊り上げようとしたのだ。
こうした事を計画したのが、商業ギルドに組する一部の商人たちだった為に、商業ギルドに不信の目が向けられ、現在では国の審査を受ける事が常となったという経緯がある。
打算とは、一時的な利益について考えるか、長期的な、広い視野を持って考えるかによって、そのありようが変わってくるのだ。
周囲に居る人々の事を考えずに一時的な利益(個人的な利益)ばかりを追求すれば、それは多くの人間にとって悪と映るのである。
利益の独占が人々の、あるいは未来への道を閉ざすようなものである場合、それは本質的に間違っているのだ。
国民の居ない国家が存立しえないように、農民から商人といった市民の居ない、貴族だけの社会など──あるはずがない。
己の地位からしか物事を見ようとしない連中というのは、浅はかな幼児と同じだ。
兵士を消耗品と考えるような上官が居る軍隊は最悪の場合、自国を破滅へと突き落とすであろう。
車輪の輻が痛み、換えが無くなれば、その車輪はいずれ壊れる。
そうした事柄に無知である者が上に立てば、破滅は免れない。
過去に起きた商業ギルドが社会に与えた影響は、意図的に食糧の供給を鈍らせ、飢餓という恐怖を社会に蔓延させた。
この件が発覚した時の商業ギルドへの制裁がいかに重いものとなったか。国と国を巻き込んだ食糧の独占という暴挙。
飢えに苦しんだ民衆が黙っているはずがなかった。
何人かの首謀者は国家に所属する兵士によって捕らえられ、ある者は商業ギルドに組みする商隊によって捕縛されて兵士に突き出された。そうした連中は最も重い刑罰で断罪された。
それ以外の数名は民衆によって捕らえられ、私刑にあったのである。
どちらにしても助からなかったのだが、国の命令を受けて捕えに来た兵士の一団と、殺気立った民衆に取り囲まれるのとでは、恐怖の度合いが違うだろう。
後者の方では、それはそれは残虐な仕方でもって殺害されたのだから。苦痛も恐怖も、兵士によって粛々とおこなわれる処刑台上の死刑とでは、まったくものが違ったはずだ。
さらには不幸にも、食糧の買い占めに参加していない商人まで私刑にあったりもしたのだから、この事件は民衆の間でも禁忌に近い話題として、多くの者が口を噤んでいるような有様なのだ。
己の残虐性や短絡的な思考と向き合えない連中というものは獣と変わらない、というのは歴史的にも明らかで、こういった手合いは反省や内省という精神的な取り組みに、そもそも無知なのである。
世界観に関するいくつかの情報。
戦士ギルドは国によって違いがあります。




