幽鬼兵と巨人戦士の戦い
幽鬼兵の過去について。
ここで語られる「巨人」は北方に住む特殊な巨人です。この世界の巨人すべてがそういった存在というわけではありません。
ベグレザの文化に深く横たわる宗教的な因習や、歴史に関する情報を探っていると、俺の中に用意していた優先的な探索項目に関連するものが近くにあるのを知った。
まるで誘引されるように働くその感覚。──もちろんここで注意しなければならないのは、そうした感覚もまた、深淵の悪巧み一端ではないかという事。
幸い俺には無数の魔術的防衛がある。それも高度な呪術的守りから、光体を媒介する高位次元の視野もある為、そうした偽物の罠といった単純な工作には引っかからないのだ。
そうした罠や影の存在を避けながら闇の中を泳ぎ、飛翔した。──その先にある光の渦に近づく為に。
光の渦の周囲も闇に覆われ、近寄らないと確認できないのだ。術者の霊的視野によっては、すぐそばを通っても気づかない事もあるだろう。
なによりも多くの情報は取るに足りないものであるのだ。誰が俗人の醜聞めいた取り引きや醜態に興味を抱くだろうか。
世の中に生まれ出た存在の多くは実のところ、俗悪な精神の固まりとして定着し、精神の深奥を知る事もなく消えてゆくのだ。そうならないように指導する者が居たとしても、多くの人間は、取るに足りない人生の模倣者となって、露のごとくに消えてゆくのである。
なんらかの精神形態を示す光の中には、傑出したものでなくとも、個性の光を持つ者も希に存在するが。
そうした光の中にあるものは──過去にあった出来事の記憶。それも俺の中にある力と関係するものの記憶だった。
それは幽鬼兵ガゼルバロークに関する記憶の一部。
ベグレザがあった場所付近の古い記憶を探していたが、予定外のものに接触する事になったのである。
ただそれは──ベグレザとフィエジア、その二つの国が、北の大国ジギンネイスと戦っていた頃の記憶であるようだ。
戦いの多かった時代──今から百年以上前の記憶であろう。国と国、宗教と宗教が互いの利権や覇権をかけて争い合った時代の記憶。
そこにはガゼルバロークと、彼と共に戦った者たちの、最後の戦いの記憶が断片的に残されていた。
ガゼルバロークは大きな体躯に無双の怪力。高い戦闘能力を誇っていた兵士だったが、一般の兵士と身分は変わらなかったらしい。
とはいえ彼の豪勇ぶりは敵味方に広く伝えられ、あらゆる戦場で活躍するその姿から敵からは戦鬼と恐れられ、味方からは英雄として讃えられていた。
だがそんな彼にも当然、命を落とす瞬間がやってくるのである。──これはその時の記憶であった。
ベグレザ軍の一兵士として戦争に参加したガゼルバロークは、北の地に召集された。
ある砦を攻略するのに、彼の力が必要だと考えた上官が居たのだろう。
「ゲゼルダムティ砦の戦いか!」
俺は記憶の中で兵士たちが話し合っていた内容を耳にし、思わず声を上げた。
ジギンネイスのゲゼルダムティ砦は、今はもう無いらしいが、そこでの戦いはわずかながら語り継がれ、戦いの記録を記した書物にも書き残されている。
その砦には北方の巨人──キオロス島から連れて来たという、巨人の戦士が居た事で有名だった。
なんでもジギンネイスは、三メートルを超える巨体を持つ戦士を三人ほど雇い入れて──奴隷だったという説の方が有力──いたらしく、そのうちの一人がゲゼルダムティ砦に配置されていたのだ。
北方の巨人は我々人間と容姿はほとんど変わらず、身長だけが大きな大男だったらしい。
彼らはそれぞれ屈強な肉体を持ち、片手で鉄塊のごとき大剣を振るったとされている。
それで戦場では無敗を誇ったと伝えられているのだ。
つまりこの記憶は(当時までは)不敗のガゼルバロークと、無敗の巨人戦士との戦いの記録でもある。
北方の大地に住む巨人は「氷河の神ヴォーレン」に仕える戦士であり、彼らは自らの事をヴォーレンの民だと言っていたという。
その存在自体が神秘の面紗に隠された巨人と、強力な強さを持つ(幽鬼兵となる前の)ガゼルバロークとの戦い。
俺はその記憶を見るにあたって、知らず知らずのうちにわくわくしている事に気がついた。
ゲゼルダムティ砦はフィエジアに近いジギンネイスの南側にある砦であり、いくつかの山に囲まれた平地に建てられた砦だ。大きな山ではないが、切り立つ崖の壁が平地に向かういくつもの細い道を形作り、二つの国を隔てる天然の要害となっていたのである。
迷路のように入り組んだ地形の先にある砦は、さらに奥へと続く山間道を塞ぐ形で建っており、誰もその砦を越えた者は居ないとされていた。
そんな不落の砦に挑む部隊の中に、ガゼルバロークは組み込まれたのだ。
崖に挟まれた複数の隘路をいくつかの部隊に分けられた一団が通過し、ある部隊は天然の狭い通り道で戦い、ある部隊は敵に遭遇せずに道の先にある平地へと進軍した。
何隊かが平地となっている場所に出ると、そこにはガゼルの加わった部隊の姿もあった
複数の部隊が敵陣に迫る。──ゲゼルダムティ砦の正面に陣取っているのはジギンネイスの少数部隊。
彼らは守りを固め、鉄壁の布陣でベグレザとフィエジアの連合軍を迎え撃つ。
数の上ではジギンネイスが不利に思われたが、砦の中からそれは現れた。
巨大な鉄の塊が砦の門から出て来ると、ジギンネイス軍は勢いづく。
金属の鎧を身に着けた巨人の戦士。──その姿は異様なものだった。
遠近感がおかしくなったのかと、多くの兵士は自分の目をこすり、それをしげしげと見つめたのだ。
「おお、それはまさに神話に語られる大いなる神の子。
強大なるグリアクサスの子。
圧倒的なる力を膂力に漲らせ、
戦いに勝利を齎さんとする巨人。
何者も彼には敵わず、
戦いの神にその血肉を捧げられん」
ジギンネイスの軍人が歌ったというその歌は、どこか自軍の勝利よりも、巨人の恐るべき力に対する恐怖が歌われているように感じる。
ゲゼルダムティ砦の激戦についてはいくつかの話が残されているが、そのうちのどれがガゼルの参加した戦いなのかは分からない。──きっと語り草になっているに違いないのだが。
それほどの戦い方が繰り広げられた。
はじめの半時(一時間ほど)は連合軍の勢いが勝っていたが、巨人の戦士が砦から現れると、一瞬で形勢は逆転していた。
彼の巨人が大剣を振るえば、鎧甲冑に身を包んだ兵士や馬が、まるで木枯らしに吹かれる枯れ葉のように宙を舞い、真っ赤な鮮血を戦場に撒き散らすのだ。
前線は阿鼻叫喚の渦に飲み込まれた。誰もがあのような一撃を受け止める事などできはしないと尻込みし、後退りする兵士たちに押されるように後退を始める軍勢。
その巨人に果敢に挑んだのがガゼルバローク、その人だったのである。
彼もまた剛力には自信があったが、決して相手の攻撃を正面に受ける事はしない。
そんな事をすれば彼の剣はへし折られ、彼自身もまた無事では済むまい。──その事を彼はよく理解していた。
巨人の攻撃を躱しながら斬りつけ、後方からの弓矢と魔法の援護を受けながら、なんとか戦い続けたガゼル。──彼は実によく戦っていた。
鎧を着込んだ大きな体で俊敏に動き、危険な攻撃を幾度となく躱していた。
かすめた一撃が彼の兜を弾き飛ばしても、彼は戦うのを止めなかった。
巨大な腕が掴みかかってきた時などは、その腕に痛烈な上段突きをお見舞いして、巨人に野太い悲鳴を上げさせたほどだ。
さらにはその刺し貫いた刃を豪快に斬り払い、巨人の片腕を真っ二つに斬り裂いたのだ。
勇猛果敢な英雄と、力任せの蛮勇を振るう巨人の戦いは──長い、長い戦いとなった。
数々の傷を負い、血塗れのガゼル。
巨人もまた片腕を切断され、荒い息を吐いている。
決着が着いたのは夕暮れ前の時間だった。
巨人が振るった縦斬りを躱し、その剣の腹を蹴って飛び上がったガゼルが、巨人の首を狙って剣を薙ぎ払う。
────しかし、それを読んでいた巨人は手にしていた大剣を手放し、肘から先を失った左腕で首を守りつつ、右腕で体の激しく殴打したのだ。
ガゼルの剣は巨人の左腕に食い込んだまま、彼は剣から手を放してしまった。
巨人はすかさず地面に突き刺さった大剣の柄をむんずと掴むと、倒れ込んだガゼルの体に向かって振り下ろしたのである……
朦朧とした意識の中で、ガゼルバロークという戦士は、己の死を悟った。
巨人の殴打を受けた彼は肋骨が内臓に突き刺さり、そのまま放っておいても死んでいただろう。
巨人は驚くほど素早く、正確に、ガゼルの首を狙って剣を振り下ろしていた。
巨人も相手がもう戦えないのを理解していただろう。
首を刎ねたその一撃は、彼をそれ以上苦しませない為の、慈悲の一撃であったのかもしれない。
巨人はガゼルの首を落とすと──まるでそれが、その日の最後の仕事であったかのように砦に後退し、左腕にガゼルの剣を食い込ませたまま下がって行ったのだった。
ガゼルバロークという戦士に関する記憶。
それは凄絶な戦いに身を投げた者の、勇敢な、あるいは無謀な最期の記憶だった。
だが、その光景を──たとえ過去の映像に過ぎなかったとしても──目の当たりにした俺は、魂の奥底に響くような強い印象を残した。
百戦錬磨の巨人戦士に挑んだ英雄。
それが今では幽鬼として、俺の手の中に存在する──その奇妙な感覚。
魔術師として改めて考える。
冥府の神器を使用して現れた大柄な幽鬼の戦士。
それがまさか、歴史的な大戦に登場した巨人との戦いで死んだ男だったなど、思いも寄らない事だ。
ゲゼルダムティ砦の巨人については本で読んだ事がある。
俺はその時はじめて気がついた。
「そうか!『隻腕の巨人戦士ギゥルム』か!」
戦いで左腕を失い、その後の戦いでは片腕で戦い続けた巨人の話だ。
まさかその片腕になった原因を作ったのが、幽鬼となったガゼルバロークの生前のおこないだったとは!
驚くと同時に、あの屈強な幽鬼兵の強さに納得する。
伝説の巨人と渡り合い、片腕を落とした英霊だったのだ。
「驚いたな」
しかし、無名の一兵士だったガゼルバロークの名は、後世には残されなかったようだ(もしくは俺が知らないだけか)。
どんなに強くとも、貴族階級が優先されるような社会では、その名前をわざわざ後世に残そうとはしないものだ。
民衆を尊重するような気風が生まれたのはここ最近の、しかも文化的に成長している──音楽や芸術の分野での人材を後援する目的で始まった動き──国家だけだ。
その後も精神世界の探索を続けたが、いくつかの過去の戦乱のついての情報を得る事ができたくらいで、望んでいたような情報は得られなかった。
北の地でも、血みどろの戦いがいくつもおこなわれていたのを改めて知った。
戦士の記憶などから、当時の戦闘技術について学ぶ事ができたが、それらはあまり洗練されたものとは言いがたいものだ。
人間同士の戦いが勃発していた時代。そこから戦いの技術が磨かれていったのだろう。──もしくはそうした戦乱の後になってやっと、戦闘技術を高めようとする意識が育ったのかもしれないが。
平和な状態でこそ、あらゆる技術が洗練されていくものだからだ。
「グリアクサス」はジギンネイスに伝わる神話伝承に登場する巨人(神の子ともされている)。──つまり、まるで「伝承に語られる巨人の子供の様に強い」と歌った……そんな程度の意味です。




