低劣なる人間と、上位存在(神)についてのレギの思索
人間の精神性についての思索。説教臭い内容と思う人はスルーで。
レギの過去が垣間見えます。
一応今後の展開にも繋がる内容です(まだまだ先の話ですが)。
パジェムの町を散策し、そろそろ次の目的地に向けて馬車を出す時間になったと考え、馬車の停留所まで歩いて行く。
そこにはまだ御者しかおらず、ベゼルマンと護衛の姿はない。
俺は座席に腰かけると、魔術的作業に着手した。
しばらくそうしていると、文官らが戻って来た。
「お待たせしました」
彼はそう言うとすぐに馬車を走らせる。
「次は国境手前の街イェベトロウまで止まりません。準備はいいですね?」
「ああ」
それからずっと、馬車は進み続けた。
夕暮れになるまでにいくつ町のそばを通っただろう。
西に向かう街道は一直線に延び、護衛の騎馬を従えた馬車は悠々と旅を続けた。
日が傾きかけた頃に少し雨に降られた。ぽつぽつと馬車の天井を叩いた雨音が急に、ざ──っと大きな音を立てて降り出すと、馬に乗った護衛たちは慌てて雨具の外套を羽織っていた。
激しい驟雨はすぐに止んだが、一気に気温が下がったように感じる。山の南側には未だに秋が、静かに居残り続けているようだ。
濡れた街道を駆ける馬の足音。
ばしゃばしゃと水溜まりを踏んで進み、視線の先に見える青空の方へ向かって、足を動かすのだった。
大きな木製の橋を渡り、少し濁った水色の川を越えて、一本の大きな欅の木の横を通り過ぎる。
街道の近くには障害物はなにもなく、見晴らしがよくなっている。──林や岩陰などもない為、亜人などが襲撃してくるような危険は少ないだろう。
安心して道を進み続け、街道から続く脇道の先に、大きな畑といくつもの農家らしき家屋が見えた。山から離れた平地に広がる田園だ。
そこからしばらくすると、街道の先に町の壁が見え始めた。──それほど高い壁ではなく、人間からの攻撃を想定した物ではなさそうだ。
亜人は知性があっても、梯子を用意して壁を越えようとはしてこない。むしろ森巨人などを飼い慣らして、その背中から腕を伝って壁を越えようとするらしい。
もしくは巨人の豪腕で、扉や壁を破壊してくるのだ。
過去にはそうした、大軍勢で押し寄せて来た亜人との戦いがあり、その記録が残されている。
あの二足歩行する獣との戦いの歴史。
そしてそれとは異なる──秘密裏におこなわれてきた「魔」との戦い。
その多くは冒険者と、一部の宗教に属する戦士たちが繰り広げてきた。
人間は人間とよく争うが──身近なところでは、数々の猛獣やなにやらと争ってきた。
だが人は、それらを知性で回避しようとしたり、あるいは効率的に勝ちを得ようとし、時にはその後の平和を長く保とうと、いくつもの手段を生み出し、実行してきた。
亜人だって方法は異なるが、自分の力でどうにもならない事を巨人にやらせるよう仕向け、うまくやろうと試みてきた訳だ。
ある宗教者は「亜人には神がなく、我々には神がある」と唱えたが、それは正しくないように思うのだ。
むしろ「我々には神がなく、亜人には邪悪な神がある」としたほうがいいのではないか、そんなふうに思う事がままある。
人間の知性は欲望に根差し、どこまでも止めどなく燃え広がる野火のように、すべてを焼き尽くそうとする。
そしてそれは俺の求めるものについても、おそらく同様なのだ。
精霊の主が俺に言い放ったいくつかの言葉。
彼らの目には、俺はどのように映っているのだろうか。──あの目を閉ざしていた精霊騎士たち。
彼女らにとって、下界たる人間界から来た侵入者の俺は、蠅かなにかと同類だったのかもしれない。
たとえ俺が神を信仰していようといまいと、彼女らには些末な事で、ただ侵入して来た穢れを払うように、俺との戦いを演じていたのかもしれなかった。
彼女らに亜人や人間の区別がつくものなのか俺には分からないが、俺としては亜人と同じだとされたくはない。──しかし時には、人間にすらそう感じるのだ。
壁に囲まれた町の横を馬車が通り過ぎて行く。
薄汚れた町の壁。
俺はその壁を見ながら、かつて出向いて行ったアーヴィスベルの街を思い出す。
獣と大して変わらぬ亜人と人間は、なにが違うのだろうか。
あの街に居た者たちは亜人とは違う、と言い切れるほど上等な連中だっただろうか?
俺にはどちらも大差ないものに思える。
それと同じで、精霊からすると、亜人も人間も、さしたる違いはないのかもしれない。
ならば、神は果たして人間をどう見ているだろうか? 宗教家が語るように、人間を愛しているものだろうか。
────俺は疑っている。
仮に人間を創造した神が居るとして、それならばなぜ神は、人間をこのように不完全な生き物として、不安定な精神を持つ存在として生み出したのか。
俺は愚昧な盲信者のように、疑問を嘘偽りで隠しておくような真似はしない。
いつだって真理の目を誤魔化そうとする陋劣な人間のするおこないは、結局は自分の本性を押し隠そうとし、最終的には自分を偽りの中で殺してしまう。──己の隠された本性が、神の愛を受けるに相応しいものだとでも言うのだろうか。奴らはまるで理解しないのだ。
どんなに綺麗事を並べ立てても、隠し通した悪意が無くなる訳はないのだという事が。
己に無知な者が神に近づく事などない。
そのような下等で下劣な存在を、上位存在が愛するものなのか? それはまるで人間が愛玩動物を見るような目で見ているのと同様なのではないか。
もしくは取るに足らない昆虫をいたずらに苦しめるような、そんな気持ちで眺めているのでは?
いずれにしろ、自身の優位が揺らがない者が示す情愛など、偽りにまみれているものだ。
それが神であれ、王であれ、親であれ。
俺にとって貴族の──大した権力も持たない貴族の──三男などといった肩書きは、俺の罪悪感や恥辱を引き出す程度のものでしかなかったように思う。
子供時代のあの、貧しい子供たちの羨望の眼差し。
はじめは彼らの視線がなんなのか、気づきもしなかった。
俺の幼い日の思い出は、そこそこ恵まれた連中の子供と、そうでない家に生まれついた子供の間で感じた、不条理と不公平感。それを知った事による──人としての成長の一歩。
それは今でも俺を迷わせたり、苦しめたりする可能性を持っている。だからこそ俺は、せめて子供たちには──彼らの友人でありたいと思っている。
そんなもので、俺の過ごした幼少期の苦い思い出を払拭する事などできはしないが。
俺の子供時代の記憶の土台は、きっとそこにあるのだ。
貴族の子供として着る物、履く物、食べる物に困る事のない生活をしていた俺と。
それらすべてが足らず、それに加えてさらに様々な不条理がのしかかる、厳しい生活を送らざるを得ない貧しい民衆。
俺の父親や二人の兄弟が、もう少し彼らに寄り添うような気持ちを持っていれば、俺は子供時代に無力さを感じたり、貴族というものに失望せずに済んだかもしれない。
アゼルゼストのように、貴族は民衆に対して責任を負い、民衆もまた貴族に対して──その責任に対する対価を支払う。そのような関係。そうあるべきだったのだ。
支配ではなく共存。でなければあらゆる組織は破綻する。
人は蟻や蜂ではないのだ。
人には自由意志があり、あらゆるものに反抗する意思がある。
──そのように神が作ったのだ。当然その意思のありようは、神に対しても発揮されるであろう──
俺が自身の貴族としての立場について思う事は──「反吐が出る」といったところだ。
子供の頃の俺にはなんの力もなく、誰かを助ける事も、傷つける事もできなかった。
憐れな隣人に対し、ただ傍観するか、知らぬ振りをするしかなかったのである。
俺はあの頃の気持ちについて、今では、はっきりとこう思うのだ。
エブラハ領の貧しい民衆に憐れみを感じると同時に、それをただ見ているだけしかできない自分自身。俺はなにより、自分を憐れに思っていたのではないかと。
惨めな民衆を生み出しているのは──俺の家族(そして俺自身)なのだ。
父ケルンヒルト。
厚顔無恥な領主である父。
俺は子供の頃にエブラハ領の外に出て、別の領地や領主を知り、恥ずかしさに打ちのめされたものだ。
なぜ自分と同年代の子供たちが、ただ黙って俺を見つめていたのか? 遊びに誘う訳でもなく、ただ遠くから俺を見る──その目。
まるで虚空を見るような、感情の死んだ瞳で俺を見つめていた。
彼らは俺を羨み、蔑み、憎んでいたのではないか。
その押し寄せるいくつもの感情が彼らの瞳を曇らせ、同世代の俺をただ見つめるしか彼らにはできなかったのだ。
それに気づいた時に、俺はこの貴族というもの──俺の家族に対する気持ちが決まったのだ。
権威の座に座り、ふんぞり返っている者こそ憐れな生き物。
彼らが責務を果たさずに、その座に座り続けていられると思い込むのは、ただ単に愚か者だからだ。
俺は彼らのような惰弱な魂を認めない。
ただ自分の立場を守りたいがゆえに他者を踏みにじるような者を。
なんの責任も持ち合わせない者に従う理由などない。
子供を守ろうとしない親。
民を導かない領主や王。
人を救わない神。
そんなものに従ってどうなる?
意思もなく、力もない者が、力ある者に従うという法則。
それを受け入れてしまえば、ただ力ある者同士が敵対し、殺し合いを始めるだけだ。
それがこの世から争いが消えない理由ではないのか。
弱い者は強者を妬み──そして憎む。それでいて逆らう事もできずに、鬱屈した思いに囚われるのだ。そうした思いを発生させる理由はただ一つ。
それは弱さだ。
弱さを認められない事だ。
弱さを受け入れられない事だ。
弱さに甘んじる事だ。
多くの事を知れば知るほどに思う。
弱さは悪の根元であると。
弱い者を貶めようとする事もまた、弱い心から発生する。
だからこそ弱者はたやすく嫉妬や悪意に心を蝕まれるのだ。
敵意の感情は、自らの弱さに起因すると考えて間違いない。
傷つけられるかもしれない。
奪われるかもしれない。
そんな思いに駆られて、傷つけられる前に相手を排除しようとするのだ。
魔術を使う魔術師は、その心の奥底にあるものと対決し、勝利しなければならない。──なぜならば、そうした根の暗い感情が、己の足を引っ張る足枷となるからだ。
魔術師は己の支配者であらねばならない。
でなければ外部の事象を、あらゆる事柄を、自然を──制御する事はできないのである。
「汝自身を知り、汝の成すべきところを成せ」
『魔導師の掟』に書かれた序文には、人生における真理の一端が書かれている。
レギが家族に対して不寛容なのは父親や兄たちに対する個人的な感情だけでなく、周囲の民衆に対する配慮の無さからきていた、といった話。
レギが子供に優しい理由は、幼少期の経験があったからこそ。「父や兄のような愚か者になりたくない」という気持ちがあったかららしい。




