魔術師の暗躍
ベグレザからの手紙を受け取ったすぐあと、中央から使者が来て、文官ベゼルマンからの書状を届け、内容について説明した。
どうやら手紙はピアネスの王城にも届けられていたようだ。──当然か。
ともかくベゼルマンはこの件の担当者として、ベグレザとの協議に入る用意があるとの事で、すぐにでも出向できると訴えてきていた。使者が早馬を乗り継いで来たのも、今すぐにこの場で返事を要求しているからだった。
「了解した。すぐにベグレザに向かおう。──ベグレザには俺が行くと伝えてくれ」
「では、明後日の正午にベネシアンの街の南門までいらしてください。そこで公用馬車に乗ってベグレザに向かいます」
現地集合でもいいのだが……そう思ったが、俺は使者の言葉に従うと返答した。
俺の返事を聞いた使者は、来た時と同じように忙しなく去って行った。大急ぎでこの件の話を進め、交易路の建設に着工したいという中央政府の意志が感じられる。
ベゼルマンは相当上手く上司や大臣を説得したのだろう。
互いの国の間に交易路を通すという取り組みは、すでに大臣や役人たちの間で様々な話し合いがされ、あとは互いの国同士の担当者が利権などについて、すり合わせをおこなう段階にまできているようだ。
本来は中央政府の高官が会談を準備しておこなってもいいような議題だが、おそらく二つの国の間にある険峻な山脈に守られた地勢的条件。そして寂れた辺境になんらかの価値を与えられると期待した双方が、今回の即決に至ったのだと推測できた。
仮に交易路を通じて相手国に攻め入ろうとしても、あの道幅の狭さでは大軍を移動させるのに不向きだ。そうした判断もあったに違いない。
ともかくこちらはベゼルマンなどの文官と、領地を代表して俺がベグレザとの会合に出席する事になった。
──というのも、相手国の領主の名前に覚えがあったからだ。
ケディン・ベウル・ソルディウス。
それはかつて世話になった「雷鉄狼」傭兵団の団長の名前だった。
手紙でこの名前を目にした時にすぐ団長の事を思い出せなかったのは、「ベウル」という中間名が入っていた所為だ。
ベウルとはベグレザの騎士の称号で、国王から叙勲されて騎士になった者に与えられるものらしい。
各国で傭兵として活躍し、現在は辺境の地で領主をしているケディン元団長。
相手が俺を覚えているかは不明だが、今回の件で彼に会う人材として、俺以上の適任者は居ない。
俺はすぐに旅支度をし、しばらくの間はエンリエナやアルマに領地を任せる事にした。
「いざという時はアゼルゼスト・ライエスを頼るように」と二人に伝えておく。
問題が起こる前の対処として、戦士ギルドに協力を呼びかけ、多くの自由戦士や冒険者をエブラハ領に招くよう求めておいた。
戦士ギルドに俺が討伐した梟熊の爪を持って行って、並外れた身体能力を持つ魔獣の出没について説明すると、受付嬢はすぐにぴんときた様子で、一枚の資料を見せてくれた。
「これは数日前に送られてきたものです。──どうやら各地で新たな魔獣が出没しているようですね」
そこには梟熊の絵が描かれ、足の速さや硬い表皮について書かれていた。
ギルドの調査によって、この魔獣が熊と大猿の特徴を持っており、さらに声帯は梟と獣の二種類があると解剖で分かったらしい。
骨格と内臓の不調和な構造は魔獣によく見られる特徴の一つだが、その脚力は非常に強く、注意が必要とあった。──この情報はピアネスではなく、フィエジアやシャルディムの方から届けられたものだという。
「詳細は確認中ですが、おそらくそれ以外の国も出没している、と考えられているようですね。この梟熊以外の魔獣の出現についてもいくつか報告があります」
受付嬢はそう言って別の資料も見せてくれ、階級印章に魔獣討伐分の刻印を入れてくれた。
まだピアネスでは亜人や魔物の大群による襲撃を受けていないが、警戒は強化されたらしい。──主に中央部付近での事であるが。
受付嬢はなんとか多くの冒険者にブラモンド……エブラハ領に来るよう、手配を求める訴えを起こしていると語った。
「ギルド長も手を回してくださっているようですが、やはり各冒険者の意識が変わらないと、難しいかもしれません」
受付嬢はそう言って嘆息した。
俺はベネシアンの街に向かう荷車に乗って、すぐに旅立つ事にした。
着替えなどの多くは影の倉庫に蓄えておき、背嚢の中身は極力軽く済ませる。
「それではお願いいたしますね、レギ」
義母エンリエナはそう言って俺を送り出す。
「今回の件が一段落し、領主の仕事にも一区切りついたら、故郷のウイスウォルグに行きましょう。弟の墓前に報告しなければならない事もありますので」
すると彼女は「分かりました」と小声で呟き、頭を下げる。
どこまでも健気な人だ。
突然に領主の仕事を押しつけられ、不満もあるだろうが、そんな事はおくびにも出さない。
そんな彼女の振る舞いは以前と変わらず、俺を領主(後夫)の息子として扱っているようだった。
未だ目覚めぬ父ケルンヒルトを残し、俺は荷車に揺られながらブラモンドの街を立った。
夜にはベネシアンの街に着き、そこで一泊しようと考えていたが、不穏な事が起きた。
──何者かが、俺の精神領域に干渉してきたのだ。
もしかすると偶然に魔術師が接触してしまい、慌てて逃げ去ったのかもしれないが。俺の魔術領域を防衛する蜘蛛型の守護者は、一番外側の防壁に触れた者を捕らえようと行動したようで、途中までは追跡をしていたが、撒かれてしまったらしい。
俺はこの一件は偶然ではないと感じていた。
俺の予感では、以前から俺の周辺でこそこそと活動している、魔術師の集団が関係しているのだと感じられたのだ。
蜘蛛の追跡を振り切った手口を見ても、個人の魔術師の手際とは思えなかった。
俺の精神領域から離れる途中で、蜘蛛の糸を断ち切った者が別に居たのだ。
霊体に付けられた糸に気づき、干渉してきた本人が切ったというのではなく、別人が切ったものだと思われた。少なくとも二人組の手口。あるいはそれよりも多い魔術師が関わっている。
「やはり何者かが俺を狙っているようだな」
俺は蜘蛛の守護者に任せるだけでなく、せっかく大きな力(魔神の力)を手に入れたのだからと、精神領域の防壁を一新する作業に入った。
我ながら細やかな障壁や防壁を用意し、精神的な攻撃──魔術による干渉に対して反応し、反撃する仕組みを組み上げた。
大勢の魔術師から攻撃されても対応できるように。
魔術領域に侵入しようとする者が迷い込む、複数の迷宮領域を用意し、数々の新たな罠を仕込む。
そんな作業をおこなったあとで、蜘蛛妖女が持っていた魔神の力を改めて確認してみた。それはそれほど大したものではなかった。光体の力もほとんど霧散し、残された力は武器などに魔力を付呪する程度の力だ。
暗い色の光の束を収縮させ、衝撃波として撃ち出す力。近距離なら十分な威力を発揮するだろう。
敵を後方に弾き飛ばしつつ呪いを与え、身動きを封じる効力もある。──使いようによっては利用できそうだ。
続けて精神領域で、蜘蛛妖女へと変貌させられた女学生の魔法使いに関する情報を集める事にした。仮に名前などを知れたとしても、わざわざ彼女の死を告げに行ったりするつもりはないが。
彼女の変容について調べれば、あの蜘蛛妖女が魔神の力を持っていた答えが見つかると踏んだのだ。
精神領域で断片から情報を探るのは骨が折れる。──というか、並の魔術師なら不可能だったろう。
魔神の力を植え付けられたそれは上位領域の干渉を受けており、精神領域での探索を困難なものにしていた。──だがそれを越えて、なんとか探り出せたのである。
元々の魔法使いの女はジギンネイスの出身で、子爵家の令嬢だったようだ。
魔法学校の中での成績は中の下。
特に魔法の習得に熱心な訳でもなく、才能があった訳でもない。
そんな女がなぜ、魔法使いの学徒から、魔神の力を持つ蜘蛛妖女へと変貌したのか。そこには魔術師が絡んでいたのだ。
どのようにそそのかされたかは分からなかったが、彼女は魔術師について行き、魔神の力を持つ化け物へと変容させられてしまった。
なぜ彼女の思念の残滓はあそこまで断片的なものだったのか。
それは魔神の影響を受け、光体を持つ存在となった事に起因する。
彼女──ユールナイェ──はその魂を、魔神との融合で消滅したのだ。
魔力も、精神力も、根源的な意識の力すらも、なにもかもが足らなかった彼女が、魔神の神性に耐えられる訳がなかった。
小さな魔法使いの彼女は魔神に意識を食い尽くされ、消滅する他なかった。ただ、魔神の受肉の為に利用された彼女。
魔神はこの女の魂で顕現したが、力が足りずに他の贄も取り込んだ。それが蜘蛛妖女だったのである。
魔術師たちは予め蜘蛛妖女を捕らえていて、それをも魔神の受肉に利用した。──つまりあれは蜘蛛妖女であり、魔神でもあったのだ。
邪悪な魔術師たちによって魔神の力を持った化け物の”養分”になった女魔法使いは、魔神の強大な霊的圧力によって喰い殺された。──彼女の断片的な記憶はまさに、その残り滓だったのである。
精神領域から得た情報からは、魔術師たちの素性は判断できなかった。
儀式の場面の情報もほとんど無く、魔術による隠蔽がなされたのはまちがいない。
降ろされた魔神は下級の──それも、半端な仕方で受肉したものであったと思われる。
それでもかなりの強敵であったが。
魔神の力に対応した障壁や魔晶盾をもっと強化しなければならない。
魔術師の集団についても警戒し、また接触して来るような事があれば──全力で排除する。
敵対する魔術師の厄介さはよく知っている。
特に呪術関係の技術に才能を持つ者は危ない。
エインシュナーク魔導技術学校の生徒に、魔女からそれなりの知識を得て入学していた女が居たのを思い出す。
彼女自身は魔女にはならなかったらしいが、呪術的防衛については、彼女がどの生徒よりも頭一つ分抜け出ていた。
それは逆に言えば、攻撃的な魔術(呪術)に関する知識も豊富だった、という事でもある。
下級貴族の冴えない娘であった彼女もまた、アボッツというひねくれ者に目を付けられていたが、彼女はあの男に対し、おそらく呪いを掛けていたと思われる。──誰もそれを認識していなかったと思うが。
だがある日、彼女は学校を自主退学してしまう。
これは明らかに、呪術を使用したのが教師にばれて退学させられたのだと思うが、真相は分からない。俺も教師にそうした事を尋ねる気もなかったし、それほど親しくしていた生徒でもなかったからだ。
あの暗い表情をした女生徒の名前も思い出せない。
一度彼女から魔女について話を聞いた事があったが、それ以外ではほとんど会話した記憶がない。
俺は彼女を嫌ってはいなかったが、好意も持っていなかった。どちらかというと呪術に関する知識に興味を持って、話を聞こうとしたのだ。
彼女の話してくれた魔女は今思えば、どこかの宗教が見たら異端だという類型に当てはまる魔女だったように思う。
懐かしい思い出よりも、まずは魔術師に対抗する技術について再考しよう。そう考えて魔術領域での作業に取り組んだ。




