見えざる敵の強襲
蜘蛛妖女との戦闘開始。
次話でその正体が──
俺は柱の陰に隠れて周囲に魔力探知や生命探知で探りを入れた。
だが、なんの反応もない。
(まさか……例の巨大な蜘蛛妖女か?)
成長した蜘蛛妖女が魔法に対する抵抗力を持ち、探知魔法を妨害するのは知っている。それをさせない為に改良した、高度な探知魔法を使用したにもかかわらず、なんの反応もないのだ。
(魔力の反応も見えないなど、そんな事が可能なのか?)
俺は警戒し、何者かが侵入して来た方向を注視していた。
「‼」
柱の陰に身を隠していたその時、背後に殺気を感じて俺は振り返る間もなく、柱を回り込むように跳び込んで攻撃を回避した。
地面に転がりながら視線を後方に送ると、黒い棘みたいな物が見えた。それは大きくて長い、鋭く尖った甲虫の角の様だ。
それは柱の陰に引っ込むと、まるで何事もなかったみたいに辺りには静寂が訪れた。
(今のは……蜘蛛妖女の脚か?)
その尖った物が脚であるとするなら、体長はかなりの大きさになるだろう。
巨大な柱の陰に隠れたそいつがどちらに動くか警戒しつつ、俺は自分に強化魔法を掛け、魔剣を静かに抜き放つ。
しばらく灰色の柱の陰に潜んでいたが、相手はいっこうに動こうとしない。
(なんだ……? なにをしている)
相手は明らかにこちらを敵として認識し、攻撃を繰り出してきた。いまさらどこかへ逃げるつもりなのか?
それともこちらから攻撃を仕掛けるのを待っているのか?
柱を挟んで、謎の敵に対する攻め手を考えていた──瞬間。再び背後に大きな気配を感じた。
それは一瞬で現れたのだ。
(ばかなっ……⁉)
どずんっ、と鋭い物が地面をえぐった。
振り上げられた一撃が、俺の背中を貫こうと振り下ろされたのだ。
「ちぃっ……‼」
その攻撃を躱しながら、振り向きざまに風の斬撃を撃ち出した。
するとそいつはするりと柱の陰に退避し、魔法による攻撃をあっさりと躱したのだ。
その瞬間──そいつが柱の陰でなく、空間の中に溶け込むようにして逃れたのが見えた。
「ちっ」
俺はその場から離れながら灰色の柱の陰に移動する。
危険な相手だ。この至聖所には結界とは違うが、不純な力に対抗するなんらかの力が加わっているので、空間に干渉するような魔術や魔法を簡単には使用できないはずだ。
(魔法に関し、相当な手練れの蜘蛛妖女という訳だ)
俺の中にある危険に対する警戒心が反応し、無意識に集中力が高められたのを感じる。
臨戦体勢に入ったのだ。
この感覚は上位存在と立ち向かおうとする時のものに似ていた。
それだけ危険な相手だと感じているという事か。
俺は魔剣を握りながら、まるで他人事のように考え、冷静を装う。
なんらかの次元領域に姿を移し、攻撃の時だけこちら側に入り口を開けているのだろう。なんともまどろっこしい相手だ。
奴が入り込んでいる場所は幽世であるはずだが、こちらから相手の居る幽世に侵入できるか──自信はない。
おそらく替え玉の領域を確保して、さらには罠も用意していそうな手合いだ。迂闊に幽世への侵入をしようものなら、複数ある断層のどこかに捕われ、なぶり殺しにあいかねない。
今度は敵の攻撃に合わせ、いつでも反撃できるよう剣も魔法も準備しておく。防御魔法もいつでも使えるよう意識し、じっと敵の攻撃を待ち構える。
──────緊張した時間が数分。あるいは十数分経過しただろうか。
敵は攻撃してこない。
思った以上に知性が高く、こちらが焦るのをじっと、幽世から観察しているのだろう。集中力が落ち、焦りから判断を間違えた行動をすると予測しているのだ。
俺はこの時間を使って逆に、魔術的な防衛や、魔法を駆使しての対策について頭を使った。反撃に対して集中するだけでなく、こちらから打って出る手段の構築も忘れない。
さらに数分、敵はなんの反応も示さなかった。
まるでこちらを攻撃するのをあきらめたかのようだ。
だが……俺には感じられる。
奴がまだこちらを窺っている事を。
崖の下から吹き上げる風の音が、柱の間を通って消えた。
遠くから山羊が鳴くかすかな声が聞こえてくる。
それ以外はなにも聴こえない。
俺の集中力は鼓動さえも制御し、時間の進む速度さえも、微妙な感覚領域の中で減速させる。
別次元からこちらを見ている異質な視線が、わずかに動いたのを感じた。
こちらを睨みつけながら、回り込むように移動を開始したらしい。
俺はあえて動かず、相手が攻撃してくる瞬間まで待った。
その瞬間が訪れた。
俺が待ち構えているとも知らずに、相手は再び巨大な「脚」で俺を貫こうとした。
振り向きざま、斜め後方から攻撃してきた相手の脚を叩き斬る。
魔剣に魔力を纏わせた斬撃。
硬い甲殻を持つ蜘蛛の脚が断ち切られ、乾いた音を響かせて、吹き飛んだ大きな杭の様な先端が石柱にぶつかった。
「ギュァアァァッ!」
空間から突き出された脚の方から金切り声が聞こえた。黒い甲殻が右に左に振られながら空間に引き戻される。
俺はその脚が出てきた空間に向かって魔法の弾丸を撃ち出した。
十発近い弾丸がすさまじい速度で襲いかかり、甲殻の脚や胴体を捉えた(はずだ)。
異空間への入り口が閉じた為、相手が負った損害を確認できなかったのだ。
簡易魔法だが、俺は全力で魔法を撃ち出し、敵の甲殻を撃ち抜いたと考えたが、もしかすると魔法障壁などで防がれたかもしれない。
だが、今の一瞬で感じた事がある。
正体不明の化け物だが、こいつには明確な目的意識が存在しているという感覚。
ただの魔物ではない。蜘蛛妖女という範疇に収まらないなにかを強く感じる。
この危険極まりない相手に対し、いくつもの策を巡らせた。
──この聖域を包む聖別された空間の中で、幽世への入り口を自由自在に作り出せるのは、なんらかの処置を自らの肉体に施しているのだと考えられた。
幸いと言うべきか、ここにある巨大な柱を詳しく調べると、触れている物に影響する事が分かった。──それが人間の手であれ、魔法であれだ。
柱の意味について考えている暇はない。
この柱をも利用して、蜘蛛妖女をこちら側に引きずり出す算段を立てた。
敵が武器の様な脚での直接攻撃ばかりするのは、こちらへ直接魔法での攻撃を仕掛ける事ができない所為だと考えられる。
幽世からこちらに出なければ魔法での攻撃はおこなえないが、こちらに出現しても、おそらく自由に魔法は使えないはずだ。
この聖域内で魔物に過ぎない蜘蛛妖女は、その力の多くを封じられるに違いない。
だからこそ奴は幽世から、こちらを物理的な力で攻撃しているのだ。
俺は警戒しながら柱の近くを移動し、奴の落としていった脚をしらべた。
見た目はまるで黒光りする金属に見えるが、斬った感触は硬い甲殻で、手に取ってみると妙に軽い。まるで乾燥した枯れ木のようだ。
だがその硬さは切れ味鋭い魔剣だったからこそ、たやすく断ち斬る事ができたのだ。それほどの硬い甲殻に覆われている蜘蛛妖女となると、半端な冒険者には荷が重い。
やはり俺が出張って来て正解だった。
そんな考えを思い浮かべた時、横から急に攻撃の反応が感じられて、俺は後方に跳び退きながら、突然現れた物に対して反撃しようと、剣を下から上に薙ぐ。
「がちぃんっ」と音を立てて二本の牙が閉じた。
それは俺の攻撃を躱すように引っ込むと、またしても幽世に逃げ込んだ。
今見えた物はまるで、蝎の尻尾に鋏虫のような牙が付いた物だった。
「おいおい、蜘蛛が相手じゃなっ……‼」
さらに異空間からの攻撃が繰り出されてくる。
殺気を伴った攻撃が立て続けに、あらゆる角度から襲ってくるのだ。
その連続攻撃を躱しながら、反撃の糸口を探そうとしたが、はじめの攻撃よりも速く、すぐに異空間へ引っ込んでしまう。
鋏による攻撃と脚による攻撃が、荒れ狂った風のように襲いくる。
俺は次々に柱の陰に移動しながら、幽世に潜んでいる化け物を、こちらに引きずり出す事にした。
「ドズッ」
地面をえぐる二本の牙──どうやら、かなりの長さを持つ尻尾の先に鋏状の牙が付いた物であるらしい。
その危険な牙を避けた直後から、口に出さず──呪文の暗唱を開始する。
脚の攻撃の次に、予想通りの鋏による攻撃が繰り出され、俺はその尻尾を狙って魔法を放った。
「光の縛縄!」
掌から白光する縄──鎖に見えたが──を投げつけて、尻尾に巻きつける事に成功した。
幽世に隠れている怪物は慌てたのだろうか、バタついた脚をめったやたらに振り回し、地面をえぐっている。
俺はその脚にも鎖を飛ばし、全部で三本の鎖を脚と尻尾に巻きつけた。
奴が尻尾を引き戻そうとする力に抵抗しながら、俺は灰色の柱の周りを素早く移動し、柱に魔法の鎖を巻きつけるようにして距離を取る。
柱の表面に鎖が触れると、柱の表面が青白い光を放ち、魔法の鎖と感応しだした。
(やはりな!)
魔法の力に反応し、鎖に宿る力を増幅させているのを感じる。
俺は一本の石柱を利用して、掌から放っている鎖を巻き戻す。
びりびりと鎖から流し込まれる力を浴びた化け物は、尻尾を左右に大きく振りながら、大きな鋏を振り回して抵抗を始める。
巨体を持つであろう蜘蛛妖女だが、魔法の鎖の力は俺の腕力に頼った力ではない。ぐいぐいと鎖を引き戻しながら、異空間からこちら側に引きずり出そうと魔法に集中した。
白光する鎖から流し込まれる力が蜘蛛妖女の力を弱めつつ、攻撃して損害を与えている。
ぐいぐいと鎖が引き戻され、巻き上げ機によって絡め取られるように、蜘蛛妖女の脚と尻尾がずるずるとこちら側に引っ張り出されてきた。
ミシミシと音が聞こえてきたのは、脚や尻尾の甲殻が立てている音だ。
「バシャアァアァァン」と何重もの硝子や、薄い氷の壁が砕けたような音が響き、巨大な黒い化け物が姿を現す。
「ゴギャァアァァアァッ‼」
空間の歪みを突き破って現れたそれは、怒り狂って魔法の鎖を脚で断ち切ると、黒い身体の周辺を魔力の揺らぎで発光させ、巨体の上に乗った人型の上半身をこちらに向けて、まるで炎を噴き出す竈の様な──ぼうぼう、ごうごうといった音を放って威嚇してきたのである。




