スキアスの追放
「なんだとッ……この……‼」
一瞬ぽかんとしたスキアスだったが、自分がもっとも気に食わないと思っている相手に完全にコケにされた事に気づくと、顔を真っ赤にして一歩踏み出そうとする。
「はっ、いまさら凄んだところでどうだというのだ。お前は俺の暗殺に失敗した。──それで? 隣に居るクーゼはどうするつもりだったんだ? こいつは出された茶など飲まんぞ」
すると奴は冷静さを取り戻したのか、テーブルに置かれた金属製の呼び鈴を手にして狂ったように鳴らし始める。
「ああそうだ、言い忘れていたんだが」
隣の部屋に用意した傭兵に突入させるつもりだったのだろう。──だが俺は、そいつらを無力化している。この部屋に入る前にオルダーナを忍び込ませ、スキアスや俺が会話している方に注意を向けた傭兵たちを速やかに無力化させたのだ。
「隣の傭兵たちなら眠っているぞ。確認してみるか?」
だが呼び鈴が鳴らされても誰も部屋に踏み込んで来ない事が、俺の言葉を裏付けていた。
「お前は兄ジウトーアを毒殺し、さらに父親のケルンヒルトにガンナガンナの毒を時間をかけて大量に投与したな。もはや言い逃れはできんぞ。父の毒素は中和しておいた。──じきに目覚める」
父が目覚める確証はないが、相手を追い詰める為にそう断言する。
「さらには──子供であったのをいい事に、お前は父の再婚相手の連れ子である義弟イスカまで手にかけたな」
俺の語気が荒くなる。
いよいよ呪詛を流し込んだ相手の無意識に働きかけ、奴に己のした事について語らせる番だ。
「な、なにを言っている──」
「お前がイスカを殺した。その告発をしているのだ」
「父に毒を盛り、ジウトーアも殺しただと? そんな証拠がどこにある! イスカの死など、そんな十年も前の──俺の知った事か!」
「俺を毒殺しようとしたばかりでよくそんな台詞を口にできるな。その恥知らずな厚かましさには頭が下がる」
俺は肩を竦めつつ、すでに完了した魔術を発動させる。
これでスキアスは俺の操り人形も同然。
過去の因縁と強制的に向き合わせ、口を割らせるのだ。
「ついさっきお前は自分から『毒を盛った』事を告白した。それだけでも十分だろう。だが──ほら、お前の後ろには、お前の殺人について告発したい者が立っているぞ」
そう言って俺はスキアスの後方に視線を送る。
奴は俺の視線に誘導され、後ろを振り返った。
そこには口から血を吐き、胸元を赤黒く染めたジウトーアが青白い顔で立っていた。
「なっ、なっ、なっ……! ばっ、ばかな! おまえは死んだ! 死んだんだ!」
急に喚き出したスキアスをクーゼは不審の目で見るが、スキアスと俺にしかジウトーアの幻影は見えていないのだ。
ジウトーアの亡霊は俺が魔術によって、さらに死導者の霊核を有効利用した結果、精巧な形を持って亡霊の姿となって現れたのだ。それは亡き者の姿を象ってはいるが、死者の霊などではない。ただの幻影に過ぎないものだ。
しかし魔術的支配を受けたスキアスにはそれを疑う事はできない。目の前に現れたものがなんであれ、スキアスは魔術によって自らの無意識領域から発生する感情に怯え、恐れるようになっているのである。
「す、スキアすぅうぅゥッ」
亡霊は恨めしげな声で呼びかける。
「なぜェ、なぜ殺したァ……! よくも、よくもぉォオォオォッ!」
亡霊はごぼぉっと血を吐き出すと、腕を伸ばしてスキアスに迫ろうとする。
「ひぃいゃぁあぁァッ!」
俺は予定していた言葉をジウトーアの亡霊にしゃべらせる。
「イスカを殺したばかりか、俺まで殺すのかぁ……! スキアスゥぅうぅゥッ!」
「それはおまえがッ……! おまえがイスカを殺そうと言い出したんだろう⁉ 勉学を学んでいい気になっているレギとイスカが、いずれは俺たちから領地を奪おうと考えているのだと言って……! 俺は崖の上にイスカを誘い出しただけだ! 突き落としたのはおまえじゃないか!」
などと叫んで頭を抱え込むスキアス。
今のスキアスは嘘を吐けない。つまり、少なくとも奴は、自分が直接イスカを崖から突き落としてはいないという認識なのだ。
……まあ、愚兄自身も分かっているだろうが、それは大した意味をなさない。なぜならスキアスという男は自分の手を汚す度胸もなく、誰かが自分の代わりにやってくれるのを期待するばかりで、いつも他人に虚言を吐いて行動させたがる奴なのだから。
義弟を崖の上に誘い出す計画を立てたのもスキアスに違いない。
奴はすっかり亡霊に怯え、その場にしゃがみ込んで「俺は悪くない、おまえが、おまえらが悪いんだ……」などとぶつぶつ言い始めた。
すでに魔術によって意識領域を無意識に侵蝕され始め、混濁とした過去と現在の記憶の中で冷静さなど失い、亡霊と過去の自分の歪んだ妄執と悪意を見せつけられ、己の矮小な自我が根底から突き崩されている状態に陥っていた。
このままいけば自我は崩壊し、廃人に近い状態になるかもしれない。それではこの男を苦しめる事にはならない。
俺は発現していた魔術を解除し、奴の精神をギリギリの状態で平静に戻るよう促す。
スキアスが亡霊を前にしてまだ「こっちに来るな!」などと喚いているので、俺はその亡霊の姿を消し去ってやる事にした。
そうした場面に文官のベゼルマンと護衛の男たちが部屋に入って来た。すでにスキアスは放心状態であり、部屋に乱入して来た男たちを目にしても、自分の立場がどのようなものなのか想像する事もできないらしい。
「兄よ。ともかく領主の権限は返させてもらう。──というか、あんたはこれから法の裁きを受けその罪を償うんだ。もちろん父親殺し、領主殺しが重罪なのは知っているな? ──連れて行ってくれ」
文官に言うと、放心状態のスキアスが護衛たちに腕を乱暴に掴まれ、強引に部屋から連れ出されて行く。
「確かに自白を得ました。私が証人となり、スキアス・エーデンドレイクを牢に送り込むと約束しましょう。……といっても、おそらくすぐに処刑台に送られると思いますが」
部屋を出て行ったスキアスらを見送ったベゼルマンがそう告げた。現在の法規に従えばスキアスの犯した罪は、死罪を免れるものではない。
「しかし……あの状態では、弁明もろくにおこなえないのでは?」
「奴の弁明など嘘ばかりで聞くに堪えないものだと思うが? ──それにしばらくすれば無意識下からの支配的な効力は消え、じきに自我の抑制を取り戻すだろう。
ともかく先ほど奴の口から出た言葉はスキアス自身の、本人も認めたくない物事であるのは保証する。……イスカを直接殺したのがジウトーアだったというのは意外だったが」
二人が結託しておこなったものだという認識は俺の中では変わらなかった。
この二人の兄弟の犯した過去の犯罪についても、ベゼルマンは罪の条項に加えると約束して部屋を出て行く。
早々に白銀城に戻り、スキアスを牢に入れ、彼の犯した犯罪の告発をおこなうと言ってエブラハ領を出て行ったのだ。
またベゼルマンは、ベグレザ国との交易路の建設についても協力を約束してくれた。
どうやらあの文官の中で俺という存在を「大貴族の友人」という位置づけから、「辺境の領地に革命を齎す領主の子息」とでもいった存在に格上げしてくれたらしい。
文官にとってもこの話がうまく両国間の発展に繋げられれば、彼自身の功績にもなり得るのだ。地方領に新たな経済活動の道筋を作り出すという活動に懐疑的な役人が多い中、ベゼルマンは交易路の拡充という物に発展の可能性があるのを見て取ったのだ。
俺たちは固い握手をして別れた。
ひとまず無事に目的を達成した事を民衆に伝え、義母のエンリエナには義弟イスカの命を奪ったのが、愚兄たちの仕業だった事も話さなければならない。
この冷たい現実に、彼女がどのような失望をエーデンドレイク家にぶつけてくるか……、それは俺にも分からない。なによりも、彼女はもうこれ以上失うものがないのだ。
もっとも大切なたった一人の息子を失って、失意の中いままで生きてきた。
なんと憐れむべき、愚鈍な父の後添いか。
彼女を母とも義母とすら思ってこなかった俺だが、イスカという義弟を俺に与えてくれた彼女が、自分の血縁たちの所為でなにもかも失ってしまったという事実を伝えるのは、なんとも心が重くなる現実だった。
彼女はもうエブラハ領を見捨て、新しい人生をやりなおす事だってできるだろう。それができないほど彼女は年老いてはいない。
義弟と義母、この二人の人生は俺の人生に組み込まれていた。──それはたった一部、数年の記憶に過ぎないものだが。
薄情で冷血な魔導師であっても、その数年の中で生まれたこの感情──憐れみの心は失いたくない。
しかし、その想いが俺を苦しめるのだ。
感情など切り捨ててしまえばいい。真の魔術師ならばそれくらい、呼吸をするのと同じくらい簡単におこなえる。
──だがそれでも俺は、たった一人の弟を失った痛みを忘れたくはない。
そしてその母。彼女もまた、その痛みに苦しんでいるだろう。
その現実もまた真実なのだ。
そしてその現実を生み出したのは、この俺と血が繋がっている親兄弟だったのだから。
「平気なのか?」
「なにがだ」
唐突にクーゼから声をかけられ、自分たちが馬車に戻り、オーグベルムに戻ろうとしている事に気がついた。
「毒だよ。──飲んだんだろう?」
「ああ、その事か。だから言っておいただろう。毒は効かないと。俺を信じていなかったのか」
「そういうわけではないが──いや、お前がなにかの手違いで本当に苦しみだしたのではと不安になったんだ!」
俺は友人の言葉を一笑に付してやった。
「まったく、お前が俺の演技に騙されるとは思わなかったぞ。……そういえば侍女から毒のありかについて聞いておかなかった」
「ああそれなら、あの文官が持って行ったぞ。それと倒れていた傭兵たちも、街中にいた傭兵たちも全員捕らえて、この街にある牢に入れてある」
街中に隠れていた民兵に指示を出して街に居る傭兵たちを捕縛し、全員を牢に閉じ込めたのだと言う。
一応裁判にかけるつもりなのだろう。その際には俺も彼らの聴取に付き合わなければならないのだろうか。──面倒な事だ。
紅茶に毒を混入させた侍女は、領主の命令には逆らえないという立場なので、情状酌量が与えられるだろう。それらの裁決も領主の役割の一つでもある。
こんな辺境まで中央の役人が公正な裁判を求める訳もなく、よほどの異常事態(政府の転覆──すなわち国王暗殺の企てなど)でない限り、領主の権限で裁く事が通例となっていた。
「気の重い事だな」
「これから忙しくなるぞ」俺の呟きを聞いてクーゼは、真剣な口調で脅してくる。
やれやれと肩を竦め、馬車に揺られながら外の景色を眺めていると、懐かしい山脈の影が見えた。黒々としたそれは大きな壁のように聳え立ち、遠くから自分たちを支配している未知の存在のように、恐ろしくも雄大な──異質なるもののように俺の目に映った。
次話でこの章も終幕となります。
レギの故郷での話はまだ続きますが。
レギが家族や領主というものを忌み嫌うのは、親兄弟にろくな奴が居なかった所為なのかな? そう思わせるエピソードが少し続いたりします。




