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魔導の探索者レギの冒険譚  作者: 荒野ヒロ
第十二章 故郷の蠧毒(後編)

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愚か者スキアス

 エーデンドレイク家の別邸は周辺にある建物とそれほど大きさは変わらない。庭はそこそこの広さがあるが──それだけだ。

 鉄の門を開けると錆び付いた可動部が甲高い音を立て、まるで発作ヒステリーを起こした女のようにキィキィと鳴いた。

 そのまま敷地内に入ると建物の扉を叩く。

 しばらくすると扉を開けて侍女の一人が恐る恐る顔を出し、俺たちの顔を見ると強張った表情に薄い笑顔を浮かべる。


「ドゥアマ様……!」

「うん」

 相手の五十代くらいの侍女は、クーゼの顔を確認するとほっとした様子を見せた。どうやらよく見知った仲らしい。……俺には見覚えのない小太りの侍女だったが。

「すぐにスキアス様に知らせて来ます。──ところで、こちらの方々は?」

「俺はレギスヴァーティ・エーデンドレイク。兄スキアスの弟だ。兄のもとへ通してもらおう」

 俺はやや剣呑けんのんな響きを持った声色で侍女に言い聞かせた。

 その効果はてきめんで、文官らの事には触れず、奥の部屋へと案内しようとする。

「いいか、兄には俺とクーゼだけが来たと伝えるんだ」

 そう強く言うと侍女は「はい」と固い声で返事をする。


 俺はあらかじめ用意しておいた「音盗の呪符」を懐から取り出す

「これを壁に貼れば、壁の向こう側の音が聞こえるという魔導具だ。──羊皮紙に触れていれば効果が出る。ベゼルマンは俺とスキアスが居る隣の部屋から室内の声を聞いていてほしい」

「了解しました」

 文官はそう言って俺の手から呪文の書かれた羊皮紙を受け取る。──用意は整った。あとは魔術師レギスヴァーティが指揮する舞台を、文官やクーゼといった観客たちに披露するだけだ。


 侍女について行きながら、建物内の生命反応を調べた。意識のある者はこれから向かう先にある二つの部屋にしかない。

 一つは兄の居る部屋。そしてその隣には兄を護衛する傭兵が隠れている部屋だろう。つまり──

 俺は魔術領域に意識を向け、そこで幽鬼の一人(オルダーナ)に再び活躍してもらう事にした。




 案内された部屋のドアを叩く。

「入れ」

 内側からの返事──その声を耳にして、俺は腹の底から込み上げる感情に驚いた。まさか内臓を震わせるほどの不快感を兄の声から感じるとは思わなかったのだ。


(俺にとってこの兄というものはただの「愚兄」というだけではなく、俺という人間の形成に影を落とした、不愉快極まりない汚物として認識しているのだろう)


 深層部にある心の根っこ。あるいは精神と魂に関わる記憶を司る静謐せいひつな湖。そこに落ちた異形の怪物の死骸の様な物。それがこの兄だった。

 魔術師である俺にとって、その死骸を撤去するのは簡単な事だ。

 ──だが、俺はそれをしなかった。

 なぜなら弟イスカとの思い出の中に、この汚物はくっついて取れない汚れそのものだったから。

 愚兄を切り捨てても仕方がないのだ。俺はこの兄のしてきた理不尽な行為の数々も、俺から大切なものを奪い去った事も、欠片たりとも赦すつもりはない。


 その記憶は俺にとって、もっとも人間らしい感情を与えてくれた弟に対する愛の記憶なのだ。

 この復讐心をあおる激情。それすらも俺が人間でいる為に必要とするもの。

 魔術師の武器は、相手が自分にしてきたあらゆる行為に対して「返礼」を与えられるという事にある。──報復と世間では言うかもしれないが、魔術師にとってはそれは与えられたものに対する応報に過ぎない。

 つまり相手が重ねてきた罪に対して、世界のことわりを模倣した(偽装した)力に従い、目的を果たすのだ。──罪には罰を。報いをと──




 俺はドアを開けた侍女を下げ、部屋の中へと入って行く。

 俺の顔を見たスキアスは心底驚いた様子を見せた。おそらく俺の事など頭の片隅に追いやり、自分勝手な妄想の中で生き、これからもそうした妄想の中で生きられると思い込んでいたのだろう。

 部屋の中には若い侍女が一人居た。

 スキアスは部屋の奥にある机の前に腰かけ、数枚の紙に向き合ってなにやら仕事をしている振りをしていたようだ。


「なっ、なんだ。貴様らは……!」

「お久し振りですね、兄上。ご壮健そうでなによりだ」

 俺は無表情のまま椅子に腰かけた相手を見下ろす。

 狼狽うろたえたスキアスは俺の後ろに居たクーゼを睨みつけると、今度は侍女の方を向き、小さく二回頷いて茶を用意しろと乾いた声を出す。

()()()()()()()()があっただろう」と、部屋を出て行こうとする侍女に念押しするように声をかけた。

 ちらりとクーゼを見ると強張った顔をしていた。毒を盛る気だと気づいたのだろう。俺はスキアスには見えないようににやりと笑いかけ、クーゼの緊張を解いてやる。


「兄上。俺がここに来た理由は分かるでしょう。──父上は倒れ、ジウトーア兄さんも死んでしまったというじゃありませんか」

「ああ」

 そんな事どうでもいい、といった感じで返事をするスキアス。

 今の返事の間だけ見ても、スキアスがこの二人の死と病状に関係があるというのは判断がつく。魔術師の目とは人間の内的な動向を見抜き、その言葉や態度から相手の資質まで見抜くほどに観察を繰り返してきているのだ。

 単純な言葉に対する返答にさえ、その人間個人の手形が付けられる。そこに隠された躊躇ためらいや、心に抱えた鬱屈うっくつなども──魔術師にはお見通しなのである。


「それで──なぜこの場に、ただの商人が居るんだ」

「彼は市民を代表し、陳情する為に来たのですよ」

 そう言うとスキアスは、露骨に嫌そうな顔をする。

 まるで「市民に意見する権利はない」とでも考えているみたいに。

 奴のいらつきはすぐに顔に出る。それも子供の頃からまったく変わっていない。愚か者は一生涯に渡って愚か者という訳か。


(まあ死んでもクズはクズのままだろうな)


 俺の中にあふれる愚兄への感情はすでにしおれ始めた。

 怒りも憎しみも──すべて魔術への集中へと変えるのだ。

 じわじわと呪力を送り込み、相手の無意識へと干渉を開始する。

『魔術師と<叡智>との対話』という小冊子がある。そこには人間精神が神々との繋がりを持たなければ、たやすく精神の深淵しんえんに落ちる人間存在の有り様が書かれていた。



「子よ、人間の魂にとって無知より厳しい懲らしめが何か存在するだろうか。無知な魂がいかほどの悪をこうむり、こうえ叫んでいるのが眼に入らないのか。『私は火をつけられ、燃えている。何を言い何をすべきか分からない。不幸にも、私にとりついた悪に貪られている。私の眼は見えず、耳は聞こえない』。これこそ懲らしめられる魂の叫び声でなくて何であろうか」



 無知はあらゆる罪を呼び込む。それはあらゆる悪意、不敬、蒙昧もうまいを生み、やがてそれゆえに自らを滅ぼす。そうした教訓の言葉だ。

 彼らのように縮こまった魂の持ち主は自分の弱さから悪意を生み出し、その悪意によって盲目となり、やがては自分自身をも殺すのだ。

 ──そしてここには魔術師とそうでない者の違いが記されているのだ。


「兄上。まずは我が友クーゼの話を聞いてください」

 と、長椅子に腰かけたクーゼを示す。

 そういった動作の一つ一つに呪詛じゅそを込め、愚兄の意識を俺の術中へと誘いつつ、俺は内心「さっさと毒入りの茶でも持って来い」という気分になる。

 さっさと兄の愚かさを露呈させ、隣の部屋で聞き耳を立てている文官に知らせてやりたくてうずうずしてきた。


 クーゼは真剣な面持ちで商人や市民たちの窮状を訴えた。当然クーゼはオーグベルムにある店を返すようにも言ったが、兄はあっさりと首を横に振る。

「それはできん。なぜならおまえたちは商業税に反対したのだから。店が奪われたのが気に入らないと言うのなら、大人しく税を払えばよかったのだ」

「そんなむちゃくちゃな……」

「むちゃなものか。それが領主の権利というものだ」

 愚兄は平然と開き直って言ったものだ。

 もしこいつが俺となんの血縁関係もない男だったら、影から棍棒かなにかを取り出し、撲殺していたかもしれない。


 それをぐっと堪えたのは兄に対する敬意ではなく、むしろ恥の想いからだった。

 こんな愚か者を領主に据えようと考えていた父親も、この兄も、死んだ二番目の兄も……もはやどうでもいい。

 本当ならこの場で打ち殺してやりたいところだが、それでは文官を引き連れてやって来た意味がなくなってしまう。それではいかんのだ。──俺はそう自分に言い聞かせ、さっさと毒入りの茶を飲んで一芝居打つ心構えを作っていった。


 そこへ先ほど部屋を出て行った侍女が台車を押して戻って来た。部屋の外に置いた台車から銀のトレーに載せて茶器を運ぶ彼女の顔には、なにやら後ろめたい気持ちと懸命に戦っている様子だ。

「さっさとしろ」とでも言い出しそうなほど兄スキアスも、侍女に用意させた「とっておき」のお茶を振る舞うのを待っている。そわそわした膝がかくかくと落ち着きなく上下に動いていた。

 俺は兄よりも侍女をせっついて「早く毒を飲ませてくれ」と懇願こんがんしたい気持ちにすらなっていた。


 兄の前に白い陶器の茶碗ティーカップが置かれると紅茶が注がれた。

 しんと静まり返った室内に、紅茶が注がれる音が妙に大きく聞こえたものだ。

 間もなく俺とクーゼの前にも置かれた白い茶碗に紅茶が注がれ、侍女は砂糖をどうぞと口にして小さな容器を置き、一礼して部屋を出て行く。


「やあ、これが(毒入りの)()()()()()()紅茶ですか」

 俺はわざとらしく口にすると、兄の期待に満ちた視線を受けながらそれをぐいっとあおる。

 …………兄は相当この毒に自信があったのだろう。愚兄の口元に勝利を確信したような嫌らしいニタつきが浮かぶのが視界の隅に見えた。



 ──それはトリカブトから抽出した即効性のある猛毒だった。



「ところで兄上」

 俺はまったく毒を飲んでいないかのような反応をして見せ、兄を驚かせた。まるで「そんなはずは!」と口にして立ち上がりかねない様子を見せる。

 俺は内心吹き出しながらも、さすがに紅茶を口にして笑い転げる訳にもいかないと、腹の中で笑いを堪えた。

 そして感情が落ち着いてきた頃、そろそろ毒が効いてきたふりでもしてやろうかと考えた。


「それにしてもこの紅茶は────」

 そこまで言って、俺はがちゃんと茶碗を乱暴にテーブルの上に置き、喉を押さえて苦しんで見せる。


「はっ、はははははっ! やっと効いてきたか……! 驚かせやがる!」

 クーゼは慌てて手にした茶碗を置き、毒は効かないんじゃなかったのか⁉ といった表情で俺を見る。──なかなかいい演技をするじゃないか。そう言いたいところだが、クーゼは本当に俺が毒で苦しんでいると思ったらしい。

 高い演技力も考え物だな──そんな風に思いながら、体が痙攣けいれんしているような芝居を打つ。


「いったいなにを……!」

 クーゼが立ち上がってスキアスに問いかける。

「ははははは! 毒だよ! それもフィエジアの方から取り寄せた、純度の高い……」

「ああ、そうでしたか。どうりで……」

 俺は今までの苦しみようがどこへやら、平然と上体を起こし、何事もなかったように茶碗を手に取ると、残っていた紅茶をさらに一口飲んで見せる。

「それにしても一気に飲ませたいからといって、ぬるくなった紅茶を客に出すなんて、あまり礼節にかなったものとは言いがたいですね」

 俺はそう言いながら白い茶碗をテーブルに置く。


「うん。確かにトリカブトだ。口にして不思議に思っていたんですよ。ここいらじゃトリカブトは生えませんからね。どこで手に入れたのかと……なるほど、北のフィエジアからわざわざ調達した訳ですか。ご苦労な事ですね」

 俺が平然としていると、スキアスはまるで夢でも見ているのかと疑い始めたように眼を白黒させている。


「兄上、兄上。──現実ですよ。あなたがジウトーアを殺そうとしたのと同じようにして、弟である俺に毒を盛り、殺そうとしたのです。──まあ失敗しましたがね」

 俺はそこまで言うと、あまりの二人の驚きように笑い出してしまう。

「なっ、なっなっ……! なぜ死なない⁉」

「やだなぁ兄上。──俺を毒ごときで殺せると本気で思っていたのですか?」

 俺はまるで「夏場に雪が降る訳がないでしょう」とでも言うみたいな声色で言った。

 椅子から立ち上がって驚いている兄を前に、俺はしだいに加虐的な感情が沸き上がるのを感じていた。

 思わずにやりと陰湿な笑みを浮かべてしまうほどに。


「ははは……本当にバカだなァ愚かな兄よ。俺がお前の用意する毒やら傭兵やらで殺される訳がない」

 俺は自然と殺意をにじませながら、奴に最後の一押しをする呪いを送り込む。


「お前は子供の頃からなに一つ変わらない。成長というものをどこで落としてきたんだ? ──当ててやろうか? 故郷のあのクソ田舎、ウォドクープの山裾やますそで野グソでもした時に、教養も学びも糞尿と共に落としてきたのだろう」

 俺は自分の吐いた冗談にこらえきれずに笑い出す。──その笑いは、もっとも軽蔑すべき相手への侮蔑と愉悦がない交ぜになった、狂気を含んだ嘲笑だった。

魔術師の武器は返礼~といった一文。因果応報といったものとは若干違い、魔術によって現象と結果の結び付きを変化させたものになります。つまり過程と結果に異なる理由づけを付け加えるような魔術。

魔術師に対して小さな悪意であっても振り向けると、考えられないような重い「結果」が降りかかることも。

レギが今回おこなった魔術(呪い)はかなり大人しい報復でしょうね。彼の目的は殺害ではなく、社会的な──貴族の立場からの──抹殺が狙いなので。


『魔導師と<叡智>との対話』の一文は『ヘルメス文書』からの一部抜粋です。(まんま、ではないですが)

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[一言] 愚かな兄の断罪は続く。
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