クーゼとアルマとの会話
幼馴染み三人の気取らない会話。
そこからレギの過去も少し垣間見えるかも。
「実りのない会議だったな」
「すまない……」
「別にお前を責めている訳じゃぁない」
俺とクーゼと文官のベゼルマンは集会所を出ると屋敷に戻り、応接間に入った。
民衆の説得と今後のエブラハ領の扱いについて説明していた為、すっかり外は薄暗くなっていた。彼らの不満を聞き、それら対する補償をする為にも、スキアスの排除は絶対条件であり、明日にはブラモンドの街を取り戻す行動に移らなければならない、と説明していたりしたのだ。
「しかし本当に領主になるつもりはないのですか」
そう言ってきたのはベゼルマンだった。
「ああ。なにか問題でも?」
「……いえ」
文官の考えている事は表情から読み取れたが無視する。
俺は長椅子に腰かけ膝をぽんと打つ。
「ここからブラモンドまで馬車だと三時間くらいか? 明日に備えて夕食にするか」腹は減っていなかったが休息は必要だ。
「すぐに支度させよう」クーゼはそう言って部屋を出て行く。
ベゼルマンはこれからの事について説明を求めたので、だいたいの行動予定について説明し、俺が指示するまではなにも行動するなと言い含めておいた。
文官はあくまでスキアスの悪事について中央に報告するだけの存在だ。その後の交易路の開拓についても中央を説得し、うまく運んでほしいと思ってはいるが。
「ともかくスキアスの居るブラモンドまで行って、愚兄がどういった対応をしてくるか。それを見守るとしよう」
毒殺してくる可能性についても言及しておいたが、俺は解毒剤を持っていると言って文官を安心させておいた。
しばらくすると食事の用意ができたと言うので、クーゼついて行くと食堂に案内された。
そこには長いテーブルが置かれ、白い布をかけられた、精一杯のもてなしをしようとしている食卓の様子があった。が──悲しいかな。それはあくまでエブラハ領にしては、という意味であり、文官のような中央で生活していた役人にとっては、それは庶民の生活様式と大差ないものだと感じただろう。
「ひさしぶり」と声をかけられそちらを見ると、そこには一人の女が立っていた。
「────ああ、アルマか。久し振りだな」
「ちょっと、いまの間はなに? まさか顔を忘れたなんて言わないでしょうね」
彼女は目をつり上がらせて不機嫌そうな声を出す。
「いやいや、見違えたからさ。ずいぶん綺麗になったな」
俺はそう褒めてやるとアルマは「ふん」と鼻を鳴らし、席につくよう椅子を引く。俺は彼女に促されるまま席についた。
クーゼとベゼルマンも席につく。──彼の護衛は少し離れた場所で食事をとらされている。
出された食事は俺には懐かしいものが多かった。
気取った料理はなく家庭的な、素朴だが充分に満足できる味と内容の料理。
中でも雲雀を丸々使った料理は、味付けも俺の好みに合っているものだった。
玉葱や馬鈴薯、胡桃、生姜などの詰め物に、甘めのソースで煮込まれた雲雀料理。
ダンフォークの町で食べたものよりもソースが甘いのは、果物をソースにたっぷりと使っているからだ。
「うん。懐かしい味だ」
甘藍と塩漬け羊肉を燻製にした物を細かく刻み、山芋と小麦粉に水を加えて混ぜ、焼いたものなど。エブラハ領では馴染み深い料理の数々が出されて、俺は懐かしい気分に浸った。
食後に出された大麦を原料にした蒸留酒が出されたのを不思議に思い、俺はクーゼにその事を尋ねる。
「蒸留酒がなぜあるかって? それはお前の父親に頼まれて取り寄せていた物だからだ」
小さな硝子の酒杯に入った砕いた氷。そこに茶色い液体を入れ、続けて水を注ぎ入れる。
「氷まで……北の山脈から採って来たのか?」
「ここ数年でオーグベルムも多少は発展したのさ。町には氷室がいくつか作られ、そこで食料などの備蓄もされているんだ」
町全体で取り組んでいるのだと語るクーゼ。ここの町の自治を任されている者たちは、領主の手の届きにくい場所で、独自の発展への取り組みをおこなっていたらしい。
蒸留酒はケルンヒルトの嗜好品の一つだった。
それを口にする前に倒れたという事か。
俺はそれを口にすると強いアルコールに眉をしかめる。後味のほのかな木の香りや、独特な花の香りに似た余韻は愉しめたが、あまり好きになれそうにない。
「それで……これからの事について、もう少し詳しく話を進めよう」
そのあと俺たちはスキアスを排除し、領地を取り戻したあとの事についても話し合った。もちろん俺の考えている事の一部だが。
ベグレザとの交易路を切り開く事についても話しておいたが、それを実現させるだけの労働力がそろうかは疑問だとクーゼは言う。
「市民はここ数ヶ月で疲弊している。労働力が難しいだろう。それに──」
言い淀んだクーゼはなにか思うところがあるようだったが、その言葉を飲み込んでいた。
「まずはスキアスから食料などを取り戻すのが先だな。それを奪われた人たちに返し、森の木を伐り出すくらいは今年の冬前におこなっておきたいところだ」
雪が降れば作業は困難になる。その前に少しは山を切り開き、市民たちにその取り組みを示しておきたいものだ。
民衆が変化を感じられれば、エブラハ領をよりよいものに変えようという気持ちにもなるのではないか。
「あとは学校だな。それほど大きなものではなく、町や村の子供に読み書きを教えられるくらいの、小さな学び舎を各地に作りたいものだ」
するとそれは文官からも待ったがかかる。
「それは──いかがなものでしょうか。中央の政策では、学府は国からの許可を得ないと……」
「まあ待て。読み書きを教える程度で中央の許可もなにもあるまい。それにこれは市民の親が自発的に、子供に読み書きを教える時間を与えるかどうかも分からない。あくまで試験的なものだ」
農家の子供などは、農作物の刈り入れなどの労働力に回されるのが普通だ。
その社会の仕組みを変えていかなければ、このエブラハ領は永遠に辺境の寂れた領地のままだ。子供たちが先ほどの会議に居たような──無様な大人にしかなれないような、そんな社会集団では話にならない。
この場で細かな話はしなかったが、スキアスから領地を奪還した暁には、領民たちにも少しは希望が見えてくるような説明を、文官やクーゼたちにした。
エブラハ領が発展できるよう知恵は貸すとも言っておき、文官のベゼルマンたちは先に休ませる事にして、俺とクーゼとアルマの三人で話をする事になった。
「あと、ボアキルソ村の近辺に出没するという魔物についてなんだが──」
「なんだそれは」
「うん。もうだいぶ前になるが、レジュネー山の麓にあるボアキルソに冒険者を送るよう依頼を受け、五人の冒険者を向かわせたんだ──しかし」
「二人を残して全滅したらしいの」と、アルマが答える。
どうやら先ほど言い淀んだのは、この魔物の存在をどうすべきか考えていたかららしい。
その後に別の──練度の高い──冒険者も呼び込み、なんとか一体の蜘蛛妖女を討伐したらしいのだが……
「それを見た村人によれば、もっと大きな個体であったらしく、倒されたのは小型のやつだと言っていたらしい」
「まだ討伐されていないって事か」
三人の間に暗い沈黙が生まれ、まるで冷たい水の中に足から沈み込んでいくように感じた。──これは魔術領域を持つ魔術師特有の霊感によるものだ。
話の陰に隠された真実に、強力な魔物の存在を感知したのだ。
危険な魔物の存在は、この辺境では天災の次に厄介なものだ。なにしろこの地まで足を運ぶ冒険者など滅多に居ないのだから。魔物を討伐する為に、わざわざ遠方から冒険者を呼ばなければならないのである。
「冬支度もしなければならないのに、厄介事ばかり起こる」
クーゼは深い溜め息を吐きながら言う。
「その前にスキアスを排除しなければな」
俺は相手の考えを汲み取って言った。
「大丈夫なの? うまくいく?」
アルマの心配するような声。
「スキアスが何人の傭兵を招き入れたか、大体の数は分かっているのだろう?」
「ああ、それにスキアスと昔から付き合いのある連中が数人。全部で三十もないだろう」
ただ、武器らしい武器も持ってない市民たちに対し、奴らはちゃんとした武装をしているはずだ。
他にも兵力があるとしても、町を守る自警団などがほとんどなはず。周辺を山脈に閉ざされたエブラハ領はもともと兵士と呼べるものが少ない。
「武力なら恐れる事はない。市民だってこのままスキアスの支配に甘んじたくないから、クーゼに声をかけて俺を呼ぶ事になったんだろう。いざとなったら戦うだろうしな。──まあ、戦いの心配はしなくていいはずだ。どうせスキアスは軽率な行動に出るだろうから」
そんな話のあとに、俺の旅の話をするよう求める二人。
俺は適当な冒険の話をでっちあげて(本当にあった事を交えながら)かなり簡略化して話してやった。
各地を旅し、最近居たルシュタールでの話を聞かせ、勇者の少年と危険な魔物と戦った事などを話してやる。
二人の友人は驚き、呆れ、訝しみながら俺の話を聞いていた。
あまりに彼らの記憶にある友人の姿と乖離した内容だと感じたのだろう。──だが、魔導技術学校に入学したあたりから、なんとなしに気づいていたはずだ。
俺が彼らの思うような友人とは違う、なにか異質な部分を持つ者だという事には。
「なんだか──どこからどこまでが本当の話なのか、分からなくなってきた」と、クーゼが呟く。
「かけねなしに本当の事だが」
「レギ──あなた、いつからそんな魔法や戦う術を学んだのよ」
「だから、傭兵団と行動を共にしたり、剣闘士のシグンから学んだと話をしてやっただろう」
アルマの中にある俺に関する記憶は、クーゼと彼女と三人で仲良く遊んだ子供時代と、一番新しい記憶でも、魔導技術学校を卒業したばかりの頃に再会した記憶しかないのだ。
「まあ、あなたは学校に入学してから、帰ってくると──なんだか私たちよりもずっと早く、大人になっている感じはしていたけれど」
彼女の言葉は俺が魔術領域を獲得したあとの事を言っているようだ。なるべく違和感をもたれないように振る舞っていたはずだが、さすがに幼少期から共に過ごしてきた相手を誤魔化すのは難しかったようだ。
「それよりも、遅れたが結婚おめでとう。俺の祝いは届いたのか?」
そう言うと二人は顔を見合わせた。
「ああ、その──なんだ。まさか金貨と銀貨までくれるとは、あんな大金どうやって稼いだんだ」
「まだあの頃はそれほど稼いでいなかったがな。あれはあの時の自分でもかなり奮発したほうだ」
感謝しろよ──そんな風に言ったが、アルマの方はなぜか不機嫌そうにムスッとしている。
「なんだその顔は」
「──別に。ただなんか、あんたがどんどん遠くに行っちゃったって思っただけ」
もとから貴族と平民の違いはあっただろ、俺はわざとそんな風に言って彼女の反感を買おうとしたが、その前にクーゼがアルマに声をかけた。
「おいおいアルマ、正直に言ったらどうだ。──知っているだろうが彼女は、ぼくかレギ、どちらと結婚するか悩んでいたんだぜ」
クーゼはまるで、やんちゃな少年時代に戻ったような口振りで言った。
「へえ」俺はそうすっとぼけ、笑顔を作る。
実際は俺とクーゼの間でそんな話をした事もあった。子供の頃の──他愛のない、身近な異性に対する好きだの嫌いだのといった会話だ。
「……まあね。領主の三男坊か、街一番の商人の息子か──その二人の間でね。友だちにもよくからかわれたものよ。『どっちと結婚するの?』ってね」
あっけらかんと話すアルマ。
まあ彼女は昔からいろいろな男から好意を向けられていただろうから、自分の望む男と結婚できると考えていたのだろう。
「それなら俺よりも、長男のスキアスを狙った方がよくないか?」
俺がそう言ってやると、彼女は心底嫌そうな顔をする。
「誰があんな男と……! あいつ、十二の私にこう言ったのよ。『俺のものになったら楽しませてやるぜ』なんて気色の悪い目をしてね。気持ち悪ぅ……!」
俺は乾いた笑いをして応えた。まさか親友から身内の粗相を聞かされるとは。あいつは化粧臭い淫売にしか相手にされない奴だと思ってはいたが、アルマに手を出そうとしていたのか。
「まあ投げ倒してやったけどね。おととい来いっての」
彼女も俺やクーゼと共に冒険者から闘いの訓練を受けていた。護身術くらいならアルマもお手の物だった。──昔はこの三人で冒険に出ようなんて言っていた時期もあったが、大人になればそれが子供の勝手な妄想に過ぎないのだというのは分かってくるものだ。
少なくとも二人は現実的な選択をして、エブラハ領に残った訳である。
「私はレギかクーゼの間で迷っているのを楽しんでいたんだから」
スキアスの毒牙は彼女にとって邪魔で、嫌悪を抱くものでしかなかったらしい。
「こんな事を言ってるけどアルマは本当は、レギと結婚したかったんじゃないかな」
夫となった男のその発言に、妻が力を込めて脇腹を殴りつける。
「ぐほぅっ……! だっ、だってさ。──実はぼくは、おまえが学校を卒業する年の夏に、彼女に告白したんだ。けれど──アルマはこう言ったんだぜ。『返事はあいつが学校を卒業するまで待って』って。それって学校を卒業したあとで、レギから告白されるのを待っていたからでしょ」
「ふん」とアルマは鼻を鳴らしたが、肯定も否定もしないでいる。
「はは……まあ、二人が仲良くしてくれるならそれが一番だよ。俺はいつどこで死ぬか分からない、危険な冒険をする冒険者だからな」
また新たな伏線か。
かなり大きな蜘蛛妖女らしい。
魔術師が独特な「直感力」を持っている事は以前にも書きましたが、今回の場合レギは、会話の中にあるというより、無意識の中にある言霊のようなものを感知している。恐怖の体験をした人が誰かにその事を伝え、さらにそれが別の人に伝えられ──多くの人の口と精神を経由して、その会話の中に蜘蛛妖女を前にした者の恐怖が染み付いているようなもの。ただし実態が不明なので、実際の魔物の姿や大きさが分かる訳ではありません。
──塩漬け「羊」肉──のあたりの文章を変更。ちなみに卵は入れません。卵は貴重で、山芋を入れたのは品質の悪い小麦粉を使っているからです。




