傷だらけの幽鬼の過去
拷問官のような幽鬼の過去を探るレギ。
そこで意志薄弱な男の末路を知る──
意識を現世に戻す──ここはピアネス国のタゥバレンの町。そこにある宿屋の一室だ。
部屋の中は暗く、窓の方を見ても閉じられた木戸の隙間から差し込む光は見えない。まだ深夜だったようだ。
ただ眠りにつくより、せっかく覚えた幽鬼の強化をおこなおうと考えた。魔術領域での作業に入ると、幽鬼たちの能力について確認する。
最初に契約した二体──ガゼルバロークとオルダーナの二名は、やはり特別に強力な幽鬼だったらしい。魔術師から新たに手に入れた幽鬼よりも能力がかなり高い事が分かったのだ。
冥府の神器を使って契約した者は──生前に卓越した技術を持ち、その精神力や存在の有り様も異なる人間だったのだ。
それは英雄などと呼ばれる存在だったと思われた。
オルダーナは明らかに日陰者(暗殺者)といった感じのする、危険な手練れには違いない。
新たに手にした拷問官みたいな幽鬼は、腕力に優れているのは見た目どおりだがけそれだけだ。特別な魔法や能力を持っている訳ではなかった。
だがこの怪物じみた奴は、攻撃されてもまったく気にせず敵に突進して行く、無謀とも言える攻撃性がある。これは使いようによっては頼もしい存在になるだろう。
この傷だらけの「拷問官」がバンタロンという名前の男であるのを知った。
バンタロンを強化するのにまず鎧を作って与える事にする。幸い鞣し革から幽鬼の体に合う鎧や籠手を作る技術は、魔導師ブレラの残した錬金術に関する情報にあるもので作製できる(金属からも作る事は可能)。
さらに鎖も金属と魔力を絡めた新たな鎖を作り出してやった。
物質的な部分と魔力(魔素)と霊質で構成された幽鬼は、世界の理の中に入り込む異物であるが──その有り様は、現世での活動にも適していると言えるものだ。
それもそのはず。彼らはもともと人間として現世に生きていた者たちだったのだから。
「……それにしても、鎖が武器というのはなんなのか」
俺はバンタロンの過去について探ろうとするが、この個体にはその記憶は残されていなかった。精神世界でこのバンタロンについての過去を探り出してもいいが、手間の割に大した収穫は得られないかもしれない。
「……まあ一応、調べてみるか」
俺は気まぐれな好奇心に従う事にし、闇の広がる膨大な無意識領域の情報──そこにバンタロンに関係する情報を求めてかすかな光の筋を辿って行く。
かなり深くまで潜り込むと、この拷問官と思われた男の正体が判明した。
* * * * *
彼は農夫兼樵の大男だった。しがない村の住人に過ぎなかった彼は領地が戦争に巻き込まれる事になると、領主に取り立てられて戦争に参加するはめになった。
ところが彼の領主は、自分の領地拡大の為に同国の領主に何や彼やと難癖を付けて、故意に争いを引き起こしているのが分かった。──そんな事の為に多くの領民の命を犠牲にした領主に、多くの民は反旗を翻し、攻め込んでいた領地の領主の協力を得て、この悪辣な領主への抵抗を開始した。
しかしバンタロンは自分を取り立てた領主に盲目的に従った。なぜなら彼は純朴という生き方しか身につけてこなかったからである。
彼は頭で考えるのを善しとせず、心に従うといった解決方法を選んでいたのだ。──つまり、最初に協力した人物を裏切るような真似は「正しくない」という、短絡的な結論の出し方だった。
その時にバンタロンは領主に命じられ、皮の仮面を付け、敵がその恐ろしい得物(鉄球の付いた鎖)と姿を見て、恐怖するよう仕向けたのである。
結果的にバンタロンは悪辣な領主に勝利を与えたが、それですぐに戦いから離れ、農夫や樵に戻れたかというとそうではなかった。
彼はその力を買われ、隣国への侵略戦争でも戦うよう強制されたのだ。もともと意志の弱い彼は命じられるままに戦いに参加し、敵と呼ばれる人々を手にした鎖で殴り殺し続けた。その中には若い戦士や、時には彼と同じ農民あがりの──本来戦いとは無縁の人々も多く居た。
そんな彼は戦いの中で人を殴り殺す事にどんどんのめり込んでいった。彼自身はその事に気づいていなかったようだが、彼の中にある暴力に対する衝動が彼を突き動かし、戦いへとのめり込ませていたのだ。
そしてついに彼の暴力衝動はある村を襲った時に、自らのおこないの本質を──彼自身の魂に突きつけられる事になる。
兵士たちと共に略奪行為に参加した彼は、家の中に隠れていた夫婦を鎖で殴り殺したばかりか、彼らの腕の中に隠れていた、幼い子供まで無惨にも手にかけてしまう。
彼はそこではっきりと理解してしまった。
自分がもう以前のように自然の中で生活し、純朴な心を持ち、木を伐る時にも精霊に祈りを捧げるような信心深さも、感謝も失った──怪物に成り果ててしまった事を。
彼は痛みに無頓着な性質を持って生まれていた。それは自身の痛みについてのみならず、他人の痛みについても無頓着になる事を意味していた。──当然だろう、自分の痛みについてなにも感じないような者が、他人の痛みに理解を示すはずがない。
幼少期から父親に叩き込まれていたのは、自然の中で生きるというのは痛みを受け入れるという事だ、と教わってきたのもある。
しかし彼は、子供には愛情を注ぐものだという父親の教育のもと、近所の数少ない子供にはいつも優しさを忘れずにいた。──大きな体で仏頂面の彼を子供たちは恐れ、近づこうとはしなかったが。
そんな彼の最期は、押し入った民家の梁に鎖をかけて首を吊るというものだった。
──守るべき子供を手にかけた罪の重さに耐えかねての自死。
思いのほか残酷で、救いようのない話だ。
自身の中で暴力衝動が膨れ上がる事にも意識せず、命じられるままに戦い続けた男の人生。
自分の自我がどのようなものなのか、最後の最期まではっきりとしたものを持ち合わせなかった者の末路。
意志薄弱な大男が状況に流されるまま生きてきた結末が、自らの人生を振り返る事すら恐れての自殺だった。悔い改める暇もない衝動的な自殺は、バンタロンという男の性そのものに思える。
考える事が嫌いだという者が辿り着いた最後の選択。それが自身の死を選ぶというものだった訳だ。
この男と共に略奪を働いていた兵士たちもさぞ驚いた事だろう。
いつまで経っても略奪品を手にして出て来ないバンタロンに気づき探しに行くと、彼が梁からぶら下がり、巨体を揺らして死んでいるのを発見したのだから。
誰よりも荒ぶる力で敵を倒していた男が戦いの中で死なずに、首を吊って死ぬなどという不名誉な死に様をした事を、多くの兵士は疑問を抱くよりも笑ったに違いない。
哀れな大男は死してなお、その攻撃性だけを怨霊のように残された幽鬼としてあり続ける。
戦いの中で負った傷よりも、自ら犯した罪に対する後悔と苦悩に苛まれ、そこから逃げ出す為に死を選んだ男。
多くの傷を身体に刻みつけた絶望の幽鬼──それは、他人を傷つけた分だけ彼自身もまたたくさんの傷を負い、なによりもその心と魂に深い傷を負った哀れな男の姿の具現。
せいぜいこの幽鬼には暴れてもらうとしよう。
今の彼は一本の鎖で戦うような事はしない。
魔力を帯びた三本の鎖を体に巻き付け、それを自在に操りながら戦う獰猛な戦士。ただ腕力を使って鎖を振り回すだけじゃない。
鎖は彼の一部となったのだ。
不気味な皮の仮面をかぶり、革の鎧や籠手を身に着けた大きな体躯。
長い鎖をじゃらじゃらと下げて歩き回る姿は、とても人間だとは思えない。まさに幽鬼の兵士(化け物)となった彼。人間性を捨て、冥界の奴隷となって召喚者に命じられるまま戦い続けるのだ。
「こいつを見たら悪鬼が出たと思うだろうな」
不気味な皮の仮面を付けたその見た目は化け物と見まがうものだ。
魂の欠片を使って肉体的な強化もおこなうと、俺はそうした作業を終えて朝まで休憩する事にした。
* * * * *
俺と文官を乗せた馬車はオーグベルムに向かっている。旅の支度をして宿屋を出た俺たちは馬車に乗り込むと、すぐにタゥバレンを出たのだ。
馬車が通る街道がエブラハ領に向かう道に入ると、踏み固められた幅の広い街道がまっすぐに延びている道を進む。道のまわりは草木が生え、オーグベルムに続く道の先に石橋があり、馬車が石橋を渡っていると、欄干の石壁に斑模様の鳥が止まっていた。
「ゲェッ、ゲェェッ」と不快な鳴き声を上げて飛び立つ黒い鳥。
不吉な鳥は山脈が遠くに見える、灰色の雲がまばらに空を覆っている方に向けて飛び去った。
馬車はタゥバレンの町を出て三時間ほどすると、茶色い岩山や緑に覆われた丘の間を抜けた先に、黄土色と灰色の高い石壁が見えてきた。町を囲む壁はぼこぼこと外側に突き出た形状をしており、壁の上に設置された建物や櫓なども見えてくる。
町の門に近づいて行くと、そこには革鎧を着込んだ番兵や、農具の四つ叉矛を手にした農民らしい男たちが待ち構えていた。
「何者か!」
男たちはやたらと殺気立って俺たちを迎えてくれる。──嫌な予感がしてきた。
農具を武器にした農民なども馬車を取り囲み、御者に声をかけている。俺はドアを開けて馬車を降りると、彼らに向かって自分の正体を明かす。
「俺の名前はレギスヴァーティ・エーデンドレイク。故郷の友クーゼ・ドゥアマに手紙をもらいエブラハ領に帰って来た。クーゼはどこに居る?」
俺が名乗ると農民の数人から敵意に似た気配を感じた。──やれやれ、どうやら面倒な連中も紛れているらしいな──俺は心の中で嘆息する。
番兵は木陰に繋がれていた馬に跨がると「ついて来い」と言う。俺は馬車に戻ったが、その間も農民からは敵対的な感情を向けられ続けた。
門を潜り抜けた馬車は建物の間を抜けて奥にある建物まで案内された。そこは地主の邸宅を思わせる屋敷で、ちょっとした丘の上に建てられていた。周囲の壁も切り出された石を組み合わせて作られ、屋敷の門にも鉄の鎧を着た番兵らしい姿と農民や市民の姿も見える。
石と木を使って建てられた大きな屋敷には窓硝子も張られ、エブラハ領の中ではそれなりの資産を持つ人物が住んでいる建物だと思われた。
庭先に止められた馬車から俺や文官が降りると、彼らは馬から下りた護衛たちに怯えたような顔をする。
屋敷に案内する男について建物の中に入ると、そこは木製の床と石の壁の内装。壁には質素な額に入った絵画がいくつか架けられていた。
そこは生家を思い出させる内装をしている。装飾の少ない地味な造り。絨毯や室内灯(主に燭台か灯火)も少ない。
薄暗い廊下を歩いて奥の部屋へと案内された。
「この中でお待ちください」
俺と文官、そしてその護衛二人と顔を合わせ、ドアを開けて部屋の中へと入る。──そこは応接間のようだ。
「すぐにドゥアマ様を呼んでまいります」
と男はドアを閉めて行った。
「大丈夫でしょうか? どうも不穏な気配を感じたのですが」
文官が言っているのは農民の事だろう。
「そうですねぇ……ま、一悶着あると覚悟しておきましょうか」
俺はのんきに言って椅子に座るよう身振りで示し、窓から外の様子を窺ったり、部屋の中にある調度品を見て回る。
庭に人の姿はない。花壇に植えられているのは野菜であるらしく、この貴族的な屋敷に住む者であっても、自力で農作物を育てざるを得ない状況があるのだと理解した。
もちろんそこまで苦しい生活という意味ではなく、万が一に備えているという意味だが。
室内に置かれた書棚や燭台やテーブルなど、どれも質素な造りで装飾らしい装飾はほとんどない。テーブルの脚がいくらか意匠を施されている程度だ。同じ国でありながらライエス家との格差はいかんともしがたい。
現在作者は重い風邪で苦しんでおります。
さらに更新が遅くなる事もあるかもしれません。ご理解ください。




