強襲と幽鬼
俺は腰にある魔剣を引き抜くと、暴漢まがいの真似をする相手に警告を発した。
「大人しく武器をしまって通してくれないか」
俺の言葉にまったく反応を返さずに、頭巾を被った男がじりじりと近づいて来た。曲がった道の先に大通りが見えているが、この二人以外には誰も居ない。
頭巾の男が小声で呪文を唱え、曲刀に魔法を掛けたのが見えた。──どうやら刃に呪いを掛けたらしく、その武器で俺を殺し、霊体や魂といった存在の核を奪うつもりらしい。
さらには自分自身にも魔法を掛け、強化したのも確認できた。──死者にしては慎重だな。そんな風に考えたが、彼らとて元々は人間だったのだ。ここ冥府での傷が彼らの「死」になるとは思えないが、俺の持つ魔剣の効力はこの次元領域でも通用する。
敵対するというのなら容赦はしない。
背後の病的な肌の魔術師も短刀を構え、魔法で己を防御し、襲いかかってきた。
動きを魔法で高速化し、鋭い一撃を見舞ってきたが、そんなものは余裕で躱せる。彼らはしょせんただの魔術師なのだ。
後方からの突きを横に避けると、本命の頭巾男の振り下ろしが俺に襲いかかる。
「ズドゥッ」
男の横に回り込みながら胴体を薙ぎ払った。
しかし──
「なにっ⁉」
外套と、その下の革鎧を引き裂いただけで、奴の肉体を斬った感触がない。
俺は奴の後方に回り込み、奴が振り返るよりも早くその胸元に鋭い突きを打ち、その心臓を穿った。
(──こいつッ……!)
頭巾の男は身に着けていた革鎧やズボンを残して消滅した。がらんと音を立てて曲刀が地面に落ちる。
魔法で操られた霊体だったのだ。
青白い肌の魔術師はすでに戦意をなくし、逃げ出そうと背を向ける。
俺は逃げ出した相手よりも、外套を被った霊体を操っていた術者が気にかかっていた。
姿を現さないところをみると、さらに次の手札を切ってくる可能性を残していると思われたのだ。
逃げ出した男が急に立ち止まった。──おかしな立ち止まり方だった。まるで蜘蛛の巣に引っかかった枯れ葉の様にぴったりと空間に張りつけにされ、身動きが取れなくなったみたいに。
「ぅ、ぅうぅゥォあァあぁァアァァッ──!」
手にしていた短刀を自分の胸に突き立て、ガクガクち体を痙攣させながら、こちらを振り向く魔術師。
どうやら姿を見せぬもう一人の術者ははじめから、青白い肌の男を呪術の生け贄として使い捨てにするつもりだったらしい。予め呪いの掛かった短刀を渡し、それで俺を一突きすれば俺の魂を奪えるとでも吹き込んでいたのだろう。
「ごォぁあぁゥオォぉおァアぁァッ!」
青白い肌をした魔術師の周囲を黒い煙が取り囲む。黒い煙の中から気味の悪い咀嚼音のようなものが聞こえ、魔術師の悲鳴が上がったが、その声はどんどん弱くなり、黒い煙の中から巨体を持つ何者かが姿を現した。
「ゴリゴリッ、──ゴリゴリッ」
石畳をこする重い音が響く。
前に踏み出して来たのは貧弱な魔術師ではなく、二メートル近い巨体を持つ大男。それも屈強な身体に大きな鎖を巻きつけた、異様な姿の幽鬼だ。
ぼろぼろの皮製の衣服とズボン。身に着けているのはそれだけ。灰色の肌を晒した腕や足は太く、傷だらけだった。
身体に巻きつく鎖の一部を左手に持ち、そこから垂れ下がった鎖が地面をこすって音を立てていたのだ。
右手に巻かれた鎖はまるで太い籠手みたいにぐるぐる巻きにされ、その先端を右手で握り締めている。
「兵士──という感じではないな」
巨漢の男の顔には頭を覆う皮の仮面が付けられ、茶色の皮に空いた穴から黒い虚がこちらを見つめている。
拷問官といったところか?
縛りつけた罪人を荒縄で叩く懲罰があった国もあるが、鎖で殴りつけてくるというのは初耳だ。
不気味な見た目は処刑人のようにも思えるが──
「ウゴォあぁアァッ!」
そいつは一声吠えると、左手の鎖を叩きつけてきた。
(あぶねっ……!)
思ったよりも速い動きで驚いたが──さらに驚かされたのは、その鎖を横に薙ぎ払ってきたのだ。かなりの力で叩きつけた鎖が跳ね上がり、今度は横に避けた俺を薙ぎ払おうとした。
「じゃりじゃりじゃりっ」
大きな鎖の束の下にしゃがみ込んで躱すと、無造作に近づいて来た相手の足首を狙って、前に踏み出しながら魔剣を薙ぎ払う。
低い姿勢から地面すれすれを斬り裂くような一撃。
ところが巨漢の幽鬼はこの攻撃を足を上げて躱すと、大きく鎖を引き戻してそれを再び叩きつけてきた。
「ガギイィンッ」
石畳を砕きながらビリビリと振動音を鳴らしつつ、鎖が波打って引き戻される。
力任せの荒々しい攻撃。
巨漢の幽鬼の攻撃を躱しながら、俺はこいつを喚び出した術者の行方を捜す。──幸い魔眼がこの幽鬼と繋がる魔力の流れを視覚化してくれていた。
すぐ近くの路地裏に身を潜めているのを知ると、俺は決着をつける事にした。
大きな音を立てて振り回される鎖を避けて、奴の左腕を斬り落とす。肘から切り離された腕は鎖と共に身体を離れたが、巨漢の幽鬼は腕に巻きついた鎖を強引に引いて、鎖を放るみたいな感じで薙ぎ払ってくる。
その横を駆け抜けながら胴体を斬りつけ、苦痛の声を上げた奴の背後に回り込みながら剣を振り上げ、背中を斜めに深々と斬り裂く。
「グオおぉアァぁッ!」
魔剣の魔力が奴の霊的な力を奪いがっくりと膝を突いたが、まだ反撃をしようと動いている。
俺は幽鬼をその場に残し、路地裏に隠れている術者の元に駆け出して行く。
すると今度は路地裏に黒い影が三体、ゆらゆらと立ち上がってきたのである。──それは亡霊のようだった。
「邪魔だっ」
三体の亡霊を魔剣の一振りで殲滅し、大きく薙ぎ払った格好のまま、細い路地に突撃する。
「ギヴィルアダーカ!」
身を潜めていた魔術師がいきなり攻撃魔法を放ってきた。
黒色の波動が広がって押し寄せてくるのを悟った俺は、瞬時に魔剣を振り上げ、業魔斬を撃ち出して対抗する。
魔術師の魔法を業魔斬で叩き斬りながら、その強力な斬撃が魔術師の体を引き裂いた。
「うげあぁぁあぁっ!」
頭巾を被った痩せ細った魔術師は悲鳴を上げ、腕を広げたまま崩れ落ちる。首から腹部までを深々と斬りつけられた男は、ぼろぼろと灰の塊をこぼしながら倒れ込み、石畳に顔面を強かに打ちつけた。
……割とあっけない幕切れだったな。
俺は外套を羽織っていた男の背中に剣を突き立てて止めを刺して確認したが、男の身体はすでに灰となり塵となって消え去っていく。
その霊魂を死導者の霊核が回収し、奴の持っていた魔術や魔法についてその技術を奪い取る事に成功する。
──これで先ほどの拷問官みたいな幽鬼も使役できるはずだ。
一呼吸おいて空を見上げる。──大丈夫、空には厚い雲が覆っていて晴れる事はないだろう。
周囲の街の様子を見ても、誰かがこちらを窺っているような気配はない。結構な騒音を立てて戦っていたと思うのだが、冥府の連中は現世の人間とは違い──つまらない野次馬根性を持ち合わせてはいないようだ。
俺は魔剣を鞘に納めると、双子の居る館まで戻るのだった。
坂道を上がって辿り着いた領主の館。門は開かれたままで、俺は敷地内へと入って行く。──どうしてか鉄の格子門は俺が敷地内に入ると、勝手にしまっていくのだ。
急ぎ足になって館の中へ入ったのは、この冥府の恐ろしさを理解している為だ。あと少しというところで冥府の大地に取り込まれてはかなわない。
ぱたんと静かに扉を閉めると俺はそこでやっと緊張から解放されたが、この建物の中にも危険なものが潜んでいるのを思い出し、慎重に階段を上がって行く。
とんとんとんと、絨毯の貼られた階段を上がる。
二階の廊下に来ると、薄暗い表情の侍女が二人──亡霊みたいに廊下を滑って行く。見ると彼女らの足は無く、宙に浮いて手にした物を運んでいるのだ。
その霊たちは双子の居る客間の手前のドアを開け、部屋の中へと入って行った。
俺は急ぎ足で客間へと向かい、ドアを叩いてから部屋の中へと足を踏み入れる。
「どうしたの? そんなに慌てて」
グラーシャが本を片手に長椅子に座ろうとしていた。ラポラースの姿はない。
「いや……なんか、幽霊みたいな侍女を見かけて」
え? という顔をするグラーシャ。
「そりゃぁ……ここは冥界だもの。みんな亡霊と言えば亡霊だわ」
「それはそうかもしれないが、足の無い侍女なんて初めて見たぞ」
「霊質がうまく形作れない子は本来の力が弱い所為ね。そうした侍女は感情などの多くを失っている事が多いの。変に関わろうとすると攻撃されると思って抵抗してくる可能性があるから、気をつけてね」
なら後ろから気配を消してついて行ったのは正しかったな。俺はそう考えながら長椅子に腰かけた。
「なにか厄介事に巻き込まれたみたいね?」
「まあな。この街はなかなか治安がよろしくないらしい」
「そりゃそうよ。冥府に秩序なんて求めちゃ駄目。──ましてここは魔術師だった連中ばかりが住んでいるのよ。魔術師がどんな連中か、あなたはよく知っているはずでしょう」
「確かに」
だがそれでもこの街の住人は、好んで争いを起こすような真似はしないのだろう。
街の様子は至って平穏な街並みをしていた。
「その魔術師が拷問官みたいな幽鬼を召喚して攻撃してきた。殺してしまったが、まずかったかな?」
「いいえ、構わないわよ。あなたの魂を奪いに来た奴を殺して、なんの問題があるというの?」
「冥界の規範について無知なのでね。なんらかの秩序に抵触したと告発されたくはない」
あはは。彼女は愉快そうに笑った。
「問題なら大ありよ。生きている人間が冥府に居るなんてね。だから、いまさらよ」
なるほど……俺は得心した。
俺の存在自体が冥界の秩序に反しているのだから、俺の命を奪いに来るのも問題ないし、それに抵抗して相手を消滅させても問題ないと考える訳だ。
「それでその魔術師を殺したという事は、拷問官みたいな幽鬼を奪い取ったのね?」
「ああ、あいつの契約していたものをそっくりそのまま取り込んだから」
「すばらしい」彼女はそう言って手にした本をテーブルの上に置き、ひとつ講義をしてあげると口にした。
「あなたは以前にも幽鬼と契約を結んだけど、そうした幽鬼も強化する事ができるわ。──ただ、その為には魔力や取り込んだ魂魄の欠片を使用する事になるけれど」
彼ら幽鬼の武器なども変更し、幽鬼の躯を強化したりする方法について聞いた。
死王の魔剣も倒した不死者の力を取り込んでいるが、俺の死導者霊核にも同じような力──霊魂の欠片のようなもの──が取り込まれていると話すグラーシャ。
「本来そうした霊質を集めるには触媒が必要だけどね。死霊使いはそうした触媒に殺害した者の魂魄を封入しているものよ。──あなたの場合は死導者の力があるから、触媒を用意しなくても自然と魂魄の欠片を獲得しているはず」
「霊質の断片の事だな。魔神や邪神などの上位存在の光体ばかり考えて、通常の生命体の持つ魂について疎かにしていた」
そういえば霊核の一部には魂の記憶以外のものが溜まっているが、それをなにに使うのか考えてこなかった。──ただそれが霊核の維持や拡大に必要なものだとばかり思い込んでいたのだ。
「そうか、あれは幽鬼の強化にも使えるのか。──今度さっそく試してみるとしよう」
そう話していると、そろそろ現実の方に戻る頃合いだと感じてきた。あまり精神世界や冥界に留まり続ける訳にはいかない。今は多くの人間と行動を共にしているのだ。
「そろそろ戻るよ」
俺は立ち上がりグラーシャに別れを告げた。
「ラポラースにも」俺はそう口にして客間を出ると、自身の魔術領域へと戻って行く。
今回の話でいちおう「前編」の終わりです。
次話は後編(中編?)の始まり。
来週からは毎週日曜日の投稿は止めます。
不定期更新ですが、なるべく週に1回か10日に1回くらい投稿できるようにします。
しばらくするとまた更新が停止するかもしれませんが……ご理解ください。




