宮殿内への侵入
二階へ続く曲がり階段が広々とした広間の左右にある。その大きさ、高さは途轍もない物で、二階の高さは──おそらく、通常の人間の城の高さほどはあろうかという代物だ。
階段の一段一段も、飛び上がれば届くような高さではない、だが上に上がる方法はありそうだ。──それは階段の手摺りのある場所だ、ここは段差がなく坂状になっている。
ただしかなりの急斜面だ、登ってる最中に滑り出したら危険だし、階段側に落ちても大怪我、反対側なら問答無用で死ぬだろう。──果たして冥府で、物質界の常識が通用するかは分からないが。
右側か左側か、どちらの階段を上がるかを決めるのに天井や、その他あらゆる場所を観察してみた。一瞬、二階の奥に何かが消えて行くのが見えた、かなり大きな影だ。できれば遭遇したくはない。右奥に消えたその影と反対側に──行くのは止して、右側の階段を上がって行く事にした。
二階には奥へと続くと通路が二箇所あるのだ、その通路は奥で繋がっているはずだ。どちらの階段を上がっても、二階に居ると思われる「番人」との遭遇は運だ。
見つかったら発光魔法(ここで使えるかどうか確認はしていないが)で目潰し、あるいは認識阻害を使うしかない。どちらも駄目なら外へ逃げる。
そんな予定を立てて、二階へ向かって手すりの下にある坂を登って行く事にした。
坂は本当に急だ、滑り止めを付けた靴で良かった。これは河原の苔が薄く付いたような岩の上にも滑らずに、足を乗せられる優れ物なのだ。こいつのお陰で坂は何とか前屈みで進んで行ける。──一番上が果てしなく遠くに感じるが、慎重に一歩一歩踏み出し、大理石か何かで造られた坂道を上って行く。
時折、手すりを支える柱に足を落ち着けて、休憩を取りながら、二階へ向かって進み続ける。左側を見るとすでに相当の高さを登ったと思いきや、三分の一にも満たない高さしか登っていないようだ。ふと二階を見上げると、何かが左奥の通路から姿を現し、俺は柱の陰に身を潜める。
「番人」とはあれの事なのだろうか? 何という奇怪な存在なのか、下からでは良く見えないが、蜘蛛や百足、蠍や蚯蚓を合成した様な──醜悪な、巨大な生き物が通路をうろうろと這い回っているのだ。
そいつが通ると、ガジガジと奇妙な音を立てながら床を這って移動し、二つの階段が合流する二階通路の中央で立ち止まって、辺りを警戒する動きを見せる。
建物の外に居た番犬も相当な大きさだったが、こちらの醜悪な怪物は高さはさほどでもないが、下半身の百足の部分が長く、体長は相当な長さがあるだろう。
いずれにしても見つかりたくはない、あいつが再び行動を開始すると、二階へ向かって坂道を上がる作業に移った。疲れは感じないので一気に駆け上がる。
二階へもう少しという所で、床を這うガジガジという音が聞こえてきた。まずい、このままでは見つかる、俺は慌てて手すりの陰に隠れた。
柱の裏手に回り込んで止まろうとした時に、靴の裏が「きゅっ」と音を立ててしまった、奴に聞かれたら最悪だ。
祈るような気持ちで柱の陰から、二階の様子をそっと窺う……
二階を彷徨く怪物は、その音を聞き逃したらしい、ほっと胸を撫で下ろすと、通路の中央で止まっている奴の動きを確認し、動き出して通路の奥に姿が見えなくなると、二階へ向かって一気に坂道を登って行き、巨大階段の手すり坂を登り切った。
改めて二階から周囲を見回すと、広大な城内が、あまりに規格外の大きさで設計されており、自分が小人になった気分だった。
この冥府の宮殿には生憎と侍女服姿の女子はおらず、床板を傷付けながら這い回る、気色の悪い怪物が居るだけで、小人になって下着を覗くなどといった行為に及ぶ事は、期待できそうにない。
そんな冗談はともかく、宮殿二階にあるはずの、魔神が封印されている金色の結晶を探しに行かなければならない。気味の悪い怪物が歩いて行った通路に向かって走り出す、生命探知はここでは意味がないのは確かだった、すべての物が灰色に見える。
魔眼を使った魔力感知では、この建物の中にいくつかの反応があるのが見えた。通路の奥へ向かって行く怪物は一体しか居ないのだろうか、他に反応は無い。
左奥の通路へ消えた怪物の後を追う形で通路に入った。そこは薄暗く、明かりは後方の玄関側から差す光と、通路の先にある白っぽい明かりだけである。──通路にも所々に、壁と一体化した柱の出っ張りがあり、その陰に身を潜める事はできそうだ。
魔力感知を使いながら進んで行くと、あの気味の悪い「番人」は通路の奥の方へ進んで行ったのが見えた、今ならば通路を駆け抜けられる。そう判断し、足音を立てぬよう注意しながら、暗い通路を一気に駆け抜ける。通路の奥にも左右に分かれた道があり、床板の至る所が、怪物の通った足跡で傷が付いていた。
しかし通路の左側と右側では、明らかに足跡の形が違う。
百足型の脚を持ったあの怪物が通った右の通路は、道の中央辺りが削れているのに対し、左側の通路は、道の端の方が傷付いているのだ。
どうやら別の「番人」が、もう一体はいるらしい。左に曲がる通路の先にも丁字路が見え、右の通路には扉が左右にあるのが見えた。
そして左側──つまり玄関側から遠い方の扉の奥から、魔力の反応があるのだ。俺は左右のどちらにも「番人」が居ない事を確認すると、通路の奥へ向かって駆け出す。
壁際の柱の陰にいつでも隠れられるように、後ろを振り向きながら進んでいると、後方の通路に何かが現れたのが見え、反射的に柱の陰に隠れた。
不気味な「番人」は蜘蛛の脚を持った奴だった。細長い脚を持ったそれは、胴体が茶色の丸い球根か何かの様な物でできており、その上から何本もの大きく、異様に長い人の腕を生やしていた。
球根の頂点には、干からびた人間の上半身の様な物も見えているが、見つかるといけないので、注視するのは止めて柱の陰に隠れる。
百足型の「番人」が玄関前で一度立ち止まり、再びこちら側の通路の警戒を始める前に、扉の中になんとしてでも入らなければ──さもなければ、あの気色悪い奴に発見されてしまう。
そう考えながら左側の通路を見ると、蜘蛛の脚をした奴は左奥の通路に向かって歩き出す。この機会を逃さず、壁際を走って扉の前まで駆け込んだ。
「さて、この扉をどうやって開ければいいのだ?」
扉の下はわずかな隙間があるようだが、そこから部屋の中へ入る事はできそうにない、体が小さな子供でも通り抜けるのは無理だろう。魔眼を使って調べて見ると、扉には結界が張られているらしい──そして、その扉には魔法の鍵が掛かっており、魔法によって開ける事ができるようになっていたのだ。
「おいおい、聞いてないぞ」
そう呟いた俺の足下に何かが滑り込んで来た。どうもそれは俺の影から這い出てきたようだったが、それは小さな灰色の鼠だ。
その鼠は、扉の下にある隙間から結界をすり抜けて部屋に入り込む。どうやら魔女王ディナカペラの使役する使い魔らしい、いつの間にか俺の影に忍ばせていたのか──いや、ここは冥府だ。そして彼女は今、俺の身体のそばに居るのだ。そこからこちらの様子を察して、鼠を送り込んだに違いない。
しばらくすると、扉に掛けられた結界が解除されて、扉がわずかに開いた。その隙間に体を滑り込ませると、再び扉は静かに閉められた。鼠は扉の前に座り込んで、いつでも扉を開けられるように待機しているらしい。
灰色の鼠は落ち着きなく鼻をひくつかせて、辺りの様子を窺うみたいにきょろきょろと周囲を見回しているが、その場を離れる気はないようだ。
扉の事は彼に任せて、俺は、部屋の中にある魔神の封印を探す事に集中する。