アゼルとレギの闘い
自分以外の者のために強くなろうとする者と、自らの保身だけを考える者の差。
そんな部分をひそめる話。
商談が纏まり、分割の支払いについて記した保証書をアゼルゼストが書いていると、セーラ嬢が執事を連れて談話室に戻って来た。
執事は豪華な手押し車の上に皮袋をいくつか載せて現れた。
「こちらに金貨三千枚をご用意したしましたわ」
セーラメルクリスの言葉にアゼルが意義を申し立てる。
「いや、婚約者殿。手付金もこちらで支払うと……それに、最初の金額は二千では?」
「いいえ、聞けばレギスヴァーティ様は、公共事業に関わるお仕事にお金が必要だとか。金貨千枚はこの国の国益の為に必要な投資ですわ」
俺は彼女の申し出に感謝の言葉を返しつつ、アゼルが書いた紙の数字を書き換えた。
「では、お二人で金貨三千枚ずつとしましょう、これなら公平だ。──首飾りの代金よりも、もしベグレザとの交易路が開拓されたら、商業的取り引きをエブラハ領と増やしていただけるとありがたいですね」
二人にそう訴えると、了解を意味する頷きを得る事ができた。
しばらく話し合っていると昼食をご一緒にどうですかと、セーラ嬢に誘われた俺とアゼル。
彼女の申し出を快く受け、昼食をご馳走になった。
ピアネス貴族の、エシルフィアルド公爵家の昼食。それは豪華なものではなく、とはいえ質素なものでもなかった。──少なくとも俺の故郷で昼食として出されるとしたら、ここで出された食事は年に二回あるかないかの、特別な日に出される食事──それと同等の料理だ。
子羊肉の香草焼きなどは、かなりの贅沢な料理として扱われる。うちの領では子羊を食べられる人間など、領主くらいだ。
干した果物や砂糖漬けの果物なども出され、セーラ嬢が歓待してくれたのを感じる。
彼女は王都に住む貴族としてよりも、古くから伝わる伝統的なピアネス貴族の矜持といったものを見せてくれているようだ。
魔術の徒としての顔と、貴族としての顔を見せる彼女との会話は、俺には楽しいものだった。
旧友の婚約者がこのような人物だった事を幸運に思いながら、俺とアゼルは彼女の屋敷を出て行く。
黄金の首飾りをセーラメルクリスに譲り、皮袋に入った大量の金貨を手にしてアゼルの──ライエス家の別邸に戻った。
明日の朝にはライエス邸に文官と護衛数名が馬車を伴って来る予定だ。若い文官はこちらの考えを汲み取って、冒険者や旅人の装いをしてエブラハ領に向かうと言っていた。
愚兄の居る街は傭兵らによって警戒されているはずだ。俺が来たと言えば通してくれるだろうが、生きては返さぬと考えるに違いない。そうした手合いの巣窟に向かうのだ。──それも、こちらの手の内を読まれぬよう、なるべく相手に警戒されぬよう行動する事が肝要だ。
その点、あの文官はしっかりと理解している様子だった。こちらの用件を聞き、考え、領主の座を簒奪した愚兄スキアスが俺が帰郷したと知ったらなにを企むか、その辺りについても想像した事だろう。──もし俺が殺害されれば、次は同行した文官たちも危険になると考えたはずだ。
なかなかに飲み込みの早い文官は、すでに告発文の内容を頭の中で考えているのではと思われるような、独特の雰囲気を漂わせてさえいた。
あの青年なら頼りになる。俺はそう確信していた。
使える若い文官が居れば、使えない中年の財務官も居る。今後ピアネスの王宮内は荒れるかもしれなかった。
──少なくともライエス家が信頼を置く役人と、権力の上で胡座を掻いている連中とはいずれ、水面下での権力闘争くらいは起こすだろう。
国の財政を独占しようとする権力者と役人。それらを排除しようとする真っ当な権力者と役人の闘いだ。
もしかするとその時には、ライエス家は窮地に立たされるかもしれないが、敏腕の魔術師がそばに居るようなので──おそらくは大丈夫なはず。
ライエス家の別邸まで戻って来ると、俺はすぐに旅の支度を始めた。背嚢に金貨の入った皮袋を一つ入れて、残り二つの袋は影の倉庫にそっと忍ばせる。
本来は三つとも入れてしまいたいのだが、なにかあったとき金が消失したと思われたくない。──まあ杞憂に終わるだろうが。
そんな事を考えていると部屋のドアが叩かれた。
「ちょっといいか?」とアゼルの声。
俺は立ち上がりドアを開ける。……そこには真剣な顔をした友の姿があった。
「なんだ、闇討ちにでも行くかのような顔をして。……財務官の野郎をヤるつもりなら手を貸すぞ」
「──そんな訳があるか。少し付き合え……裏庭に行こう」
俺の陰湿な冗談を受け流し歩いて行くアゼル。大人しくその背中について行くと、携帯灯が照らし出す庭までやって来た。燭台に乗せられた四つの携帯灯の囲みの中に、茶色い地面が剥き出した場所がある。
壁際には木剣が用意され、アゼルは二本の木剣を手にすると、一本を俺に投げて寄越した。
「久し振りに手合わせ願おうか」
アゼルは気迫に満ちた声で言う。
俺は受け取った木剣を振りながら、やれやれと肩を竦めた。
「学生時代は騎士を相手に訓練していたお前に、三流冒険者から学んだ程度の俺の剣技では及ばなかったが、今は違うぞ?」
「分かっている。だからこそ、それを確かめたいんだ」
そう言うとアゼルは木剣を構えた。騎士がやるような──片足を前に出し、両手でしっかりと柄を握り、剣先を突き出した構え。
それは攻撃を主体とした構えだ。
騎士にはいくつかの構えがあるが、武器により構えが変わるのが普通。今回のような片手剣の場合──右手に剣を、左手に小盾を持つ構えが多い。
しかし今回は二人とも盾は使わず、長剣型の木剣のみで戦う様式だ。──片手剣と短剣を使う二刀流などの型もあるが、アゼルがそうした構えを使ったのは見た事がない。
「いくぞ」
一声かけるとアゼルは右足を踏み出して、振り上げた剣を振り下ろす。
単純な上段攻撃を横に躱し、横に構えた剣を薙ぎ払って反撃した。
「ガツッ」
振り下ろした木剣を逆手に握るようにして俺の反撃を受け止めながら、さらに前に踏み出して来る。
鍔迫り合いから、離れながら頭部を狙う打ち込みをするアゼル。
俺はそれを足捌きだけで回避し、腕を狙った小さな動きで反撃する。
剣を使って斜めに受け流し、そこから腰を回転させるようにして、思い切り木剣を薙ぎ払ってきた。
かなり近い間合いからの鋭い反撃だったが、俺は後方に跳んで躱す。
ギリギリの攻防だったが、アゼルの攻撃は充分に見切れる速度だ。
学生時代よりも格段に上達しているが、それは俺の現在の力量には及ばない。決してアゼルが弱い訳じゃない。むしろアゼルの実力は、多くの戦士より手強い相手と言えた。
不断の努力を発揮して、今までもずっと剣の訓練を欠かしていないのだろう。それは分かる。
しかしそれでは俺には届かないのだ。
死線を越える覚悟をし、死の一線を越える戦いを何度も繰り返した俺には、一対一の決闘を第一と考える騎士の戦い方では、命の遣り取りを主軸にした戦士には通用しない。
俺が攻撃を見切り始めたのを感じて後退するアゼル。
すると右足を前に出し、身体の左側に剣を引いた構えをする。
上体を前に出すような格好でじりじりと間合いを詰めてきた。
剣を横薙ぎにする構え。
間合いに入った瞬間に斬りつけるか、踏み込んで斬りつける構えだ。防御を捨て、相手の攻撃を見切って反撃するか、相手の攻撃より速く攻撃を繰り出すつもりだろう。
攻撃を弾いて反撃する手もあるが、まさかそれが通用するとは考えていないはず。
俺は小細工なしに正面から突進した。
鋭い横薙ぎの一撃が襲ってくる。
「ガキィッ!」
こちらも横薙ぎの攻撃に合わせ、下から斜めに振り上げた剣撃で応戦する。
相手の攻撃を受け止めながら、上に向かって剣筋を切り払う形で振り抜き、相手の肋骨に木剣を軽く打ち込む。
寸止めを心がけたとはいえ、アゼルの渾身の一撃を強引に押し上げる形で振り抜いた一撃を受け、アゼルは思わず呻きながら後退する。
「いッ……」
よろよろと後退し、肋あたりをさする。
「すまん。力を抑えたんだが間に合わなかった」
骨に異常が生じるような打撃ではなかったはずだが、痣くらいはできるかもしれない。
「なんだ、今の強引な反撃は」
「言っただろう。剣闘士の技には、こんな戦い方もあるんだ」
俺たちの闘いは数分つづけられた。
俺は騎士の攻撃をすべて受け流し、相手には痛打にならぬよう加減した攻撃を当て続け、アゼルゼストが降参するまで木剣を振るい続ける。
「ふぅ、ふぅ……。今日は、このへんにしておこう」
腕や脇腹に痣をこしらえながら、級友はよく闘った。騎士としての戦い方だけでなく、冒険者がやるような偽攻をしてきたりもした。
「冒険者とも訓練を?」
呼吸を乱しているアゼルに尋ねると、呼吸を乱してもいない俺を恨めしげに睨む。
「──ああ。バルグラート領やヴェンティル領を訪れた冒険者の中に、赤鉄階級などの有力者が居れば、金を支払って訓練に付き合ってもらったり、教えを乞う事もあった」
時には銀階級の冒険者とも訓練をしたらしい。
騎士としての剣技だけでなく──より実戦的な、剣での戦いを模索しているようだ。
「それにしても驚いた。思っていた以上にやるじゃないか。領主に収まって、てっきり弱くなっているものとばかり思ったが」
俺の皮肉混じりの言葉に、級友は露骨に嫌そうな顔をした。
「その嫌みな言い方……学生時代を思い出すな。──しかし、お前の剣の腕は本物だ。……いや、それどころか、銀階級の冒険者よりも格上かもしれないぞ」
古き友の褒め言葉に笑って応える。
「そうか。いや──そうだろうな。俺を鍛えてくれた者たちの事を考えれば、それは当然と言える。それだけの実力者を相手に訓練しているからな」
魔術領域での訓練の事は秘密だが、まさか魔人となった戦士の技術を受け継いでいるとは思いもしないだろう。
士官学校も卒業したアゼルが剣の稽古を怠けるとは考えていなかったが、この友人の強さは目を見張るものがある。俺に負けはしたが、この男の護衛たちよりも遥かに洗練された剣技を有し、さらに騎士の型に囚われない荒々しい戦い方も吸収しようとしているのだ。
騎士的な戦闘技術に満足せず、冒険者の戦い方も学ぼうと行動している。お飾りの領主ではない──戦える領主として振る舞う心づもりなのだろう。
昔から実直さにかけては並び立つ者が居ないほどの堅物だったが。
「騎士からは邪道と受け取られる戦い方からも学んでいるか、さすがだ。だがまあ──技術は認めるが、はっきり言ってまだ甘い。戦いとは詰まるところ命の奪い合いだ。理屈じゃない。実戦を潜り抜けるだけの覚悟と経験が足りてないんだ」
俺は友人の健気な努力をばっさりと切り捨てた。実戦経験の少なさについては理解していたのだろう、アゼルは黙って頷いて見せる。
「そうだな。──いや、実戦はもちろん経験しているが、お前がしてきたものとは比べものにならないのだろう。今回の戦闘でそれがよく判った」
「小鬼や小さな魔物の討伐だけでは得られない経験をしたからな。文字通り命懸けの戦いに身を投じ、そこから生還して、今ここに居る」
俺の話を聞いてアゼルは唸るように頷き、部屋に戻ろうと口にする。
「それとも葡萄酒でも飲みながら、昔話に花を咲かせるか?」
「それもいいが、まずは風呂にでも入らせてくれ」
俺がそう申し出ると、友人は快く受け入れたのだった。




