黄金の首飾りとお貴族様
首飾りの購入を巡って、二つの貴族が奇妙なやり取りをする……
貴族の面子があるようで──
俺とアゼルゼストは二人の護衛と共に白銀城をあとにし、坂道をとぼとぼと下っていた。
「ピアネスの財務官は間抜けなのか? それとも周辺国の価値基準が馬鹿なのか?」
「いや、あの財務官はないと思うぞ」
別の財務官を呼ぼうという考えもアゼルは持ったようだが、俺は止めておいた。もはやこの財務官と取り引きするのはすっぱりと諦めようと思った。
まったく話にならないと考えたのだ。あの様子を見ると、他国の流行について調べてはいるが、古くからある文化に興味を示しても、それは上辺だけの事で。本当に価値のある事柄については、まったくの無知なのだと思われた。
「まさかピアネス国の中枢にあんな間抜けが居ようとは──いやいや、驚きだ」
俺は嫌みったらしく言って、旧友に苦々しい顔をさせた。
「やはり文化に対する姿勢が貧弱なのだろうか」
友人の言葉に俺は少し考え、いくつかの国を渡り歩いたり、書物から得た知識を総動員してその言葉に返答する。
「姿勢が貧弱……とは、なかなか言い得て妙だな。ピアネスは鉱山の発見で急激に中央が豊かになり、それで思い違いをした貴族が増長したのだ。自分の実力で手に入れた物でもないのに、湧いて出た金銀の力でもって他国の文化を買い漁るような真似をして、いい気になっているのだろう」
つまり思想がないのだ、そこには。
金の力で手に入れるだけで、それが本当に必要か、価値のある物かを考えようともしない。ただそれらの外国文化をありがたがって群がる、死肉を漁る獣の様に節操がなく、惨めな者たちなのだ。
ありあまる金銀財宝を抱え込んだ王が、その身をあらゆる宝飾品で飾り立てたが、そのどれ一つとして愛着を感じず、使っては放り出す。その内のいくつかを無くしたとしても、王はまったく気づかない。
しかしある樵は一つの斧を大切にし、毎日の手入れを欠かさない。彼にとってはそれは自分と同じくらいに価値のある物であり、もはやただの斧ではあり得ないのだ。
人は、物を所有するようでいて、実は物によって所有され、物と同等の価値しかなくなってしまう場合がある。
また人は、物を大事にする事で、物をただの物から昇華し、それに特別な価値(意味)を与える事ができるのだ。
所有する事の意味について考える。
そこには思想が生まれ、哲学が展開する。
ただありあまる欲求を満たす為に買い漁った物では、本質的な価値の所有には至らない。
手に入れた物を大切にし、愛着を感じて初めてそれは「所有した」事になるのだ。
金銀財宝を抱え込んだ王は、物に囲まれてはいたが、その物の一部に成り下がっただけであり、何一つ価値あるものを持ち合わせてはいないのである。
「しかし困った事になったな」
旧友はそう漏らしたが、俺は別に今すぐ大金が必要になるとは考えていない。あくまでエブラハ領とベグレザ国を繋ぐ道を建設する事が決まったらの話だ。
そうなれば山道を開拓するのに人を雇用する金が必要になる。それも道を造る人材の確保だけではなく、山や森に棲む亜人や、危険な生物などを排除する為の冒険者を雇う必要もある。
エブラハ領地の中を通る、大きな街道の整備も必要になるだろう。
また街道を、街を守る兵士を雇い育てる必要もある。
「まずは領地の統治権を取り戻すのが先だ」
明日から忙しくなる。──首飾りの事はそのあとでもいいだろう。
道を歩いていると、鳥の羽撃く音が聞こえてきた。小さな鳥の翼がぱたぱたと音を立て、近くの壁に着地した。
奇妙な小鳥だ。人間を恐れる事なく近づいて来るとは。
「ピピッ」
小さな鳴き声を上げたかと思うと、その小鳥は道路の方に着地して、俺たちの行く手を遮るように青い羽を広げた。
「なんだ? こいつ」
その奇妙な小鳥は羽を広げたまま、くるくるとその場を回って見せる。
「う──ん? こいつ……使い魔かなにかか?」
霊獣ではなく普通の、どこにでも居る小鳥のようだが。
「お、この鳥は見覚えがある。セーラ嬢の飼っている小鳥だ」
「ほう? という事は、彼女が寄越した使いという訳だ」
そう言うと小鳥は「ピピッ」と鳴き声を上げて羽を畳んだ。──そして軽く跳びながら石畳を歩き出す。
「ついて来いという事か」
変わった道案内について行くと、昨日お邪魔した屋敷の前までやって来た。門の前には一人の侍女が待っていて、俺たちの──というか、小鳥の姿を見つけると、こちらに向かって頭を下げた。
セーラメルクリスの──エシルフィアルド邸まで来た俺たちは、小鳥に導かれて彼女の屋敷に入る事になった。セーラ嬢は意味もなく魔術を使用して、俺たちを招いた訳ではないはずだ。
侍女が門を開けると俺たちはそろって敷地内に入って行く。
「来ましたね」
と、セーラ嬢が現れて言った。その肩に青い小鳥が飛び乗る。
「お話は聞かせていただきましたわ」
突然、彼女はそう口にした。
呆然としている俺とアゼルとその護衛。
彼女に導かれるまま建物の中に入り、案内されて俺とアゼルは談話室に収まった。
なんだなんだと互いの顔を見つめ合い、首を横に振ったり縦に振ったり……
そうして訳も分からないまま長椅子に腰かけたのである。
侍女がお茶を運んで来ると、セーラ嬢長椅子に座って話し始めた。
「レギスヴァーティ様。なにやら古めかしい首飾りをお売りする算段でいらしたとか?」
「どこでその話を……」
そう口にした時、彼女が小鳥を使って、城の一室での会話を聞いていたのだと感づいた。
「まさか会話を盗み聞きしていたとは」
「あら」と、彼女は口元に手を当てる。
「魔術師とは気になった事柄に対して貪欲に、思うままに行動するものですわ」
そう楽しそうに語るではないか。まるで気が置けない友人を困らせて喜んでいるかのように。
「まあ、否定はしない」
そう応えると彼女は、「古代帝国の首飾り」を見せてほしいと言い出す。
「見せるのは構いませんが」
布を取った木箱をテーブルの上に置く。
セーラ嬢は木箱の蓋を開け、中にしまわれた金の首飾りを手にする。
「これは……すばらしい品物ですわね。装飾も繊細で、使われている宝石も見事しか言えませんわ」
魔法は掛かっていないようですけど。と──彼女は少し残念そうに言う。
「しかしこの首飾りの価値は──そうですわね。ピラル金貨五千枚、といったところでしょうか」
安くても、と彼女は呟く。
「五千!」と驚いたのはアゼルゼスト。
「うん、そのくらいする。──人によっては金貨八千枚出しても欲しいと言うだろうな」
そこまで高価な物だとは思っていなかった様子のアゼル。
「お前はあの財務官の出した値段に対し、どんな感情を持って反論したんだ」
俺は思わずつっこんでしまう。
「いや──まさか、そこまで高いとは。だがこの首飾りが金貨二百枚という事はあるまい。私の叔父の蒐集品でも、骨董品はそれなりの値段が付いている物ばかりだったからな」
叔父から譲り受けたというあの館の蒐集品か。
おそらくアゼルは、なにかあった時の為に叔父の残した遺品を整理し、いくらで売れるかを確認したのだ。
領地で問題が発生した時に一定の金を用意しておきたかったはず。それで叔父の遺した財産について調べておいたのだろう。
「私が購入してもいいのですが、残念ながら──これほどの品物を買い取れるほど、豊かな生活はしていないもので……」
などとセーラ嬢は言ったが、無理をすれば買えそうな感じだ。
「俺としても今すぐに売ろうと考えている訳ではありませんが。しかし、どこの誰とも知らない者に売るよりは、知り合いの手に渡った方が気持ち的には嬉しいですね」
そう言いながらセーラ嬢からアゼルに視線を向ける。
「なっ……! まさか、私に買い取れと言っているのか?」
するとセーラメルクリスも俺の顔を見て、なにか思いついた様子で──じっとアゼルゼストを見つめる。
「確かにこの首飾りは、現在の王宮の流行や趣味には合わないかもしれない。──しかし、これを身に付けている婦人が居れば、きっと個性的で、教養の豊かな人であろうと思われるのではないか」
「いやいや、こんな派手で重そうな首飾りをしていたら、悪目立ちするだろう」
「ああ、どこかに、この華やかな首飾りを身に付けても怪しからぬ、貴族的で、まるで伝承に登場するような──名高き魔女のごとき婦人は居ないものか」
俺が仰々しく口にすると、アゼルは苦々しい表情をする。
それを聞いていたセーラ嬢が堪らずに、くすくすと吹き出した。
「伝承の魔女になれるかどうかは分かりませんが、これほどの首飾りをしていたら──社交場では目立つでしょうね。下手をすればほかの貴族から、よからぬ思いを抱かれるかもしれません」
「──駄目か」
俺は笑いながら呟いて二人を見る。
俺が諦めた様子を見せたので、アゼルはほっとしたようだった。
しかし魔女のごときセーラメルクリスは、この首飾りを気に入ったようだ。別にこれを身に付けたいと望んでいるのではなく、おそらく古代帝国の美しい装飾品という点に惹かれたのだ。
あまりに華美なこの首飾りからは、遠い昔の時代を生きた貴族たちの姿が、彼らの生きた時代の栄華がどんなものだったか。それを推測する素材になる。
「この首飾りを大切にしたいものですね。私にもう少し自由にできるお金があれば、ぜひ購入したいところです」
セーラ嬢の言葉に、アゼルは「う──ん」と唸った。
箱の中に敷き詰められた布。そこに置かれた黄金色に輝く首飾りを見つめながら、旧友は婚約者の為に自らの財産を手放す覚悟と闘っているようだった。
「こうしよう。最初に金貨二千枚を受け取り、残りの四千枚を分割にしよう」
そう提案すると、すかさずアゼルが噛みつく。
「まて、それだと六千枚になるではないか」
「五千はあくまで最低価格の見積もりだろう。実際はもっと高く買い取られてもおかしくはない」
俺はそう断言して侯爵を黙らせた。
すると奴は「ふぅ」と溜め息を吐いて一言。「商談成立だ」と口にする。
「よし、そうこなくてはな」
俺が拳を出してやると、アゼルも拳を握って拳をぶつけ合う。
「まあまあ、アゼルゼスト様。そのような高価な買い物をされてよろしいのですか? 国への税も納めなくてはなりませんのに」
「この古代の首飾りには確かに価値があると私も思います。それをこのまま誰かの手に渡るのを見過ごしては貴族の名折れ。叔父の手本もある事ですし、たまにはこのような品に金を使うのも良いでしょう」
二人の言葉の間には奇妙な駆け引きが存在しているようだが、爵位の高い貴族同士の機微というものだろうか。俺はそこには不干渉でいくと決め、とりあえずこの首飾りを誰が手にするのかを見守る事にする。
「それではこの首飾りは、セーラメルクリス嬢の財産と致しましょう」
「まあ、それは大変なお話ですわ。このような高価な品を受け取るだなんて、きっと王室の宝物に置かれるような、そんな価値ある物でしてよ」
などと、互いの資産にするかしないかを押しつけ合う。
その奇妙な遣り取りは形式通りのものだったのか、結局はセーラ嬢の手に渡る事で纏まったのである。
お貴族様は面倒くさいな。などと思ってみるものの、一応俺も貴族の一人なのだと思い出した。
もちろん二人のような高い位にある貴族とは違い。領民も満足に養えない、貧相な領地を抱える形ばかりの貴族の出だ。それはまったく比べるべくもない差がある。
豊かな水量を誇り、魚や貝といった水産資源も豊富な湖と。細々とした泥水が流れ込む小さな薄汚れた池ほどの差だ。
だが貴族の地位など俺には関係がない。
俺は領主として生きるつもりなどなく、冒険者として──いや、魔導師として生きる決意をしたのだから。




