冥府での道案内と巨大なる宮殿
気がつくと地面の上に寝転んでいた。目を開けたが自分が何をしていたのか、はっきりと思い出せない……いや、そうだ。魔女王ディナカペラの魔術で冥府に下り、ツェルエルヴァールムの魂を封印した物を回収するのだ。
視線の先は、どんよりとした曇り空。いや、暗雲だけが立ち込めた空が広がっているだけだ。──すると俺の上に影が落ちた。
「!」
俺は咄嗟に身体を横に回転させ、相手の腕を避けると、身を翻して魔剣を抜き放った。目の前には鎧を着込んだ骸骨武者が立っていて、地面に倒れていた俺に手を伸ばしてきていたのだ。
「なんだよ、死の衣を身に着けていれば平気なんじゃぁなかったのか」
相手の骸骨武者を睨みながら独り言を呟き、ふと相手に見覚えがある事に気がついた。
「お前……この魔剣を持っていた奴か? ……さすが冥府。こちらでも会えるとはな、だが──この魔剣はすでに俺の物だ。お前には渡さん」
そう宣言して魔剣を構えると、骸骨武者はただ黙ってこちらに近づいて来る。
問答無用で骸骨武者の頭から剣を振り下ろすと、朽ち果てた木板を斬ったみたいな手応えを感じた。鎧まであっさりと斬り裂くと、骸骨武者はその場で崩れ落ちて灰となり、鎧や籠手などもすべて灰になって消え去った。
「幻影か? まあ実体がある訳ないな」
魔剣を鞘に戻すと、改めて頭巾を被っている事を確認し、死の衣の中に魔剣を隠すと周囲を見回す。
乾燥した大地、空を埋め尽くす噴煙を思わせる灰色の雲、見渡す限りどこまでもひび割れた大地が続いている。──茫漠たる不毛の地を彷徨い歩く人影が見えるが、近づかない方が無難だろう、ここは冥府なのだから。
それにしても「道案内」の姿が見えない、いったいどこに居るのか……少々不安を感じ始めた頃に、遠くから何かが飛んで来た──灰色の羽毛を持った禿鷲だった。顔の周りが酔ったみたいに赤くなっていて、頭は名前の通り毛が無い。
ばさばさと大きな翼を羽撃かせて、地面に着地する。
「グワァ──ッ! おまえがレギスバーテイだな?」
けたたましい鳴き声の後に、禿鷲はそう言った。発音がイマイチなのは諦める事にする、何故なら彼は鳥だからだ。
「それで、あんたが、ツェルエルヴァールムの封印されている所まで、案内してくれるのか?」
「グワァ──ッ、おまえはばかか? レギスバーテイでなければ、おしえてやらん。グワァ──ッ」
やれやれと呆れつつ「俺がレギスヴァーティだ」と答えてやる。
すると禿鷲は「ふぐふぐ」と鼻を鳴らして頷く。
「よぅし、よし、ではついてこい、グワァ──ッ! こっちだ、ハゲ、ハァ──ゲッ!」
そう言って飛び立った禿鷲のあとを追いながら、「ハゲはてめえだろ……」と心の中で呟く。
広大な乾燥した土地を駆け抜けて行く。──不思議と疲れは感じない、それに匂いや感触などもあまり感じないらしい、感覚がぼんやりしているのは夢の中に似た感じだ。
途中で亡者を見かけたが、その目の前で走っていても怪しまれなかった。「あいつ走っているぞ! 人間だな!」などと言われたら、速攻で魔剣を脳天に食らわせていただろうが。
亡者たちは度々見かけたが、土気色の痩せ細った身体の奴が、うろうろとそこら辺を歩き回っているか、地面に突っ伏してぴくりとも動かない──そんな奴ばかりだ。近くを通る時に亡者の顔を見たが、目が潰れているのか眼球は無く、空洞がぽっかりと空いているだけであった。
しばらく走っていると(かなりの速度で走っていたが全然疲れない)禿鷲の飛ぶ先に、灰色の大きな建物が見えてきた。隆起した地面に隠れて見えなかったが、かなり大きな宮殿に似た建物が聳え建っている。
建物の手前の岩場の陰に禿鷲が舞い降りてくるりと、こちらを振り向いた。バカみたいに頭をきょろきょろと動かしながら、鋭利に曲がった嘴をぱくぱくと動かして、何か喋ろうとしている。
「グワァ──ッ! ついた、ついた、あのなか、きんいろのけっ、けっしょう。とってこい、はげぇ……は──ゲッ!」
この口の悪い──あるいは挨拶なのかもしれない──禿鷲の案内は、ここまでのようだ。
「そうか、ご苦労さん。ハゲ」
俺が言うと禿鷲は大きく頭を上下に動かしながら、その場で飛び跳ねる。
「あのなか、きっ、きけん。ばんにん──に、みつかるな、たてもののにっ、にかいにあるぅ……きんいろ、もってここ、にもどれ、わかったか! グワァ──ッ、は、は、はっ、ハ──ゲ!」
「ああ、分かったよハゲ」
もはや語尾だと思う事にした。言いたい事を言い終えた禿鷲は、羽を啄んで羽繕いを始める。
巨大な石壁を前にすると、そのとてつもない高さに圧倒される。とてもじゃないが、これを登って行く事は不可能だ。巨大な石組みの壁には、人の指を掛ける場所がなく、石の大きさは一つで、人間の住む屋敷が掘り出せそうなほど大きい。
入り口を求めて巨大な建物を回り込もうとすると、禿鷲からお声が掛かった。
「グワァ──ッ、そっちは、とっ、とおまわりだっ、はっ、はっ、は──げェッ!」
「ありがとよ! ハ──ゲッ!」
俺は禿鷲に礼を言って、奴の言葉に従って巨大な壁の周辺を回り込む事にした。いったいこの化け物級の大きさの建物に居る番人とはどの様なものなのか、想像すると怖いので止める事にする。
壁の角に来るまでだいぶ掛かったが、ずっと先の壁に門らしい物が見えていた、門もバカみたいに大きい。力を誇示する為だったとしてもやり過ぎだろう。開いたり閉じたりする時、どうやっているのかが気になり出してしまう。
そんな事を考えながら長い時間を使って、門の前までやって来た。ふと後ろを振り返ると禿鷲が、のろのろと歩きながらついて来ていた。帰る時に戻って来いと言っていたが、彼が冥府から帰還させてくれるのだろうか。
門の前には誰も居ない、門は開け放たれていて門番も居なかった。
振り返ると門から離れた所にある岩陰に禿鷲は隠れていて、こちらを心配そうに(?)見つめている。
大きく開いた門扉は壁の内側に向かって開かれていて、鈍い色を放つ金属の巨大な鉄板が張られた、何とも頑丈そうな物であった。門扉を支えながら開く為の溝が敷いてあり、その溝を飛び越えねばならなかった。扉の下に付いている棒が、その溝に嵌まっていて安定させているのだろうが、幅三メートルはあろうかという溝が三本もあるのだ。
俺は駆け出すと一本目を飛び越え、二本目に行く前に頭巾をしっかりと押さえて飛び、三本目の溝も飛び越えて壁の内側に入り込む事ができた。飛び越えてから気づいたが、真ん中辺りを歩けば飛び越える必要はなかったんじゃないか……まあ、その真ん中に行くまでの時間が惜しいのだが。
壁の内側には庭があった、庭と言っても芝生に似た物と、雑草が生えただけの広い場所というだけだったが、そこには数匹の巨大な黒い犬が寝込んでいた。
かなり離れた場所で眠っているが、匂いに反応して起きたりしない事を祈りつつ、建物の方へと向かう。
建物までかなりの距離がある、灰色の巨大な柱が数本聳え建ち、玄関先の天井を支えている。大きな柱の陰に入り込んだ時に嫌な物が見えた、庭に居た巨大な犬が一匹、のっそりとした動きで立ち上がったのだ。
かなり離れた位置に居たが、柱の陰に隠れてやり過ごすか、見つかるのを覚悟して建物の方へ向かうか──それが問題だった。
建物の入り口も開放されていて、石造りの床や壁が見えている。
行こう!
俺は建物の中に向かって駆け出した。犬の姿を見ると、ぼうっと立って、のそのそと歩き始めたところだ、こちらの動きには気づいていない様子だ。巨大な犬は十メートル以上の高さの所に頭がある──それほどの大きさがあるのだ。あれと戦う事などできない。
二本目の柱の陰に入ると、そこで立ち止まった。庭の方から凄まじい足音が聞こえてきたからだ。俺は柱の陰に隠れながら、足音を立てないように気を張りつつ隠れる場所を探す。──柱の装飾の下に溝があり、そこに入り込むと、じっと息を潜める。
「どかかかっ」と犬の爪が石床を踏んだ音が聞こえてきた、黒い犬は辺りを探しているらしく、立ち止まって動かない。
匂いで気づかれませんように……と、俺は祈る思いで隠れていた。犬はくんくんと床の匂いを嗅いで侵入者を探そうとしたが、鼻では何も感じられなかったらしい。すっと頭を上げると、柱の間を歩きながら、侵入者の姿を探し求める。
大きな脚が石床の上をのっし、のっしと歩き回り、しばらくするとゆっくりとした動作で振り向いて、庭の方へ向かって歩き出した。
俺は床にへばりついたまま、ほっと胸を撫で下ろした気分になる。
今度は慎重に柱の隙間から辺りの様子を窺い、去って行く犬や他の犬の姿を確認して、こちらを見ていない事を確認すると、建物の中へ向かって足音を殺しながら走り出した。
「鋭利に曲がった」という表現はいかがな物かと思ったのですが──「鋭利に尖った」では平凡ですので、敢えて──実際写真で見た禿鷲の嘴を見た時に、その様に感じたのでこう書きました。ご意見をいただけるとありがたいです。