野営と強襲
王都ベギルナまでまだ数十キロは離れているが、街道の脇にある広々とした場所で野営をする事になった。
曇り空だったが薄雲の上に金色の月が輝く夜。
あくまで冒険者を装っての移動。
俺たちは街道を外れた場所に天幕を張り、馬を木に繋ぐ。食事や天幕の準備は冒険者の格好をした私兵がやってくれた。
アゼルの私兵は高い士気と忠誠心にあふれていた。主を守らんとする気概は自分の肉親や伴侶を守るのと同じか、それ以上の役割を負っていると認識しているのだ。
頼みにできる、信頼を預けられる領主がどれほどありがたいか。それを理解している彼らは、自らの命をも惜しまない覚悟でいるらしかった。
俺がアゼルの「盟友」であると考えたらしい彼らは、必要以上に俺に畏まるので正直息苦しいのだが……
私兵の中にはまだ年若い騎士見習いや、傭兵上がりの男も居た。こうした奴らは領主に恩義を感じてはいるが、まだまだ自らの命運をアゼルに預けるとまではいっていない様子で、忠誠心にあふれる私兵との距離があるのが目に見えた。
「よし、では見張りを交代でおこなうようにしよう」
すでに野営場所の周辺に結界を張り安全を確保しているが、見張りを立てるのが基本だ。
最初の見張りは俺とアゼル、二人の私兵が警戒に当たった。
焚き火を焚いてその周りで雑談をしていると、俺の視界の隅に白い影が映った。焚き火の炎の揺らぎかと思ったが、隣に居た若い兵士が剣の柄に手をかけた。
「何者かが居ます」
そう言って立ち上がろうとする若者を抑える。
俺も焚き火の炎を避けて、夜闇に浮かぶ白い影を見つめなおす。
「……女?」
その女は周辺をきょろきょろと見回している。
待ち合わせ場所に来たのだが、目当ての人物が見つからないとでもいうように。
「迷ったんでしょうか? どれ……」
中年男の私兵が立ち上がる。
「よせ、関わるな」
俺はその女から感じる違和感と、こんな夜中に私服姿で彷徨く女の異常さを訴えたが、私兵はその女の方をちらちらと見て「いや、しかし……」と、言葉を詰まらせる。
「やはり放ってはおけんでしょう」
アゼルは俺の言葉を受けて警戒しているようで、剣を手元に引き寄せていた。
俺も剣を手に立ち上がり、私兵が歩いて行くその先、暗闇に浮かぶ女を観察した。生命探知にも反応するが──なにかがおかしい。
その女は結界の外に居てうろうろと左右に歩いては、また辺りをきょろきょろと探している。
(解析しても人間の反応だが……?)
ふと、女の行動の不自然さに考えを巡らせると、あれは「囮」なのではないかと疑った。
周辺に対する索敵を疎かにしていたので、女とは反対方向に生命探知や魔力探知を掛けると──
「まてっ! 結界の外に出るんじゃない!」
俺は私兵の男に呼びかけたが一歩遅かった。
男は女に声をかけ、近くまで行こうとして腕を伸ばし──その腕を女に掴まれた。
結界の内側に居る男と外側に居る女。
俺には「ばりんっ」という音が聞こえた。
結界が破られたのだ。
「敵襲! 全員起きろ‼」
俺は魔剣を引き抜きながら大声をあげる。
結界の狭間に立った男がこちらを振り向く。
「その女は人間じゃない!」
俺の言葉を受けてやっと殺意に感づいたらしい男は、女に掴まれた腕をふりほどきながら後方へ跳ぶ。
その動きは頭の愚鈍さよりはいくぶんか速く、鋭く尖った爪の攻撃を避けていた。後ろに下がっていなければ喉を掻き切られていただろう。
「くそっ!」
男は憤怒の声をあげ、剣を抜き放って斬りつけたが、相手の白い衣服を着た女はひらりと後方に逃れる。
「いったい何者だ?」
アゼルは落ち着いた声で尋ねてくる。周囲の天幕から次々に武装した私兵が現れ、主君を守ろうとアゼルを取り囲む。
「『夜に徘徊する者』だ」
「なに? ガーフィドなら私も何度も戦っているが、あそこまで人間に近い姿をしてはいないぞ」
「俺はある街で奴が人間に化けて街の中で生活していたのを討伐した事がある。奴らも生き残る為に進化しているんじゃないか?」
「笑えない冗談だ」アゼルはそう吐き捨て剣を構える。
周囲に敵対的な反応がある。明らかに俺たちを包囲しているのだ。
結界があるので入れなかったが、内側から人を連れ出し結界の狭間に立たせる事で、結界を破る起点にしたのだ。──この「夜に徘徊する者」たちを指揮している者が居るのは間違いない。
「全部で──おそらく八体のガーフィドに囲まれている」
俺はそう言いながら魔法を使い、周囲に三つの灯明を放つ。
暗闇を照らし出す魔法の光の中に灰色の肌をした人型の魔物の姿が見えた。
「グォギャゥアァァッ‼」
一斉に咆哮して襲いかかってきた化け物ども。
「ライエス様をお守りしろ!」
鋭い指揮の声があがる。
四名の優れた忠誠心を持つ連中が主の前で気を張る。
女に化けていた夜に徘徊する者も正体を現し、男が挑みかかろうとしているので、下がるように言う。
俺は慎重に敵の動きを見ながら、接近して来たところに飛び出して反撃した。
闇を切り裂く一閃。
飛びかかって来た灰色の魔物が上半身と下半身に分かれ、地面に転がった。
青い鮮血を撒き散らす。
続けてそばに迫って来た奴の首を叩き斬る。
すると遠くから魔法による攻撃が放たれたのが見えた。三発の魔法の矢に、きらりと光るなにかが見えた。
「ふんっ」
反射魔法を重ねた魔晶盾を使って弾く。
鋭く飛んできた魔法の矢が離れた地面に突き刺さったが、攻撃してきた奴は逃げ去ったらしい。
辺りを見回すと決着はもうついていた。
私兵の連中は士気だけでなくなかなかに手練れが多いようで、ほとんどの敵を一撃で葬っていた。
「見事ですね」
私兵の一人が俺にそう言って頷く。
「あんたもな」
一人で二体を倒したのは俺とその男だけだ。
アゼルは出番もなく、綺麗なままの刃を鞘に戻す。
「腕を上げたなレギ。──冒険の間にどれほどの戦いの場に身を置けば、ああも強くなれるのか」
もう俺では相手にならないな、そんな風に呟く級友。
「そうだな。学生時代の俺はお前に剣を学ぶ事はあっても、教えられる事なんてなに一つなかったが、今なら色々と教えてやれるだろう」
俺はそう笑いながら言い、剣に付いた青い血液を拭う。
そうしながら今し方の敵の行動について明確な戦略があったのを思い出す。──それは明らかに魔術的な攻略の方法だった。
結界を破る為に中に居る人間を利用し、境界を通過させたのだ。ふらふらと結界の外に出て行った男は、自分が操られていた自覚などまったくないだろう。魔術的操作とは相手の無意識に働きかけるのである。
白い衣服を纏った女を視認した時に、まるで滑り込むように視覚から、見た者の無意識へと働きかける力を忍び込ませる。そうして無意識に影響した力が意識を操作してしまう。
簡単な罠(魔術)だったが、これをおこなう者は限られる。──魔術師あるいは魔女など。もしくは一定の知性を持った魔物などだ。
結界の境界を越えた者の腕を掴み、内部から結界を崩壊するよう仕組んだ。
最後、俺に向かって放たれた魔法の矢。
あれはただの魔法の矢じゃない。
魔法の矢によってえぐられた地面を調べると、そこには鏃に似た形の金属片が落ちていた。
「やはりな」
その金属片には毒が塗られ、魔法障壁を無力化するような術式が込められていた。毒を解析したがなかなかに強力な毒薬だ。──ピアネスでは手に入らない類型の物だ。いったいどこから送られて来た刺客だ?
こんな手の込んだ真似をするのは魔物ではなく人間だろう。
(まさかスキアスの雇った暗殺者……いや、まさかな)
それはないだろう。
小手先の魔法と毒の使い手とはいえ、あの愚兄に魔術師や魔法を使う暗殺者を雇う伝手も──頭も、金もない。
三拍子そろった兄上にはせいぜい、身を守る傭兵を雇い入れる事くらいしか考えがおよばないはずだ。
(となると今の刺客は……)
上位存在が送り込んだにしてはずいぶんとちゃちな手口に思える。今までの奴は異界化までして俺を殺そうとしてきた。それほどの力を持たない奴までが俺の命を狙いに来た……?
(しかし、なぜ俺の居場所が分かった?)
偶然なのだろうか──いったい、どこまでが偶然なのか。考えるほど答えが分からなくなってきた。
「どうした──平気か?」
心配したアゼルが俺の肩を掴む。
「ああ大丈夫だ」
俺は金属片を捨てると、結界を張り直すと言って辺りを歩きながら考える。
魔術師にしても「夜に徘徊する者」を使役するような、禁忌に触れる魔術師という事になる。少なくともあの魔物の主は邪神だと考えられているからだ。
(邪神崇拝者かもな)
「そんなものが未だに居るとは」そう考えたが、魔術師の秘密結社などもあるくらいだ。──いや、まさか……
「魔術師結社の連中が俺を狙って……?」
いやいや、何故会った事もない連中にいきなり命を狙われなければならんのだ。
だが──魔術師とはそういうものだ。
他人の事情など考えない。
邪神にしろ魔神にしろ──魔術師にしろ。襲ってくるなら反撃するまでだ。相手が魔術師の集団だと厄介だが、何十人も束になって襲って来る事はないだろう。
さっきみたいな魔物をけしかけてきたり、死霊を操って襲ってくる事はありそうだが。
魔術師は本来その秘匿性ゆえに個人主義で、多くの同胞と関わろうとはしないものだ。共通の目的があったとしても、互いに積極的な干渉はしないとされてきた。
ただ──昨今は、いくぶんか変化の兆しも見せている。己の技量を必要とする同業者に協力する魔術師も増えたという。
複数の魔物を使役する相手となると危険だが、「夜に徘徊する者」くらいなら問題はない。さっきの戦いだって俺ならたった一人でも切り抜ける事はできた。
結界を張り終えると俺やアゼルは役目を終え、朝まで天幕で眠る事になった。用意された毛布などにくるまりアゼルと同じ天幕で眠る。
「あれほどの数のガーフィドに襲撃されるとは。……最近各国で魔物の活動が活発化していると言われているが、ピアネスにもその影響が現れているという事かな」
横になったアゼルの口からそんな言葉が漏れた。昔から情報の価値をよく理解していた男だ。現在でも他国の情勢などについて噂話以上のものを求めて、人を送り込んだりしていても不思議じゃない。
「どうかな」
俺はそう返答したが──逃げて行った奴は、確かに魔術師らしい姿だった。
こちらの仲間の数が予想以上に多かったのを知り、逃げ出したと見るべきか。
バルグラート領に近い場所で大量の「夜に徘徊する者」が出たという話は、領主としては気になるのだろう。──街道の夜警をかなり大がかりな人数でやる必要も出る。
今日だけで八体の魔物が倒されたのだ。逆に考えれば危険を早めに取り除いたとも言える。俺はそう訴えて横になる事にした。
そして魔導師ブレラから渡された魔法の鍵に残されていた、古代の王ゼスロアについて確認してみる。
この王はどうやら、のちに女帝となるエイシュラと覇権をかけて争い、敗れたらしい。
何故このゼスロアを調べろとブレラが言ったのかはっきりとは分からないが、強大な力を持つ古き王は複雑な古代魔術を駆使する事にかけては、相当の達人であったようだ。
今はまだこの人物に関して調査する暇はないが、精神領域を探る時はゼスロアに関する情勢も集めるよう注意を払ってみようと考えた。
白い女を囮にし、隠れていた魔術師が意識下から精神を操作して操っています。
操るといっても、本人は自分の意志で行動するので、まず気づきません。近くに人家もない場所(しかも深夜)だという事にも「変だな」とも考えないようになる。これが魔術の怖いところ。




