領主の勤め。王都への出立
いくつかの伏線が語られる話。
「そうだ、それよりも」
アゼルゼストは茶碗をテーブルに置き、まっすぐに俺を見る。
「この手紙──お前の故郷に起きた領主の座の簒奪。どうするつもりだ。これは問題だぞ」
「おお、そうだった。そこでお前に紹介して欲しい人が居るんだ」
紹介? と首を傾げるアゼル。
「俺は国の中枢に知り合いが居ない。そこで、今回の問題を中央にしっかりと伝えてくれる人物を紹介して欲しい。
それと、今後エブラハ領を発展させるにあたって俺は、ベグレザとの新たな交易路を作ろうと考えている。だから今回の問題と、その後の他国との交渉をおこなう件を中央に知らせておきたい」
ほう……と、なにかを考える、真剣な表情になるアゼル。
「なんだかんだと言って、ちゃんと故郷の発展についても考えているんだな」
俺は「もちろんだ」と答えたが、それを担うのが俺だとは考えていないのだ。──兄を排除する以上、担い手は父か義母になるだろうが、正直どちらでも構わない。
ただ分かっているのは、俺が領主となってあの辺鄙な場所に留まり続ける。などという事だけは──絶対にあり得ないという事実。
ヴェンティル領の領主は紅茶を俺に勧めると、腕を組んで思案する。
俺は紅茶を飲み焼き菓子を口にした。
爽やかな香りのする香草の入った焼き菓子と、紅茶の茶葉が入った菓子。さくさくとした菓子を食べ、紅茶を飲んでいると級友は頷く。
「それでは私も『白銀城』に行こう。ちょうど向こうでこなす仕事もあるからな。コルフォス上級次官ならきっと協力してくれるはずだ」
俺は感謝の言葉を友人にかけ、手間を取らせる事を詫びた。
白銀城とはピアネスの首都ベギルナにある国王宮の事で、白亜の石と銀で飾られた城である事からそう呼ばれている。
だが噂によると最近では銀よりも金の方が豊富に使われ、良質な金山の多いピアネスの権威を示した城になっているらしい。
中央の役人にはできれば一緒にエブラハ領まで来て欲しいのだが。俺は友人にそう訴えた。それはたぶん文官を寄越すはずだとアゼルは言う。好んで田舎にまで足を運ぶ役人など居ないだろう。
下っ端の文官でも構わない。ともかく愚兄の画策した事を暴いて、それを確認できる者さえ居れば今回の事は──そんなに難しい問題ではない。
こちらにはいくつもの魔術がある。
スキアスが護衛の傭兵を雇っていようと関係ないし、力でくるならそれでも構わない。
いくらでも叩き潰してやる。
「それではさっそく中央へ向かうとしよう。今から出ると途中で野営する事になるが、たまにはそれもいだろう?」
俺はこれでもかというくらいの盛大な溜め息を吐き、「俺が冒険先で野営をしていなかったとでも思うのか」と応えてやったのである。
アゼルは高らかに笑い声を上げると、それはそうだろうなと言ってすぐに馬車と野営などの支度をしようと言って部屋を出て行く。
もちろん使用人に用意させるのだが、アゼルは念入りに私兵が身に着ける装備も冒険者風に装った衣服や防具を着けさせた。
幌を付けた荷車と数頭の騎馬を用意して出かける準備をする。数十分くらいかけそうした支度の指示を出すと、アゼルは部屋に戻って来た。
その格好は品の良い冒険者といった装いで現れたアゼル。
「さっそくだが荷車に乗って行こう。夕食は野営地で作る予定だ」
「忙しない話だな」
「おいおい、急いだ方がいいんじゃないのか」
「それもそうだ」
こちらも旅支度をして荷車に乗り込んだ。
もちろん途中の門で預けた魔剣を返してもらってから、アディゼートの街を出て西へ──中央へ向かう移動を開始する。
すでに日は傾き始めており、荷車の中で荷物の間に腰かけながら今後の予定を大まかに聞いていた俺は、アゼルがなんだか楽しそうにしていると思った。
「楽しそうだな」
俺の言葉に級友は一瞬真剣な顔をして「そうだな……」と口にした。
「なんだか学生時代を思い出す。以前もこうして休みの日に冒険者として、迷宮探索などをしたじゃないか」
今のお前の状況を考えると楽しんでいる場合じゃなかったなと言うので、俺は首を横に振った。
「苦しいのは俺の故郷の人間だろう父や義母、友人であるクーゼなどだ。だがそれも──彼らにスキアスの謀略に対処する手立てがなかった所為だ。街を追われ、奪われるだけに甘んじてはいけない。そう考えて俺に助けを求めたのだろうが、権力の問題となるとなかなか難しい。力で対応しこちらが悪者に仕立て上げられても困るしな」
「そこで文官を送り込ませる訳か。しかし、その──お前の兄からちゃんと証言が得られるものなのか? なにか策があるのか?」
ガタガタと音を立てて揺れる荷台で俺たちは顔を突き合わせながら話し合う。
「もちろんだ。──俺は魔術師だぞ。奴から義弟や愚兄ジウトーアの殺害など、簡単に吐かせてみせる」
なにをするつもりだと若干不安そうな顔をする友人。
「心配するな。どのみち愚兄は俺を殺そうとしてくるはずだ。それだけでも状況証拠になるだろ」
「毒薬か」
傭兵を使った武力でも構わないが──俺はそう呟き、それよりも王城になにか用があるのかと尋ねると。
「ああ──いや、大したものではないが、定期的に報告をしなければならないのだ。それと、お前には紹介したい人も居るしな」
などと言葉をはぐらかせる。
たぶん王城へは使いを送り出すだけでも事足りるのだ。それでもなお一緒に行くと言い出したのは、その「紹介したい人」という相手の方がアゼルにとっては重要なのだろうと思われた。
そのあとも俺たちは荷台の中で話し続け、ベネシアンの街から南西に向かって街道を進み。ベネシアンとベイケン村の間にあった峡谷を避け、南にあるラビスの町に着いた。
「ここで宿を借りてもいいのだがな」
外はまだ夕暮れに指しかかる頃だ。
今日中に王都「ベギルナ」に近づいておきたいとアゼルは言う。
ラビスの町は俺の故郷と似た匂いのする小さな町だった。
手押し車に野菜を乗せて運ぶ農民や、山羊に小さな荷車を引かせる者など。ただ──身なりは俺の故郷に居た人々よりは恵まれているが。
これから寒くなる季節だ。愚兄の横暴が続けば今まで以上に餓死者や凍死する者が増えるかもしれない。
「責任重大だな領主って奴は」
荷台から通り過ぎて行く町並みを見ながら俺はそう呟いていた。
「それはそうだ。貴族には貴族の義務というものがある」
アゼルの言葉に頷きながら、この男と愚兄とでは話にならないだろうと考える。
水と油では済まない。
毒と香油か。
その思いつきに笑ってしまう。
友は不思議そうにこちらを見たが、俺の故郷について聞きたがり、スキアスを排除できたとしてこれからどうするつもりなのかと、かなり真剣な様子で訴えてくる。
「──そうだな、まずは父の状態を知らないとなんとも言えんが。父と義母に領地は任せようと思う。それに俺の友人は商家だ。経済の事も多少は学んでいる。あいつを頼ろうと思っているよ」
商人か……と思案を始めるアゼルゼスト。
信頼できる相手なのかと考えているのだろう。
「まあ、なるようにしかならんさ。悪辣な奴が領主の座に収まり、それに反発した市民がどうするか。それは最近ベグレザで起きた事を見れば自ずと分かるというもの」
「市民の反乱か──しかしあちらは、いくつもの領主が国王を相手にした本当の内乱だが」
俺は過ぎ去る町の風景を遠くに見ながら、友人の疑問に答えた。
「そうだな。しかしそれは規模の問題に過ぎない。一家族が野盗に襲われ、ただ黙って相手の要求に従うか、それとも抵抗するか。それをより大きくすれば領主と領民の問題に。そんなものだ──人の世は」
自分の財産や身の安全を考えてどう行動するか。小さな事から大きな、より大勢の人間が関わる問題へ。そうなったとしても基本的な問題は変わらない。
個人がどれだけ自らの損害を覚悟して行動を起こせるか。
危険を怖れずに行動に移さないとなにも手に入らないものだ。つまらない誇りや迷いを捨て、本当に大切な未来の為に命を投げ捨てるつもりで行動できるか。
それは己の未来だけではなく周囲の人間や、自分の子供をも巻き込んだ未来の為の行動。
人間の世界は本質的に矛盾に満ちている。
詭弁や偽善では守れないものがある。
今まで大切にしてきたものを捨ててでも、自らの望む未来の為に、己の未来を天秤にかけるのである。
でなければ戦いにすらならない。
個人や集団が望む自由を求める為に、大きな敵と戦わなければならない時がある。それすら知らずに生き、死ぬ者は──果たして幸福と言えるのだろうか。
己の手で勝ち取らぬ未来になんらかの価値があるのか?
生まれもっていただけの偽りの世界で、なにも考えずにただ日々を生き、朽ちて死んで逝く……
魔術師には──そうなろうと決めた本当の魔術師には──そんな人生はあり得ない。
魔術の本懐は自らを知り、制御し、支配する事。
それを以て世界に挑み、世界の真理を探究する。
そこにはさらなる己の真理が、深淵があるはずなのだ。
魔術の──魔導の究極とはそこにある
世界の誕生。人間の意識や魂の誕生。その根源。
そこにある力こそ、真理こそ。神の世界へと届く究極の道なのだ。
「おい、どうした?」
声をかけられ自分が深い沈思に入り、無意識に魔術の門に干渉していた事に気づいた。
自分の無意識下におこなわれている魔術的な取り組みを分析し、より精度の高い解析をしようと取り組んでいたのだ。
「いや……なんでもない」
級友は訝しんでいるようだった。
「なんというか……変わったな。見た目だけでなく中身も。宮廷魔導師に会ったがその人物もときおり黙りこくって、自分の内面に意識を集中するようなところがあった」
アゼルゼストは魔導技術学校を卒業したあとすぐ、士官学校にも入ったという。
そこを首席で卒業したあとに、白銀城に囲われている魔導師の老人と会ったらしい。
「私が士官学校と魔導技術学校の二つを卒業した事を知って興味を持たれたらしいんだが。会ってみると私は彼の期待を裏切ってしまったようだ」
おそらくその魔導師はアゼルを類まれな才能の持ち主だと考え、魔術の門を開くような相手だと期待して呼びつけたのだ。
だが級友は──才能よりも努力の人だった。それを知った魔導師はアゼルに対して興味を失い、沈思を始めたという。
「そうだな。俺も魔導師に匹敵するなにかを手に入れているかもしれないな」
俺は曖昧に返答し、夕暮れが近づき暗くなり始めた荷車の中で、友人の士官学校での体験について尋ね。国を守る騎士であり領主となった友人の成長を頼もしく思うのだった。




