級友たちの思い出
レギの学生時代を中心にした、貴族社会に対する想い。
辺境で生まれ育ち、周囲の子供とは違った地位にあった少年の気持ちとは。
「そろそろ私は去るとしよう」
そう言いながら立ち上がったブレラ。
少年の体を持った魔導師は、これからの事について漠然とした目標を語った。
「私は転生するにしても、この世界に生まれ変わるかは分からない。もしかすると、別の──上位の領域へ踏み入れるものなら、そちらへ行くだろう。まだどうなるか私自身にも分からないが」
彼は朝日が館の屋根を照らし出す頃に、この館から去って行った。──幼い顔に印象的な笑みを浮かべながら。
さながら厭世の気分に取りつかれた少年が、新たな希望を見出だす為に、危険な賭け事に挑もうとするかのような、そんな自虐的な笑みに見えた。
死んだはずの少年の体を使い、この世に留まっている魔導師は今後の命運を、ある意味で世界に丸投げしているようだった。それは自分の力でどうにかなるものなら、それに真正面から取り組むが、どうにもならない場合もあるだろうと、達観した哲学者にも似た表情をする。
日の当たる場所もあれば、日の当たらぬ場所もあるのだと──彼はそう残し、森の中を抜ける道を進んで行ったのである。
異端の魔導師と別れたあとも、俺はまったく眠気を感じなかった。久し振りにおこなった魔導談義に花が咲き、むしろ精神的に充実した感じすらする。
「おっと、こうしてはいられない」
故郷へ戻る前に、寄る所もあるのだ。
その前に──俺は魔法の鍵を使って、魔導人形と魔法生命体に庭に集まるよう指示を出す。
俺はその間にブレラから譲り受けたこの鍵を使って、この館(の魔術領域)にある魔法や錬金術、死霊術などを読み解いていく。
夢幻の中に浮遊する力や技術。呪文や紋様、魔法陣や術式を表した図画を探る。
膨大な量の情報を整理しつつ、必要なものを自分の魔術領域に写していく作業。
魔導師ブレラは多くの技術をこの拠点に残していた。ゼスロアについての情報も閲覧しておく。
これらを精査し、一風変わった死霊術や錬金術についての技法を獲得し、さらに魔導人形についての情報も得た。
(この技術があれば魔導人形も造り出せるし、不死者の魔神ヴァルギルディムトから受け取った、鳥の骨を使った「伝書鳥」を生み出す事もできそうだ)
目を閉じて新たな力を整理していると、庭に三体の魔導人形と二体の魔法生命体がやって来て、俺の指示を待って立ち尽くしていた。
俺は少し考えてから魔導人形と魔法生命体に、この館を守るよう──改めて、この館の主人として命令を与えた。
「了解しました」
「うん、よろしく頼む。またそのうちここに来ると思うが、俺が死んでしまった時の為に魔法の鍵を置いていく。──複製はこちらで持っているから安心しろ。万が一の時、君らは新しい主人を迎えるなり、好きにするといい」
そう告げられた魔法生命体は困った顔をし、魔法の鍵を受け取った魔導人形たちは、揃った動きでお辞儀する。
「俺は急いで出立しなければならない。──また会おう」
そう言って魔導師の館をあとにする。
高い知性を持つ魔法生命体は、まるで泣きそうな顔をして俺を見送っていた。
頭の中の地図を見て、ここがピアネスの北に位置する海側の近くにある山の麓にあると知った。
横に長いピアネスの領土の真ん中あたりにあり、西から北西に向かえばフィエジア国に隣接する、その森の中に造られた館だと知ると、俺は南に向かって進む事に決めた。
あまり貴族にも、級友にも会いたくないのだが──致し方ない。
故郷で起こった問題を解決するには、中央(国)の判断も必要になる。勝手に事を起こして、こちらが反乱分子として捕らえられては堪らない。愚兄のやった事に慎重に対処すべきだ。
毒殺の証拠を押さえられれば、兄の謀略を明らかにし、領主の座を奪った者として処罰できるだろう。
そんな風に考えながら──森を抜けた先にある村に行っても、別の町に向かう荷車などはつかまらないかもしれないと思い直す。俺は森の中を抜ける道を通らずに、斜めに森を──道なき道を──強引に抜けて、南東にある町に直接向かう事にした。
ピアネスの気温はルシュタールよりも少し肌寒く感じる。
森の中はしんと静まり、じっとりとした鼻につく匂いがする。果実の腐った甘酸っぱい匂い。枯れ葉が堆積する鄙びた匂い。
動物の気配も、匂いもする。
鹿や羊だろう。森の中にある草地のそばに小さな糞が落ちていた。
ぶなや櫟などの多い森。
木の枝を駆ける小さな影。
栗鼠が鳴き声を上げてこちらを見下ろしている。
「チチッ、チチチッ」
木の幹を駆け上がる栗鼠と並び、枝の上で俺が通り過ぎるのを待っているようだ。
湿った地面を踏み、枯れ葉の重なった場所を通る。──木の根っこを跨いで木々の間を抜けて行く。
なんだかんだで俺は急いでいた。
故郷の友人。街を追われた友人や家族。
いったいこれからどうなる事やら。力で解決できるなら、それは得意とするところだ。相手が武力で対抗するというのなら、こちらは剣技と魔法で叩き潰してやる。
町中で魔法を使うのは御法度だが、相手が武器を持って攻撃してくるというのなら、遠慮はいらない。──ましてや簒奪者などに。
だが──あの愚兄の事だ。
どうせ単純な手段で俺を排除しようとするに決まっている。あいつが数年で成長し、数々の手練手管を用意している訳がない。
自分から学ぶ事をしない奴が、学問や文明とは切り離された場所で独自の考えを持つなど、そんなのはただの独り善がりな思い込みでしかない。
自身の馬鹿さ加減を隠すくらいしか学んでこなかった奴が知性に目覚めるなど、そんな事は起こり得ないのだ。
学問の徒が集まる学び舎ですら、愚かな生徒が居たくらいだ。懐古的な思想に縋るしかない連中は、成長する事を止めた子供と同じ。
学校に入った。卒業した。そういった肩書きだけが欲しい奴も居るのだろう。
「くだらない」
実際的な力にならない知識よりも、まったく無価値な肩書き。そんなものになんの意味があるのか。衣服だけ貴族的な乞食など、物笑いの種でしかない。
教養は個人の精神的な成長を促すが、それが内的な力とならなければ、そんなものはただの知識でしかない。
信仰心もないくせに宗教的な儀式や、祈りの言葉を真似しているだけでは、なんの影響も受けていないのだ。
栄養のある物を食べていても、それを消化せずに体外に排出してしまえば、それは栄養を垂れ流しているのと同じ。口から入れて、尻から出すだけの作業でしかない。まったくの無意味。
肩書きだけあって実力が無いのなら、それは経歴詐称だ。そんな虚しい愚か者を相手にするほど、時間を無駄にする事はない。
信仰心にしても忠誠心にしても、それが確固たるものになれば心を強くする事はあるが、上辺だけ真似てもなんにもならないのだ。
実質的な力や経験にならない知識や肩書きなどに意味はない。「俺は○○を持っているんだぞ」と悦に浸って喜ぶくらいか。
ピアネスにこんな言葉がある。
「醜女でも化粧をすれば、多少は見られるようになる」
どんな不細工でも化粧で誤魔化せばいい、本質的には変わらないが。という意味だ。
本質的な力が備わっていないと、魔術師としては三流でしかない。
そういえば戦士ギルドでも「素人に名剣」という言葉が言われている。
素人程度の技術しかない奴に名品を使わせても無駄が多い、とか。その武器に頼るような半端者にしかならなくなる、とかいう訓辞らしい。
技術に見合わない物を持たせるな、という諺は多い。どこの国の言葉か知らないが、「武装将軍」などというのを聞いた。
身に着けている物は立派だが、中身が伴っていない。という意味の言葉だ。これにはいくつかの変種があり、「装飾美人」とか「外見職人」とかいう言葉で、中身の意味はどれも同じ。
見た目だけでは意味がない。
中身が伴わなければ、そんなものに意味はないのだ。
これから向かうピアネスの東方。
俺がいま向かっているのは東から二つくらい手前にある領だが。
東の国境沿いにある領地を治める領主の子息。そいつはまさに「外見だけ」あるいは「肩書きだけ」の奴だった。
ピアネス国の四大貴族の一つであるプリビス家の子息にべったりだった腰巾着。
権力者に追従し、貴族的世界がこの世のすべてだと考え、その価値観を他人にも押しつけるだけの男。
自分の生まれ(血筋)だけが唯一の拠り所、それだけの存在。自尊心が家柄に関する事柄しかない。──それゆえに奴の妬みや自己否定の感情が芽生え、それでいつもイライラしていた。
奴の自己否定はまさにその血筋に由来し、奴の価値観や考え方そのものが矛盾を生み出すのだ。
当然だろう。奴の家系は俺のような下級貴族よりは遥かにマシだが、せいぜい中級くらいの領主でしかなく、プリビス家やライエス家には遠くおよばないのだから。
つまり奴のいらつきの原因は、家系がすべてと考えながら、その家柄は最高のものではなく、控え目に見ても中級止まりのだという、覆しようのない現実にあった。
しかしそれならば、自分の力で功名を上げるなどして、家を栄えさせればいいだけの話だ。──だが奴にはそんな気概がない、考えがない。
自分を成長させ、貴族としての地位を高めようともできないのだ。勉強する過程で、他の貴族や──まして、下級貴族におくれを取りたくない、という恐れを抱くばかりで。
それで奴はどうしたか。
奴が熱心に取り組んだ事は、自分を成長させる事から逃げ、俺のような下級貴族や庶民出の生徒を侮辱し、軽蔑する事。同級生の足を引っ張り、自分より上にいくのを認めない事だった。
──それでなにが変わるだろう? 奴が中級貴族出の、貴族社会制度を誇るだけの、ただの無能な愚か者である事実は、なにも変わらないのだ。
何故こんな奴の事を思い出しているのか、自分でも不思議に思ったが──似ているのだ。俺の愚兄と、こいつは……
自分に誇れるものがない奴は、なんとか自分の弱さ(未熟さ)から目を背ける為、自分より弱い奴を生み出そうと必死になる。
こうした精神性は自分より強い者。賢い者。有力とされる者を嫉妬し、憎む。それで相手の足を引っ張ろうと躍起になる。──まさに碌でもない愚か者の出来上がりだ。
己を認められず、成長もさせられず、自分から逃げ出した小心者の末路。
「哀れな男、スタルム家のアボッツ。学校に居た頃、俺は奴を相手にしていなかったが、それは愚兄を思い出すからだったのかもしれないな」
いまさらながら、そんな符合に思い当たるとは。
アボッツは、俺に反則をしてまで実技試験で勝とうとした生徒であり、その反則行為を見抜いた位の高い貴族が、それを告発したのだが──。その位の高い貴族というのが、これから会いに行こうとしている男なのだ。
ライエス家のアゼルゼスト。
あいつはどういう訳か俺を気に入り、ルディナスと共に、剣や魔法の訓練に付き合わされたものだった。
身分の違いを気にしない気さくな男であり、器量もある。──まさに理想的な貴族の嫡男という感じの男。
アゼルゼストは、たびたびプリビス家の次男坊ギルデンに絡まれたが、やんわりとその敵愾心を躱していたものだ。
プリビス家の次男坊もいけ好かない奴だったが、少なくとも貴族としての矜持と共に、国家への忠誠くらいは持っている男だった。周りに侍らせている腰巾着は碌でもない連中ばかりだったが。
ライエス家のアゼル──あの男は気の良い男であったし、権力や財力などを笠に着ない性格だったが、家督を継ぐ立場にある者が、昔と変わらぬままであれば良いのだが──
俺の愚兄とは違うと思いながらも、数年会っていない級友を訪れるというのは──奇妙な事に、妙な不安を感じるものだった。
アボッツの話は第33部分(第二章の最後)に書かれている事件です。
ライエス家のアゼルゼストと共に、アボッツは何度か話の中に登場します。




