ブレラの館、出会う少年
幸いと言うべきか、倉庫の入り口が開いていた。船から降ろされた荷物を受け入れ、保管する場所。──そこには誰も居なかった。
「よし」
倉庫の奥にある、木箱が重ねられた場所の陰に移動すると、そこで魔法に集中する。──初めて使う魔法だ。慎重に術式を展開し、魔法を発動する呪文を唱える。
「イグルトァ、バゼム、アディェヴァス、ハークト、虚空の臨界、隠された密儀、永久にありて時空を翔ける、狭間を飛翔し、虚空を飛翔し、印された時の環に、始まりと終わりを刻め、久遠の闇に光を照らせ、アークェィワス、エデュィ、ファギェム『転移の扉』」
目的の場所に刻んだ印が意識を繋げる。
その場所の映像が頭の中に広がる。
体が急に軽くなり、頭の上に開いた空間に吸い込まれるような感覚。
音も視界も一瞬で消え去り、今度は急激に体が重くなった。
「うぉおぉっ⁉」
グラグラと足下が揺れた気がしたが、それは気の所為だったらしい。
俺は浮遊状態から地面に着地して、感覚を取り戻したみたいに、別の体に飛ばされたみたいに感じた。
転移の影響か、膨大な魔力を消費した影響か、頭がぐらつく。船酔いみたいに気分も悪い。視界が揺れ、物が二重に見える。
(うげぇ……転移は──反動がきついな)
ぐったりと前屈みになった俺は、膝に手をついて上半身を起こす。
「ふう……」
だいぶ落ち着いてきた。
周囲を見回すと、そこは異端の魔導師と言われたブレラの館。──もう俺の館のはずだが、あまり実感がない。
庭の様子など、手入れが行き届いている。この館に住む魔法生命体などが活動しているのだ。
館に近づき、扉のドアノブに手をかけると、扉を開けて館の中へと入る。
「────?」
そこには子供の姿があった。
「おう、やっと来たか。館の新たな主よ」
声は子供のそれ、しかし口調や態度はまったくその見た目とそぐわない。
「申し訳ない、勝手に上がらせてもらっているぞ」
俺は肩を竦める。
俺はこの館の周囲に張られた結界をそのままに残しておいた。つまり、この館にはそう簡単に侵入できないのだ。
ここに居る子供が何者か、それは自ずと答えが導き出されるであろう。
「気にしないでいい魔導師ブレラ。それにしても、その姿はいったい?」
そう言うと、少年はにやりと大人びた笑みを浮かべる。
「さてさて、どこから話すべきか。──おそらくお主は、魔神によってここに送り込まれ、そして私の半身であった死霊の王を倒したのだろう? そこで私と、あの死霊の王の因縁を知ったと推測するが?」
俺は黙って頷く。
すると相手も頷いた。
「私も老いた肉体を捨て、新たな体を手に入れなければならなかった。そこで、死霊の王から得た転生の秘術を受け取り、それを使ってこの少年の体に自らの意識を移し替えたのだ。──この少年はすでに死んでおり、それに移し替えただけの為、私はやがて再び死を迎えるが」
転生するんじゃなかったのかと言うと、彼は手をそっと上げて説明を始めた。
「そう……だがその前に、お主に会っておきたかった。いくつか話をしたいと思ってな──それと、渡したい物もある」
彼は優しげな目で語りかけるが、その水色の目はどこか虚ろで、生気を感じない瞳だ。
「その前に、自己紹介をしておこうか。もう知っているだろうが──私はブレラ。ブレラ=ヤトゥル=ウォーガスト」
「俺はレギスヴァーティ・エーデンドレイク。会えて光栄だ、魔導師ブレラ。俺はあなたの記した書物から、一番多くを学んだ」
そう言うと、少年の顔をした彼は一瞬おどろき、大きく口を開けて笑い出した。
「はっはっはっ、そうか、そうか。なるほど──これはまさに、この出会いは必然に導かれたものと言えるな。私の残した物がお主の役に立ったというのなら、それはなによりだ」
ひとしきり笑って満足したブレラは、大きく頷く。
「レギスヴァーティ──レギよ。お主はあの魔神、暗闇の王。闇の力を司る五柱の王の一柱と会ったな? そして、その魔神に導かれて、今ここに居る──そうだろう?」
「ええ」
「私もだ」
真剣な表情で彼は口にする。
「今日この日、ここで人を待てと言われたのだ。あの魔神に」
もうあの魔神が私に会う事はないだろうと思っていた。ブレラはそう小声で、独り言のように言う。
「レギよ、気をつけるがいい。あの強大な力を持つ魔神は、なんらかの謀にお主を使っているのは間違いない。以前は私も──たぶん、その駒として利用価値があると考えたのだろう。あの魔神は私に『黒い仮面』を渡して『妖人の神』に引き合わせたのだ」
しかしブレラは、妖人の神──つまり魔神ベルニエゥロに気に入られなかったのだという。
それでも『不死者の魔神ヴァルギルディムト』を紹介され、仮面から死霊の王を喚び出す事に成功したのだ。
「おそらくだが『暗黒星の王』は、私が死霊の王を倒し、その力を取り戻すのを期待していたのだろう。だが私は、あの魔神の狙い通りに動くのを嫌い、あの魔神の計略から外れたようだ」
ふふふっと、なんとも楽しそうに含み笑いをしたブレラ。
「まあ、それはいい。ともかく私は今日、ここに来るよう言われたのだ。そして──この館を正式に譲り与えるようにと」
この館にあるものすべてを自由に使ってくれ、異端の魔導師はそう言って手を広げた。その掌に乗せた魔力結晶に魔力を注ぎ、でこぼことした形状が複雑な鍵を生み出した。鍵穴に入れる部分が、まるで星型みたいにぼこぼこと突き出ている。
「この館の魔法の鍵だ、受け取ってくれ」
「ありがとう。──しかし、あなたはこれからどうするのか」
子供の顔をしたブレラは頷き、しばらくは現世を彷徨きながら過ごし、それから転生の儀式に移ろうと思う──彼はそう説明した。
俺は魔法の鍵を受け取りながら、そうかと納得した。仮の肉体の為、霊的な体との結びつきが保てなくなるのだろう。
俺とブレラはその後も応接間で会話を続け、魔術や魔法についての知識を交換した。
魔法生命体がお茶を持って来て、かつての主人に別れを告げると、部屋を出て行った。
「そうだ。不死の──腐敗せぬ肉体を持つ娘が居ただろう。もし必要でなければ私の代わりに、彼女を土に還してやってくれるか? 彼女の霊は肉体との接点が曖昧になり、記憶の混濁や消失を始めているだろう。もはや本人の意思はないと思うが──先ほどの鍵を使えば、そうした技術についても学べるからな」よろしく頼む、と頭を下げる魔導師。
「ああ、彼女は──」
俺は死霊の侍女は魔神ヴァルギルディムトに操られ、死霊の王が居る領域に俺と共に入り込んで、そこで死霊の王に滅ぼされた事を告げた。
「むぅ、そうか──まあ、苦しみはしなかったはずだ。意識もすでに失われていただろうからな」
少年の顔をした魔導師は冷たく言い放ったが、どこか自分の悪行を悔いているような言葉に聞こえた。
水晶らしい半透明の魔法の鍵は、この館を囲む結界や、館内にある魔法の技術に関する力の象徴なのだ。そこには多くの錬金術と魔法に関する技術が秘められていると感じた。
かなり長い時間、この優れた魔導師と話をしていた。──窓から差し込む光が弱くなり、完全に暗くなって、室内に設置された携帯灯と同じ原理の明かりが灯る。
魔導師としての先達であるブレラは、上位存在の躯──光体──についても熟知しており、魔神などから手に入れた光体の断片を取り込み、そこから独自の、自分自身の躯を作ろうとしているらしい。
それは俺も同じだった。
自分の光体を持てれば上位存在とも渡り合えるし、より高度な上位の世界にだって意識を移す事ができる。
魔導師としてはそれを追究し、世界の真理に迫りたいと思うものだ。
ドアを叩く音がした。入るように声をかけると、魔導人形が現れ「食事の用意ができました」と口にする。
「ああ食事、すっかり忘れていた。食堂へ行って酒でも飲みながら話そう」
俺の言葉にブレラは頷き、食堂へ向かう。
魔法生命体の料理人は葡萄酒と、それに合う料理をいくつか作ってくれ、料理と酒を口にしながら──少年の体のブレラは紅茶を飲んでいた──また食後も話し続けた。
そうして結局、朝まで話し込んでしまった。
魔導師ブレラは古代魔術言語も獲得しており、強力な古代魔法についての独自の見解を示し、魔神や邪神とは異なる「古き神」という存在について話がおよんだ。
「古き神とは古代魔法を使う際に、力の象徴としての役割を担う上位存在であるが、これらは魔神や邪神といった存在よりも古い、この世界とは隔絶した場所に存在する『概念的』な存在であるようだ」
「魔神の発生は、神々の世界から放逐された神の一部。天使などが失墜した存在だと聞いた」
うむ、と頷く少年。
「古代魔法はそれ以前、古代帝国が誕生するよりも前から存在していただろう。その時代の断片的な記録を見ても『魔神』や『邪神』といった、人類に敵対的な上位存在に関する記録はない。むしろあの時代の上位存在は、『神』の使いを示していたと思われる」
神々から魔神などに転落する失墜が始まったのは、古代帝国の滅亡後だと考えている、と異端の魔導師は説明した。
古代帝国のあった時代でも戦いはあったが、それは人間同士の戦いだったのだろうか?
「おそらく──戦いの中心にあったものは魔法と、魔法によって創り出された存在による戦い。そうしたものが多かったのではないだろうか」
魔法によって創られた存在か、──俺が契約した古代魔法の力の根源も、その姿は「剣」そのものだった。それは象徴としての姿であり、ああいった上位存在が作り上げられた世界が、古代世界の実態なのかもしれない。
もちろん古代の魔術師たちによって「古代神」が創られた、という意味ではない。──が、それを否定する事もできないだろう。
ディナカペラに案内された「霊獣の楽園」を創った魔術師たちが居た以上、古代の魔術師たちが強大な力を持つ神の創造を果たしたかもしれないのだ。
「『古代神』は異質な神であるように思う。この世界とは異なる、別の世界の神なのではないかと、私は疑っているのだ」
……確かに、神々と魔神の関係とは違い、どうも古き神は──主体がない。まるで力の根源としてのみ存在するかのように空虚だ。
そう考えると、別の世界の神、とするのも頷ける。
「それにしても、あなたはなぜ異端と呼ばれるような真似をしたのか。俺には王宮を出る為に、わざと神職にある者たちの反感を買うような書物を書いたように思われる」
俺の言葉に頷きながら、少年はにこりと笑みを浮かべる。
「その推察は正しい。しかしなレギよ。お主も魔導の道を歩む者ならば理解しているだろう。『異端』などという言葉が『魔導』と結びつく事など、あり得ないという事を」
「ええ。魔導はあらゆる事柄に──知性にも技術にも、限界を設けないもの。望むものは高く深く、己の限界をも超えて、神の知性や領域にも踏み入る──それが魔導なのだから」
「異端の魔導師」というのは、魔導の理屈からすれば明らかに矛盾している言葉だ。これは善く、これは悪い。──などと言うのは俗人の考え。
限界を設定せず、深淵を覗き込む覚悟を持ってあらゆる禁忌を厭わず、己の命をも代価とする。それが魔導の本質。
善悪の彼岸に至らなければ、そもそも魔導ではない。
「これこれはいけない」などと限界を決めた瞬間、深淵はむしろその者を拒絶し、たやすく呑み込んでしまうだろう。己の精神を手放し、深淵の闇に投げ捨てるようなものだ。
理性も欲望も、等しく己の制御を経ていなければ、魔導の奥義に触れる事すらかなわず、精神は己以外の支配を受けてしまう。
「深淵を歩くならば深淵の魂を得なければ。魔導は神の愛を求めるのではなく、神の智を、神の力を得るのを目標にしなければ。あらゆる逸脱と制御。それこそ魔導よ」
少年の声は深い沈思に踏み入った魂の響きを持ち、俺の耳から魂に注ぎ込まれる言霊のように響いた。
こんな具合に俺たちの会話は朝まで続いた。
上位存在の世界などに関しても話は広がり、未知の事柄に対する想像や、魔法や錬金術、死霊術や転生についての話題などにも触れながら、この世界の神秘や理などを解明するかのように、一つ一つ紐解いていく。
「ところでレギは、古代の王である『ゼスロア』という人物に聞き覚えはあるだろうか?」
俺は彼の問いに「いいや」と答えた。
「ふむ……であろうな。私も過去の──前世の記憶から得た知識がなければ、この暴君の存在を知り得なかっただろう」
ブレラは続けて俺の胸元を指差す。なんの事かと考えていると、魔法の鍵をしまったのを思い出した。
「その鍵の中に、ゼスロアについての情報も残しておいた。精神世界でその男についての情報を探るのもいいだろう」
少年の姿をした魔導師はおもしろそうに破顔する。
「かなり強大な力を持っていたらしいゼスロアの事を知るのは、きっとお主の為になろう」
やや世界観の説明台詞みたいな感じが強かったかな?
けど、魔法だの神々だのの存在する異世界の話には、こうした骨格が必要なのです。
魔導(魔術)について語っている部分。彼らのような存在は、常識的な人間の範囲外にある思考を持っていないと、魔導という分野に踏み入れる事はできません。(深淵を覗き込む者は~というやつです)




