手紙の内容
宿屋に戻り、いつものように魔術の庭で作業しながら明日の準備も考える。
いったいどのような手紙が届けられるというのか。──やはり故郷からの手紙だろうか?
俺の父親はまだ死にそうにない。少なくとも最後に見た父親の記憶には、まだ四十代で病や怪我とも無縁だった。
──まあ人の命など、ちょっとしたきっかけで傾いてしまう、地盤の緩い場所に建つ塔のようなものだ。
人によってはその塔は木造で、しかも白蟻の巣穴のすぐ近くに建てられている場合もあるが。
あるいは愚兄の身になにか──?
まあそんな内容だったら「それは残念だ」と、心にもない手紙を送り返してやるだけで充分だ。
むしろ「さっさと死んどけ」と、こちらから手紙を送らないだけ人情味があるだろう。
* * * * *
朝になると早くから波止場に行き、アントワから来る船について波止場の責任者に尋ねてみた。
「アントワから来る船? 乗客を乗せて来る船は──おそらく昼頃になるだろうね」
腕章を付け、大きな鐔のある帽子を被った港の管理者が説明する。
今日は天候がいいから、早く着く可能性もあると話してくれた。
確かに好天であり、海の向こうまで見渡せる──青い海と青い空。
雲はほとんど見当たらない。
波も穏やかで、風は北東や北西から吹きつけており、運が良ければ風に乗って、船は快適な船旅をできるだろう。
それまで──昼までの時間を、港町を歩き回り、買い物を楽しみ、人々の生活ぶりを見て回った。
ここに住む人はもちろんルシュタール人が多いが、アントワ人もかなり見かける。市民の多くは朝から忙しく働きながらも、元気で朗らかで、満たされている感じがする。
町には神殿のような白い建物があり、「エィマアニュス神霊」が祀られていた。
そこに祀られているのは「海の神」であり、様々な海の幸や宝物を支配する海の王だという。
「豊かな海と沈没船を支配する……? なるほど、荒波などで沈んだ船に積まれた財宝を支配している。──という解釈か」
神殿の入り口に看板があり、そこに海の神「ペルラト」についての説明書きがあった。
ルシュタールの古い神に関する文献を読んだ事があるが、この海の神は知らなかった(南方の海の神と言えば「セドゥマー」という女神なら、本で読んだ事がある)。
やはり現地に赴くと発見がある。
神殿の中に入ると──空気がひんやりとした薄暗い空間があり、奥にある大きな像や、左右にある柱の間に、何体かの彫像が置かれている。
それらは海の神の化身を表しているらしい。
そのうちの一体は、鉄仮面を付けた半裸の男の姿。
反対側には魚の尾を持ち、人間の上半身を持つ男の姿をした像が置かれていた。
神殿の奥に向かうと、石床の上に丸い布製の敷物を敷いて、そこに胡座をかいて座り、祈っている、何人かの男女が居た。ここには椅子は無く、床に座って祈るのが標準らしい。
奥にある石像は、煌びやかな魚の鱗を張り付けたような──螺鈿細工がされた鎧を着込む、若い戦士の姿で表され、手には矛を持っていた。
頭に輝く銀色の王冠。そうした装飾品には宝石がちりばめられ、なかなかに豪勢な造りをした石像だ。
船乗りたちを中心に崇められているらしく、この町の領主も神殿を飾るのに貢献した事が記されている。
残念ながら魔術や魔法に関係する、象徴的な絵画や石像、文言はなかった。こうした神殿の壁画などには、神話などを介して語られる魔術的な祝詞などが残されている場合があるのだが。
俺はいくぶんがっかりして神殿をあとにし、町中の散策で時間を潰しながらアントワから船が来るのを待った。
茶色い船体に黒い線が引かれた船が、波止場に入って停船した。
海に突き出た二本の波止場。中型の船から纜が投げられ、それを係留柱に巻き付ける。梯子段が架けられると、船員の一人が紙を貼り付けた板を手に、下船する客の確認をおこなう準備をして待っている。
「すまない、今回の客に手紙配達人は居るだろうか?」
急に声をかけられて、乗客案内をする男は焦っていたが、俺の身なりをじろじろと観察すると「客の仕事までは聞いておりませんがね。まあ──ぱっと見、それらしい人が一人だけ居ました」
それは冒険者風の身なりをして、体格のいい男だろうと予想した。配達人はたった一人で各地を歩くような、それでいて届ける相手を追跡し、人脈も持っているような人間がなる仕事だ。
体力や腕っ節だけでなく、時には頭も働かせなければならないのだ。決まった家に物を届けるのではなく、各地を放浪する冒険者に手紙を届ける場合、それなりの配達人を雇う為、料金は高額になるのを思い出す。
(む……そう考えると、貴族の連中──エインシュナーク時代の学友の線が濃厚……?)
腕を組み考えていると、船員が声を上げた。
「ほら、あの人です。おそらくあの人が『配達人』だと睨んでいるんですがね」
船から降りてくる男──確かにそれっぽい。
先に降りてきた人たちは観光目的か、商売人という身なりで、冒険者っぽい人間はまだ見ていなかった。
「なるほど、確かに」
でしょう? と男は言って、配達人ぽい男の名前を確認して紙に印を付けた。
俺はその男に近づき、手紙を配達している人かと尋ねる。
「何故わかった」
男は驚いた様子で警戒した。
四十代後半の、体格のいい男は鋭い視線でこちらを見てくる。
「ええ、実は知り合いの占い師から忠告を受けましてね。今日ここに、俺宛ての手紙が届くと」
「なに?」
眉を顰める男。その顔には「信じられない」と書いてある。──まあそれはそうだろう。
「あなたが探している相手は、レギスヴァーティという男ではないですか?」
そう言うと、男ははっきりと驚愕した表情をする。
「うむ──確かにその男を探しているが」
「それは俺ですよ」
そう言いながら赤い印章を取り出し、そこに刻まれた名前を見せる。
「なるほど。しかし、俺がギルドに聞いた話だと、レギスヴァーティは鉄階級だったはずだが」
「ええ、ここルシュタールの戦士ギルドで昇級しまして」
そう説明すると男は肩を竦めて、背負った背嚢から平たい木箱を取り出した。
「まさかそっちから手紙を受け取りに来るとはな。そんなこと、長い間この仕事をしているが、はじめてだぞ」
そう言いながら木箱を開け、封筒を取り出す。
その封筒を受け取って差出人を見た。
──「クーゼ・ドゥアマ」と書かれている。
まさか故郷の親友からの手紙とは……! その名前を確認した途端、嫌な予感が腹の底からじゅくじゅくと、不快な音を立てて染み出してきた気がした。
「今回の配達は、はじめて尽くしだ」
そんな事を恨めしそうに言いながら、受け取り証明書に名前を書くよう訴える配達人。
「へえ? それはどんな?」俺は汚らしい羊皮紙に署名をしながら尋ねる。
すると男は、ピアネスの最西端から俺を追跡するのに、戦士ギルドを手当たりしだいに辿り、最も新しい滞在地から追跡したが──
「急にあんたの足取りが追えなくなった、それも二度も。人脈を使って各地から情報を取り寄せたら、いつの間にかシン国のギルドにいやがるし、いったいどこの経路を辿れば、そんな移動になるんだ?」
ああ……そうか。俺は魔神ベルニエゥロの配下連れられて、幽世を通って移動したり、禁忌の土地を通過したりしたから、街道を通らずに移動したのだった。
そうした話を聞きながら、男が差し出した朱肉を使い、赤鉄印章を使って羊皮紙に捺印を押す。
「それは申し訳ない。だがまあ──その甲斐あって、あなたはおまけの報酬を得られるのだから良しとしてほしい」
「なに?」
俺は革財布からルートベリア銀貨を取り出してそれを男に差し出す。──本来は、送り主からの報酬だけ(証明書をギルドに出して、残りの報酬をもらえる)だが、彼の労力に対して俺からも報酬を与える事にした。
「ぉおっ、銀貨をくれるのか。そりゃありがたいねぇ」
「それで酒でも飲んでいくといい」
男はすぐに上機嫌になり、感謝の言葉を口にしながら歩き去って行く。
俺は係留柱に腰かけると、手紙の封を切り、中の紙を取り出す。
「旅先での親友からの手紙で、こんなにも嫌な感じを受けるとはな」
手にした紙を持ったまま溜め息を吐き、覚悟を決めるとその中身に目を通す。
そこには予想だにしない内容が書かれていた。
{親愛なる友、レギへ。
すぐにエブラハ領へ帰って来てくれ。
領主のケルンヒルトが病に臥し、おまえの兄スキアスが実行支配するようになり、ブラモンドはスキアスに制圧されたような状況だ。私たちは今、エブラハ領の東側の守りを固め、これ以上、スキアスが傭兵を招かないようにしている。
そしておまえのもう一人の兄ジウトーアは一年近く前に死んだ。原因不明の病死と言われているが、前領主の事といい、スキアスが毒を盛ったのではないかと囁く者も居る。
もはやおまえにしか頼めない。
スキアスを排し、エブラハ領を取り戻す為に協力してくれ。
前領主ケルンヒルトと、おまえの義母エンリエナと共に、今はオーグベルムに待避している。
この手紙を読んだらすぐにオーグベルムへ来てくれ。}
────ふむ。
ジウトーアが死んだか。
そして父ケルンヒルトが病気に?
この二つの事をしたのは愚兄スキアスに違いない。俺の直感にはその確信があった。
一年前にジウトーアを殺害したスキアスは、その精神をそちら側へと傾けたのだ。──そこは無意識の領域。
ただそれは、俺や魔術師がやるような、整理された無意識領域ではない。
混沌とした、無秩序な、人の意識を悪意で呑み込み、意識を支配する悪霊のごとき無意識。
つまり愚兄スキアスは、弟のジウトーアを殺害した事で、完全に箍が外れたのだ。
それで父親をも手にかけたのだ。病に臥したというところから見ても、毒を盛ったというのはあり得る事だろう。
父親を殺害するのは気が引けたのか、毒の量を減らしたか、じわじわと殺す為に、少量の毒を定期的に服用させたのではないか。
毒についてはブラウギールで培った知識が俺にはある。だいたい、ピアネスの西方で入手可能な毒となると限られる。
あのクソ田舎で、わざわざ強力な毒薬を取り寄せるような奴は居ない。手近な毒を使って殺害を企むに決まっている。ましてやあの愚兄が盛ったとすれば、ガンナガンナの毒か、砒素くらいなものだろう。
「はっ、俺が居ない間に、とんだ事になったものだ」
クーゼの奴はブラモンドから追い出されたらしい。商売はどうしているのか? スキアスの部下が代行しているのだろうか。
手紙にあった「傭兵を招かないように」という一文。
うちの領には私兵と呼べるものはほとんど居ない。戦力として小さな領地を任せていた親戚には、戦士として鍛えられている人も居たが。他の領地の騎士とは違い、自治を請け負っただけの、小さな戦力に過ぎない。
そうした親戚を排し制圧したブラモンドを、己を守る為に、スキアスは傭兵を使っているようだ。
「さて──どうしたものか」
エブラハ領に戻るにしても、ピアネスへ戻るのに陸路で行くか、海路で行くか。
港町に居るのだから、海路で行くのが手っ取り早いが、海路は金もかかる。
が──それ以上に、ただ戻るだけでは駄目だろう。これはピアネス国領地の主権の問題。
国の中枢に申告した方がいい問題だ。これは言わば領主権力の強奪、領地の独占だ。
「──こういう時、権力の中枢に居る奴が近くに居ればな……」
手紙をしまいながら、兄に奪われた領地について考える。個人的には、別に帰る領地が無くなったとしても、なんていう事はない。何故なら元から帰るつもりがないからだ。俺は世界中を旅して魔導を探求し、追求する事を目標としている。
帰る場所など、はじめから設定していない。
故郷は確かにピアネスのエブラハ領だが、他の国に侵略され、奪われたとしても屁でもないのだ。
だが友人や、継母にはそれなりの愛着がある。
俺の義弟の母親。それは俺にとっては母ではないが、俺の弟の母なのだ。
「ふむ──これは、エインシュナーク時代の伝手を利用するしかないな」
一人、協力してくれそうな人物に心当たりがある。
正直、地位とか立場が違うので、会いたいとは思わないのだが。
そしてピアネスに素早く戻る手立ても、他の人間には無理でも、俺にはできる方法がある
俺は立ち上がると、人気のない場所を探して歩いて行く──
今回の件で故郷へ帰る事を決めたレギ。圧政にあえぐ同郷の友人たちを救う旅が始まる。
現実の世界でも教会の壁画などに描かれている象徴には、錬金術などと関係するイメージにあふれていたりします。秘教学(陰秘学ともいう)に通じた人なら言うまでもないでしょうが。




