ルシュタール西岸への旅路
旅の描写が多いですね。そこで色々と考えるレギ──
ルシュタールの南部に位置する町ベリュセン。
そこには戦士ギルドもあり、料理屋、公衆浴場、薬師に医者も居る小さな町だ。
この町は大きな街への中継地点の意味合いもある町みたいだ。この町で一休みしてから他の街へ商品を運ぶ商人などが多いらしい。
その町の朝。三メートルほどの高さの壁が囲む町に、日の光が差し込む。
朝日が差し込むのを感じた俺は目覚め、窓の戸を開き、庭に顔を出した。庭の畑に誰かが居る──よく見るとそれは、この家の旦那だった。
「あ、おはようございます」
「うん、おはよう。朝から畑の手入れか」
「といっても、芋を掘り出すくらいですが」
畝から掘り出したのは、根っこで繋がったいくつもの芋。熊手で土を掻くと、ごろごろと芋が現れる。
「朝食を用意しているので、どうぞ」
俺は礼を言い、部屋を出る支度をする。
調理場の近くにある食卓。
そこに行くと確かに奥さんが料理をしていた。
燻製豚肉と玉葱などの野菜を煮込んだ汁物。トマトとレタスを使った生野菜料理。そうした物と丸パンが出された。
この夫婦はこれから知り合いの道具屋と料理屋に、港町から手に入れた商品を届けに行くのだと説明する。
「あなたはこれからエゥシゼールに?」
「ええ。歩いて行けば、今日中には着くだろうから」
そう言うと、旦那は馬で送り届けようかと言ったが、俺は断った。明日の朝までに港町に着けば充分だったからだ。
アントワから来る船に乗っているという配達人、それを待ち構えていればいい。もちろん相手が誰かも分からないので、手当たりしだいに声をかける事になるかもしれない。
相手は一人で行動している、冒険者風の格好をした男のはずだ。エゥシゼールの戦士ギルドに寄って、俺が滞在しているか尋ねるだろうから、先にギルドに顔を出しておき、町に居る事を知らせておけば、すれ違いになる危険は少なくなる。
俺は食後に出された黄金色の香草紅茶を飲み、すっと胸がすくような爽やかな香りを楽しみ、行商夫婦の家をあとにする。──二人はしきりに俺に感謝の言葉を述べ、昼食にと、パンに腸詰めと乾酪を包んだものを渡してくれた。
「ありがとう──では、元気で」
俺も彼らの気持ちに応え、町を出る前に戦士ギルドへ向かい、護衛した依頼達成書を提出して仕事の完了を報告する。
町の北門から出て西に向かう街道を進む。──その為には、西にある森を避けるように、少し北側に膨らんだ道を通らなければならなかったが。
北と西に向かう分かれ道まで来ると、すなおに西に向かった。途中で荷車に追い越されたり、馬に乗った冒険者の一団ともすれ違った。
また分かれ道があり、北に向かうと低い山の麓にある遺跡があるらしい。冒険者の一団はそちらに向かって馬を進め、林道を抜けて行く。
俺は昼まで歩き続け、その間も自身の精神領域で、魔法や戦闘の訓練を重ねた。精神力が増した影響でこうした魔術的訓練も、精神の消耗を感じずにおこなえる。
(もはや睡眠しなくても、一週間は活動できるんじゃないか)
意識体が強くなったお陰で、霊的な関わりを持つ身体も強化されているのだ。生半可な精神攻撃では、俺にはもはや通用しない。
肉体的にも丈夫になり、さらには体力の消耗などが抑制されているらしい。食事の回数を減らしても数日は行動できるくらいになっているのではないか。
強大な力と広範な知識をもつ魔導師となった俺は、四大魔神とも接触し、次なる目標を決定する前に、魔神から言われた手紙の送り主の事情を知る事を優先させた。
「手紙を送ってくる相手といえば──やはり、家族から──? もしくはエブラハ領の友人という線か。──エインシュナーク魔導技術学校の同級生、という可能性もあるか?」
ふと、意識を肉体に戻し、まだ受け取ってもいない手紙の送り主について考えていると、近くの草むらから鵲が飛び立った。
黒と青い筋の入った小さな尾の長い鳥が、四羽ほど飛び去って行く。……こういう時は、鳥がなにかに怯えて逃げたと考えるべきだ。
草むらに注意を向けると、大型の鼠の影が生命探知の視野に見えた。──鵲にとっては危険だが、俺には襲いかかってこない相手だ。
念の為に周囲を見回したが、危険な生物の気配はない。
ただこの辺りには小動物や羚羊など、結構な数の動物が生息しているのを知った。
平地の多い国だと聞いていたが、岩山や丘なども存在する。……まあそれらは、それほど高いものではないのだが。見渡す限りどこまでも草原や土が剥き出した地面が広がっている。
禁猟区なのだろうか? そう考えていると、道の脇にある看板が目についた。
──許可されていない者の狩りを禁ずる──
と書かれていた。
兵士に見つかれば厄介な事になるだろう。悪質な狩人だと、一発で牢屋にぶち込まれる可能性がある。多くの場合は罰金で解決できるが。
そんな事に思いを馳せていると、前方から武装した騎馬の集団が街道を進んで来た。見回りの兵士にしては物々しい様子で、悪さをしている訳でもないのに緊張が走る。
彼らは貴族の私兵ではなく、ルシュタールの軍隊に所属する兵士だ。先頭を行く者は鋼の鎧を着込み、背中に盾を背負っている。
中央付近に居た騎士は、いかにも歴戦の猛者という風貌で、脛当てなども立派で、跨がる馬も他の馬よりも一回り大きな黒馬であった。
その横に馬を並べているのは、どうやら参謀の魔法使いかなにかで、彼は黒い法衣と外套に身を包み、開いているのか閉じているのか分からない目で、隣の騎士と話している。
馬の足音で聞こえにくかったが、彼らはこれから城へと戻る途中であるらしい。すでに彼らはなんらかの任務をこなし、帰還する途中なのだ。
(本当にこの国は、魔物やなにかによる襲撃が多いらしいな)
勇者などという存在を作り上げてまで、兵士や民衆に意識づけているだけはある。
あの邪神──よもや俺の知る人物であるパーサッシャが、化け物として現れるとは。あれを生み出した存在がこの国でのさばっているとしたら、また近いうちに危険な邪神が顕現するかもしれない。
(あの火山島の魔神アウスバージスに対する神々の強襲といい、……大陸南方は大荒れだな)
まあ南方に限らないか……
上位存在は人間に対して、それほど積極的に接触するものではないと思っていたが。
その後はしばらく広野の中を街道が通り、かなり歩き進めたと考えていると、街道の近くで腰を下ろす人々を見かけた。──一休みしているのは市民の格好をした人々と、革鎧などを身に着けた冒険者らしい者たち。
「そろそろ昼か?」
こちらはあまり腹が減っていない。
ほんの少し地面が盛り上がっている場所に腰を下ろした二十名くらいの集団は、のんびりとくつろいでいる。
まるで遊楽の一団のようだ。
中には子供も居るが──いや、馬車が五台もあるところを見ると、旅の一座かなにかだろう。
演劇や曲芸を見せる旅の一座、そんなところか。
護衛も連れているようで、これから都市に向かうところなのだと思われた。
都市から都市へと移動する、彼らのような興行団体は何度か見た事がある。実際にその内容を見たのは二度くらいしかないが。
演劇や曲芸は気晴らしに見る程度の娯楽で、正直それらのなにが面白いのか──俺には理解できない。
息抜きにしても、他に見るもの、考えるものがあると思うのだが。そう──人間には、考える事こそ必要なのに、多くの者は「見る」と「感じる」事を重要視し、「思考」の可能性について考慮しないのだ。
「おお、ハーディン。それがそなたの答えなのか。その恐ろしい決断の先になにが待ち構えているのか、そなたにはわからないのか」
演劇で見た一節が蘇る。
冒険者となって間もない頃にベグレザで見た、売り出し中の劇作家が書いた演目だという劇。
血気盛んな若い王子が王に謀反を起こすという内容で、王子が王を倒し、圧政に苦しむ領民を助ける、といった内容だった。
この「売り出し中の」劇作家が書いた、『ハーディン王子の受難』の続編が出たらしいが、なんというか……あらすじだけで見る気を失ってしまった。
というのもこの劇は、貴族の前で演じる時はその内容を変え、王の妾(側室)と王子との、禁断の恋を書いたものに変わっているからだ。
大筋は王と王子の対立から始まるが、別に領民の苦しみとか、領民を助けるとかいう描写は一切ない。──要するにベグレザで見た演劇は、民衆むけに作られた戯曲だったのだ。
正式な王族むけに作られた戯曲は、暇を持て余す王妃や貴婦人がいかにも喜びそうな、若い男が身分の高い女性を巡って争う、といった内容になっていた。
「まあ、元からつまらん内容だったが」
一節一節の印象的な言葉だったり、台詞まわしが巧みなだけで、正直いって中身は空虚な、陳腐な恋物語でしかない。
「そんなものが受難など、自分から泥沼に足を踏み入れて溺れているような間抜けっぷり。受難ではなく喜劇だろう」
ある街の一角で公演を知らせる広告が貼られていたのを見て、思わず毒づいてしまったほどだ。
そんな退屈きわまりない演劇よりも、冒険者として世界を回る方が──よほど楽しく、発見がある。
見ているもの、感じているものが違うのだ。
「貴族の世界から一歩も出ないような連中には、そうした紛い物の演目の方が、より魅力的なものに感じるのだろうな」
びゅうびゅうと、冷たく乾いた風が吹きつけてきた。もう木枯らしが吹き始めたのか。
旅の一座が居る方から、焚き火の煙が流れてきた。薪の燃える匂い──そこから離れると、西へ西へと歩き続けた。
道から離れた場所にある岩を見つけると、砂礫がある岩陰で昼食を取った。行商夫婦からもらったパンや腸詰めを食べ、水を飲みながら一息つく。
風が流れてくる北側を見ると、空は少し灰色がかった雲に覆われ始め、薄暗い空が広がり始める。
雨は降らなそうだが、日差しは隠れてしまうだろう。
日の光があるうちに、町の近くまで行ければいいんだが。
昼食を食べ終えたあとは、吹き荒ぶ風から逃げるみたいに駆け足になって、街道を進んだ。
まっすぐには延びていない道は、黄土色の岩山を避けたり、川や池を避けるようにして蛇行し、大きな川に架かる石橋に続いていた。
橋の上を渡る時、欄干に止まっていた鳥と目が合った。──白い腹と茶色い背と翼を持つ大きな猛禽類。鷹によく似たそれは、ぱっと羽撃くと川の上を飛んで行き、水面に突っ込んでいく。
バシャバシャと羽撃きながら水面から飛び立つと、足には魚を握りしめ、鋭い爪でがっしりと掴んで放さない。
橋を渡りきった所で、小さな釣り竿を手にした老人が、橋の下から上がってきた。
「いまの鳥はなんですか?」
川縁に着地した鳥を指差しながら尋ねる。
肩から斜めに下げた編み籠に小魚を入れている老人に声をかけると「はぁっ?」と、耳を傾ける。
「いまの、鳥の、名前は、なんですか?」
少し大きく声を張ると、老人は「ああ、ああ」と頷きながら、あれは「鶚」だと言った。
「橋の上にいやがったのか。あいつめ、わしが餌を撒いたのを知って、狙っていやがったな」
老人はぶつぶつ文句を言いながら去って行ってしまう。
川に飛び込んで魚を捕まえるとは、なかなかに過激な猛禽類も居たものだ。
ピアネスに居た川魚を捕まえる鳥と言えば、翡翠だったが。翡翠は文字どおり川に頭から突っ込んでいき、嘴に小魚を挟んで捕まえる小さな鳥だった。青緑色の羽が美しく、帽子を飾る羽根にしたり、髪留めを作ったりしていた女の姿を思い出す。
翡翠の羽根で作った首飾りや耳飾りを作る人も居た。それを俺にくれた人も居た気がする。──ずいぶん昔の事で忘れたが。
故郷には翡翠が多かった。山が多く、清流が豊富だったからだろう。
そんな思い出を心に浮かび上がらせながら、街道をひたすらに歩き続ける。やがて日が沈んでいこうとする頃に、群青色の海が見えてきた。
その手前、街道の先に町の壁が見え、それは日の光を浴びて赤い色に染まっていた。草原の真ん中にぽつんと見える、夕日色に染まる壁。
空の一部が青黒く塗り潰され、白い星の光が明滅する。
遠くの林で鵲が鳴く。
夜がくるぞと鵲が鳴く。
その夜がくる前に、俺は港町に辿り着けそうだ。
翡翠は川蝉とどちらを使うか迷います。
レギがもらったという翡翠の羽根を使った物はもう持っていません。実家にあるかもしれませんが、捨ててる可能性も。




