冥府への誘い
緑色の光が放たれて、暗闇に浮かび上がってきたのは巨大な結晶だった。透き通った水晶の中に何かが浮かんでいる。──それは人間のようであるが、頭から生え出た数本の歪な角が後方へ伸び、肩からも捻れた角が突き出ている。
それに人間にしては身体が大きい、身体の前で膝を抱えた格好をしているので、正確な大きさは分からないが、立ち上がれば五メートル以上の身長を持った女だと言う事になる。
肌の色は灰色で、身体や腕に青や赤い色の紋章や模様が描かれている。──顔は目を閉じていて分からないが、美しい女性的な顔立ちをしていた。
「これが魔神……? もっと凶悪な姿や、獣に似たものかと思っていた」
「容姿は大した意味を持たないわ。神々にとって力こそが、その姿や本質そのものなのだから」
この結晶から解放するのか? と問うと魔女王ディナカペラは首を横に振る。
「違うわよ、この結晶は彼女を外敵から守る為の物なの。封印は彼女の存在そのもの、いわば魂を取り戻す事よ」
彼女はテーブルのある広間に戻ると、ツェルエルヴァールムの魂にあたる物が、冥界に封印されていると説明した。残念ながら彼女が冥府の世界へと赴く事はできず、人間の魔術師を捜していたのだと言う。
「おいおい、俺に死ねと言うのか」
「大丈夫よ、『死の衣』を使って冥界に降りて行けるわ。そこで結晶化されたツェルエルヴァールムの魂を回収する事、それがあなたにお願いする事よ」
そう言いながら彼女は、一本の短刀を取り出した。
「これであなたに擬似的な死の状態に入ってもらって、冥府へ行ってもらう。向こうには道案内も居るから心配は無用よ」
「……本当に戻って来られるんだろうな」
「もしあなたが戻って来られなかったら、私はラウヴァレアシュに消されるでしょうね。そういう約束で、あなたの協力を得る事になっているわ」
俺が嫌だと言えば、無理強いはできないと言う事らしい。協力をするかしないかは、ラウヴァレアシュの配下ではない俺に、強制する事はできないのだ。
「──わかった、協力しよう。それで? 何か報酬はあるんだろうな」
そう言うと彼女は少し、ほっとした様子で「もちろん」と答えた。
「この短刀は擬似的な死を与えるだけではないわ。あなたの生命に関わる力を強めてくれるの、あなたを冥府から戻す時に、その力を使ってあなたに、あらゆる病から守る力を与えてあげる。そうすればあなたは、疫病も恐れる事はない。例え毒を口にしても死ぬ事はなくなるわ。多少気分が悪くなるけれど、すぐに回復するようになるのよ」
凄いでしょ? と言う彼女。確かに、その力があれば旅も楽になる、食中毒の心配をせずとも良くなるのだ。
「ではツェルエルヴァールムの前で『冥府下り』の儀式をおこないましょうか。リアヴィーシス、例の衣を持って来て」
彼女はそう言いながら、再び通路を通って幻想的な小部屋まで戻ると、そこでちらちらと周囲の青や緑に光る色を受けた、黒いリアヴィーシスがなにか、布のような物を手渡すのが見えた。少女の姿をした黒い影に似たリアヴィーシスは、闇の中でぼんやりと周囲の光を浴びて、発光しているみたいだった。
真っ暗な部屋に来ると結晶に明かりを灯し、ツェルエルヴァールムの前にある、冷たい石の台の上で儀式をおこなうようだ。
俺はディナカペラから「死の衣」という黒と灰色の──獣の毛皮と、人の皮を使って作られた外套を羽織らされた。頭巾も付いていて冥府では、これを被って絶対に取らないようにと、警告された。
「その魔剣は──まあ、たぶん大丈夫でしょう。向こうにも持って行けるでしょうが、あまり周りの連中に見られないようにね。死の衣を身に着けていれば平気なはずだけれど」
彼女の言い方に若干の不安を覚える。魔法に関しても、精霊などの力を行使する魔法は使えなくなるらしい、戦いになるような事はないだろうが、覚えておいてと言いながら、短刀を抜いて、石の台の上で横になった俺に近づいて来る。
「なんか怖いんだが」
「大丈夫よ、私たちは一蓮托生。あなたが戻って来れなかったら──ね、どちらでも変わりはないわ」
俺は横になると覚悟を決めて「やってくれ」とだけ言って、目を閉じる。
魔女は俺のそばにひざまずくと、短刀を手にして奇妙な、聞いた事のない発音の呪文を口にしながら、俺の心臓辺りに短刀を進入させる。──痛みはない、ただ冷たい刃の感触が、やけに非現実であるなと思っただけだった。
寒いな……そんな風に思っていると、しだいに夢の中へ落ちるように、意識が朦朧となってきて、深い闇の中へ落ちて行った……
次話は冥府でのお話。かなりぶっ飛んだ世界を想像しながら読んで頂ければと思います。
道案内とのコミカルなやり取りは、この物語では珍しくコメディータッチになっております。




