行商人の護衛と移動
盗賊にはまったく容赦のないレギ。
魔神の指示を受けて別の港町へと向かう旅の開始。
昼を大きく回ったくらいに、小舟を漕いで迎えが現れた。四人で漕ぐ舟は速く、あっと言う間に陸地に迫って来た。
「お別れだな」
子供たちは寂しそうな顔をして手を振る。
なんというか──捨てられた子犬や猫のよう。
俺は細長い小舟に乗り込むと、少年少女に手を振りながら彼らと別れ、大陸に向けて海原を移動する。
上空には青空、白い雲。今日も波は穏やかで、四人の屈強な男たちが全力で漕ぐ舟は、ぐんぐん海上を進む。
潮の匂いを感じながら青い海を渡る。
そうして数時間後には、大陸が遠望できるまでに舟は近づき、西の海を進んで行く大きな船の帆が見えた。アケリュースから積み荷を載せた船が海を行く。
あの船はアントワの港に向かう船だ。黒い線が走る船体。灰色の帆を膨らませ、頼りない風を捉えて海を走る船。
俺を乗せた小舟は港町の波止場を避け、砂浜の方へと滑り込む。
「ざざぁっ」と白い陸地に乗り上げた舟。
俺は背嚢を引っ掴み、大陸に足を乗せる。
「お世話になりました」
四人の船乗りに礼と別れを口にし、波止場から港町へと歩いてふと、これからどうしようと思案する。──陸路を行く方が早いだろう。頭の中で地図を確認し、馬で行くか、荷車などを頼るかと考えていると、無意識に戦士ギルドの前にやって来た。
「仕事が残っているとは思えないが」
受付に立ち、荷車の護衛はないかと尋ねると、港町の受付嬢はあっさりと「護衛の仕事の多くは専門の護衛が担当しています」と答える。
希に特定の護衛と契約をしていない行商人などが居るが、多くは三名からとか、制約があるのだと言う。
積み荷を狙って行商を襲う野盗もこの辺りには多いのだ。
俺はギルドを出て借り馬屋に行く事にした。
今からアケリュースを出ても、北西の港町「エゥシゼール」に着くのは、明日の昼過ぎになるだろう。
二日後とラウヴァレアシュは言っていた。
戦士ギルドを出ようとしたところで、ギルドの前に停まった行商の荷車から、一人の若い男が降りた。御者席をもう一人の女に任せ、男は戦士ギルドに入ろうとする。
「もしかして、エゥシゼールまでの護衛を求めているのか?」
俺はぴんときて、その行商人らしい男に声をかけた。
「え、いえ……私たちは北のベリュセンに行くのですが──あなたは?」
ベリュセン──地図で確認すると、エゥシゼールから離れてはいるが、ちょうどアケリュースとエゥシゼールの間くらいにある町。今から出れば夜半にはベリュセンに着く計算だ。
「俺で良ければ護衛を引き受けたいのだが。エゥシゼールに今日中に近づいておきたいので」
そう言いながら赤鉄階級の印章を見せる。
すると男は交渉に入った。彼は「なにぶん商品を購入したばかりなので、持ち合わせが少ない」と言う。ここで「なのに戦士ギルドで護衛を雇おうとしていたのか」などと追及してはいけない。
「あなたはベリュセンに住んでいる人か?」
「ええ」
荷車の方を見ると、車輪が新しくなっているが、荷台の方は少々使い古した跡があり、彼は荷車を譲り受けたばかりの、行商に着手して間もない新米なのだと睨んだ。
だからといって彼を利用するとかではなく、むしろ護衛報酬はなくてもいいくらいに考える。
「では、こうしよう。今晩あなたの家に泊めてくれないか? 厩があるのならそこでもいいので。護衛料はただで構わない」
それは破格の申し出だと考えたのだろう。彼は一瞬、口元を緩めたが、考えるふりをしてから「それではお願いしましょう」と答えた。
こうして俺と彼は戦士ギルドを通して、ベリュセンへの護衛を引き受け、北に向かう街道を荷車に乗って走り出したのである。
二頭の馬に引かれた馬車は最初、行商人の彼の気持ちを表すみたいに軽快に走り出し、妻に速度を落とすようにと説得されたほどだった。
「お二人は夫婦で行商を?」
「ええ──今年、結婚したばかりで。行商も結婚を機にはじめたんです」
と妻の方が答える。
少し話してみると予想どおり、親戚から荷車を譲ってもらい、新しい商売を始める事にしたのだと言う。
荷車は車輪が傷んでいたので、車輪と車軸を新しい物に変えたので、お金が無いのだと笑って言う奥さん。
この夫婦はなかなかに楽観的なようだ。
その楽観的な夫婦を狙った訳ではないだろうが、二つの町の間あたりで──野盗に襲われてしまった。
幸い弓矢は馬を外したが、俺は道の横にあった低木の木陰に荷車を移動させ、荷車の陰に隠れるよう二人に告げる。
怯える二人とは反対の方向に降りた俺に、五人の野盗が林の暗がりから大声を上げてきた。
「おうっ、荷車を置いて、とっとと失せな! ああ、女がいるなら、それも置いていくんだぜ!」
そう言って下品な笑い声を薄暗い夕闇に響かせる。
「たった一人の護衛だと! 素人の行商か!」
近づいて来た連中が、げらげらと声を上げて笑う。
(汚ねえ声だな……聞いてるだけで耳が腐る)
俺は一直線に奴らの方へ駆け出すと、遠くに居る奴が弓を構えるのが見えた。
「ひゅぅんっ」と耳元をかすめる矢。なかなか正確な射撃だが、その初撃を外した所為で仲間が一人倒れるのだ。
草地を低い姿勢で駆け抜け、敵に迫る。
「はえぇッ──!」
驚きの声が野盗から漏れ出た。
気づいた時にはもう遅い。間合いはあっと言う間に──剣の届く距離になっている。
魔剣を一閃させると、肉と骨が断ち斬られ、一人が地面に倒れ込む。
「どずっ」
鈍い音。
今度は弓矢を構えようとした男の喉に、俺が投げた短刀が突き刺さった。
体を反転させ、相手の攻撃を避けながら斬りつけて、その一撃で打ち倒す。
あっと言う間に三人の仲間が倒され、剣を構えて後退を始める二人。
相手が口を開けた瞬間、俺は一瞬で接近し、首を薙ぎ払って仕止める。
「あわわわぁあぁ……!」
言葉にならないなにかを発し、死を想像して身体を震わす中年男。
「たっ、たたっ、たすけてくれぇ──!」
手にした剣を放り投げ、両手を上げて降参の意思を示す。
「────なあ」
「はへっ?」
「お前らは相手から命や財産を力で奪い取ろうとした。そんな奴を見逃す理由が俺に、なにかあると思うのか?」
俺の殺気を感じた野盗は、まさに顔面蒼白といった顔をしてじりじりと後退し、背を向けて逃げようとした。
「ぅげァぁッ──────」
背中に魔剣を突き立てられた野盗の口から苦悶の声が漏れたが、接近した勢いで突き入れられた刃が肺を貫通し、奴は大した断末魔すら上げられずに息絶えた。
野盗の持っていた武器や金品をすべて奪い取り、荷車に戻りながら、行商人の夫婦に声をかける。
「もう安全だ、先を急ごう」
結構な量の荷物を荷台に載せると、血の付いた刃を布で拭き取った。
二人は怯えていたが、旦那の方は短剣を握り、野盗が近づいて来たら抵抗するつもりでいたらしい。
(そんな及び腰では勝ち目はないぞ)
心の中で溜め息を吐き、二人を急かす。
「な、何人の盗賊でしたか?」
「五人だ」
そう答えながら吊り下げられた角灯の明かりで、野盗から奪った武器などを確認する。使えそうな物は影の中にしまい込み、手斧と剣を一本ずつ行商人に渡す。
「連中の持っていた皮袋は──銅貨ばかりだな」
さらに銅貨の入った皮袋の一つを奥さんに手渡してやる。
「い、いいんですか」
「まだ商売がうまくいくとは分かっていないんだろう? 次に護衛を雇う時は、それなりの人数を雇っておくようにな」
俺がそう助言をすると、二人は恐縮しきりで馬を走らせる。
一人の手練れが、ものの数分で五人も仕止めた場面など、きっと縁がなかったのだろう。この二人は冒険者ではなく、明らかに普通の市民でしかない。
まだ宵闇の残る空は、数分もすると星空に変わった。薄紅色の半月が上り、薄雲を照らし出す。
静かな夜闇の街道を角灯を吊り下げた荷車が走り、ゴロゴロと音を響かせる。遠くで獣が鳴く声。こちらを見つけて吠えたのではない、別の獲物を追い立てようとしている狼の群れだ。
かなり遠くから聞こえた声にすら怯える夫婦。……今後、この行商人という仕事が続けられるのか、心配な二人である……
ベリュセンの町には夜半に辿り着いた。
町を囲む壁は低く、門番は三人いたが、夫婦の顔を見ると親しげに話しかけ、門を開けて荷車を通してくれる。
二人の家は小さな庭と厩のある民家。
厩に荷車を入れ、馬房に馬を一頭ずつ放すと、二人は俺を民家の方に招いてくれた。
「今日はありがとうございます」
依頼達成書を渡しながら言う男。
俺は受け取りながら頷き、奥さんが急いで用意する、と言って作り始めた夕餉をご馳走になった。
小さな家だが二階建てで、風呂場も付いているという。
返り血は浴びなかったが、汗や潮の臭いを落としたかったので風呂はありがたかった。ルシュタールの中央に近い町になると、風呂付きの建物が増えるらしい。
海沿いの方だと公衆浴場が一般的だと旦那は語る。
この家で出された料理はあまり脂っこくなくて、むしろありがたかった。牛酪は使っているが控えめで、料理屋だと大量に使うのが主流なようだ。
葡萄酒も出され、二人が俺の働きに感謝しているのだと、声を揃えて言う。
風呂場で汗を流すと、二人は一つの部屋を貸してくれ、そこにあった寝台で眠る事ができた。
眠る前に魔術の門を開き、水鏡を通ってグラーシャに会いに行こうかとも考えたが、その前に──融合した死導者の霊核を手にしたので、ラポラースから借りた「死の魔導書」の写本を読み解こうと考えた。
二つの死導者の力を奪った事で、死に対する感覚が鋭くなり、抵抗力も強化された。俺は書斎に入ると、魔導書を読む。
今度は色々な角度からそれを読み解けた。
死の回避と操作を中心に、細かな部分にも理解が可能になり、転生の秘術についても、完全とはいかないが、蘇りに重要な鍵となる秘密を知る事ができたのだ。
死を受け入れ、死に臨む時に、意思と影──己の霊と魂を保護し、いくつもの魂魄消失の罠から存在の根幹を守る。記憶も技術もなにもかも新たな肉体に移し替えるというのは、想像以上に困難な術法を使用しておこなう。遠大な技術の結果だと言える。
それはまさに、神々によって秘匿された神秘の技術。
「峻厳な死の谷を越える転生の秘儀。その断片を手に入れたぞ……!」
この魂魄に関する技術、術法は、今からこつこつと形成しておこう。魔術の庭の地下部分に、この儀式の為の空間を用意し、複雑なる術式を織り込んだ霊的技術のすべてを注ぎ込む。
上手くいくかは分からないが、これに取り組むのが魔導師の本懐の一つだ。この技術があれば──個の永続という、あらゆる生命の望む夢が現実になるのだ。
「これで『死の魔導書』──その写本の一つを読破したな」
記憶したものをどこまで具体化して、自分の技術として扱えるかは分からないが。多くの「死の技術」を自分のものとしたのは間違いない。
これは人間的な──生物としての恐怖を、一つ拭い去ったのに等しい。ただ──それを冥界神の双子は、どう思うのだろうか?
……まあ、転生の準備だけはしておこう。どこまで実現可能かは不明だが。
さらなる霊核の究明作業をおこない、霊的な観想に入る。────そこで気づいたが、二つの死導者の霊核に取り込んだ霊核に新たな力が加わっているのを知った。
それは失われたと思っていた魔精偽神の力。その断片だった。──死導者の霊核に取り込まれる形で残っていたのは、あの強大な化け物の霊的部分。そこには人間の霊魂が取り込まれていた。
だが──肝心の偽神の部分については、まだ自分のものとして扱えないようだ。精霊や魔神の力だけでなく、多くの魔物などの命も喰らった、異形の存在として誕生した偽神。その異質な力の内容は、現段階ではさっぱりと掴めない。
気づけば朝が近づいてきていた……
霊核に偽神の力の一部が残っているのは、人間の魂から生まれた偽りの存在だったから。
厳密には「神」とは違うので。




