魔神の予言
第十一章「故郷の蠹毒(前編)」の開幕です。
今回の章は、レギの過去に関する話と言えます。彼が大切なものを失い、そこから大切なものを得た、というお話です。どうぞお楽しみに。
その日は過酷だった戦いの疲れもあり、すぐに眠る事にした。納屋に寝袋を敷いて、砂浜に波が押し寄せる音や、海風が扉を叩く音を耳にしながら、肉体の眠りと同時に魔術の門を開く。
新たに手に入れた力──その中でも、新たな死導者の力を手に入れたのは大きな収穫だ。融合した霊核に入った、この島の噴火で死んだ人々や、その他の国の人間の魂などの記憶。それらをいくつかの分類に分ける作業をした。
それでもすべてを仕分ける事はできなかった。
戦士や魔術師以外にも鍛冶職人の記憶もあり、それを見てトゥーレントの洗練された鍛冶技術や、特殊な方法で鍛えられた金属の秘密を知った。
それは三百年ほど前に、魔神アウスバージスとの接点を持った魔術師が居て、そこから彼の魔神の火を使って金属を鍛える、この島特有の鍛造方法が発展したのだ。
「魔術的儀式の賜物だったという訳だ」
魔神の炎に耐えうる炉を作り、それで金属を鍛える事で、トゥーレントはルシュタールに勝る金属加工技術を持ち、あの大国と友好的な──属領としてだが──関係を持っていた訳だ。
鋼の支配者──なるほど、鍛冶の技術についての意味もあったのかもしれないな。火と金属を司るというのは、まさに火と大地、火山を象徴するような存在だ。
「神の膝元に居た時の存在から、そのような権能を持っていたのか?」
膨大な記憶を探り、分別する作業に疲れた俺は、その作業を離れて眠る事にした。
ぐっすりと穏やかに、眠りに就いたはずだった。
だが──何故だろう。
やたらと波の音が頭に響く。
眠っているが、耳は波の音を聞いているのか。それが夢の中にも浸透して聞こえている?
疑問を感じながらも、自分の意識が夢の中ではっきりと、自我をもって存在しているのに気づく。
「ここは──幻夢界か」
やれやれ、また厄介な事に巻き込まれたのかと、そばに置いた魔剣を手にして起き上がる。
(魔剣や持ち物はそのままあるな)
ここでの意識は精神的な疲労とは別個の霊体? いや、上位意識の領域なのか──?
という事は──俺の意識領域が、その霊質が、新たな領域の躯を得たという事になる。まだ人間の姿のままだったが。
「光体を手に入れる準備が整ったな」
魔神の力を取り込んだのだ、その可能性については考えていた。
しかし何故この幻夢界に……?
何者かが俺を捕らえに来たのか?
にしては、圧力を感じない。
俺は警戒しながら納屋の外へと出た。
薄暗い夜空が広がる表に出たが、何者の存在も感じない。周囲を見回しても、通常の世界とほとんど変わらない世界が広がっている。
空に浮かぶ月が銀色に輝き、暈が月の周囲に浮き出て見える。星々も青や緑に瞬き、夜空を彩っていた。
(現世と変わらない見た目だが)
暗い海は不気味で、砂浜の方へ歩きながら、波打つ黒い海を見つめていると、心の奥底に広がる恐怖が渦を巻く。
「ふむ、やはりこちらへ招く事ができたか」
と、男の声が聞こえる。
暗闇に目を凝らし、魔眼を使ってやっと相手を視認できた。
暗い海の近くに、黒い衣服を着た男が立っているのだ。
そいつは灰色の仮面を付けた──人型の、魔神ラウヴァレアシュだった。
「どういう事だ? 幻夢界だと思ったが」
「幻夢界には違いない。ただ、意識階層が違うので、ここなら余計な邪魔も入らぬ」
暗闇から染み出すみたいに姿を現す黒衣の男。
「ここは上位意識の領域──つまり、強力な魂を獲得した魔導師か、あるいは上位存在が訪れる世界だ」
現実世界の夜と同じ、あるいは鏡写しのようにして創り出した、閉じた空間だと説明する。
「この領域については理解した。それで、わざわざ俺に会いに来たという事は、最後の五柱の魔神について、その居場所が──」
俺の言葉をラウヴァレアシュは動きで遮った。
「いや、そうではない。──前にも言ったが、ディス=タシュについては焦る必要はない。こちらもそれなりの手段を用いて、いくつにも解体された躯を集めているところだ」
それは初耳だ。
この魔神──やはり、俺になにか隠しているな……
「……それで? 今日はなにをしに来たというのか」
「うむ、まずはよく三柱の魔神と接触し、その所在を確認してくれた。その苦労に礼を言う」
色々と大変だった。どう愚痴ると、魔神はむしろ嬉しそうな声で言う。
「そうか? その程度で済んで良かった。魔神と接触し、邪神からも目をつけられ、さらには天蓋の守護者にも狙われて、それでも生きているのだからな。──上出来だ」
「陽炎の翼もつ眼」は討伐したのか? と問うラウヴァレアシュ。
俺は詳しい事は語らずに「もちろんだ」とだけ答えた。神霊領域を手に入れた事などは、いっさい話す気はない。
満足そうに頷く仮面の男。
「さて、それでは用件だけ伝えよう。まずお前は舟に乗って大陸まで戻り、そこから北西にある別の港町に向かえ。そこで、お前を探している人間と会え」
「なに?」
「そいつは手紙配達人という者らしい。数ヶ月前からお前のあとを追いかけていたのだが、どうやらアントワの方から船を使ってルシュタールにやって来るようだ。二日後、そこで手紙を受け取るがいい」
色々と気になる内容の用件だったが、この魔神が人の未来について、なんらかの予言をするのは理解していた。
「──そうか、わかった。誰からの手紙か見てみるとしよう」
地図によると、ルシュタールの西は南から北へ、まっすぐに延びた海岸線がある。アケリュースの町から西にある港町というと、アケリュースから北西に位置する港町になる。
「あとはこれを」
そう言って皮袋を二つ投げてよこす。
ずっしりと重い、硬貨の入った皮袋だ。
「お前が強くなっているのを知って嬉しく思うぞ。これからも弛まず強さを求めるがいい」
一方的にそう言い置いて魔神は俺の胸の辺りを指差し、背中を向けて闇の中へと消え去った。
残された俺は、この現実世界と見たところ変わりのない場所から戻る為に、納屋の中へ入ると寝袋に横になり、眠りに戻るのだった。
* * * * *
朝、波の音で目が覚める。
砂浜を洗う波の音。
木の板に囲まれた納屋の中に、静かに響いてくる──心地好い音だった。
寝袋から上半身を起こした時、手に握られた皮袋が音を立てた。
欠伸をしながら魔剣を腰に差し、納屋の外に出る。
空が明るくなり始めた頃だった。海を照らす日の光の中で、ラウヴァレアシュから受け取った皮袋を開ける。
ザラザラと音を立てて掌に乗ったのは金貨の山。それも古代帝国の金貨だ。これだけでも一財産だろう。もう一つの袋にも同じ古い時代の銀貨が入っていた。
「ありがたいな。──金銭感覚のおかしな後援者というものは」
硬貨の入った皮袋を影の倉庫にしまい、魔剣を手に砂浜に立つ。簡単な剣の素振りをおこない、一通りの型を確かめ、最後に海に向かって攻魔斬を放つ──それも、渾身の力で。
鋭い刃が空気を引き裂く。
空気を切り裂いた刃が波を両断し、少ない魔素しかない海岸でも、先鋭化した斬撃がかなり先の海まで斬り裂いた。
「ぉお──……ここまで飛距離が伸びるとは」
気の力も充実しているとはいえ、魔神の力を取り込んだ影響か。肉体的にも相当な変質をしていると考えられる。
それは筋力だけでなく、瞬発力や気の力にも表れていた。
「なんども死にかけて手に入れた力だけはある」
砂浜で剣を振りながら、魔神ラウヴァレアシュが語った言葉を思い返す。
『こちらもそれなりの手段を用いて、いくつにも解体された躯を集めているところだ』
ディス=タシュの躯はバラバラにされ、それを物質界に近い場所に封印したのか。アウスバージスから聞いた情報と合わせると、その結論になるが。……いったい、どれくらいバラバラにされたのか。
「この世界の近くの幽世に封印? 神々にとっては、この世界はゴミ捨て場という認識なのか?」
そんな皮肉な想いが湧いてくる。
倒された魔神などは、冥府の牢獄に囚われているはずだが。
海に向かって剣を振っているところへ、漁師たちが砂浜にやって来た。漁に出るらしい。それぞれの舟を波打ち際に押し出し、舟に乗り込むと櫂を漕いで海へと舟を進ませた。
今日は波が高くない凪の状態だ。漁といっても家族の分と、あわよくば町に持って行って高く売れる魚が採れたら、くらいの感じなのだと思われる。
沖の方に舟が小さく見えるくらいになると、家から子供が出て来た納屋を借りて世話になった家の少女がやって来て、俺に「おはよう」と声をかける。
「ああ、おはよう」
「それが剣? 不思議な色だね。うちのとうちゃんが持っている剣は、銀色だよ」
少女の疑問に特別な金属だから、と答えると、少女は興味なさそうに「そうなんだぁ」と口にする。
「かあちゃんが朝食を用意してるから、食べにおいで」と言ってくれた。
「ありがとう」
剣を鞘に納めると、少女は俺の手を取り、家に引っ張って行く。
朝食は貝の汁物や固めの平たいパン。葉物野菜、魚一匹が出された。ある意味、豪勢な朝食とも言える。
俺はそれらを綺麗に平らげて、少女に「いつまでいられるの?」と聞かれると、今日の夕方前に迎えの舟が来る予定だと告げる。少女は「ならそれまで一緒に遊ぼう」と言い出した。
昨日の少年も一緒に遊ぶ事になり、こちらとしてはせっかくなので、砂浜で貝を採るなどして時間を潰そうと考えた。
俺の故郷は海が無い。砂浜に素足で立ち、海を感じながら自然と戯れてみよう。草原や森林などは親しくしてきた間柄だが、海は馴染みがない。
磯遊びと言っても、二人の子供と共に潮干狩りをしたり、貝殻を拾うなどしていると、子供たちはすぐに飽きてしまう。
川が海に流れる所に行くと、海には魚の影が多く、子供たちは木の枝に糸を付けた竿を手にして釣りを始めた。──子供たちは実に手慣れたもので、数分で魚を何匹も釣り上げ、家に持ち帰って行く。
俺も二人のあとで釣り竿を手にし、針に餌を付けて糸を垂らすと、川から流れてくる栄養を求めて集まった魚が、餌に食いついた。
なかなかの手応えに感じたのだが、それは思っていたよりも小さな魚で、子供たちによると──それは雑魚であるらしい。
「釣りより、ぼくに剣の闘い方を教えてよ」と言う少年。
少年の母親が家から出て来て、俺に昼食を一緒にどうかと声をかけてくれたので、その申し出を快く受け、昼食を共に食べた。
少年の母親は、少年の友人である少女の母とは違い、町から離れた場所での生活に慣れ親しみ。海岸のすぐ近くに建つ小屋みたいに小さな家に住み、満足している様子でいた。
人とは、なにを望み、なにに生きるかで、その人生観というものに満たされ、時にはそれに縛られもする。
周囲の人間に倣った生き方をするにも、その個人の想いや方針により、精神との均衡が崩れる事もあるのだ。
少年の母親は気さくで楽観的で、たとえ夫が漁に出たまま戻らなくても、いざとなったら自分ひとりの手で息子を育てられる、という確信があるようだった。もしかするとこの母親は、冒険者をしていたのかもしれない。
少年が木剣を貸してと言うと、母は別の部屋から二本の木剣を持って来て、それを息子に手渡す。
粗く削られた木剣を使って、少年と少女の剣の訓練に付き合ってやる。
二人の子供は砂の上でもかなり動けた。砂に足を取られる事もなく、基本的な剣の扱いにも通じている感じだった。やはり先ほどの母親が元冒険者だったのだろうか。
二人同時に木剣で攻撃させ、双方の攻撃を躱しきると、少年と少女は俺に対する評価を「旅人」から「剣士」に変えたらしい。
砂浜での訓練は思った以上に足が取られ、いい運動になった。
その後も二人の子供と訓練したり、海岸で遊んでいると──海の向こうから、彼らの父親の舟とは違う、高速で近づいて来る舟が見えた。……迎えの舟が来たのである。
「蠹毒」は虫害(衣服や柱を食って穴を開けること)を意味し、それが転じて「物事を蝕む」といった意味もあります。内側から害が起こるといった意味で使用しました。




