魔神の手引きと偽りの神
魔神の話では、トルーデンの火山が噴火した理由は、神々の力とアウスバージスの力がぶつかり合いが原因らしい。
幽世での戦闘の影響が地下にある気脈に影響を与え、島の大半を埋め尽くす溶岩を噴き上げる、炎の地獄を島に齎したのだと言う。
ある意味では魔神アウスバージスの強大な力の影響で、火山が噴火したとも言える。
「オレとしても不本意な事だ。しかも奴らの使った霊験の力。──それは精霊にも影響し、気脈が傷ついたままになり、魔精霊が地上を歩き回る結果になった」
それを止める為に、俺に働いて欲しいと狼魔神は言う。
「いったいどういう事なのですか」
「現世とも精霊界とも繋がる狭間の領域、そこに巣くう存在を討伐してほしいのだ。それは魔神や精霊や天使、そういった存在の滅びから発生した、光体や霊質の残滓が混じり合って生まれた──異質なる存在」
そんな滅茶苦茶な存在が居るのかと考えたが、「闇の五柱の王」と呼ばれる魔神の一柱であるアウスバージスの力で倒せばいい。俺はそう主張した。
「もちろんそうだ。しかし奴は狭間の領域に存在し、そこから別の次元に影響を与えるのだ。残念ながらその領域にオレが直接、出向く事はできない。あの領域にオレが侵入すれば、狭間の領域は崩壊し、その影響で気脈は寸断され、この島にさらなる災いを引き起こすだろう」
よって、人間である俺が狭間の領域に侵入し、「炎の魔精偽神」を倒せと言う魔神。
魔精偽神──その新たなる「存在」に付けた名だと、アウスバージスは言った。
「はっきり言うが、人間には危険な敵だ。極力あの狭間の領域でも力になる物を与えたいが──ふむ。そうだな、火の力……熱を無力化する『火神の加護』の魔法を与えよう。これがあれば、火による攻撃を無力化できる。──ただし、吸収できる熱量の限界を超えれば、この力は効果を失うが」
「相手は火の力を持っているんですよね?」
魔神の王は頷き、火が漏れ出る金属の指先を差し出してきた。その大きな身体を屈め、突き出された指先と鋭い爪は、俺の手首くらいの太さがある。
その爪に手を当てると、魔神の身体から銀色の火が走り、俺の身体を貫く──熱さは感じない。
その接触から「火神の加護」と「魔神の獄炎」「火精爆破」「猛炎の壁」の魔法を習得した。
それらの呪文や魔法の使用心象が頭の中に映像化され、自分の魔術領域とも結び付けられる。
「『火精爆破』も上手く使えば、魔精偽神の攻撃を防ぎ、動きを止められるはず。あとはお前の実力しだいだ」
きょう戦った魔精霊や魔精火竜との戦いを思い出し、新たな魔法を使ってどのように戦うかを考える。
「炎の魔精偽神が居る領域は、火の精霊力を強める場所だ。そして炎の魔精偽神は精霊や魔神など、複数の力を根源として持つ存在。過酷な戦いになるのは間違いない」
できればなんらかの護衛をつけてやりたいが。
アウスバージスはそう言うと、ガゥリスを呼び戻した。
「お呼びでしょうか」
「この男に、狭間の領域で使える護衛をつけてやれ」
銀狐の魔神は「わかりました」と応え、手に炎を発生させ──そこから小さな結晶を二つ生み出す。
「お前は魔術の領域に『使役獣の支配領域』を持っているな?」
「ええ、影の中に霊獣との接点を持たせてあります」
よし、と頷く狐魔神。
ガゥリスは手にした杖で石床を一突きする。
すると一瞬で床の上に魔法陣が現れた。
「その中に入れ」
言われるがまま、魔法陣の中に進み出る。
「火の精霊と風の精霊、その二つの精霊と結び付けてやろう。使役獣の支配領域とは異なる、精霊界との接続ができる霊域を新たに作ってやる」
そう言って杖を振ると、魔法陣から火が噴き上がり、俺の周囲をぐるぐると──まるで蛇のように、渦巻く火炎が取り囲む。
ごうっと音を立て、炎の一部が俺の身体に入り込んできた。それは霊的な焔であり、熱さは感じない。
続いて青色と緑色の半透明な壁が俺を取り囲んだ。
それは風の心象、精霊の具象化された姿。
渦巻く風はびゅうびゅうと、頭の奥に鋭い風鳴りを響かせながら回転し、やはりその一部が俺の中へと滑り込む。
「よし、あとは自分で確認してみろ」
魔神はそう口にすると下がって行く。
確かに影の檻域に新たな領域が接続され、そこが精霊界との接点を持つ、魔法陣のような役割を果たす事が分かった。
そこには火と風、二つの精霊の力と結び付けられ、暗闇の中にぼんやりとした魔法陣の光を感じる。──そんな心象が浮かび上がる。
火の精霊は、長い尻尾を持つ、背中から火を噴き上げる蜥蜴亜人のような姿。胸当てや兜を身に着け、手には槍と大きな盾を構えている。中位精霊の「火蛇戦士」だ。
風の精霊は、半透明の虫の翅に似たものを背中に生やした女。ゆるやかな白と薄緑色の衣を纏い、輝くような緑色の瞳を持っている。──こちらも中位精霊の「風の選定者」という精霊だ。
どちらも守りの力に優れている。
今回の戦いではどちらの力も、大いに期待できそうだ。
「狭間の領域に行く準備はいいか?」
火を噴く狼の魔神アウスバージスはそう言って、黒い金属の顔にある、金色に光る眼でこちらを見下ろす。
「────おそらくは」
相手がどれほどの力を持っているのかも分からないのだ、答えようがない。
しかし、この魔神が「人間には危険な敵」と断言しているのだ。並の魔物など比較にもならないだろうと思われた。
(未知の存在との戦いも、これで何度目だ?)
だが──その危険な戦いを乗り越え、俺はより強くなってきた。この戦いも勝って強くなる。──でなければ、ここで旅は終了となるだろう。
異界での戦闘。
それが命を賭けたものになるのは間違いない。
氷獣を召喚する水晶もしっかりと準備する。
この切り札を残しておいて良かった。
火の力を持つ相手なら、きっと役に立つはずだ。
「では、向こうに送ってください」
アウスバージスは黒く光る狼の顔を重々しく頷かせる。
「頼んだぞ」
大きな魔神が手を振るう。
足下から緑色の火が噴き上がり、俺の身体を飲み込んだ。
一瞬の静寂。
そして落下。
がくん、と足下の地面が沈み込む。
身体を包んだ緑色の光は熱を感じない。
轟々と遠くから響いてくる音。
それがしだいに近づいてくる。
ごうっ、と顔に熱風が吹きつける。
「くぅっ」
慌てて火耐性魔法や、「水冷被膜」の保護膜を展開する。
緑色の光が弾け飛び、辺りの輝く炎の揺らめきを体全体で感じる。
ここは炎の大地。
乾燥し、ひび割れた大地。
ここには生命は存在しえない。
腐敗もなく、滅びもない。
生命がないのだから。
物質界や精霊界の狭間にあるという次元領域。
そこは火の力が大地を割って噴出する場所。
気脈が炎に侵食されているみたいだ。
ここはきっと広大な領域なのだろう。
高い場所に上って周囲を見渡す。
どこまでも広がる大地と炎の海。
上を見上げれば、高い空に炎と煙の渦が見える。
渦の中に見える暗い深淵。
そこに飲み込まれる炎が雷電を放つ。
その穴の下に、大きな光を放つなにかがある。
精霊の光。
人魂の光。
魔力の光。
それらが一体となった光。
「あれか」
丘の上から降りると、そこに向かって歩き出す。
この異様な空間をなんと表現すればいいのだろう。
生命の源である気脈の流れが狂い、精霊の力も及ばぬ領域。
ここには破滅しか刻まれていない。
「しかし、あの上空の深淵はなんだ?」
大地から勢いよく噴き上がった炎を飲み込む穴。
その下に居るあいつは……
光の輪が見える。
地上に浮かぶ大きな光の輪。
光の輪を背負っている奇妙な生き物の姿。
近づいて行くと、その存在の全貌が見えてきた。
下半身は黒い鱗を持つ竜。
太い足──逆関節をした足の先には、鋭い鉤爪。それはまるで大地を穿つ鶴嘴のよう。
不気味な下半身と繋がる脇腹が見える。
肋骨の浮いた乳白色の皮膚。
背中から光の輪が広がり、魔力や気を放出しながら、空に向かって光や炎を吐き出し続ける。
上半身は、人間の──女の胴体と頭を持っていた。
それは地面にうずくまるように、まるで祈りを捧げているように、大地に頭を垂れていた。
それは巨人であり、竜だった。
精霊であり、光や闇とも関連する上位存在の躯を持つ。
光体と精霊の力を組み合わせた存在。
そして──それには、膨大な人の命が渦巻いていた。
「そうか、こいつを生み出したのは──この島に住んでいた人々の霊魂。その信仰から発生した、紛い物の神という訳か」
巨大な生物状のそれは、天使や魔神の残滓を掻き集めて躯を造り、生まれたのだが──それを成す原因となったのは、人間の自然信仰だったのだ。
この島の人々の精霊信仰。
根強いその想念が死を通じて集結し、一つの異形の存在として形作られた。
これは神でもあり、精霊でもあり、幽鬼でもあるのだ。
幽世でおこなわれた上位存在の戦いにより火山が噴火し、その犠牲となった者たちの魂。その魂が救いを求めた結果がこれなのか?
精霊を信仰していながら、その精霊の力を奪い、乱し、破滅を齎す一因となってしまっている。
「死によって狂わされた人々の怨嗟ゆえか」
高貴な存在に祈りを捧げ、生前に抱いた想いのまま、死後も平穏でいられるか。その信仰を寄せるところのものを、変わらずに愛し続けられるか。
──そうはならないのだ。
死を覚悟していると豪語しても、死の世界に落ち込めば、その決意は意味を成さない。死とは、そのような脆弱な精神の想いを、いとも簡単に踏みにじる。
死の壁を越えてなお、その精神を失わないでいるには、魔術によりその精神の根幹をしっかりと握り締め、手綱を手放さない事だ。
ちょっとした事で感情に流されるような精神では、死の力に触れた瞬間に、自らの根幹から引き剥がされ、理性も失った意識に成り果てる。現実での自分という存在が、妄執や幻想の寄せ集めに過ぎないのだと思い知らされる。
そうした脆弱な魂は、禍々しい怨念の総体となり、それらが集積し、このような化け物を生み出したのだ。
「人の精神体──その融合がどれほど危険かは、いつぞやの霊樹で思い知っている」
今回のはそれに加え、光体や精霊の力の根源まで取り込んでいる。──正真正銘の化け物だ。
この化け物──魔精偽神の一部は幽鬼の力。つまり悪霊に近いものだそれならば死王の魔剣が有効だろう。
だが、あの巨大な身体をした相手だと、いささか分が悪い。
大地に伏し、丸まった格好なので、どれほどの大きさか正確なところは判別できないが、足から頭まで、垂直に立ち上がれば──おそらく、十五メートルは超えるだろう。
あの魔精偽神の背中に光る光の輪。
あれから上空の深淵に向かって伸びる光や炎の柱。
あれがなんなのか俺には分からないが、奴を排除しなければ、どのみちこの領域からは出られない。
俺は奴に近づきながら、自分に「火神の加護」と、ありとあらゆる強化魔法を掛け、さらに二体の中位精霊を呼び出した。
いくつもの力(中には人間の想念も入っている)によって生み出された偽神(いつわりの神)。
人間の魂を取り込んで発生したはずですが、この化け物に取り込まれた魂の多くを死導者は回収している。




