火を司る魔神の王
「やい、人間よ」
と、右側に立っている熊に似た者が言った。
その声色は野太く、自分の方が立場が上だぞと吠えるような、野暮ったい感じの声色だ。
そいつは真っ黒な毛に覆われた四メートルはある熊であり、灰色の兜や鎧を身に着け、手には大きな斧槍を握り締めている。
籠手や脛当ても身に着けている姿は威風堂々としており、真っ赤に輝く眼は、戦いへの渇望を表しているみたいに見えた。
「何故に人間がここに立ち入っているのだ。おうおう、答えてもらおうじゃないか」
すると左に立っている──三メートル半ばくらいの銀狐が、冷たく光る眼でこちらを見下ろしてくる。
「ふぅむ……この小童、なにやら不思議な気配を感じるぞ。バレゥガル、待て、手を出すな」
ぐっと両手で斧槍を握った熊を制止する狐。
この銀色の毛をした狐は、周囲で燃え盛る炎の光を受けて黄金色にゆらゆらと光を反射させる。青色に朱色の線が入った法衣を纏い、手に金属の美しい装飾が為された杖を持っており、頭には緑色の宝石を嵌め込んだ、青色に光る魔法銀の法冠を載せ。片目を黄色に、もう片方の眼を白く輝かせる。
(‼ 魔眼か⁉)
俺は目を隠すように手を翳し、相手の視線を躱す。
「なんの真似だ? それは」
「魔眼の影響を避けたいと思って」
「無駄だ──私の魔眼は、相手の目を見ていなければ使えないというものではない」
銀狐はこちらの解析をしたらしい。
であるならば、俺の持つ魔眼が魔神ラウヴァレアシュの贈り物であると気づいただろう。
「むう……その左目は──ラウヴァレアシュの力を感じるな。しかし……それだけではない。貴様の力には、死の導き手や魔神の力。──さらには天上の者の存在をも感じるぞ」
何故だ。そう狐が問おうとすると、右手に居た大熊が前に踏み出してきた。──と同時に感じる死の気配。
俺は横に回避行動を取りつつ、振り下ろされた斧槍を魔晶盾で横に受け流す。
(重いッ!)
魔法の盾に弾かれた斧の刃が地面に食い込み、大きな音を響かせる。
途轍もない一撃だった。
まともに喰らっていれば脳天から股間まで、真っ二つにされているところだ。
俺は身を翻し、強大な二つの存在から距離を取る。
「待てと言ったぞ」
杖を突き出し、熊の動きを制する狐。
「しかしガゥリス、おまえが言ったんだぞ。こいつは天上の気配がすると」
すると呆れたように肩を竦めながら、ぎろりと冷たい眼で熊を睨みつけた。
「いいから下がれ、魔神ラウヴァレアシュの魔眼を持っているのもまた、間違いがないのだぞ。それを殺せば、お前は我らの王にくびり殺されるぞ」
黒い熊は不服そうにしながらも、元の位置にのそのそと戻る。
力関係は狐の方が上である様子だ。
「あなたは話せそうだな」
「ふむ。こちらもお前の素性について、いくつか聞いておきたいところだ。奇妙なる人間よ」
この二体は──どうやら魔神のようだ。
ただの魔物ではないとは思っていたが、先ほどの攻撃といい、バレゥガルと呼ばれた熊魔神を抑えた、狐魔神ガゥリスの放った気配はかなり高位の魔神であると思われた。
「それで、お前はなにを求めてこのような──溶岩ばかりの地へやって来たのか」
「魔神アウスバージスに会う為に。ラウヴァレアシュが闇の五柱の王に会い、それぞれの健在ぶりを確認するよう求めている」
狐は目を細める。──疑っているのか、それとも思案しているのか。
「……いいだろう。我らの王の前まで案内してやる」
まだなにか言おうとした熊を一睨みすると、階段に向かって歩き出す狐。
俺はそのあとを追って階段を上がる。
広い空間に残された黒熊。
門番のように待ち構えていた二体の魔神だが、他にもここには魔神や魔物が居るらしい。階段を上がった先には柱が立ち並び、その広間には人間に似た魔物や、体から火を噴いている鳥などがおり、その先に大きな門が置かれていた。
黒い空間をぽっかりと開けた門は、どうやら魔法の力で別の場所に繋がる、転移の門であるらしい。
狐魔神が柱の間を通って行くと、他の魔物たちは下がり、恭しく頭を下げる。
銀色の狐が手にした杖を門に当てると、黒い空間が真っ赤に燃える別の空間を映し出した。
「ついて来い」
魔神はそう言うと、門を潜って行ってしまう。
恐る恐る手を差し入れて、向こうの温度を確認したが、こちらとさほど変わらないようだ。
門を通過すると、そこは真っ赤な炎の壁に囲まれた場所。すべてが炎に飲み込まれた場所であった。
唯一、足下の石床だけは炎ではなく、また、焼けた石のように熱を持ってもいなかった。
(この領域は足場と外側の炎の領域とで、断絶されているみたいだ)
でなければ先へと続く石の通路が熱を持ち、歩いている俺の靴は燃え上がるだろう。それほど通路を囲む壁は、勢いよく燃え盛っているのだ。
その炎の壁は幻影などではなく、この幽世に存在する膨大な火の力そのものに間違いない(燃え盛る壁に手を突っ込んでみようとは思わない)。
熱気渦巻く通路を進み、広くなった場所を二つほど通り過ぎた先で、柱の並ぶ大きな広間に出た。
その柱は鉱石から作られた大きな柱で、黒い石材の中にちらちらと光を反射する金属が含まれているのが見えた。色違いの八本の柱の間を通り過ぎ、奥にある広間に出ると──その先には、燃え盛る灼熱の壁が広間を取り囲んでいる。
「アウスバージスよ。火炎と鋼の帝王、創造と破壊の大帝よ。天と闇の支配するものの王、魔神ラウヴァレアシュの遣わしめた者が、あなたに謁見を求めています」
銀狐の魔神が炎の壁に向かって呼びかける。
ごうっと音が鳴り響き、正面の炎がぐるぐると渦を巻いて下がっていく。
すると開いた空間に、大きな炎の塊が下から噴き上がった。
激しく燃える大きな火の塊が伸び、広間の石床を掴んだ。──その火の塊は、巨大な存在の指だったのだ。
広間の正面に現れた炎の塊は、よく見ると竜の頭部であるようだった。あまりに巨大で、輪郭がはっきりとしないが、眼に当たる部分が銀色に輝いている。
『……ラウヴァレアシュの遣いだと? 懐かしい名を聞いたものだ。いったいオレに、なんの用があると言うのだ』
狐魔神は横に移動すると、俺に前に出るよう促す。
前に数歩踏み出しながら、頭部だけで五、六メートルを超える炎の竜を前にする。冷気で身体を覆っていなければ、今ごろ身体中が水膨れになっているところだ。
「魔神アウスバージス、あなたの健在を確認する事ができて良かった。これで五柱の魔神のうち、四柱の無事を確認できた訳だ」
すると炎の竜は「フシュ──ッ」と、口元から火を吹き出す。口の横から吹き出された息吹が炎の壁を吹き消し、再び炎の壁が再生される。
『健在だと? ふぅむ……人の身では分からんのも無理はないが、オレの力はだいぶ消耗しておる。それもこれも、あの忌々しい傲岸なる天の支配者どもが、オレをこの地に縛りつけているからなのだ』
この膨大な炎の異界を維持していながら、この魔神は万全ではないと言う。──冗談みたいな話だ。
そう思っていると、炎の竜が口を開いた。メラメラと燃える舌が伸び、それが石床に真っ赤に燃える炎をこぼす。
バチバチと音を立てて燃え立った火柱。
その中から、大きな人型の魔神が現れた。
体中から光り輝く火を燃え立たせ、それを覆い隠すかのように、黒い金属の装甲が身体全体を覆っている。
魔神アウスバージスは狼の顔を持ち、その頭部からは鋭く尖った刃を前方に向かって突き出している。頭から剣が生えているように見える姿だ。
体中の黒い装甲は鎧や籠手ではなく、皮膚に近い物であるらしい。黒銀色の金属は赤い魔力の筋が所々に浮かび上がり、この魔神が強大な力を秘めているのは間違いなかった。
金属の身体の内部から燃え上がる火の力。
それがこの魔神の光体なのか。
見ているだけで眼球が焼かれそうだ。
「しかし、この場をよく探り当てたものよ。ラウヴァレアシュといえど、天使どもによって封じられたこの領域は、外からは探り出せまい」
威厳のある声色で黒色の狼が言葉を発した。
「あなたがここ『火の居城』に居ると教えてくれたのは、魔神ベルニエゥロです」
そう答えると狼の頭をした魔神は牙を剥き、露骨に嫌そうな顔をする。
「ベルニエゥロか……奴は手下どもを各地に送り込み、邪神や魔神を探しているらしいな。強力な力を持つ者を取り込み、その力を増そうと考えているのだろうが。──奴め、五柱の王の力をも奪おうとでも考えているのか」
ところでどうやって幽世に侵入した? 魔神がそう問うので、魔神ベルニエゥロからもらった短刀を見せる。
「もう力を使うのは無理かもしれませんが、これで空間を裂き、入り口を開いたのです」
狼は短刀をじっと睨みつけ「ふぅむ」と声を漏らす。
「確かにその短刀は古び、脆くなっておる。しかしここにはそうした物を修復する、鍛冶屋がおるのだ。──貸してみろ、その短刀を新たな物に修復してやろう」
そう言って狐魔神に指で指示を出す。
ガゥリスは俺の手から短刀を受け取ると、それを手にして下がって行った。
「金属と魔法の関係についてはオレの配下の領分だ。古い短刀も真新しい物に打ち直す」
俺は魔神に頷きながら、幽世にこれほどの領域を創り出しているのに、天使によって力が封じられているとは思えない、そう言った。それに対しアウスバージスは「事実だ」と簡潔に答える。
「ところでお前はなにやら、魔眼以外にも力を持っているようだな? ベルニエゥロやツェルエルヴァールムからも、力を授けられたのか?」
俺の身体を覆っている魔法を見て、その力が魔神から授けられた魔法を応用したものだと、あっさりと見抜いたらしい。
「ああ、ラウヴァレアシュは『闇の五柱の王』から力を与えてもらえ、と言っていましたが……」
そう言うと、狼の魔神は腕を組み、顎に手を当てて考えるような仕草をした。
「──いいだろう。お前がオレの頼みを引き受けてくれるなら、オレからもその労力に見合う報酬を与えようではないか」
無骨に言い放つと、魔神はその目的となるものについて話し始めた。
「これからお前に向かってもらう先は、この島の気脈に近い領域にある、様々な世界の狭間に巣を作るもの、そのものが存在する場所なのだ」
百年も前に魔神アウスバージスはかなりの力を漲らせ、多くの魔神や魔物をトルーデンに集結させた。
それに危機感を覚えた神々は、天使の軍勢を送り込んできたらしい。
幽世を戦場とした上位存在との戦い。
それは想像の域を出ないが、凄まじい戦いになったのだろう。
「神々は魔神や魔物を倒す為の兵器を用意し、襲いかかってきた。八枚の翼を持つ恐るべき天の使い<破壊天使>を送り込み、オレの配下を次々に打ち倒していったのだ」
ギリギリと白い牙を剥き出し、身体の内側から燃え盛る炎に赤黒い火花を交えて、グルグルと唸り声をあげる。
その強力な力を持つ天使を撃退したが、多くの眷属が光体を失い、存在を冥府へと送り込まれたという。
「──待ってください。上位存在は光体を失うと消滅するのではなく、冥府にその存在を囚われるのですか?」
「むっ……これは余計な事を言ってしまったか?
だが光体を失えば、多くの魔神や邪神が消滅するのは事実だ。ただしそれは光体を失ってすぐにではない。特に天上の存在は魔神や邪神の魂魄を、冥府の牢獄に封印して集めているのだ」
意図は分からないがと言うアウスバージス。
天上の神が、冥府を支配するという冥界神の領域に、上位存在の魂を封印している? 神と冥府の関係性も分からないが、不明瞭なこの世界の理の一端を垣間見た気分だ。
「おっと、それで──肝心な事を話さなければな」
狼の頭を持つ魔神は、神々との戦いで起きたこの島での破滅について、説明を始めた。
人狼を思わせる姿? どちらかというと生物ではない「なにか」を想像していただけると……
アウスバージスは魔神なので、生き物ではありません。あくまで現世に近い幽世での姿が生物に近い形を取っているにすぎません。最初の巨大な火の竜は魔神としての力を顕現させた姿。あれでも弱っているとしたら、人間には勝てない相手でしょうね。




