救援と死導者
石畳に広がる青い炎から、次々に武装した兵士が現れる。
銀色に輝く鉄の武器や鎧兜を身に着けた、青白い肌を持つ死の軍勢。──死導者の呼び出した五十体近い幽鬼は、肉の無い骸骨の姿をしているのに対して、新たに現れた軍勢は皆、筋肉や皮膚を有していた。
『なんだっ……こいつらは!』
狼狽える死導者。
その時、どこからか声が響いてきた。
『愚かな愚かな、小さき死の導き手よ。その男に手を出すなどと──いったい誰の許しを得て、そんな暴挙をおこなうというのか』
幽鬼の領域に響き渡るその声は、まるで空を駆け巡る雷霆のよう。
だがその声は──冥界神の娘、グラーシャのものだ。
『レギの魂は私たちが予約済み。私たち以外の何者にも渡さない。──死の理は断罪の刃。英霊たちよ、私たちの敵を討ち滅ぼせ』
冷たい宣告が響き渡ると、武装した戦士たちが動き出す。
幻像の街中で、いきなり合戦が始まった。
鬨の声も、怒号もない──静かな戦い。
死者同士の感情のない戦いが始まった。
グラーシャの呼び出した戦士は全部で十二体だったが、そのどれもが恐ろしく手強かった。
剣や槍や斧槍。それぞれが得意とする武器を手に、骸骨の兵士に斬りかかると、乾いた音を立てて敵を次々に打ち砕く。
容赦のない一方的な殺戮。
技量がまるで違うのだ。
農民あがりの民兵と、訓練された兵士の戦いとは、きっとこのような感じなのだろう。そんな風に思いながら、目の前で展開する制圧を見守る。
俺が呼び出した二体の戦士は、俺のそばを動かない。
しだいに追い詰められる死導者は、二十にまで減らされた軍勢の後方で、なにを思いながら浮遊しているのだろうか。
(まるで風前の灯火というやつだな)
しかし、このままグラーシャの兵隊に任せる訳にはいかない。
何故なら死導者との戦いは、恐るべき危機であると同時に──新たな、強大な力を得る機会でもあるのだから。
俺は二体の幽鬼を従え、ゆっくりと前に進み出す。
次々に敵を倒してゆく英霊が切り開いた、戦場の道を悠々と歩む。
前方で戦っているグラーシャの戦士は互いの位置を変えながら、残りの敵を倒しては横に移動し、戦列を離れる。
敵を排除すると下がっていく戦士。
俺は道の先に浮遊している死の使いの前に、一度も戦わずに立つ事になった。
グラーシャが送り込んできた戦士たちは、俺と死導者の両脇に立ち並び、戦いを観戦するつもりらしい。
『ぬぅうぅぅ……』
英霊たちと戦おうと身構えていたが、死の使いは無視される格好となった。
「どうやら冥界神の娘は、俺とお前との一騎打ちを望んでいるようだな」
俺も二体の幽鬼戦士を後方に下げ、見守るよう指示を出す。
『この我を倒そうと言うのか? 定命の……人間風情が!』
「はははっ、すでに知っているだろう。俺はあんたの同胞を倒し、その力を取り込んでいるという事を」
そう言い放つと奴の身体から黒い炎に似た光が、メラメラと燃え上がって見えた。
『死の力を簒奪など、人間には過ぎた振る舞いよ! ここで滅び、身の程を知るがいい!』
死導者はそう吠えると、足下から青黒い炎を噴き上げ、青い焔を燃え上がらせる骨の馬に跨がり、巨大な剣のごとき槍を手にして駆け出す。
馬の蹄の音ではない、異様な重い音を「ぐわん、ぐわん」と響かせながら突進してきた。
「名もなき死の使いに身の程を諭されるなど笑止! 神殺しをも怖れぬ俺が、死の奴隷に過ぎぬ者に敗れる道理などない‼」
こちらも力の限り咆哮し、身体から魔神の力を解放する。握りしめた魔剣に魔神の魔力を集中させる。
俺の霊体を通じて上位存在の持っていた力が剣に流れ込む。──赤や青に輝く光が魔剣を覆い、絡み合って紫色にも変化し、怪しく発光する光の刃となった。
『ほざけえぇッ!』
激昂した死導者が大槍を振り上げて突きの構えを取り、馬の横っ腹を蹴った。
青い焔を口や鼻の穴から噴き出した骨の馬が、数メートル先から飛びかかってくる。
「ハァアアアアアッ!」
身体から腕へ、腕から剣へと流れ込む力。
魔剣を頭上に振り上げた俺は、一直線に向かって来る死導者に、それを振り下ろす。
業魔斬よりも激しく強力な爆発力が、振り下ろされた剣の先から放たれる。──それは勇者のシューバールト少年がやって見せた、神気を纏った攻撃。あれの魔神版だ。
赤、青、紫。それらの輝きが弾き出される破壊の渦。
斬撃と衝撃が死導者と亡霊の馬を打ち砕く。
通りに敷かれた石畳をも木っ端微塵に打ち砕き、街道に凄まじい破壊の跡を刻みつける。
『ぐゥぎャぁあァぁぁアァッ‼』
光の爆発──渦巻く破壊の嵐の中で、死の使いの悲鳴が木霊した。
道はえぐれ、光の乱舞が消え去った空間に、小さな黒い渦だけが浮いていた。──それは死導者の霊質。幽鬼の領域を形作る根源の力。
『おみごと、レギ』
さすがねと言う、グラーシャの声が辺りに響く。
『さあ、死導者の霊核を同調させなさい』
黒い渦がゆっくりと、えぐれた地面に落下してゆく。
俺はその渦に近づくと、掌でそれを受け止めた。──渦が俺の手に触れると、ぐるぐると回転し、その中から青黒い結晶が現れた。
ひんやりと冷たい感覚のする結晶を取り込むと、死導者の霊核に融合する。
俺の霊体の中で──それらは一つとなり、より強力で、底の深い霊的な死の領域の力を我がものとした。
死を司る力の奥義へと、また一歩近づいたのだ。
気づけば周囲に居たグラーシャの戦士たちが消えていた。
まるで亡霊だ。
えぐれた地面から出て石畳を踏むと、そこで待っていた幽鬼の戦士が黙ってこちらを見ている。
「ああ、すまなかったな。呼び出しておいてなんだが、あんたらの活躍は次の機会になりそうだ」
手を軽く振って彼らに下がるよう指示すると、その場に膝を折って礼をし、影の中へと消え去った。
周囲の街並みが揺らぎ始めた。どうやらこの幽鬼の領域も消滅するようだ。
『しばらく見ないうちに、また強くなったようね』
グラーシャの楽しげな声が、どこからともなく聞こえてくる。
「また助けられたな。ありがとう」
なんとなく上空に向かって声をかけた。
崩壊する暗い空の色。
建物も次々にその形を崩していく。
『それにしても、海を越えた場所でも死の使いに襲われるなんて。……相変わらず、死に愛されているようね』
「おいおい、それは勘弁してほしいな」
俺が心底いやそうな声を上げるとグラーシャは、さもおかしそうにクスクスと笑い声で応える。
『大丈夫。幽鬼の領域に近ければ、私やラポラースが手助けしてあげるから』
彼女の声が遠くなる。
『それでは、また──ネ』
俺を中心に世界が閉じ。また広がっていったみたいな奇妙な感じがして、俺は現世に戻された。
溶岩の流れが固まった不毛の大地。
この溶岩の下には、先ほど見たような街があったのだろう。
先の死導者は、この島を中心に活動している死の使いだったのだと思われた。
新たに手に入れた死導者の霊核。
おもしろいのは、奴がおこなっていた──自らの霊魂を分離させて、別の個体として操っていた事だ。
言葉遣いや行動など、まるで別人格のようであったが、あれはまったく同じ個体なのだ。上位存在の独自性(個我)──それは人間の自我存在の在り方とは違い、表層部分と本質的な部分との境界が曖昧なのではなく、それらは「異なる同体」とでも言うべき、別人格という同じ存在なのだろう。
女性でもあり、男性でもある神。
死であり生である存在。
不滅の魂魄を有する存在には、動物的な性質を持った自我(獣性)といったものは不要なのだ。
それは自己であると同時に他者でもある。目にするものは自らの一部であり、すべてを包含した世界の一部となる。それが上位存在としての意識なのではないだろうか。
その認識や存在の有り様は、人間のように矮小な、肉体に縛られた意識体ではあり得ない。
意識と無意識の領域──その両側面を統一させた、揺るぎのない完全なる自立した意識。
すべてを制御し支配する個我。
それは自己であると同時に、世界そのものだ。
水面に映った月が、世界の表であろうと裏であろうと、月であろうと水面に映る残像であろうと、(上位世界の理では)そのどちらも本質的に同じなのだ。月があるのに水面に月が映らない事がないように、それらは同質なのである。
上位なる存在の光体や魂魄といったものが、その本質をどこまで体現するかは知らないが、それはら限りなく不滅であり、消滅したと見えても、水面に映る残月のように、どこかに顕れる。
月が消滅しても、水面に映っていた月の残像から──月が復元されるかのように。
神々の存在とは、そうした特異な有り様で成り立つものなのだ。
おそらくたったいま倒した死導者も、個体としての記憶は無くしても、どこかで復元されるのではないだろうか。
それは死が絶え間なく続くのと同じで、根源的な死の力が在り続ける限り、永劫不滅の存在となる。
強大な死の力だが、それは実体のない──幻像にも似た、世の理から外れた力。
「上位存在とは、限定的な活動力そのものなのかもな」
ある器に入った水。
それがこぼれ出ても、再び器には水が満ちる。
それ以上には増えず──また、無くなる事もない永遠の水。
それこそ上位存在の有り様。
俺が手に入れたのは水の部分だ。
「上位存在の秘密が、徐々に分かってきたぞ」
ゆらゆらと後方から近づくものを感じながら、新たに得た死導者の霊核──その力を、自身の力の一部として組み込む。
近づいて来た火と岩石の塊。
「『死霊の氷荊』」
腕を突き出し、霊核から力を解き放つ。
大地に影が這い、その影から氷の荊が何本も突き出して、攻撃しようと身構えた火魔精霊を捉えた。
突き刺さる荊が絡まり、刺し貫かれ、火魔精霊はその場に崩れ落ちる。
「魔法の有効射程もかなり伸びたな」
精霊の倒れた場所を調べたが、精霊石もなさそうなので、南にある火山に向かって移動を再開する。
ゴツゴツとした溶岩石の足場が積み重なり、まるで壁みたいになった所や、柱状の噴出口だった場所を通り過ぎ、山の麓へと向かう。
噴出口からは白い煙りが出ていたり、ゴボゴボと音を立てて熱湯を吐き出している所もある。
硫黄臭い場所だが、毒になるような瓦斯は感じられない。
どういう訳か火山の周辺に近づくと、火魔精霊の姿はまったく見えなくなった。──火の力を持っている癖に、火山を怖れているのだろうか?
「魔神の力を怖れているのかもな」
火山の上部に向かって「闇の五柱の王」の魔力を指し示す反応が、煙のように漏れ出ているのが見える。それは実際に魔力があふれ出ているのではない、あくまで視覚的に捉えている情報に過ぎないようだ。
「まだまだ距離があるな……」
火山の麓に向かいながら魔術の門を開いて、死導者の霊核を分析し、新たな力の獲得と制御に意識を向ける事にしたのだった。
ここで一区切りとしてもいいのですが、同じく火山島での話が続くので、同じ章として扱う事としました。
次話は金曜日、その次は日曜日に投稿予定です。




