幻影の街。幽鬼の領域での邂逅
魔精火竜を討伐した俺は、奴の体内からあふれ出した、燃え上がる燃料を避けながら──残っている物を探し求めた。
せっかく希少な存在を倒したのだ。角や鱗や皮、牙や爪などを回収し、影の倉庫にしまい込む。
大きな角は途中で折れた物が一本だけ残されていた。
「精霊石みたいなのはないのか」
燃え盛る溶岩地帯を探したが、先ほどの爆発で木っ端みじんになってしまったのかもしれない。
惜しいが仕方がない。
火口に向かって慎重に近づいて行く。
「また今みたいなのが出てきたらかなわんな」
鼻の曲がる刺激臭がする場所から離れ、火口の穴を覗き込む。
木精霊から預かった水晶玉を火口に投げ入れた。
じゅうっと音を立てて、溶岩の中に沈んでいく水晶玉。
「……これでいいのか? まあすぐに気脈が修復される事はないと言っていたが」
暑いその場を離れ、南にある黒い火山へ向かって斜面を上る。
軟らかい火山灰が堆積した地面は、歩きにくい事この上ない。
足をかけたところが崩れたりするので──基本、四つん這いになって斜面を上がって行った。
「やれやれ、やれやれだ」
誰も足を踏み入れない未踏の地だ。歩きやすいはずはないが、いくらなんでも過酷すぎる。
硫黄の臭いが立ち込める中を、懸命に踏ん張って駆け上がる。
火口から上がった先で、斜面の下に居る火魔精霊と目が合った。──相手には目と呼べる物は見当たらないが。
またしても戦闘になった。
今度の奴は火球を投げつけてきて、放物線を描いたそれが地面にぶつかると、大きな爆発を起こす。
こっちは一気に坂を駆け下りながら、体重を乗せた魔剣で縦に斬り裂いた。乾いた岩石の兜ごと真っ二つにして、残された精霊石を頂戴していく。
火山の方を見ると、小さな火口と同じで、溶岩は地面の下を流れている。噴煙は上がっているが、流れている溶岩は見当たらない。
まだ中央火山に辿り着くには距離がある。
見える範囲に火魔精霊の姿はない。のんびり行くとしよう。そんな風に考えながら、この荒寥とした岩石ばかりの土地を歩む。
草木も生えぬ──固く、他を寄せつけない不毛の地。
いくつかの荒れ野や乾いた土地を歩いてきたが、ここまで一切の生命が宿らぬ場所は初めてだ。
「まさに死の大地だな」
島の大半を埋め尽くす黒い溶岩の大地。
でこぼこと沸き立ち流れた溶岩の跡。
しばらく歩いていると、遠くに街が見えた気がした。
「蜃気楼か……? こんな火山の土地でも見えるものなのか」
ゆらゆらとした陽炎がだんだんと近づいてくる。
「────‼ こいつは……蜃気楼なんかじゃないぞ──!」
気づいた時には周囲の様子が変わっていく。それと同時に、俺にはなにかに引きずり込まれるのを感じた。
(異界化だと⁉ こんな場所でっ……‼)
暗闇が押し寄せてきて、俺は顔を腕で覆った。
手には魔剣を持ったまま、気づけば薄暗い街の中に立っていたのである。
「おいおい、なんだぁ……あれは」
建物の建ち並ぶ通りの向こうに山があり、それが火を噴き上げていた。──しかしその火は、まるで絵画のように止まっており、周囲に居る人々も、まったく動く様子がない。
「この連中は──トゥーレント国の市民か?」
小綺麗な格好の小間使いや主婦らしき人々が、山の方を見ている。
生命探知を掛けても、彼らからは生命の反応はないと確認できた。──当然だろう。ここにあるのは過去の記憶。見えているものは幻像に過ぎないのだ。
街の様子は空の赤黒い色と同じでどんよりと曇り、黒い山の上に噴き上がる炎だけが、鮮やかな橙色や朱色に光を放っている。
その風景を見ていると、胸の奥がざわつくのを感じた。
「ここは──幽鬼の領域か」
死導者の霊核が反応し、危機を訴えている。
どこかから──がちゃがちゃ、ごとごと、ぱっかぱっか、そんな音が聞こえてきた。
「くっそ……また死霊どもと戦わされるんじゃないだろうな」
死導者の霊核にあった、死者を呼び寄せる呪いのような力は外したはずなのに……
音はだんだんと近づいて来ている。この音は──馬車か?
通りの先にある十字路から、馬車が強引に曲がってきた。まるで暴走しているような勢いで、曲がり角をこちらに向かって曲がると、その勢いのまま、通りに立っている人を轢きながら、こちらに突進して来る。
しかもその馬車を引いている馬二頭は、骨だけの馬だった。
骸骨馬を操っている御者もまた骸骨らしく、鞭を奮いながらこちらに突っ込んで来るではないか。
「そっちがその気なら、容赦はしない」
俺は手を上げると、馬車の前に向かって手を突き出す。
「『巨人の腕』!」
ずどん、石畳から突き出た巨大な腕が、骸骨馬に振り下ろされる。
「ぐわしゃぁっ」
派手な音を響かせて、馬車もろとも打ち砕かれる二頭の馬の骨。
御者はひらりと宙に舞い、巨人の腕を飛び越えて──俺の前、七メートルほど先に着地した。
『おや』
いかした御者服を着込んだ骸骨が、頭の中に響く声で言う。
『これはこれは、お客様でしたか。目的地はどちらまで?』
そう言いながら、頭に乗せた鐔の大きな赤い帽子を押さえ、恭しく一礼をする骸骨御者。
品の良い緑色の燕尾服を着ており、首には赤い装飾布を巻いている。茶色のズボンに黒い革靴。手には白い手袋を付けていた。
「にぎやかしなら余所でやれ」
俺はそう言うと、魔剣を軽く振り下ろす。
目の前に居るのはただの不死者ではない、こいつは死導者だ。
『これはこれは、私はあなたの御者。あなたをお連れしたいのですよ』
「ほう、どこへ連れて行くと言うのだ?」
『もちろん、冥府でございます』
骸骨は軽く会釈したと思ったら、一瞬で間合いを詰めてきた。瞬間移動だ──この幽鬼の領域では、奴の方が自由自在に力を奮えるのだろう。
奴は手にした刺突剣を打ち込んできた。
凄まじい速さ。
軽やかな足運び。
(できるッ……!)
鋭い三段突きを受け流しながら、前に踏み出してきた足を狙って蹴りを入れたが、あっさりと躱された。
くるりと剣を回転させ、蹴りを打ってきた足を斬り裂こうとする骸骨剣士。
それを躱しながら、魔剣を大きく薙ぎ払って反撃する。
すると後ろに流れるような動きで躱し、間合いを取る骸骨。
『おお、こわい』
「死導者が、こんな人も碌に住んでいない場所に、なんの用だ」
すると洒落者の御者は声もなく笑い、冷たい声を響かせた。
『なに、あなたが邪魔なだけですよ』
今度は身体を左右に振りながら──いや、左右に瞬間移動しながら迫って来る。
「ガキンッ、キィィィインッ、カシィンッッ」
斜めからの振り下ろし、鋭い連続突き、薙ぎ払い──そのどれも、神速と言っていい速さで襲いかかってくる。後ろに下がりながら、その攻撃の一つ一つを剣で受け流し、身体にはかすらせもしない。
聴死の力を限界まで使用し、なんとか攻撃を凌いでいるというのが実情だ。
『やりますねぇ』
表情のない髑髏に、にやけた口元が見えた気がした。
俺はそれに対して苛つかず、逆にこう考えた。
(骸骨野郎は内臓がない訳だよな? という事は、こいつらは疲れ知らずで、呼吸も乱さない。無限の労働力になるな)
そう考えて俺は鼻で笑ってしまう。
洒落者はその反応が気に入らなかった様子で、刺突剣の刃を指で挟むと、刃を指でなぞり、赤黒い光を放つ武器に変化させた。
『いいでしょう。あなたを私の部下にして差し上げます。仲間の力を簒奪した者をどう始末するか考えていましたが、気が変わりました』
死導者は丁寧な物言いをしたが、頭に響く口調は正直で、はっきりと苛ついているのが丸わかりだった。
「へえ、そうかい。だがお断りするぜ。御者の小間使いなんて、野暮ったくてやってられねえよ」
俺の挑発に乗って、骸骨御者が突進してきた。
一瞬で間合いに入り込む死の使い。
だがこちらはその横に鋭い動きで回り込む。
きっと奴は驚愕の表情をしていただろう。
一閃。
横を駆け抜けながら薙ぎ払う一撃。
燕尾服を引き裂き、腰骨を叩き斬る重い斬撃。
『ばっ、……バカなァっ!』
そのまま石畳に落下する上半身。
下半身はその場に膝を折って、前のめりに倒れ込む。
くるりと振り向いた俺は大きく踏み込みながら、背中から魔剣を突き下ろし、上半身が落ちきる前に、奴の核を刺し貫いた。
『うごおぉォオぁあぁああァアっ‼』
銀青色の火を噴き上げる骸骨。
魔剣を通じて死導者の力が流れ込んでくる。
死導者の魂は不死者とは違う所為か、魔剣に取り込む事はできない(魔力は吸収したが)。──だが、俺の中にある死導者の霊核には、新たな死導者の力を取り込む事ができた。──────しかし。
「……妙だ」
死導者の力にしては弱い、弱すぎる。
取り込んだ力は最初に出会った死導者の、数分の一しか無い。
(これは──どうやら、まだ終わってはいないようだな)
周囲の街並みを見ても、異界化が解けない。
まだ死導者の力が、根源が、この異空間を維持している証拠だ。
俺がたったいま戦ったのは、死導者の一部だったのだ。幻像ではなく、間違いなく死導者の力には違いなかったが、まだ奴の根源が存在している。
「どうした、死の使いよ。これで終わりではないだろう。それとも人間を怖れて、陰でこそこそと陰謀でも企てるつもりか」
俺は大声で呼びかける。
暗い色に沈んだ街に木霊する声。
周囲に立っていた市民の幻像が影の中に沈み込んで消え去ると、どこからか声が響いてきた。
『自惚れるなよ、定命の者が! よくも我が力の一部を……! 赦せぬ!』
通りの先に影が広がり、その中から黒い極光気を纏う骸骨が出現した。
洒落者の出で立ちではなく、法官が身に着けるような、極上の生地を使った法衣を纏った姿。
青と赤色に光る目を持ち、頭には銀冠を載せていた。
口調も先ほどの気取った若者のような言葉遣いではなく、傲慢な支配者そのものといった感じだ。
そいつは黒い炎を纏うみたいに宙に浮きながら、ゆらゆらと長い腕を広げ、石畳の上に影を広げる。
影の中から武装した骸骨の兵隊が現れた。
次々に現れた兵士は五十体は居る。
(大盤振る舞いだな)
内心、焦りを感じながらも──こちらもここ、幽鬼の領域に強い存在を召喚する。
「冥府の理、盟約に従え。我が腹心、我が守護者。幽鬼の兵どもよ」
俺の前に黒い水溜まりのような漆黒の影が二つ広がり、その中から全身鎧を着た大柄な戦士と。目隠しを付け、腕や足に黒い包帯を巻いた、奇怪な女戦士が姿を現す。
『なんだと……⁉』
大剣を構える金属鎧を着た戦士と、短剣と短刀を抜いた異形の女戦士。
黒い炎を纏う死導者がゲラゲラと笑い声を上げる。
『馬鹿め! この死の使いに対し、幽鬼の兵士を呼び出すなどと……愚か者が!』
奴はそう言って手を翳すと、俺が呼び出した幽鬼の足下から鈍い光を放つ鎖を出現させ、二体の戦士をがんじがらめにする。
『さあ、我が声に従え。そしてその人間を殺すのだ!』
────ところが二体の戦士は、その鎖を簡単に引きちぎり、五十体近い敵を睨みつける。
『……何故だ? 何故、我が声に従わぬ』
「はっ、それはな、この者たちが冥府の理の下に、俺と盟約を結んでいるからだ。例え死導者であっても、その盟約を変更する事はできない」
そう言い放つと、奴は黒い炎を噴き上げて、怒りの言葉を発する。
『おのれ! 死を統べる冥界神の巫女として招かれながら、なんという不埒な者らよ!』
怒り狂う死導者と幽鬼の軍勢。
さらに俺の前に青い炎がめらめらと広がり始めた。──それは、幽鬼の領域に侵蝕する、強大な力の前触れだった。
二度目の死導者との遭遇。
いったい幽鬼の領域でなにが起こるのか?
次話もよろしくです。




