魔女王ディナカペラ
蜘蛛妖女に受けた痛みを抱えながら魔剣を握り締め、突然現れた黒い水の塊と対峙する。それは大蛇のような形をしているが、目や口がある訳ではなく、細長い形が大蛇のようだと思ったに過ぎない。それはどこまでいっても「黒い水」でしかないのだ。──ただし、水が自立的に動き回るものだと仮定してだが。
それはざわざわと波打つと、大蛇の先端部分の形を変えてある物を象った──人間の姿をだ。
「お前がレギスヴァーティか?」
それは声を発したようだった、奇妙な声と言うか、音だった。
「お前はレギスヴァーティではないのか?」
再び人の形を取った黒い水が尋ねて来た。まるで人間味のない機械的な声であり、言葉なのか雑音なのかも分からないくらい曖昧な響きを持っていたが「そうだ」と俺は答えていた。
「私はリアヴィーシス、魔女王ディナカペラに造られし黒い娘……レギスヴァーティ、お前の主の名は」
それは唐突に名乗り、魔女王の配下であると語る。そして俺の主は誰なのかと問うのだ。
「俺の主は俺自身だ、それ以外に主はない」
そう答えると黒い水は、ゆらゆらと揺れ動きながら、俺の発した言葉の意味を理解する時間が必要だったのか、しばらく黙っていたが「そうか」と応えて地面に倒れ込み、人型だった部分がずるずると大蛇の一部に溶け込んで、その頭部に背もたれの付いた椅子のような形を作り出す。
「座れ、我が主の居る場所まで案内するよう言われている」
奇妙な黒い水の塊──リアヴィーシスの言葉に従って、椅子状になった水の上に腰かけたが、服は濡れなかった。水の形をしたそれは、他の物に染み込む事がない異質ななにかだった。
ぶよぶよとした表面に触れると、ひんやりと冷たく、命があるようには感じられない。
「いくぞ」
リアヴィーシスが言うと、ずるずると地面を這い出した大蛇は、段々と速度を速めて、荒れ地の中を滑るように移動して行く。
凄い速度だった。大蛇の頭の部分に座った俺は、横にも縦にも動かずにずっと平行な状態を保ったまま進み続け、荒れ地の中に居る獣や、魔獣に道を譲られながら、ある岩山の方へ近づいて行くのだった。
黒っぽい岩山の麓まで来ると、リアヴィーシスの移動速度はしだいに緩やかになり、なだらかな斜面の途中にある、でこぼことした岩の隆起した辺りに降ろされた。
「この先にある洞穴に魔女王ディナカペラが居る──ついて来い」
そう言うと大蛇はぐんぐんと小さくなり、最終的には俺よりも小さな人の姿を取った。黒い水の塊である事は変わりなかったが、大きな姿をしていた頃よりは、だいぶ愛着の沸く姿に思える。
彼女──胸や尻、腰のくびれの形から推察すると、リアヴィーシスは女性体(十代半ばくらいの少女?)なのだ。それに先ほど自身の事を「黒い娘」と呼んでいた──の後ろについて行くと、暗い洞窟の中に入って行く。
俺は携帯灯を取り出して明かりを点けると、それを翳しながら洞窟内を進む。足下は土であるがとても固く、階段状に削られたりしていて、人が歩き易い通路がずっと奥まで続いている。
通路の先が分かれており、白い鍾乳石に囲まれた緩やかな階段のある通路や、壁から紫水晶などの結晶が無数に生えている、広い場所に出た。地面に近い場所には灰色の石の塊の中に、いくつもの紫水晶が上下から生え出ている晶洞が口を開き、紫色の歯を剥き出しにした生き物の口内にも見える。
その先には、さらに摩訶不思議な空間が広がっていた。綺麗に透き通った水が緩やかに流れている間を、細い石の道が通っているのだが、光で照らし出されたその場所はちょっとした広さの晶洞になっていて、壁や天井は虹色の光を反射する、澄み切った結晶に覆われていた。
てらてらと光を反射する、なんとも美しい部屋の先に続く通路に入ると、土の壁から突き出した水晶が淡い光を放っていて、携帯灯が必要ないくらいに、明るい光に包まれている。
幻想的な通路の先に来ると、大きな広い部屋に出た。今までの場所とは違い、床に大きな石の床板が張られ、壁は剥き出しの土ではなく、白い鍾乳石の壁が張り巡らされていた。
明らかに人為的な部分がある、その部屋の奥には、石で造られたテーブルと木製の椅子があり、別の部屋へと続く入り口なども見受けられる。
リアヴィーシスがテーブルの近くまで俺を導くと「ここで待て」と、一言残して部屋の奥にある通路の先へ姿を消してしまう。テーブル周辺にある緑柱石の柱は、ぼんやりと緑色の光を放ち、辺りは洞窟内だというのに明かりがなくても活動する事が可能なようだ。
しばらくすると、通路から現れたのは、灰色の法服を纏った女──魔女王ディナカペラだった。彼女は真っ白な肌に、色とりどりの宝石が付いた金や、銀の腕輪などを身に付けており、手には物々しい赤い石と、青い金属が巻き付いてできた杖を握っている。
外見は若く美しい、まるで聖女のような見た目で魔女は現れた。
「あなたがレギスヴァーティか、ラウヴァレアシュが言った通り、配下にした者という訳ではないのね。変わった人間も居たものだわ」
彼女は尊大な態度で言うが、彼女自身もまた人間であるようだ。
「私はディナカペラ、魔女たちからは魔女王などと呼ばれる者であり、魔神の一柱ツェルエルヴァールムの配下である魔神よ。」
彼女はそう言うと口元を押さえて、「あなたが察する通り、以前は人間」と笑う。
「魔導の道を進み、魔神と接触し得た事で私は魔神となった。──もちろん簡単に人間である事を止めて、魔神へと変われる訳ではないわ。新たなる魔神としての力を得るには、それなりの覚悟と執念、運命への反骨と業が試されるもの」
彼女の言葉は謎めいていて解らない、そんな表情をしていたのだろう、ディナカペラは肩を竦めると自嘲気味に言う。
「詰まるところ私は、あなたの先達に当たる者だという事──まあ、そうは言っても人間であるあなたに、なにを言ったところで意味はないでしょうね。愚か者なら人の話は聞かないだろうし、賢き者なら自分の意志と行動でのみ、答えを導き出すものだから」
彼女はそう言い白い石のテーブルに触れると、近くに置かれた木製の椅子を引いて座るように言う。
彼女と向かい合って腰を下ろし、肩に下げていた荷袋を降ろすと、彼女が出て来た通路とは別の入り口から人が歩いて来た。それは半透明な赤い色の液体状の人間で、細部まで細かく人の形を成し、目や髪など部分部分によって、赤い色の濃さが違い、動きも人間を模している。
「彼女はクラニィ、この広間を守る私の創り出した魔法生命体の中でも最も強く、人間らしさも持つ女の子よ」
赤い少女は、二つの馬の尻尾状に見立てた髪型をしており、手にした銀盤から紅茶の入ったポットや、カップをテーブルに並べて会釈すると、唇を動かしてこうしゃべり出した。
「私は緋色のクラニィ、ディナカペラの娘の一人。どうぞよろしく、レギスヴァーティ様」
声も完全に少女のものだと感じた。黒いリアヴィーシスは不明瞭な声か、音に聞こえる奇妙な言葉だったが、そう話すとディナカペラは、赤い少女を下がらせて俺の言葉に答えた。
「リアヴィーシスは戦闘に特化して造られたものだから。体積の変化が一番激しいのも彼女ね、けど素直でいい子よ。あなたの事もしっかりと、ここまで運んでくれたでしょう?」
その言葉に頷いて、改めて礼を言った。蜘蛛妖女に襲われたところを助けてくれた事に感謝しながら、なぜ俺が危機に陥ると知っていたかと問う。
「あら、それはあなたに力を与えたラウヴァレアシュが、私の所にあなたを助けるよう言霊を送って来たからよ。あなたは私の盟主ツェルエルヴァールムを封印から解くのに協力してくれるはずだと言うから、助けたのだけれど……それに、あの魔神が協力するに値する人間かを見てみたかったしね」
「ラウヴァレアシュは、あんたの位置を正確には把握できないから、俺に探すよう言って来たんだが」
俺が愚痴を零すと彼女は嗤う。
「それはあなたが私に近づいた事で、私の居る場所が分かった為でしょうね。左目の魔眼に掛けられた魔力探知が反応して、ラウヴァレアシュが気づいたのでしょう。そして、あなたの気づかなかった蜘蛛妖女の存在にもね。せっかく魔眼を持っていても、あの程度の対抗魔法に対策を練れないようではね──まあ、あなたはまだ、魔導の入り口に立ったばかりの若輩ですし、これからよね」
まあそう言われても仕方がない、生命探知を回避する魔物が居るという事を知っていながら、対処を怠ったのだから、うっかりやらかしてしまった──で、命を失っていてはお話にならない。
「それは今後の課題にするとして──ツェルエルヴァールムの封印とは?」
俺は封印を解く事については聞かされていないのだと言うと、ディナカペラは立ち上がり「こっちへ」と歩き出し、彼女が現れた通路へ向かって行く。
彼女の後を追うと、通路の壁も微かに光を発していて、それが壁に埋まっている、小さな結晶が放っている光だと気づいた。
通路の先には別の小さな部屋があり、薄暗い壁や天井の所々が、淡い小さな青色や緑色の光を放っていて、幻想的な空間になっていた。そこからさらに奥の通路へ向かう魔女。
その通路の先は暗く、一気に真っ暗闇になり、ここが改めて岩山の中にある洞窟なのだと感じる。
「ここにツェルエルヴァールムの身体があるわ」
ディナカペラはそう言って、結晶を手に持ち明かりを灯した。
レギ、大ピンチ! かと思いきや……という展開。
想像と違った展開でしたか?
魔女王ディナカペラは、水や生命に関係する魔法や錬金術に秀でた魔導師で、作者的には「スライムの女王」(笑)という感じのお人(魔神)。