火を司る精霊たちの魔物化
俺は森の端まで来ると、黒い岩ばかりの不毛の地を見ながら、そこで昼食を取った。昼食と言っても簡素な、香草と薬草入りのパン。それと腸詰めのみ。
疲労回復の薬も飲み、栄養を補給しておく。
くそ不味くても体にはいいのだ、飲まない理由はない。
水筒から水を飲んでいると、視界の隅でなにかが見えた。
黒い塊と明るい橙色が動いている。──火魔精霊だ。
そいつは黒い溶岩石の岩場を歩き回り、うろうろ、うろうろと、岩場の間を行ったり来たりしているだけだった。
大きな溶岩石の塊や、噴出口だった溶岩が固まってできた、溶岩石柱の陰に入って見えなくなる。
(一体だけなら倒せるか?)
幸い精霊の許可も下りているし、魔精霊となったものだ。倒しても構わないだろう。元は精霊なので、倒せば貴重な精霊石が入手できる可能性もある。──危険だが挑戦してもいい。
岩場を歩くので、革の手袋を嵌めておく。──岩石で手を傷つけたくない。
「よし、やるか」
腰かけていた木の根の間に置いた背嚢を影の倉庫に取り込み、身軽なまま溶岩地帯に足を踏み入れる。
魔法で強化すると同時に魔法障壁も張る。火炎耐性魔法も使って、火の攻撃に備えてから先に進む。
ゴツゴツとした溶岩石の塊がゴロゴロしていて歩きにくい。少し低くなっている所は溶岩流が流れ、固まったらしい跡がはっきりと残されていた。
緩やかな斜面の先に見える、小高い山となった場所。そこから煙りが立ち上っている──火口の一つだろう。その先にも大きな山が見えており、その辺りから魔神の魔力の反応──魔眼に組み込まれた探知能力で、五柱の王から放出される魔力の波動(?)を視認──が見えている。
「小さな火口に精霊から渡された水晶玉を投げ入れ、その先あたりから幽世に侵入しよう」
そう予定を立てて、溶岩流の上を歩く。
積み重なって冷え固まったのだろう。高い場所にも溶岩流の跡が残され、溶岩石が崩れ落ちている場所なども各所にあった。
(これは──戦いの跡か?)
溶岩石柱が崩れたらしい物があったが、なにかが激突して折れたみたいになっている。火魔精霊どうしで戦う事もあるのかもしれない。
歩いていると、また火魔精霊がうろうろしているのが見えた。先ほどよりも近づいているが、こちらを認識してはいない様子で、また黒い岩陰に移動して見えなくなる。
火口に向かって黒い大地を進みながら、へこんだ溶岩流の上を歩こうと足を乗せると、黒い溶岩の一部が崩れ落ちた!
「あぶっ……!」
固い溶岩石に手を突いて前に進もうとする。
「あっちぃ!」
穴のあいた場所を覗き込むと、ゆっくりと流れている光り輝く川。ごうごうと熱風が噴き上がり、あまりの熱さに後退する。
「足が焦げるところだった」
靴は焦げていないが、下手をすると火が付いてしまったかもしれない。それくらいの熱気が穴から噴き上がるのだ。
南側の火口に向かって、冷たい風が吹いていたから気づきにくかったが、この辺り一帯の気温は、実はかなり暖かいのだろう。
「なるべく高い場所を歩くべきか」
窪んだ場所を慎重に歩いて、溶岩石の密集する場所を踏み越えながら、先にある小高い溶岩石の上へ上る。
一瞬だった。
危険を感じた瞬間に前へ転がり、小さな溶岩石がゴロゴロしている場所を転がり落ちた。
「ガチャガチャガチャッ」
手で岩石を掴み、身体を横向きに滑らせて傾斜の途中で体勢を立て直す。
ゴツゴツした岩石がぶつかって痛い。
俺が立っていた場所から、真っ赤な炎が噴き上がった。
視線の先、二十メートルほど離れた場所に、黒と橙色の身体を持つ火魔精霊が、手をこちらに向けているのが見えた。
続いて攻撃するつもりなのだ。
俺は立ち上がると魔剣を抜き、周囲に他の敵が居ないのを確認しながら、敵に向かって一気に突っ込んで行く。
またしても俺が居た場所から炎が噴き上がった。──すぐ後ろだ。
(あぶねっ)
この辺り一帯の火の力に干渉し、火柱を噴き上げているのか。
溶岩石や大きな岩石が転がる黒い大地を駆け抜ける。
離れた位置から炎の矢を五発撃ち出してきたのが見えた。──と同時に、火魔精霊の斜め後ろから、もう一体の火魔精霊が近づいて来ているのを知った。
十メートルくらいに近づくと精霊の身体が、真っ黒な岩石を鎧として身に着けた、炎の戦士に見えた。──実際は大型の猿か、人間よりも一回り大きな人形みたいなものだろう。橙色に燃え盛る炎の表面に、黒い溶岩石を装甲みたいに着けている。
火炎の矢を反射魔法で弾き、遠くから迫って来ている火魔精霊の方向へと弾き返す。足止めを目的とした対応だ。次の攻撃を放たれる前に、一気に敵の懐へ迫り、岩石で守られていない火の部分を斬り裂く。
「「ヴィヴィビュゥンンッ」」
奇怪な音が火魔精霊から発せられた。苦痛の声だったのか、腕を切り落とし、身体の中心部で赤く光る力の源を貫く魔剣の刃。
「「ゴァガガガッ」」
核を貫かれた炎の身体もつ精霊は、周囲に火花を迸らせながら、その場に崩れ去り、纏っていた溶岩石をガラガラと落下させる。
もう一体の方に向けて、氷の矢を撃ち出しながら接近し、相手の魔法攻撃を避けつつ、さらに呪文の詠唱をおこなう。
「エレイォン、アスル、フィラェス、輝ける氷雪の大地、極光の下に封じよ、カラディルの凍れる鉄槌『氷塊冷破』!」
横に回避し噴き上がる炎を避け、突き出した手の先から、徐々に巨大化する氷の飛礫を放って、火魔精霊を攻撃する。
大きくなる氷塊は、周囲に冷気の白い靄を発生させながら飛翔し、火魔精霊に直撃した。
「ゴシャアッ」という音と共に、大気を振動させる「ミキミキッ、ビキビキッ」という音が響き、精霊の身体を凍りつかせる。
魔神の影響で魔力が強力になったのもあるのだろう。その一撃で魔精霊は力を失い、氷の柱の中に黒い岩石を残して消滅した。
「よしっ、──なんだ。思ったほど強くはなかったな」
精霊くらい、今の俺には敵ではないな。そんな風に思いながらも周囲を警戒し、他の魔精霊が居ない事を確認する。
最初に倒した魔精霊はなにも残していなかったが、氷づけになった方は、氷の中に赤い水晶核を残していた。──精霊石だ。
すでに溶け始めている氷の柱を砕いて、精霊石を回収すると、火口の方に向かって歩みを進める。
「精霊石はあとで研究材料にしよう」
火口に向かう斜面。低い場所は陥没の危険があるので避け、緩やかに上り続けた先にある丘に向かって進み続けた。
灰色の噴煙がもくもくと吐き出されている場所。
小さな丘を越えた先にある、大きな窪みの中心には、ぼこぼこと赤く燃える溶岩が湧き出す火口があり、丘の下に開いた穴に溶岩が流れ込んで行く。
ゴボッという音と共に火柱が火口から噴き上がり、巨大ななにかが火口からずるずると姿を現した。
「げっ」
それは火炎蜥蜴──の特大版だった。 本来の火炎蜥蜴は、体長がせいぜい二、三メートルだと聞いている。……そいつは頭から尻尾まで、十メートル近くある奴だ。
「おいおい」
溶岩の中から現れたそれは──火炎蜥蜴ではなく、火竜精霊だった。
蜥蜴に似た鼻先を持ち、鼻先から頭部に向けて艶やかな鱗が広がり、その途中から硬そうな角が後方に伸びている。鋭く尖った真っ赤な角は曲線を描き、長い首をもたげて上を見上げると、胴体に角が突き刺さりそうな格好になる。
(精霊の中でも強力な「火竜」と讃えられる精霊の、魔精霊化したものか)
火竜精霊は、強力な魔導師や精霊使いが行使する霊獣で、その口から吐き出される炎は……
燃え盛る大きな蜥蜴がこちらを見上げた。体から炎を噴き上げつつ、そいつは大きな口を開き、いきなり灼熱の炎を吐き出してきた。
かなりの距離が離れていたにもかかわらず、その炎は一直線にこちらまで飛び、俺は慌てて後方に退避する。
斜面を下りながら横へ移動し、降り注ぐ炎の滴から逃げた。
これは魔法ではなく、体内で生成した体液に火をつけて放っているのだ。
「くっせぇ……!」
独特な、鼻を突く臭いがする。岩石に降り注いだ液体が燃え、メラメラと黒い煙を上げながら燃え続けている。
ひどい臭いだ。
揮発性が高いのだろう。液体はすでに無く、火だけが岩石を焦がしていた。
「さてどうするか」
魔剣を片手に考えるが、あの巨大な化け物を退ける手段が思い浮かばない。
霊獣を呼んでも対して意味はないだろう。ラポラースから与えられた二体の幽鬼──あれでも駄目か。
「そうなると、魔神ツェルエルヴァールムから授けられた『氷獣』を使うしかないか──」
できれば切り札としてとっておきたいのだが。
今はまだ術式を刻み込んだ水晶の触媒が無ければ、使用できないのだ。
(魔神の魔力領域を使えばあるいは……)
そんな具合になんとか強力な敵に打ち勝つ方法を考えていると、相手が火口からこちらに向かって来る音が聞こえてくる。
(まずいぞ……!)
溶岩石を踏み砕いて迫って来る魔精火竜。重い足音を響かせながら、斜面を登って来ている。
「いくしかないな」
斜面から顔を出すと、氷の飛礫を撃ち出し、横に移動しながらさらに氷槍を投げつけた。
「グワアァゥオォオッ!」
顔面に当たる飛礫を嫌って体を横に向けたところを狙い、脇腹に氷の槍を突き刺したのだ。
奴は後ろ足をばたばたと動かして、突き刺さった槍を払い落とすと、炎の息吹を吐き出しながら斜面を駆け上がってくる。
あの大きさの魔物が迫って来るだけで危険だ。
質量で押し潰されるし、奴の体から放出される熱量も相当なものだろう。
「レザク、アゥファル、ルヴィレゥ、エリエク、死に覆われし大地、白銀の刃もて、汝、禍をも戒める滅びの力、白き絶望の嵐を喚び、降り積もる死の静寂を解き放たん、凍てつく魔都の女王よ、我に女王の威を貸し与え賜え『マリヴェラの氷雪冠』!」
ゴオゥッ、と音を立てて巨大な炎の球を吐き出してきた魔精火竜。
ギリギリ詠唱が終わり、こちらの放った氷の飛礫を含んだ吹雪が、空中で炎の球と激しくぶつかり、空中で巨大な爆発を起こした。
「うぉあぁっ!」
びゅうびゅうと吹きつける氷の嵐を超えて、凄まじい爆発の衝撃が俺の体を吹き飛ばす。
火口の丘から転げ落ち、岩石に体をしたたかに打ちつける。
「ぐはぁっ」
息が止まる。
だが苦しんでいる場合じゃない。
丘の窪んだ向こうでは、まだ猛烈な勢いで氷と雪が吹雪いている。──この炎の大地でもここまで威力を奮えるとは。かなり魔力が底上げされたのを改めて実感しながら、魔剣を手にして丘を駆け上がる。
氷雪冠の嵐が止む前に接近し、魔精火竜に止めを刺さなければ。
「あれくらいでは倒せない」その確信がある。
俺は丘の上に来ると、下の斜面で動きを止めている火竜に襲いかかる。
吹雪の嵐は止み、巨大な火を纏う爬虫類は、体中を白い雪と氷で埋め尽くされていたが、体を左右に揺すると、表面の白い塊を吹き飛ばし、勢いよく炎を噴き上げた。
「ゴオォァアァァッ!」
上空に向かって勢いよく炎を吐き出す魔精火竜。
そのまま首を下ろして、薙ぎ払うようにして炎を吐きかけてくる。
俺はその側面に向かって突進する。
吐き出される炎を躱して接近する。体から発せられる熱を火炎耐性魔法で防ぎながら懐に入り込み、脇腹に剣を突き立てた。
「グギャァアォアォオゥウゥッ!」
咆哮と共に、その体から炎が噴き上がる。
(あちぃっ……!)
その意識を横へ押しやり、呪文の詠唱を省いて、魔神の魔力領域から直接魔法を放つようにし、魔剣の先から魔法を撃ち出す。
「『嵐の刃』!」
びくんっ、と大きな身体が跳ね上がる。
「ぉおおォオオッ‼」
俺は剣の刃を捻りながら斜め上へと、渾身の力で斬り上げる。
風の刃が大きく横に傷口を広げ、魔精火竜は唸り声を上げながらひっくり返った。
巨大な化け物は体からメラメラと火を噴き上げていたが、間違いなく絶命していた。内臓を無数の刃に引き裂かれ、開いた傷口からごうっと、炎が噴き上がり、異様な臭いを撒き散らしながら、灰色にくすんだ腹部が膨れ上がってきた。
「まさか──まずいっ!」
俺は即座に巨大な蜥蜴から距離をとる為に走り出し、大きな岩石の後ろに回り込んだ。
爆発と爆音。
──周囲が一瞬、明るく照らし出される。
轟音と共に魔精火竜の身体が爆発し、辺りに血肉や炎を撒き散らし、危険な怪物は消滅した。
周囲に異臭と火の海を発生させて……
火魔蜥蜴──いわゆる「サラマンダー」です。
火魔火竜──火竜となっていますが、種族的にはあくまで「精霊」に属します。




