海を越えて火山島へ
翌朝──離れた場所で鳴っている波の音を聞きながら目覚めた。港から少し離れた場所にある安宿にも聞こえるくらい、早朝の港町は静かだ。
海側には当然、町を囲んでいる白い壁はなく、広々とした海原が開放されている。
朝食はこの安宿で提供されたが、海鮮が貝の汁物しかないのが、この安宿のぼんくらさを表しているようだった。
「よし、運動をかねて早めに砂浜に行こう」
荷物を持ち、宿を出て、待ち合わせ場所の砂浜へ向かう。
まだ船乗りたちは来ていない。そう考えて軽く魔剣を振って練習を始めると、すぐに四人の船乗りがやって来た。
「あんたがレギさんかい?」
「ええ」
すると船乗りたちは青い小舟を担いで、波打ち際までそれを運んで行く。俺は慌てて荷物を背負い、彼らについて波打ち際まで近づいた。
「俺ら四人で漕ぎます。あんたは後ろに座っていてくれ」
要するに手出しするな、という意味だ。俺は黙って頷くと、彼らに促されて小舟に乗り、彼らは舟を押しながら海の中へと入って行く。
小舟が砂浜から波の上に乗ると、船乗りたちも乗り込み、すぐにそれぞれの櫂を手にして、海原に向かって漕ぎ始めた。
するとどうだろう。四人のぴったりとした呼吸、動作。それらの運動が重なり合い、小舟はぐんぐんと海上を進み、港町からあっと言う間に離れ去ってしまう。
相当に小舟の扱いに慣れた四人だったようで、小舟は一直線に海の上を勢いよく進み続ける。さながら翼を広げ、海面すれすれを飛翔する海鳥の様に、舟が翔けるみたいに。
そんな風に思っていたら、小舟と並走する格好で、白い海鳥がついて来る。
一定の動きで海を掻く櫂の音が静かに鳴り続け、遠くに見えている南の島へ向かって波間を進む。
海は凪いでいて、落ち着いた海の上を小舟はぐんぐん走って行く。
上空には雲がなく、遠くの空にだけ白い雲がかかり、日の光を隠してくれる。日差しが当たらない時も、日差しが降り注ぐ時もまったぅ変わらない速度で小舟は進み──なんと、昼前には大陸の南にある火山島、トルーデンまで辿り着いた。
遠くに見えていた島の中央は黒っぽい山があり、島の一部は焦げ茶色や黒い色に覆われていたが、緑の部分も残っているのが見えた。小舟はそちらへ向かって進んで行くと、海岸近くにある小さな漁村のような場所に着いたのだった。
「ここが火山島にある村の一つ、カフダン。俺たちは明日の昼にはここに戻って来るので、大陸に戻りたかったら、夕方前にはこの村に来てくれ」
船乗りの一人が言う。
俺は四枚の銀貨を革財布から取り出し、船乗りたちに手渡そうとした。
「それは困る。侯爵の依頼に報酬をもらうわけにはいかない」
そう言って四人は遠慮しようとする。──アシュファン侯爵に義理立てする理由があるのだろう。
「お気になさらず。これは侯爵とは関係なく、私から皆さんの労働に対する謝礼を支払いたいのです。実に見事な櫂の操作で、海を快速で進む楽しさを与えてくれましたから」
俺の言葉を受け、彼らは安心したらしい。銀貨を受け取ると、彼らは丁寧に頭を下げ「ではまた明日に」と言って、小舟に戻って行く。
なかなかに訓練された四人の船乗り。どうやら海賊相手にも戦うよう訓練された水夫であったらしい。彼らが櫂で舟を進める様子を見ながら、そう考えていた。
彼らの体は漁や櫂の扱いでは鍛えられない部分にも、鍛えられた跡があったのだ。
「もしかするとアシュファン侯爵家の、私兵を勤めていた男たちだったのかもしれないな」
連携が取れていたのも、軍隊式の教練を叩き込まれていたからかもしれない。
「さて」
俺は一呼吸おき、村の方を見る。
そこには砂浜から離れた場所に、七、八軒の木造の建物がある集落。ここに住む人々の多くは漁師なのか、軒先には小舟が立てかけられ、内臓を取り除かれた魚が屋根から吊されていた。
島の大きさはかなりの物だが、人が住める範囲は限られているはずだ。森のない黒い大地は、噴火で流れ出した溶岩が固まった場所だろう。
俺は近くに人が居ないのを確認すると、まずは魔眼を使って生命反応を確認。そして魔神──闇の五柱の王──の魔力を探すのに集中する。
──────どうやら島の中央付近、噴煙が燻る山の辺りまで行かないとならないらしい。
(魔力の揺らぎが島の中央付近に見えるな)
俺は取り込んだ魔神の魔力の影響で、かなり魔眼の扱いに慣れてきたのを感じつつ、人の生命反応があった場所に向かって歩き出す。
小屋の近く、日の当たる場所で農作業をしている男の元へ向かう。
海から離れた場所には畑がいくつもあった。畝だけでなく麦畑もあり、遠くの一帯が黄緑色に染まっていた。
「こんにちは」
声をかけると六十歳くらいの男は、顔中に警戒を露わにしてこちらに振り向く。
「なんの用だ」
「この島には、ここ以外にも人が住む場所があるそうですね? 向こうの森には、村や町はありますか?」
島の奥にある森を指差し尋ねると、男は首を横に振った。
「いいや、この島にある村は皆、海岸沿いにある。森の向こうに出るにしても、島の中央に向かうなら、人の住んでいる場所はないぞ」
いつでも噴火から逃げられるように、海岸の近くに住んでいるのだ。ならあの森にはどういった生き物が住んでいるのか? そう尋ねると、彼は猿や猪などの生き物をあげる。
「危険な生き物や亜人、魔物は居ない?」
「いや、居るぞ。亜人はこの島には居ないが、森には木精霊が、溶岩地帯には火精霊が出る」
俺は驚いた。この島には精霊が姿を現していると言うのだ。魔術師なりなんなりが使役している訳でもないのに、自立して存在しているというのだ。
「火山の噴火前は、精霊が出現するような事はなかった。火山の影響で地脈が乱れ、精霊が現れたのだと、ルシュタールから送られて来た魔導師が言っていたらしい」
この島に王宮から派遣された調査団が来たのだと男は説明する。
「森に住む木精霊は近寄りさえしなければ、攻撃してくる事はないが──火精霊は知らんな。近寄ろうとも思わない」
それはそうだろう。燃え盛る炎に近寄ろうなど、剛胆な冒険者でもなかなか居ない。
「なるほど、情報ありがとうございます」
俺は礼を言い、森に向かって歩き出す。
木精霊か──できれば戦闘になるのは避けたいところだ。
森を抜け、早々に溶岩地帯を越え、島の中心部に向かい──そこで、幽世への入り口を開く古びた短刀を使い、幽世に居るという魔神アウスバージスに対峙する。それが目的なのだ。
精霊に出くわした時の対応を考えつつ、森の中へ入って行く。そこは妙に生温かく、場所によっては岩や木の幹に苔がびっしりと生え、遠くから鳥の鳴き声があらゆる方向から聞こえてきた。
森は独特の匂いがした。苔や雑草の匂い。腐葉土となった土の匂い。果物が腐敗し、発酵した──そんな匂いが混じり合う、どこか甘ったるい匂いのする森だ。まるで古い酒樽の間を歩いている気分になる。
「なんだ……なにか、奇妙な森だ」
歩き疲れた訳でもないのに、汗を掻き始めた。
「そうか、地熱が……」
地面が妙に温かいのだ。火山島だからだろうか。まるで森の中は、これから夏を迎えようとしているかのように、適度な熱と湿度に包まれている。
どさっ、と音を立てて、枝から赤紫色の果実が落ちた。鳥に食べられた跡が残るその実を、茶色いなにかが近づき、むしゃむしゃと食べているらしい。──小さな生き物はずんぐりとした鼠で、ゴワゴワの毛を広げて体を大きく見せているみたいに、もぞもぞと動きながら赤紫色の実の中身を食べていた。
丸っこい小鼠はこちらを見て、ぴたりと動きを止めたが、俺が通り過ぎて森の奥へ向かうのを見送ると、食事に戻ってもしゃもしゃと実を頬張っている。
その先でも小動物の姿を見たが、栗鼠や小さな猿が木の上を駆けているのをちらりと見たくらいで、地面には蛇や蜥蜴が棲息していた。
鹿らしい姿も遠くに見えたが──猪には出会わなかった。
森の途中に大きな岩が転がり、森の中に光が差し込んでいる場所があった。精霊が居ないかと警戒しながらその横を通り過ぎようとしたが、肌が泡立つような危険を感じ、後方に素早く飛び退く。
前方から「ぱきっ、バキバキッ」といった、木の枝が折れ軋む音が聞こえてくる。
それは古木の根本に落ちていた、倒木と思っていた物が動き出した音だった。
それはすっくと起き上がり、こちらに表情のない仮面に似た顔を向ける。
人型を模したそれは、精霊の疑似的な身体なのだろう。精霊としては下位に類する存在だが、それでも油断はできない。
「待ってほしい、敵対する気はない」
俺は大木の横で両手を広げ、敵意はない事を訴えた。
言葉は通じなくとも、人の思考や感情を読み取ると言われる精霊だ。相手にもよるが、領域を侵していない限り、いきなり攻撃してくる事はないだろう。──たぶん。
それはゆらゆらと、古木のそばからこちらへ向かって歩き出す。
枝や蔦から作られた腕や足。木の皮と太い幹で胴体を作り、その体内には──緑色に光る水晶のような物が浮かんでいる。
『魔術師か?』
それは頭の中に声を響かせてきた。──なんと、下位精霊が念話を使うとは!
俺はその発見に驚き、いやこれは──姿は下位精霊のものだが、霊的存在としては中位以上なのかもしれない。そんな考えを巡らせる。
『魔術師なのだろう?』
男とも女とも聞き取れない奇妙な声。
「魔術師だが」
下位の精霊は人間の言葉を理解しないと思っていたが、その考えを改めるべきなのかもしれない。
魔眼を使って相手の解析をしたが、やはり能力的には、下位の木精霊だと思われる。──だが、なにか変だ。
『魔術師がどこへ行く』
「この先の、火山のある辺りに」
俺の発した言葉に、精霊は木の皮と枝で作った顔を頷かせた。
『だがやめておけ、この島の中央付近は危険だ。気脈は乱れ、瘴気が噴き出している。我々が修復している最中だが──おそらく今後、数百年は気脈の乱れが発生したままとなるだろう』
その言葉にはっとした。この島に精霊が現れるようになったのは、火山が噴火したあとだと村人が言っていた。この木精霊は、気脈を修復する為に顕現した存在なのか。
『溶岩のある場所を彷徨く火魔精霊は、人間にも容赦なく襲いかかってくるぞ』
魔精霊か──それは厄介な。
精霊が負の力を受け、敵対的な精霊となる現象だ。邪精霊などとも呼ばれるが、邪神やなにかの影響を受けた訳ではないらしく、気脈の異常から発生するものであるらしい。
「俺になにか手伝える事はあるか?」
そう言うと、木精霊は首を傾げる動きをする。やけに人間じみた精霊だ。
『それは──魔精霊となった火の精霊を倒してくれるのなら、ありがたいが』
「そうか、分かった。──できる限りやってみよう」
俺がそう答えると、精霊はミキミキッと音を立てて、腕を胸の辺りに当てた。──そして沈黙。
『……うむ。ならばこれを』
すると精霊は体内の水晶に手を当て、そこから小さな光を集めると──丸い、小さな水晶玉を取り出した。
『これを島の中心付近にある火口に投げ入れてくれるか。これだけでは気脈は修復できるものではないが、修繕に一歩すすむであろう』
蔦と梢の指先に摘まれた水晶。
俺は精霊に近づくと、その水晶玉を受け取った。
「了解した。火口まで辿り着いたら投げ入れてみよう」
『うむ』
堂々とした口調で告げる精霊。俺はその水晶を腰の革帯に付けた物入れに入れると、溶岩地帯に向かって歩き始める。
木精霊がじっと俺の背中を見つめているのを感じながら、森の奥へと進んで行った。
精霊から思わぬ情報を聞き、せっかくだからと彼らの力になる選択をしてしまったが、火魔精霊が彷徨くという溶岩地帯を越え、火口に迫れるかは不透明だ。
(これは魔法を使って、魔精霊を打ち倒していくしかないだろう)
そう覚悟を決めながら木々の間を抜けて、黒い地面が見える森の出口までやって来たのだった。
感想やレビューをいただき感謝します。応援が作者の力になります!
感謝感激なので、次話は水曜日にも投稿します! これからもよろしくお願いします。
精霊が現界(物質的な肉体を持つ)しているのは、島の気脈を修復する為。それはつまり大地を守り、維持管理しているから。
こうした事をレギに話した木精霊は、姿こそ下級の相手に見えても、その本質は違うものである可能性も。
精霊の力は魔法の力の根源のようなものなので、戦闘は危険。




