精神の腐敗。魔術詩人ヴァロン
かなり煩雑な内容になってしまったかな?
レギの過去や、パーサッシャの邪神化など……
食事を取りながら無意識領域に邪神の姿や行動を情報化し、それに肉付けをしたものを訓練場に用意しておく。それは魔晶石から得た情報の具現化に過ぎないが、かなり正確なものになっているはず。
これからはそうした異形の化け物との戦い方も訓練しておくべきだろう。──だが、それは一人になった時にしておく。今は勇者らと旅をしているのだから。
「まさかパーサッシャが邪神となって現れるとはな……」
老魔法使いは水を飲みながら呟く。
彼にとって衝撃的な一日はなったのは想像にかたくない。
「パーサッシャといえば『美食日々』が独特な書き物でしたね。彼が著した料理に関する本の中でも、かなり緻密で技巧的な調理法が書かれたものでした」
「はっははは、レギは料理本まで目を通しているのか。大したものだ、儂はあ奴から本を受け取らなかったら──読まなかっただろうな」
アトモシスは記憶にある、古い友人の姿を思い出しているのだろう。その友人はかなり前に死亡しており、彼はその墓にも出向いたと語った。
「それがまさか、あのような姿で蘇ってくるとは」
邪神となって現れた古き友人の姿。
それは悪夢そのものであっただろう。
俺にとっても邪神となったパーサッシャとの対峙は、様々な想いを俺の中に呼び起こした。
人間であった者が、それも魔術とはなんの関わりもない──料理や、美食の事ばかりにかまかけていた者が、あのような強力な化け物に変わってしまうとは。
人格はほとんど残っていないように感じたが。
永遠不滅の願望に捕われた男の魂を、邪神の側へと引きずり込んだ力、それはなんだろうか?
邪神の中でも強力な存在との契約が果たされた結果。そう考えられるが──それほどの存在が、たかが美食に溺れ、財産のすべてを吐き出すだけの貴族に接触するだろうか──?
どうも奇妙だ。今回の事件には、なにか言いようのない、人為的な部分を感じる。……なにか直感的に、そう感じる部分があるのだ。
(少し調べてみるとしよう)
まあ魔神にしろ邪神にしろ、人間を玩具ぐらいにしか思っていないだろうから、たまたま目についたパーサッシャが餌食となっただけ、という身も蓋もない理由かもしれないが。
貴族の一人が邪神となったなど、こんな噂が広まればルシュタールではまた、過去の女王ティエルアネスの呪い、などという噂話が囁かれるかもしれない。
あのベルニエゥロの配下となった魔神が聞いたら──なんと言うだろうか。
「さて、夕食の食材や保存食を買ったら、さっそく旅を続けようぞ」
今夜は途中で野宿する事になるだろう、そうアトモシスは告げる。
彼ら勇者の一行も野宿するくらいは普通にするらしい。ニルヤリスは渋い顔をしていたが、文句を言うほどではない様子だ。
一行は買い出しに行くと言うので、俺も彼らについて行き店を回ってみたが、この町はルシュタールでも平均的な生活水準なのだろうと思われた。──それでもアントワに比べれば品揃えも豊富で、豊かな国なのだと実感する。
一通りの買い物を買い揃えると馬車に戻り、南へ向けての移動を再開する。
カルナックの町に向かう馬車の中でニルヤリスが地図を広げ、途中で馬車を停め、野営する場所を教えてくれた。そこは岩場があり、近くに森などがなく比較的安全な場所らしい。
「どれ、馬車に揺られながら一休みするか」
老魔法使いはそう言って、先の尖った帽子を目深に被る。
俺も目を閉じると腕を組み、魔術領域へ意識を集中した。
影の中にしまった、邪神の魔晶石をより深く調べてみよう。
結晶の中になにが入っているか、それを確認してみると──魔晶石の中には魔力と、パーサッシャの記憶の一部が残されていた。
どうやら死導者の霊核が反応し、パーサッシャの魂の記憶を読み取れるようにしたらしい。彼の人生のすべてを見る事はできないだろうが、あの変人とまで言われた美食家が、なぜに邪神へと変貌するに至ったか、その場面を見る事ができたのだ。
おおよそは俺の予想したとおりの事だった。
パーサッシャ・グルティマ・ベレトゥアリという貴族は、自身の嗜好により多くの財産を浪費し、ついには愛人を一人かかえるのも苦しくなるような生活にまで、転落するまでになった。
彼には領地から得られる借地料(お金が支払えない場合は、貢租という形が取られた)があった為に、なんとか日々の生活には困らないくらいの生活ができるはずだったが、彼の美食への衝動が、贅沢を求めるのだ。
その懊悩を察した者が居た。
邪神だ(そいつが何者なのかは、魔晶石に残された記憶の残滓からは読み取る事はできない)。この邪神の呼びかけに応じ、パーサッシャは愛人に産ませた赤子を調理し食するという、おぞましい暴挙に出た訳だ。
彼はそれで永遠の美食の道が約束されると信じていたのだ。──信じたかったのだ。
人間は自分の「そうあってほしい」という希望から現実を誤認し、いとも簡単に虚偽という逃避の中へ、自らを貶めてしまう。
理性を手放した人間。それは獣などよりももっと始末の悪い、悪鬼と変わらぬ存在に堕する。
パーサッシャの落ちた永遠とは、邪神となって自が欲望の限りを尽くさんと欲する、邪悪な怪物となる道だった。
この邪神化は、特殊な召喚儀式をおこなわせる事によって、パーサッシャの魂から、新たな邪神を生み出すものだったようだ。
その儀式の形態は、明らかに人間の魔術師による手助けが感じられるものだった。
(やはり今回の事件の裏には、魔術師どもの共謀があったか)
詳しく魔晶石を調べると、数名の頭巾つきの法衣を纏った魔術師の存在を知った。こいつらはどうやら邪神の配下となった連中であるようだ。
奴らが邪神と共に儀式をおこなって、危険な上位存在を現世に召喚しているのを理解した。
今回の儀式はルシュタールの古い神話にある、「暗闇の虚」と呼ばれる邪悪な蛇(あるいは竜ともされる)を降ろす儀式だった。
俺たちが最初に対峙した巨漢の──肥満の大男は、いわばパーサッシャの内臓から生み出された第二の肉体であり、彼の中にはすでにアピポスの卵が眠っていたのだ。
邪神の妖卵を使っておこなわれる魔術とは桁違いに邪悪で、危険な、太古から続く伝承上の亡霊を召喚する、おぞましい儀式。それによって彼は、神話上の──創り上げられた邪悪なる蛇と融合し、その人格はパーサッシャの部分を残しながらも、邪神として着実に変異を遂げていた。
神話に登場する化け物が実在していたのではないだろう。それは人の想像によって産み出された、空想上の存在なのだ(あるいは元となる存在(事象)があったかもしれない)。
だが──魔術は、それを具現化する方法を知っている。
人間ひとりの意思は脆弱で、まったく力を持たないが、その想念をかき集めて、一つの具象として成り立たせる事は可能なのである。
もちろんそれを果たすだけの高位の力や、呪術的に高度な儀式が必要となるが。──今回の場合、邪神の手引きが引き金となり、暴食の権化としてパーサッシャが邪神と化したのだ。
あらゆるものを飲み込む巨大な蛇──のはずだが、現界したアピポスは、パーサッシャが喰らい集めた魂の力が弱かった為か、不完全な形で具象化されたのだろう。あれだけの力を持った存在だったが、完全な力を得ている訳ではなかった。それで俺たちだけでも討伐できたと考えるべきか。それとも勇者の業のおかげと考えるべきか。
シュバールト少年が秘める力、それは紛れもなく上位存在の力だった。神霊の力を纏う勇者、それは──明らかに異質なものだ。
(人工的に作り出された勇者か──)
ある意味、魔導の極致の一つとも言える業。
ルシュタールの魔導技術には目を見張るものがある。──その技術の発展に寄与した人物の一人がティエルアネスだと考えられる。彼女はルシュタールの権力者や、国外に存在する敵対勢力の権力者たちに疎まれ、暗殺されたらしいが。
どの国でも、先を行く者を妬む人間であふれ返っている。そう再認識した。
「下等な感情によって精神を歪ませ、腐らせる者は、躾の足らない犬と同じである。それは魔術師としては疎か、人間としても程度の低い小物に過ぎない」
そう断じたのは「異端の魔導師ブレラ」だった。彼はどの分野であっても、道の先を歩む者は孤独な存在だと語る。
「彼は進んで孤独にならなければならない。何故なら多くの弱い者が、彼の足を引っ張るからである」
俺もその言葉の意味は、実体験として理解している。エインシュナークで経験した同級生からの羨望と嫉妬。中でも中級以上の貴族から受けた扱いには、未だに思い出すと失笑が漏れそうになる。よくもまあ──あそこまで精神を腐らせて、己を省みないでいられるものだ。
鏡が精神までをも映し出す物だとしたら、彼らはとうてい鏡の前に立つ事はできないだろう。
自分が上級貴族にはなれず、さらに魔法の分野でさえ下級貴族に勝てない、という事実を受け入れるには、彼らは未熟すぎたのだ。
己の技量の無さを、他人を責める事で解消できると思い込んでいる愚か者には、なにを語り聞かせたところで無駄だろう。彼らにとっては真実など、もっとも知りたくない事柄であるのだから。
魔術師が真実を。その深遠にして、世界の途絶された深淵を覗くのを大望としている理由は、彼らのような脆弱な精神を持つ弱者には、永遠に理解できないものなのだ。
偽りで己を満たしてしまった存在は、究極の美食という快楽を追い求め、邪神にまで身を落としたパーサッシャにも劣る。
「ああ、比べるべくもない。魂の真価に見合う秤があれば、私はこの心臓をえぐり出し、秤にかけ、真理という名の神にひざまずくものを!」
この言葉は──ブレラではない。
魔術的な含蓄を持った詩を歌い続けた、ある詩人の言葉だ。心臓を秤にかけるというのは、いまは存在しない古代の国の神話を元にした話だ。
確かこの詩人はルシュタールの男爵で、……そうだ。ギオレグ・ゴルドー・ヴァロンという名前の──
(ヴァロン? それはニルヤリスの姓ではないか)
俺は魔晶石の解析を無意識に任せると、意識を現世に戻し、目を覚ます。
前の座席には勇者の少年が腕を組み、馬車に揺られながら眠っている。その隣にはニルヤリスが起きていて、後方に流れていく風景をじっと見つめていた。
「ちょっと聞いてもいいかな?」
俺が声をかけると、彼女は「起きていたの」と呟き、こちらを向いて「なに?」と尋ねる。
「ヴァロンという名は、詩人のヴァロン卿と関係が?」
「ギオレグ・ゴルドー・ヴァロンですか? ええ、確かに私の祖父ですが」
俺は「へえ!」と、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「ヴァロン卿の詩の中には、魔術的な隠喩や技術的な含蓄に富む、優れた詩が多いからな。なるほど──やはりその孫も、彼の詩から多くの示唆を受けて、魔法使いの道に足を踏み入れた訳か……」
俺が勝手にそう解釈していると、彼女は少し困ったような顔をして見せた。
「それは……正直に言うと──よくわかりませんね。私は子供の頃には祖父の詩などは、ほとんど目を通した記憶はありませんから。私が祖父の詩を読むようになった時には、私はアガマノフ魔導学院に入っていました」
「あ……そうなんだ」
俺は自分の思いつきが否定され、思わず顔が熱くなる。運命的な巡り合わせに浮かれ、思わず信じたい事柄を事実だと思い込んでしまった。それは素人や、愚か者のする事だ。
「あ、けれど──子供の頃に両親が、祖父の詩を読み聞かせてくれた事はあったらしいです。その影響はあったかもしれませんね」
ニルヤリスは気の毒に思ったのか、そんな埋め合わせをしてくれた。
だが彼女の幼少期に読み聞かせた言葉が、彼女の無意識に働きかける可能性はあり得る。それは事実だ。意識が理解し得ない情報でも、無意識に溜め込まれる知識は存在する。
そしてそれは、意識の補助を務める事は充分にあり得るのだ。
「しかし、なぜ急に祖父の事を?」
「うん、ちょうどヴァロン卿の詩を思い出してね。俺の故郷であるピアネスでも、卿の詩は高く評価されているよ」
俺の言葉に彼女はほんの少し嬉しそうな表情をする。彼女の反応からすると、祖父にはあまりいい感情を抱いていない様子だったが。親類の功績を讃えられるのは、やはり嬉しいのだろう。
「そうですか……それは嬉しいですね。正直ルシュタールでの評価は、あまり芳しくないので」
そうだったのか……まあ確かに、ルシュタールの文明水準は高く、多くの文学が花開いている国だ。そんな中にあって異質な作風を持つ彼の作品は、華やかな作品の陰に埋もれてしまっているのかもしれない。
しかしそれは──おそらく時代を経て、ヴァロン卿の詩が再評価される時がくるだろうと予感させた。
人々の意識が壮麗な戯曲から離れ、深遠な精神の霊域に踏み込まんとする詩を再び手に取り、その真価を見出だすというのは、移り変わる時代の要請とも言えるものだ。
新たな時代の変遷にこそ、本当の力ある言葉が、詩が、まさに魔法のように、人の心に新たな息吹を吹き込むのを、俺は知っている。
高い評価やブックマークに感謝します。
この章も残すところあと2話。
次話は13日の水曜日に投稿。次の日曜日の投稿でこの章も終幕です。
今後ともよろしくお願いします~
ちなみにヴァロン卿という名前は、現実に居たバイロン卿から取りました。この人の名前は以前から知っていましたが、その詩は恋愛関係の詩が多く苦手……でもその人生は、なかなかにドラマチックな人物です。




