鉱夫達の宿舎での怪
そんなこんなで山に近づいていると、丘を上がった先に木製の壁が見えてきた、丸太や木の板で造られた壁だ。
小さな木造の建物が壁の上に見えている、二階建ての建物は宿舎であろう。木製の壁の一部に大きな扉が付いており、岩山の間に設けられた宿場町であった場所に人の気配はない。
閉じられた扉を開けて施設の中に入ると、石と木で建てられた小屋や、一階建ての建物などもいくつかあるのが分かった。壁の外から見るよりも、その場所は広く、多くの建物が隣接した場所である事が分かる。
だが奇妙な事にまるで人の気配がしないのだ、鉱山で作業をしているからだろうか? 何人の鉱夫がこの場所に留まっているかは知らないが、全員で鉱山に向かったのだろうと思い、一階建ての木造の建物を見ていると、開け放たれた窓があり、その前に立っている人の姿が見えた。
──女であるようだ。薄暗くて良く見えなかったが白い肌をし、黒い髪を伸ばした女が窓際に立っていて、こちらに顔を向けたかと思うと、すうっと部屋の中へ引っ込んでしまったのだ。
なぜ女がここに? 鉱夫だけが残っていると聞いていたが……もしかすると、ここなら稼ぎになると踏んだ娼婦が訪れているのかもしれない、しかし何かが気になった。
女の風貌に違和感を覚えたというのもあるが、それが何なのか、はっきりとした事は自分でも説明が付けられない。
俺は一戸建てのその建物に近づくと、入り口の扉を開けて建物の中に入って行く。
木の床が軋んで音を立てる。通路に入ると木造の建物の匂いの中に、何やら不快な異臭が混じっている事に気づいた、それは古くなった血の匂いだ。そして微かだが、肉の腐敗した臭いも残っている。
俺は魔剣を引き抜くと慎重に、先ほど女が立っていたと思われる部屋を目指して進んで行く──生命探知の魔法を使い、暗闇の中を探してみるが、人の気配がない。先ほどの女はどこへ消えたのか?
俺の危険を感知する感覚が警告を発している、この場所は危険だと。
俺は携帯灯を荷袋から取り出すと、暗い通路を照らしながら通路を進む事にする。
二つのドアの前を通り過ぎて、女が居たと思われる部屋のドアを素早く開けて、中を一瞬確認すると、壁に素早く身を隠し、部屋の中からの反応を待ったが──何も起こらない。
一瞬見た部屋の内部は、窓が開いており、先ほど女が立っていた部屋に間違いはないはずだ。慎重に部屋の中を確認し天井にも視線を向けるが、そこには何も無かった。
室内は荒らされた様子は無く、置かれた寝台や小さな棚などがあるだけの、小さな部屋だった。窓の近くまで来ると何か違和感を覚える。俺がその窓の前に立ってみると、窓枠は胸の辺りまでの高さがあるのだが、先ほど見た女は腰の辺りまで見えていたのだ。
そうするとあの女は、窓枠いっぱいの高さまで身長がある事になり、足の長さが異様なほど長い事になる。そのくせ上半身は、普通の女と同じくらいの小柄な身体という事だ。
後方の通路側から「とん」と、小さな何かが落ちたような音が聞こえ振り返ると、開け放ったドアの前に女が立っていた。その女は白い袖の無い外衣を着ており、衣服と同じくらい白い肌をして、虚ろな表情で立っている。
俺は魔剣を向けて女の身体を確認する──普通の女の足や腕であるが、足下は裸足で、爪の色が灰色に鋭く尖っているのが見えた。
何よりそいつは、生命探知に掛からない特殊な肌をしているらしいのだ、そういった特殊な「魔法に引っ掛からない」身体をしているのは、多くは知性の高い魔物や妖魔に多い。
「ここに居た鉱夫たちはどうした、お前が食ったのか?」
俺が問い掛けると、身体をぎちぎちと音を立てながら小刻みに揺らし、白い肌を変質させ──棘や黒い剛毛の生えた醜い手足を露出させた。女の顔には気味の悪い無数の黒く丸い目玉が額に現れ、顎が左右に割れて大きな口を開口すると、鋭い牙が並んだ不気味な赤い口内を見せて「しゅるるるる」と喉を鳴らす。
どうやら「蜘蛛妖女」の幼体らしいそれは、変形すると部屋の中に素早く入って来て、向けられた剣先を躱す為に壁に飛んで、凄まじい速さでこちらへ突っ込んで来た。
「ギピィィイィイィィ──!」
その蜘蛛妖女は奇怪な悲鳴を上げた。壁に飛んでこちらへ飛び掛かる動きは速かったが、剣を向け直すと、そこへ飛び込んでしまったのだ、ぶんぶんと振り回す細長い甲殻の黒い腕に当たらないように、剣を引き抜いて離れると、奴の腕に剣を振るって右腕を切り落としてやる。
「グギュピィィィイイィ!」
一際鋭い声を上げると、がさがさと音を立てて部屋から廊下へ駆け出して行く。俺は通路に追い掛ける事はしなかった、窓の外を覗いて、左右にも上にも異常が無い事を確認すると、開いた通路の方に炎の魔法を放ち、通路が激しく燃え上がるのを見ると、部屋の中にある寝台や棚や壁に炎を噴き掛けて、燃え広がると窓から飛び出して、建物から退避した。
この場所には生存者は居ない──いや、この建物だけではない。この場所に居た鉱夫たちは、女がやって来たと喜んで奴らを招き入れ、次々に食われていったのだろう。それに一体だけではない、俺が最初に見た女の姿は、窓越しに見えていた部分より、見えていなかった部分の方が問題なのだ。
燃え移った火が建物の窓から、もうもうと煙りを吐き出して来ると、俺は建物から離れて他の建物の様子も見てみた。二階建ての宿舎らしい建物の二階の窓から、女が飛び出して来た。
地面に着地したそいつの下半身は巨大な蜘蛛そのもので、黒い甲殻の所々から、棘とも毛とも区別がつかぬ物が生え出ており、こちらを振り向くと「フシャァアァァァアアァァ──」と威嚇する。
燃え盛る建物からも女が飛び出して来た、そいつは両腕があり、下半身には大きさはそれほどではないが、蜘蛛の細長い胴体が付いていて、女の上半身を持ち上げると細く長い脚をばたばたと動かして、怒りに任せてこちらに突進して来る。
「ギュワァアァアァァッ!」
ばっくりと裂けた口から、奇怪な咆哮を上げながら駆け寄って来た──その気持ち悪い化け物に対し、魔剣に風の刃を纏わせて、大きく振り下ろすと、剣圧を乗せた風の刃が飛んで、蜘蛛妖女を頭から腹まで引き裂き、地面に黄色と緑色の体液をぶちまけさせて打ち倒す。
親蜘蛛らしい大きな蜘蛛の下半身を持った奴が、女の顔を捨て、醜い化け物の本性を現してこちらに向かって来る。
「ゴワァアァァァアッ!」
叫ぶ相手に魔剣に風の刃を乗せた攻撃を繰り出したが、そいつは立ち止まり、黒い甲殻の両腕と前脚で防御姿勢を取ると、風の斬撃を受け止めて再び突進して来た。
上半身の細長い腕が、ぶんぶんと振り回されて長い爪状の腕が空を引き裂く、見た目以上に動きの速い相手に苦戦を強いられてしまい、炎や雷撃の魔法を使って何とか踏み留まり、相手を近づけずに戦いながら、何とか相手の脚か腕を切り落として、戦いの流れをこちらへ傾けたいと考えていると、燃え広がった建物が音を立てて崩れ落ちた。 中から出て来た蜘蛛妖女は居なかった、腕を切り落とされた奴は火に囲まれて逃げ場を失い、そのまま燃え盛る瓦礫の下敷きになったようだ。
蜘蛛妖女は低い姿勢を取ったかと思うと、口から白い糸を大量に吐き出して、俺の腕や足を地面と接着する強力な粘着質の糸で、身体を動けないようにしてきた。しまった! そう思った時には遅かった、奴は突進して来て前脚の鋭い爪で襲い掛かり、強烈な一撃で俺の身体を吹き飛ばした。
籠手で何とか爪の先端が胴体に突き刺さるのは防いだが、弾き飛ばされて地面に転がされる。腕からは出血し、地面に叩きつけられた衝撃で、体中に擦り傷と打撲を負わされる。
蜘蛛妖女がさらに追撃しようと、こちらに向き直ろうとした所へ、何かが横から突進して来て、蜘蛛の巨体が吹き飛ばされた。
突然現れたのは黒い──水だった。
黒い水はまるで大蛇の様な形を取り、ずるずると地面を這いながら蜘蛛に近づいて行く。
謎の黒い水に蜘蛛妖女は糸を吐き掛けたが、水に触れるとその白い糸は、はらはらと地面に落ちるだけであった。
水の大蛇は一気に間合いを詰めると、蜘蛛妖女の周りを取り囲んで、回転しながら大きな蜘蛛の身体と細い女の上半身を巻き込んで、めきめきと音を立てながら水圧で押し潰し、悲鳴も上げさせずに瞬く間に倒してしまうと、こちらに向かってゆっくりとした動きで這い寄って来た。