アシュファン公爵邸での尋問
公爵の私兵に連行されるレギ。
その先で出会う人々には──
貴族の邸宅は内装も豪勢な物だった。
床は磨き上げられた艶のある木材が張られ、壁には様々な風景画や人物画が飾られ、柱や天井の梁に至るまで──精緻な彫刻が施された、なんとも優美で、財力という力を誇示する為に設えられた建造物だと感じる。
「武器や荷物をお預かり致します」
突如あらわれた、執事らしい衣服を着込んだ若者に言われ、俺は背嚢や魔剣を預ける事になった。
(さすがルシュタールの公爵家、いったい俺を呼びつけてなにをするつもりか知らないが、最悪の事態にならぬよう、細心の注意を払って切り抜けるとしよう)
もし相手が、こちらを生かして帰さぬと言い出すなら、この屋敷に居る者たちを皆殺しにしなければならないかもしれない。その覚悟だけはしておくとしよう。でなければ咄嗟に身を守る事も覚束ない。
シェイガスに連れられて一つの部屋に通された。
そこにはいかにも身分の高い身なりをした男が長椅子に腰かけ、テーブルに置かれた物を凝視している。
壁際には剣を腰から下げる護衛が二名たっており、公爵を守るように意識を集中しているのが伝わってきた。
俺はテーブルに置かれた物を見て、なぜ俺がここに連れて来られたのかを悟った。──そこには俺が売ったトゥーレントの短刀が置かれていたのだ。
「連れて参りました」
私兵の長らしきシェイガスの言葉に頷くと、貴族の男はこちらを一瞥し、前の長椅子に座るよう身振りで示す。
俺は警戒しながら長椅子に座り、相手の言葉を待った。
「この短刀を武器屋に売ったのは、君で間違いないな?」
「ええ」
そうかと言いながら、こちらを探る目で見つめる貴族。
「私はセルギオ=ルド=アシュファン、ここルシュタールで公爵の地位にある者だ。──君の名は」
すると俺の背後に回っていたシェイガスが俺の代わりに答え、冒険者のレギだと説明する。
「この短刀は以前、別の街にある別邸から盗まれた短刀だ。知っていたか?」
俺は「いいえ」と答える。
「そうだろうな」と口にしたセルギオ。続けて「これをどこで手に入れたか?」と聞いてきたので、俺は記憶を探りながら慎重に答える。
「それはシン国の北部を街道沿いに歩いていた時の事。数名の野盗に襲われまして、その野盗たちを撃退した時に、その野盗の一人が持っていた物を奪ったのです」
セルギオはこちらをじっと見つめ、しかし何故すぐに売らなかったのか、シンからこの国に来るまで、その途中で売っても問題ないだろう、そんな風に問い詰めてくる。
「もちろんすぐに売ろうとしたのですが、その鍛冶屋がこの短刀の事を話してくれて、ルシュタールの南にあったトゥーレントという国で作られた物で、ルシュタールでなら高く買い取ってくれるだろう、という事を聞いたので」
「なるほどな」四十代半ばくらいの公爵は頷き、「ではこれを持っていた賊は死んだのか?」と尋ねてきた。
「はい、死にました」
すると貴族の男は黙って頷き、美しい装飾がされた短刀を手にする。
「それにしてもルシュタールからシンまで逃げていたとは、賊にしてはなかなかの行動力だ」
感心したというのではなく、呆れた口調で言うと、彼は短刀をテーブルに置き「わかった、貴公の言葉を信じよう」と告げた。
すると俺の後ろに立っていた男から、すぅっと──気づかないくらいの警戒心が解かれたのを感じた。俺が妙な動きをしたり、セルギオの指示があれば、速やかに俺を剣で斬りつけていただろう。
ここの公爵が冷静で、頭の回る人物で良かった。
すぐに感情に任せて結論を出す愚か者だったなら、俺を盗人として捕らえ、話を聞く間もなく自由を奪われていたかもしれない。
別の場所で盗まれた物とはいえ、かなり長い時間を経て売却された事と、冒険者らしい男が短刀を売りに来たという情報から、話を聞いた方がいいと判断したのだろう。まさか盗みを働いた者が、公爵の敷地内で盗み出した品を売りさばくなど、そんな間の抜けた事はしないだろうと疑ったのだ。
「貴公には迷惑をかけたな」
「いえ、それでは……」
帰ってもいいかと訊こうとした時に、部屋のドアが勢いよく開けられた。
「おとうさま、勇者様が来られたのですか」
現れた少女がそう言って俺を見た。
俺は少女から目をそらし、少女の父親であるセルギオを見る。
「ナタリス、お客人に失礼だろう。もっと静かに入ってきなさい」
そう父親に諭されると、少女はスカートを摘んで華麗に一礼した。
「勇者?」
そんな者が居るのかという疑問を口にすると、ナタリスという少女が元気よくしゃべり出す。
「神託によって選ばれた勇者様よ、あなたは違うの?」
「旅をしている冒険者だよ、お嬢さん」
「冒険者!」
少女は勇者が来たのかと、部屋に飛び込んで来た時と同じような目の輝きをして、俺を見つめる。
「ナタリス、部屋に戻りなさい。シェイガス、この方をお送りしろ」
どうやら厄介払いされるようだ。おそらく娘の教育に冒険者という者は必要ない、と考えているのだろう。
貴族社会の中にも、吟遊詩人などに唄われる冒険者の話などが出て、時にはそうした冒険者が、彼ら貴族の夜会に招かれる事もあるらしい。
セルギオは愛娘に、そうしたものに対する憧れをもってほしくないのかもしれない。──あるいは高名な冒険者を夜会に招いた際に、妻が冒険者に色目を使ったのが気に入らないとか、そういった感情があったのかもしれないが。
「それでは失礼しましょう」
そう言って立ち上がると、少女が俺に駆け寄って来た。
「おとうさまとの話が終わったのなら、わたしとお話しましょうよ」
人懐っこい笑顔を浮かべ、ナタリスが言う。
「ナタリス」
警告を含んだ口調だったが、娘はいっこうに聞こうとしない。
「だっておとうさま、冒険者から話を聞ける機会なんて、ぜんぜんないんだもの、せっかく冒険者からお話が聞けるなら、わたしも聞きたいの」
少女はそう言って、吟遊詩人から聞いたという「リガルト」という名前の冒険者を知っているかと尋ねてきた。
「いや、そうした名前は聞かないな」
「なら『エト』は?『サウジェン』は?」
ルシュタールで名を馳せる冒険者なのだろうか? 自分はピアネスの冒険者なので、こちらの冒険者については耳にした事はない、そう答えると、少女はきょとんとした顔をして父親を見る。
「おとうさま『ぴあねす』とはなんですか?」
父親は「やれやれ」と口にすると、ピアネスとは大陸の中央部にある国の名前だと説明した。
「まあ!」
少女は別の国からやって来た冒険者だと聞いて、より興味を持ったらしい。セルギオは頭を抱えたが、これから来客があるので──と口にする。
「……もしよければ娘に付き合って、少し話を聞かせてやってはくれまいか」
なんだかんだで娘に甘いのだろう、公爵は折れて、俺に相手をするよう頼んできた。
「構いませんよ」
俺は公爵の娘ナタリスに連れられて部屋を出た。部屋の外にはこの娘の専属侍女らしい女が立っていて、俺は一瞬ラゥディリアを思い出した。──だがその侍女は白子の肌ではなく、美人でもなかった。
どちらかというと護衛の役割を与えられた侍女なのだろうと思われた。気配を隠してはいるが、なんらかの武術を仕込まれた人間特有の鋭い気配を感じる。
──ルシュタールの貴族たちは、もともと武力で国を支配していた連中だ。こうした側仕えの者たちの中には、若い頃から戦闘訓練をさせて鍛え上げた者を重用しているとも聞く。
一説には暗殺部隊も居たというくらいだから、ルシュタールの兵士育成に関しては、ある意味シン国のような、独特な理念を持った軍事体制を受け継いでいるのかもしれない。
俺は少女に連れられて別の部屋へと向かう。
美しく飾られた廊下。毎日をこんな豪邸で暮らしていれば、外の世界に対する妙な──現実とは異なる──憧れを抱いたとしても不思議ではない。
俺は溜め息を吐いて、この少女に冒険者のなにを教えるべきなのかについて、部屋に辿り着くまでに考えを纏めなければならなかった。
次に通された部屋は、明るい色の絨毯が敷かれた客間、といった感じの部屋で、奥には別の部屋に通じるドアと、子供用の大きさの弦楽器が置かれていた。──この少女ナタリスの部屋だろう。
窓には水色のカーテンが風になびいて揺れている。
「あ、カレミァ、お茶の用意を」
少女が侍女に声をかけると、侍女は少し警戒した気配を出した。この部屋には他に人が居ないからだろう。いちおう俺は客人の扱いのはずだが、冒険者に警戒するのがこの家の習わしなのだろうか。
ナタリスに導かれるまま、俺は白いテーブル席の長椅子に腰かける。
侍女は大人しく部屋を出て行き、お嬢様の言いつけを守る事にしたようだ。
あなたのお名前は? というお嬢様に名乗ったが、少女は俺を次のように呼んだのである。
「異国の冒険者は、ルシュタールになにをしに?」
「いや、ルシュタールに用がある訳じゃない、この国の南にある島に渡りたいんだ」
地図によると「トルーデン」と名前の付く島で、未だに火山が煙りを上げて燻り続けているらしい。
「南の……蛮族大陸に?」
「いや、それは南東にある大陸だろう? そうではなく、南にある火山島の事だ」
かつてトゥーレントという国があったという島について話すと、彼女は「ああ」と納得する。
「おとうさまやおにいさまが持っている、きらびやかな短刀を作っているところね。……そういえば火山が噴火して、なにもかもが失われたと言っていたわ」
彼女は島については興味がないらしく、大陸の中央にあるピアネスとはどんな国かと尋ねたり、旅をするうえでなにに気をつけるべきかと尋ねてきた。
俺はできる限り率直に説明したが、ピアネスについてはあまりおもしろい話はできなかっただろう。ピアネスの文化は周辺国の文化の影響を強く受け、独自の文化とはどういったものか忘れてしまったかのような、そんな国だとも言えたのである。
だからという訳ではないが、冒険や旅について、また戦士ギルドや、各国の文化や人々の暮らしぶりについて説明した。
侍女が運んできた赤みの強い香草紅茶を飲み、しばらくすると誰かが部屋のドアを叩く。
ナタリスが侍女に声をかけると、幼い感じの侍女が入って来て、勇者様ご一行がやって参りました、などと言ってきたのだった。
勇者について聞きたかったのだが、少女は自分の知りたい事について貪欲に聞き続けたので、こちらから質問する隙がなかった。
そういえばどこかの町の掲示板で「勇者が魔物を討伐した」といった事柄が書かれていたのを思い出す。あれはてっきり、戦士ギルドの広報が付けた、注目を集める為の宣伝かと思っていたのだが。
ナタリスの言った「神託」という言葉が気になっていた。この国で言われている勇者とは、なにやらきな臭い匂いをぷんぷんと感じる。
「勇者様に会いに行きましょう!」
少女は元気に言って俺に立ち上がるよう言うが、俺は首を横に振る。
「いやいや、会った事もない勇者とやらに会おうとは思わないよ、俺は帰るから──」
そう言って立ち上がったが、ナタリスにはそうした機微は分からないらしい。彼女は俺の手を引くと部屋を出て、応接間まで戻って来るはめになったのだ。
──まあ、好都合と考える事にした。
その勇者とやらから「神託によって選ばれた」というのは、どういった意味なのか直接たずねるのもいいだろう。




