公爵の使者
裏通りにひっそりと存在する本屋。
その本屋は一目でそれと分かるような看板がある訳でもなく、入り口のドアに、小さな板金が取り付けられているらしいのだ。
その情報を頼りに、表通りにあった本屋の主人から聞いた、だいたいの場所を探っていると、薄暗い路地裏にそれらしい建物を発見した。
木製の古びたドアに、真鍮製の小さな板金が取り付けられ、その真鍮の板に「古本屋」とだけ打ち出されているのを見つけ出し、古いが頑丈なドアを開けて店の中へと入って行く。
──そこは紙の匂いに満ちていた。店内は薄暗く、左右の壁に架けられた角灯の光が、ぼんやりと辺りを照らしている。
「……らっしゃい」
胡散臭そうな老人が座りながら本を読んでいた。雰囲気のある老人だったが、たぶん魔術師くずれか、魔術師かぶれの好事家であると推測した。少なくとも現役の魔術の徒ではないだろう。
狭い店内には棚が左右にびっしりと取り付けられていたが、空白が目立つ場所もあった。品ぞろえはいまいちな様子で、俺は落胆を出さないように棚の前に歩いて行く。
そこには確かに、様々な国の文字で飾られた背表紙が並んでいた。
横に移動しながら棚の上から下に、じっくりと視線を向けて、興味を引く本はないかと隅から隅まで調べ尽くすつもりで移動する。
変わった物という意味では、北方の国ジギンネイスの著者が書いた、『奴隷の養育』という本が興味を引いた。──内容はつまらなかったが、南方人の特徴的な考え方や、意思疎通の方法が書かれており、その辺りは為になったと言える。
他にも『処女の魔術的価値』などという本を手に取ってみたが、率直に言って、少女好きな著者による(根拠の希薄な)妄想の垂れ流し、という内容で──ある意味、空想的で感動的な本だと言えた。
そうして反対側の壁にある棚に移動して探していると、一番下の段にある大きめの書物を発見した。──それは薄い書物であったが、背表紙に小さな金属板が貼られ、なかなかに豪華な装丁をしている本だ。
金属板には『ラミテウス図板』と銘打ってある。
「ラミテウス……? 人の名前か?」
どこかで聞いた気がして、本を手にしばらく考えていると、「レァミトゥス」という錬金術師が居たのを思い出した。 レァミトゥスなのかラミテトゥスなのか悩んだ記憶があったのだ。
それは古い錬金術師の名で、エインシュナーク魔導技術学校の教材で目にした事がある。──確か、いくつもの錬金術で使用する隠秘学を表す図板を残したが、教材ではその一部の写ししかなかったのであった。
「むぅ……」
これが本物なら、なかなかに期待できる文献を発見した事になるが……
俺は期待しながらその薄い本の中身を確認した。
──────どうやら本物であるらしい。写しであっても相当に正確な内容だ。
俺はこの巡り合わせの幸運を押し隠し、他の本を探る振りをしながら、最終的に『レァミトゥス図板』を老店主に持って行った。
「はへぇ……『ラミテウス図板』──? ああ、これね。七百ルートベリアだよ」
老人は窺うみたいにこちらを見て言う。
七百なら書物としては高額とは言えない。古い物だとしても、下手をすると何千という金額がつく場合もある。
この書物が古く、薄い物だからだろう。店主は割と良心的な値段設定をし──それが彼の、「魔術師かぶれ」としての限界を表しているようだった。
この本の価値を知っていれば、何千、あるいは何万といった金額を提示したとしても不思議ではない。
俺はいそいそと腰帯に付けた皮袋から大きな銀貨を取り出し、七枚の銀貨を手渡した。
「まいどぉ……」
俺は平静を装いながら店を出ると、小躍りしながらそれを影の中にしまい込んだ。
「思わぬお宝を発見したぞ」
『レァミトゥス図板』から、錬金術のより深い技術体系に触れられる確信があった。細かな図式や図形を組み合わせた内容は、複雑な錬金術の作業を効率化するのに必要な、いくつもの示唆を与えてくれるはずだ。
俺はその幸運に、踊り出したくなるような気持ちを抑えて、路地裏から大きな通りに出て行くと、どこかでゆっくりと錬金術の図板を調べたい、という欲求を満たせる場所を探そうと歩き出す。
街の一画は貴族たちが暮らす、大きな敷地を占有した壁によって囲まれ、大きな通りに面した場所に、広々とした自然庭園(公園)が残されていた。
木々や草花の生えた所と、手入れをされ、煉瓦によって囲まれた花壇のある場所に分かれているその区画に、長椅子が設置されているのを発見すると、そこに腰かけて背嚢を足下に置き、魔術の門を開く。
影の倉庫に取り込んだ『レァミトゥス図板』の複製を取り出すと、その中に描かれている図式や図形を使って、さっそく疑似的な錬成作業を試してみた。
──────かなりの時間を使って、錬金術の基礎からもう一度、新たに取り入れた錬金術の方法論を試してみると、自分のおこなえる錬金術が、中級以上の難しい取り組みにも臨めるくらいに上達したのを理解した。
分析と考察、実験を重ねて、着実に錬金術の原理を理解すると、今後は霊核の中に記憶されている、錬金術関係の技術を持つ魔術師などから、より高度な錬金術の業について学び、取り組もうと考えた……が。
俺の周辺で誰かが、俺に対する敵対的な感情を放っている事に気づくと、意識を肉体へと戻し、いったい何者が俺の精神的な取り組みを邪魔したのかと周囲を窺う。
石畳が敷かれた庭園の中に複数の武装した連中が立ち、俺の周囲を取り囲もうとしているのを悟った。目を閉じて顔を伏せていたが、いきなり街中で兵士に囲まれるとは思わなかった。
そいつらはただの兵士ではなく、どうやら貴族の私兵らしい。胸当てを着けている者も居るが、その多くは防具を身に着けずに、腰から下げた剣か、手にした槍で武装しているようだ。
彼らの身に着ける防具や外套には、諸侯を表す紋章が印されていた。
殺気は感じないが、明らかに敵意を持って取り囲んでいる。逃がすまいとする圧力を四方から感じ、俺は抵抗を示さずに両手を肩の高さに上げて、降伏の意思を身振りで訴えた。
「まってくれ、あんたらに襲撃されるような覚えはない。人違いではないか?」
努めて冷静な口調で言ったが、もし攻撃を受けるようなら、単純な魔法のいくつかで数人を無力化するくらいは考えていた。──街中での魔法使用はたいていの国で禁止されており、処罰の対象になるが、黙って捕らえられる訳にもいかない。
じりじりと間合いを詰めてくる私服姿の兵士。
そのうちの一人が手を上げて、他の連中の動きを制止した。
「待て」
この私兵を指揮する立場にある者だろうか、落ち着き払った声で兵士の動きを止め、自身は前に進み出て俺の前に立つ。
「私はセルギオ=ルド=アシュファン公爵に仕える者。お前の名は?」
明らかに自分の立場が上だという響きを込めて、その男は言った。
俺は名を名乗り、冒険者である事を告げる。
「そうか──ではレギよ。悪いが一緒に来てもらおう、拒否はできないと理解してほしい。私の主がお前に聞きたい事があると言うのだ」
嫌な感じだったが、ここで抵抗しても厄介事が増えるだけだろう。俺は黙って頷き、シェイガスという鋭い目つきの男に従って、彼と共に庭園から離れた場所にある、公爵邸に連れて行かれたのだった。
大きな門が開かれ、馬車が入り込んでもびくともしないような、幅を広く取られた石畳の通路を歩き、大きな邸宅の前にやって来た。大理石の柱や硝子窓を見るだけで、相当な財を持つ貴族だというのは分かるが、なぜ俺が私兵に脅かされながら連行されなければならないのか、その不可解な事実について問いただしたい気持ちが湧いてくる。
玄関に取り付けられた扉には、凝った装飾などはされていなかったが、威圧的な鉄と木の扉に、頑丈そうな叩き金具が取り付けられていて、まるで処刑台の縄を見ている気分になった。
何故、公爵の私兵に拉致られていくのか──その答えは次話で。




