図書館、トゥーレントの短刀の売却
ここから第九章「勇者一行と美食家」の始まりです。
ルシュタール国内の不穏な気配の一端に触れる冒険をする事になるレギ。
邪悪な気配ただよう世界と、「勇者」と称される少年との出会い。
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個人的には「この文章いいね」という、文章を指摘して評価してもらえるようなシステムが欲しかった。
目が覚めると、窓から夕焼け色の光が射し込んできていた。宿屋の二階の窓から冷たい空気が部屋の中に染み込んでくる。
俺は寝台から起き上がり、硝子の張られた窓の戸を閉めた。
実時間的にはほとんど睡眠してはいないだろう、だが──俺の意識はずいぶんと長い間、精神世界での体験をしていたのだ。
魔神ネブロムや、案山子の支配する「咎人の街」などの記憶もはっきりと残っている。
そして、ディオダルキスを支配していた魔神ファギウベテスについても。
俺は寝台に腰かけると、魔術の門を開いて──なにがどうなったのか、それを確認しようと思った。
……魔神ネブロムは俺に力を委ねると言ったが、その力の結晶は完全には、自分のものにはできていない。それを取り込めないのは俺の魔導師としての力量もあるが、それ以上に神々の力に触れる事のできないように張られた、謎の力によるものだと分かった。
そしてその力は、各魔神に付与されたものではなく、人間の魂に刻まれたものなのだという事がはっきりとしたのである。
──つまり神々は、人間に一定の制限を設けて、それ以上は容易に触れられないよう取り計らっていたという事だ。
「神は相当に人間を恐れているらしいな」
なんとなく発した言葉だったが、それは思いのほか的を射ている気がした。
だが──あの神霊領域でなら、ある程度の制限は受けるが、魔神の結晶から力を引き出すのは可能になり、俺は二柱の魔神と天使の結晶を、自分の魔術領域に繋げる事ができたのである。
魔神ネブロムの結晶から記憶を探るのはできなかったが、魔力の器としては使える。
そしてその中にあるいくつかの魔法を読み取る事ができた。
「十字破光」という攻撃魔法。
光の波動を十字型に放つ魔法で、流動する衝撃波が対象をえぐるように攻撃するらしい。
十字の中心から外側に引き裂くような効果を持ち、直撃した相手を後方へ吹き飛ばしながら、その身体に十字の傷をえぐり込む。そんな魔法だ。
もう一つが「光の縛縄」という捕縛魔法。
光の縄を対象に投げつけて巻き付ける魔法。これを巻き付けられている間は動きが制限され、さらに魔法を使う事ができなくなるようだ。
どちらの魔法も威力や効果はそれなりだが、魔力の消費量が低いのが利点だろう。
さらにこの二つの魔法に限らず、上位存在が扱う魔法は「光体」に対する攻撃手段にもなり得るのだ。「親和波長」を組み込まずとも、上位存在の躯を攻撃できる有効な手段を手に入れられたのだ。
まだいくつかの魔法を持っているネブロムだが、それは障壁の奥深くに隠されてしまっていた。
光体を持たぬ俺には、完全な威力でこれらの魔法を使う事はできない。いわば「神の業」を借り受け、魔法という下位互換の技術で復元して使用するので、どうしても威力は落ちる。
簡単に言うと、上位存在の魔法を、下位存在の人間の能力に合わせた魔法になるので、性能は落ちてしまうのだ。
「というか、光体を駆使して放てば、あらゆる魔法の威力を底上げできるのかもしれない」
ともかくネブロムの残した結晶を魔力の器として取り込むと、かなりの魔力容量を確保する事が可能になった。
ファギウベテスの結晶体は、まだ自分の力と繋げるのは無理そうだ。
「もう少しネブロムとは話しをしていたかったが」
神々の事について深く追求しても答えてくれたのでは、そんな気がしていた。神について話すのは禁忌である可能性もあるから、どこまで教えてくれたかは分からない。
人間を管理すると言っていたが、直接的に人間と関係を持っていたのではないだろう。「摂理の執行者」なる存在がどんなものか、詳しくは分からないが。
新たな二つの魔法を習得すると、魔術領域から出て宿屋の部屋に意識を戻す。
魔剣を腰に下げ、一階へと降りて行く。
この宿には食堂があった。格調高い装飾がなされた小綺麗な部屋の壁には、美女画や風景画などが飾られ、台の上に置かれた美しい花瓶に飾られた花などが置いてあった。
壁に架けられた小さな鏡も飾られている。
「さすがに中央都市だな」
夕食はいくつかの前菜と主菜が分けられて出され、まるで生のような見た目の肉が出されたのには驚かされた。それはしっかりと火が通されており、表面に振られた胡椒などの香辛料と相まって、とても美味しい。
料理に満足した俺は、葡萄酒と乾酪を味わったが、この乾酪もまたなかなかの美味だった。香りはほど良いが味が濃く、──ブリアー産の物とは違う風味の、あの高品質で有名な産地の物とためを張る乾酪だと思う。
新しい発見をした俺は、その「カラドラス産」だという乾酪を半切れほどに切ってもらい、購入する事にした。
それを部屋に持ち帰り、影の倉庫にしまい込む。
その日は体を休め、明日はアルスゼールの街を歩いて買い物をしたりしようと考える。
簡単に魔術領域での作業を片づけると、ゆっくりと休むのだった。
* * *
翌日は予定どおりに街を散策する事にし、まずは戦士ギルドに向かい、鉄の印章を赤鉄印章に交換してもらった。新たに手にした赤い金属の印章を首から下げ、自分がまた一つ冒険者として位が上がったのだと認識する。
次に受付から場所を聞き出した、農具などを作っている鍛冶屋を見つけると、そこで鍬などの農具を買って影の中にしまっておく。これはあとで神霊領域に持ち込んでおく為の物だ。
「ところで武器屋はどこに?」
鍛冶屋の親父に尋ねると、それは通りの向こうにある、戦士ギルドと商業ギルドの間にある通りを抜けた先だ、という答えが返ってきた。
俺は礼を言ってその鍛冶屋を去り、この通りにある雑貨店に足を運んで、石鹸や角灯の油などを買い足し、こっそりと倉庫にしまい込む。
広い都市の中を歩いていたが、本を売っている店は一軒だけあった。専門的な学術書はほとんど無く、文学小説や教養書などの方が多かった。どうやら魔術書などの扱いは裏でおこなわれているか、別の店で取引が為されているのだろう。
店主によるとこの街には、もう一つの本屋があるらしいのだが、裏通りに隠されたみたいに、ひっそりと店が開かれているのだとか。
「まあ裏通りの怪しげな本屋なので、余所の国から流れてきた本などを探しているのなら、そっちの店に行くといいでしょう」
店主はだいたいの場所を教えてくれたが、付き合いがある訳ではないので、正確な場所は分からないと言う。
俺は少々がっかりしてその店を離れたが、図書館があるのを知ると、そちらに向かった。
図書館は高い壁に囲まれ、厳重に警戒されていた。入り口にある門では門番が居て、一介の冒険者には図書館に入る事は許されていないようだ。
幸い赤鉄階級の冒険者から中に入る事は許されていたので、身分を明らかにすると、門に背嚢などを預け、やっと図書館に入る事ができたのだった。
厳重な警戒が敷かれているのは、中の本を持ち出されたりしない為もあるだろうが、やはり国外の人間に知識を自由に開放する危険を考えているのだろう。
ましてや魔術や魔法に関する本が置かれている区画には、さらに厳重な警戒が待っていたのだ。
「待て」
そこは別館に繋がる短い通路の前にある検問所になっていて、司書と特殊な番兵が控えていた。おそらくただの兵士ではなく、魔法などにも精通した、精鋭の一人だろう。
法衣のような制服と胸当てを身に着けた兵士と、制服を着た司書に警戒された俺は、赤鉄印章を見せ、魔法に関する書物を見たいと言ったが、「ここから先は、我が国の冒険者であっても簡単に入れる事はない場所だ、お引き取り願おう」と、にべもなく断られてしまった。
心の中で舌打ちしながらその場を離れようとすると、別館の方から出て来る者たちが居た。──かなり風変わりな一団で、少年を先頭にした数名の若者が扉を開けて出て来たのである。
司書や兵士が、その一団に対し敬意を示す一礼をして送り出していた。
どうやらこの国の冒険者のようだったが、一見しただけでただ者ではない連中だと分かる。剣士や戦士と思われる若者の後ろに、魔法使いの老人と話している女魔法使いの姿がある。
彼らの身に着けている衣服は、上等な旅用の衣類であり、洗練された者が着る、質の良い生地を使っているのは明らかだった。──ただの冒険者ではあり得ない、なんらかの権力者に仕える、特殊な連中であると思われた。
三名の男女は俺に気づかずに通り過ぎて行ったが、先頭の少年だけは本棚の近くに突っ立っていた俺を見て、ぺこりと頭を下げたのだった。
仕方なく俺はその場所から離れ、魔術と直接の関係はなくとも、そうしたそうした技術と根の深い、宗教や土地に関わる歴史的な書物を探る事にした。そうした書物の中には、魔術的な事柄について書かれている場合があるのだ。
──根気強く探していると、一冊の古い本を見つけた。それはルシュタールやアントワに関連する、古い宗教形態について書かれた書物で、その中に「エィマアニュス神霊」についての章という目次があるのを知った。
「エィマアニュス……アントワの町で見た建物に、そんな名前が書かれていたな」
そう思い出しつつ、その内容に目を通そうと、離れた所に置かれたテーブル席に着いて、その書物にさっと目を通す事にした。
エィマアニュスとは、この辺り──アントワやシャルディムやルシュタール近辺──の古い言葉で、「人と大地に関わりを持つ存在」を意味するらしい。神霊とは上位存在の事であろうし、どうやらこのエィマアニュスとは、アーブラゥムのような存在の事を指しているのではないだろうか。
こうした存在は少なくとも、この書物の中では古代以降の時代に現れたと考えられているらしい。南方の土地で作られた概念ゆえに、中央から北方では、別の呼び方をされていたのかもしれない。
(呪術や魔術の基礎となる神を指し示す、集合体のような呼び名は──記憶にないな)
南方ならではの神々に対する考え方や、共通する上位存在のあり方があったとも考えられる。
このエィマアニュスというのは、南方に住む人々の間では、自分たちに身近な存在だったという訳だ。それはシャーディア教団の元となる、多神教的な考え方そのものだったろう。
むしろ「エィマアニュス神霊の家」という、精霊信仰的なものを司る場所を、北方からやって来る「レファルタ教」から守る為に「シャーディア教団」が結成されたと考えられた。
この古い信仰形態には、実際に無秩序な神々との接点を持った人々によって崇められた、そうした来歴を経て誕生したはずである。彼ら南方人にとってレファルタ教教会などという宗教は、胡散臭い、名ばかりの神にすぎないのかもしれない。
この書物の他にも、いくつかの興味深い本に目を通したが、はっと思い立ち──トゥーレントの短刀を売ろうと、武器屋に向かう事にした。
鍛冶屋の親父に教わったとおりに、二つのギルドの間を抜けた先に武器屋があった。貴族たちが住む居住区の近くにある場所で、広々とした通りには、香水店や宝飾店などの高級な店も軒を連ねている。
その武器屋は中級以上の冒険者が訪れる店だろう。しっかりとした扉には菱形の浮き彫りに、真鍮製のドアノブが取り付けられ、高級感を醸し出していた。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうに座っていた男は、高級感とは無縁の、厳ついおっさんでしかなかったが、俺は懐から例の短刀を取り出すと、それの買い取り価格を尋ねた。
「おいおいおい、こいつは……!」
武器屋の親父は興奮した様子で短刀を手にし、鞘から刃を抜いてひっくり返したり、光に反射させたりして熱心に観察している。
「状態も悪くない……うむ、これなら──そうだな。八万──いや、八万五千ルートベリア支払おう」
と言ったので少し考えたが、この店で売る事にした。
親父は表面には出さなかったが、小躍りするような喜びようで、部屋の奥から皮袋に入れた銀貨と、数枚の金貨を出してきたのである。
「まいどぉ~~」
その声で武器屋の親父が上機嫌なのは丸わかりだったが、金貨を革財布にしまい、銀貨を入れた皮袋を背嚢の中に収めると、店を出て──この街にあるもう一つの本屋を探す事にした。
このトゥーレントの短刀を売った事で、思わぬ展開に巻き込まれる事に……




