案山子と魔神
小麦畑は綺麗に整えられていた。
畑の間にある畔道を通りながら、金色に揺れる波の真ん中に立つ、案山子の居る場所に近づいて行く。
乾燥した稲穂の匂いに満ちている小麦畑。
案山子に一番近づける畔を通り、小麦畑の中に居る奴の目の前までやって来た。
それは体の左半分が黒く、右半分が白く塗られた案山子だった。
木の棒や藁で人型に作られているが、その頭部は布や木の皮を寄せ集めて作ったような、気味の悪い、干からびた果実みたいな頭が乗せられている。
「案山子よ、この幻夢界から俺を解放しろ」
だらりと頭部を下げた奇妙な案山子に呼びかけたが、奴は微動だにしない。
「そうか、なら、この辺りの小麦を焼き払ってしまおう」
俺は手を広げ、呪文を詠唱しようと構える。
するといきなり殺気を感じた。鋭い、刺すような殺意。
案山子の背後から青い炎が噴き上がると、そこから「びゅうっ」と音を立ててなにかが飛んできた。
それは回転しながら俺の居た場所を切り裂く。
カタカタと揺れ出す案山子。
回転して飛んでいた物が、ぐるぐると円を描いて戻ってくると、案山子がそれを手で受け止めた。
「なんという暴虐、自らの糧を焼くなどと──ああ、赦すまじ」
巨大な鎌を操る案山子。
その鎌は案山子の身長と同じくらいの大きさがある、巨大な刃が付いていた。
白黒案山子は鎌を手に、ゆらゆらと揺れながら畔に歩いて来る。
「ああ咎人よ。お前は自らの過ちにより懲役刑に科せられた、大人しく作業に戻るがいい」
この奇妙な案山子は解析を受け付けない力に覆われている。魔眼をもってしても、その存在を調べる事ができない。
「ほざけ、勝手に幻夢界に引きずり込んでおきながら、懲役刑だと? 黙って俺を解放しろ。でなければ……」
俺は剣を構え殺気を放つ。
巨大な鎌を持つ案山子が、がさがさと音を立てて震え出す。
「ぎッギギぎぎギぎッ」
奇妙な声が漏れ出ると、仮面のような無表情の口元が裂けた。グバァッと開いた口から石のゴツゴツとした歯が現れ、石臼のように、ごりごりと音を立てて歯ぎしりする。
鎌を持つ手からズバッと音を立てて、尖った金属が飛び出した。藁の指から曲がった鈍色の鋭い爪が現れたのだ。それは尖ったフォークの先端を思わせた。
どうやらこいつの体は、農耕に関する自然物や器具が使われているようだ。──この案山子を作り出している存在が、農耕に関する技術との関わりを持っているからなのだろうか。
「労役に服せない者は処刑だぁァアぁッ!」
奴は裂けた口から咆哮と同時にそんな言葉を発した。
巨大な鎌を振り上げ、鋭く切りかかってくる。
横から襲いかかる弧を描いた刃。
しゃがみながら後方に躱し、素早く前に踏み込もうとしたが、案山子は身体を回転させながら後方へ下がりつつ、もう一回転して斜め下に大鎌を振り下ろす。
膝を狙った攻撃を跳んで躱しながら、剣を奴の背中めがけて突き出したが、かすり傷ていどの損害しか与えられなかった。
ぐるぐると回転して下がりながら大鎌を構える案山子。手から生えた金属の指で、かちかちと音を立てながら柄を握る。
魔法で戦闘能力を上げているらしいが、攻撃魔法などを使用する事はないようだ。
鎌という変則的な武器を持つ敵に、初めは苦戦していた俺だったが、相手の動きが読めるようになり、すぐにその大振りの攻撃に対策ができるようになってきた。
戦闘経験の差が違う。
この白黒案山子は、戦士などを相手に想定した戦い方をしていない。おそらくは一方的に巨大な得物で圧倒し、蹂躙するのを目的としているのだ。
「そんなでたらめな動きが通用すると思うなよ」
案山子の攻撃を見切ると、すぐに反撃に転じる。
回転しての二段攻撃に対し、一撃目を躱して突っ込み、二撃目の腕に対して痛烈な縦斬りをお見舞いする。
乾いた音すらしない一閃を振り下ろすと、案山子の両腕が吹き飛び、手にしていた大鎌と共に麦畑の中へ消えていく。
奴の身体の中にある魔力の集中する箇所を狙い、斜め下から切り上げる斬撃を放つ。
胴体を斬り裂く一撃。
藁人形が上半身と下半身の二つに分かれ、上半身が下半身の上で一回転しながら、横向きに落下する。
遅れて下半身が前のめりに崩れ落ち、二つに分かれた身体から、青い炎が噴き出してメラメラと音を立てて燃え上がった。
その炎が集まると、空間にぽっかりと──暗い穴が姿を現した。どうやら案山子を操っていた者が居る領域への、入り口が開いたらしい。
「罠のつもりか?」
入り口には危険がないのを確認すると、俺は空間に開いた入り口を通って、咎人の街を作り出した首魁に会いに行く事を選んだ。──この幻夢界から脱出するには、相手と対峙する他はないようだ。
案山子は大した脅威ではなかったが、その創造主が上位存在の、どの位階にある者なのか、それが気がかりではある。魔神は特に危険だからだ──その位階にもよるだろうが、戦いになればこちらも全力で応戦する覚悟を決める。
空間に開いた穴を通ると、そこは建物の中だった。自然の洞窟の中に造られたみたいな、土の壁と石の壁が混在する場所。
石の柱が立ち、大きな石畳が敷かれた通路を通って行くと、土の壁から生えた苔が緑色の光を放って、辺りを照らし出している。
地面が剥き出した場所や、光る苔がむした岩が転がった場所、石床のない剥き出しの地面に、水溜まりができている場所もあった。その水溜まりに天井から水滴が落ち、ぴちょんと音を立てた。
天井を見上げると、しっかりと装飾された壁や天井がある場所と、崩れた壁の裏側にある、洞窟の土壁が見えている部分がある。天井からぶら下がる鍾乳石から水滴が落ちてきた。
「洞窟なのか、建物なのか、どっちつかずの場所だな」
天井の一部が崩れ、通路に落ちていた。崩落した壁が床を砕いて積み重なっている。
柱や壁に取り付けられた金具に、青白く光る結晶が飾られており、それが辺りを青い光で照らしていた。
青色と緑色の光が混じり合う通路の奥、そこは広い空間が広がっているようだ。
そちらに向かって行くと、円形の広い空間があり、その周辺を青白い光に照らされた石壁と柱が囲んでいる。壁際を見ると、広い円形の空間の周囲には小さな掘りがあり、そこに水が流れていた。
その空間の中央には、大理石らしい石材で造られた、立派な玉座が置かれている。その玉座に座る者はなく無人だったが、近寄って見ると、その玉座の上に小さな炎が燃えている、──それは濃い青色の炎。
『何者が私の使役するヘギアの魔を倒し、この領域に入り込んだのか』
それは弱々しい声だった。
耳の奥、もしくは頭の中に響く声。
その声は上位存在のものだろう。
「ヘギアの魔」という単語は前にも聞いた覚えがある。──そう、冥界神の双子が「不死者の魔神ヴァルギルディムト」が魔神となる前の存在の事を、そう呼んでいた。
「『ヘギアの魔』とはいったいなんの事だ」
声に向かって問いかけると、それはやはり弱々しい声でこう答えた。
『ヘギアの魔とは、私のような<摂理の執行者>が使役する代行者の事よ。おお、それを倒すとは、汚れた人間の中に強力な戦士、あるいは魔術師が混じっていたようだな』
なるほど、上位存在の手先が「ヘギアの魔」という訳だ。
「『摂理の執行者』とは?」
『天上の神の代行として、地上に定められた摂理を知らしめる者の事だ』
そう答えながら、玉座の上で燃えていた青い炎が大きく燃え上がった。
炎の中から現れたのは痩せた人間。
右腕が骨と皮だけになり、炭化したみたいにひび割れた皮膚をしている。
顔の左半分を白い仮面が覆っているだけで、黄緑色の目が露わになった右側は、周囲の光を受けている所為か、青白い肌をしていて、死人のような姿だった。
身体はところどころが結晶化し、青や緑色の光を放っている。
胴体には胸部から腹部に至る大きな傷がついており、傷口から青紫色の光がぼんやりと光を発している。たまに傷口からめらめらと青い炎があふれ出て、それにつられるみたいに、体中にあるひびから炎が噴き出す。
朽ちかけた身体をした上位存在は、虚ろな目をしてこちらを見つめている。相手からは上位存在としての強大な力や、圧力を感じない。
「ああ、ついに私に、滅びが訪れたか」
そいつはひび割れ、青ざめた唇を動かして、諦めたかのような言葉を発した。
見た目のとおりに、この上位存在──魔神の力は大部分が失われているらしい。かつては神の使いとして働いていたこの魔神に、いったいなにが起きたのだろうか。
「それで……あんたは何故、俺を幻夢界に引きずり込んだのか、それを聞かせてもらおう」
すると魔神は乾いた唇をぱくぱくと開き、洞窟に吹く風の音みたいに、聞き取りづらい声で話し始める。
「魔術師よ、私は見ての通り、もはや自身の存立を維持できぬほど弱っているのだ。それを罪人の霊質と魔力などで補っていた」
まさかヘギアの魔を倒すほど強力な剣技と、魔法を使いこなす者が居ようとは、魔神はそう言って唸った。
魔法はほとんど──というか使わなかったが、それはどうでもいい。
「あんたの事情は理解した。しかし何故、罪人だけを閉じ込めたのか」
「かつて私は、人間を守護する為に下界の管理者として存在していた。例え神にその役目を取り上げられ失墜したとしても、人間を闇雲に捕らえ、己の糧になどできるものか」
──どうやらこの魔神は、心魂的には人間の味方であるようだ。
(こんな魔神も居るのか)
俺はすっかり戦う意志をなくした。
剣を鞘に戻すと、この魔神と会話をしようという気持ちの方が強くなった。神々の事を聞き出すいい機会だと考えたのだ。
「俺はレギという。あなたの名前は?」
「──ネブロム」
「それは天上界での名前なのか」
「違う、私が失墜した時に与えられた名だ」
「誰から与えられるのか」
「当然、天上の存在からだ」
聞き出してみても、なかなか判然としない部分があったが、失墜──つまり天上界から堕とされた時に、神から与えられた名を剥奪され、代わりの名を与えられたのだという。
名付け親が癇癪を起こし、名前を勝手に改名した。──そんな風に考え、少し笑いそうになる。
そうした神との関係も、人間の常識に当てはめて考えても意味はないだろう。
「天上の神とは、ずいぶんと傲慢なようだ」
「そのように人間が思うのも、もっともな事だ。だが──あまり神を軽んじるのは止めておけ、天上の存在に知られれば、あらぬ災いを招く事になるやもしれんぞ」
俺はネブロムの言葉を受けて、乾いた笑い声で応えてしまった。
「何が可笑しい?」
「いや、なに……すでに天使を送り込まれていたもので。そしてそれを倒し、ある場所に幽閉しているのだが」
なんと……と、滅びかけている魔神が驚愕の声をもらす。
「お前には通常の魔術師とは違う何かを感じる。それはいったい何故だ?」
魔眼か、それとも死導者の霊核について言っているのだろう。──相手が魔神だというのを考慮すれば、魔眼の方を言った方がいいだろうと判断した。
「俺は魔神ラウヴァレアシュから魔眼を与えられ、闇の五柱の王と接触する旅に出ているので、おそらくはそうしたものが影響しているのだろう」
「ラウヴァレアシュ──そうか、光の中の暗き星、天命を報せ、粛正を司る、あの方の……」
そうかと、また呟くネブロム。
ネブロムにとってラウヴァレアシュの元々の位階は、相当に上位だという事だろう。
「レギとやら、私の頼みを聞いてくれぬか」
重々しい響きを以て魔神は呟く。
俺は「内容による」という事を告げた。するとネブロムは弱々しく笑い、お前にとっても得になる話のはずだ、などと言う。
「私を滅ぼし、私の力を取り込んでほしい」
次話は日曜日に投稿します。
次話でこの章も終幕です。思いがけない展開から、新たな力を手に入れる事になるでしょう。




