ダンベイテの町から鉱夫達の宿場まで
馬車に揺られながら、頼りない、廃れた街道を通って行く、窓から見える景色には山が随分、近くに見えるようになってきた。森や山が近くなると護衛たちが戦闘をおこなって馬車を止める事が増えてきた、「火噴き猟犬」や「死霊」「犬頭悪鬼」「妖鳥鬼」などが襲い掛かって来たのだ。
護衛は馬車で待機している俺を時折、不安にさせたが──何とか敵を撃退して、ダンベイテの町まで馬車を送り届ける事に成功した。
ダンベイテの町は確かに小さな町だ。一応、外敵から守る石の防壁に囲まれてはいるが、壁の厚さも高さも、気休め程度の規模しかない物で、町の端から端まで歩くと、二十分も掛からずに町の反対側に辿り着く、そんな町だった。
町の中を行き来する人々のなんと覇気のない事か、まるで死人が歩いているかのようだ。
薄暗い顔をした人々を避けて町の中を歩いていると、裏通りに汚物が撒かれていたり、汚水をそのまま流したりと──ここは、衛生面が絶望的に悪い地域のようだ。
近頃はレファルタ教教会などの広める衛生教育のお陰で、多少は糞尿の処理などにも、街全体で取り組む動きが増えてきたが、この寂れた街までは彼らの布教活動は届いていないらしい。
最近は小さな町でも、それなりに汚物処理に取り組む所も多かった為に油断していた。知性のない人間は結局のところ獣と変わらないのだという事に。
俺は不衛生な場所には近寄らず、できる限り清潔さが残されている場所で宿を探した、どうやら町の中央付近に馬車で降ろされたが、町の奥へ行くほど住民の民度は下がって行く傾向が、この町にはあるらしい。俺は馬車が通って来た道を遡り大通りで宿屋を探した。
それなりに小綺麗にした宿屋に入ると、四十代手前の女将らしい女が一瞬、驚いた顔をして(おそらく小綺麗な格好をした冒険者を見慣れていないのだろう)こちらを見たが、俺が訝しむと慌てて「いらっしゃいませ」と口にして、お泊りですかと尋ねるので、一泊だけ泊まらせてもらうと言って銀貨を一枚(磨り減った物ではない良貨を)手渡す。
一泊銅貨十枚ですと言う彼女に「釣りはいらない」と言い置いて、二階の部屋の鍵を受け取りさっさと部屋へ向かう。今日は宿に泊まっている者は数名であるらしい。──壁に架けられた鍵掛けには部屋番号と鍵の掛かってない場所があるので、できるだけ人の泊まっている場所から離れた部屋を借りる事にした。
夕食までぼうっと過ごすのも退屈だが、外に出て何か探しに行く気にもなれない町だ──木製の戸を嵌め込んだ窓を開けて外を見ると、いかに活気のない町であるか一目瞭然だ。大通りだと言うのに人通りも少なく、歩いている者の身なりも、ここ数日滞在してきた街と比べると、都市に近い場所と、辺境に近い場所の格差と言うものをものをまざまざと感じる。
そうしていると部屋の入り口の扉を叩く音が聞こえてきた。俺は声をかけて扉を開けると、そこには二十歳くらいの女が立っていた。身なりを整えた格好だが、あどけなさの残るいかにも田舎の女という感じだ。「お母さんがあなたのところで用事を受けて来いと言うので」来ましたと彼女は言う。
おやおや、そういうつもりで銀貨を渡した訳では(多少はそういう期待もした)ないのだが、この退屈そうな町で時間を潰すなら、有意義なものにしたいと思っていたところだ。
彼女らも外部から来る男の方が、何かと相手として都合が良いのだろう。部屋に入るように言うと、彼女は何の躊躇いもなく部屋に足を踏み入れ、これから起こる事に期待するような表情を見せる。
もちろん俺は女に恥をかかせるような男ではない、彼女に近づくと、そっと抱き寄せて、彼女ごと寝台の上に倒れ込むのだった。
*****
しばらくは宿屋の娘を使って得られる愉しみを満喫していたが、夕食前には彼女を解放した方がいいだろうと思い、彼女に服を着るよう促す。彼女はぐったりと寝台の上に寝そべっていたが、寝台の端に腰掛けながら身なりを整えて服を着る。
その様子を彼女の背後から観察しながら、この町の状況を尋ねてみた。──彼女はこの町の外に憧れてはいるが、両親は娘が街へ行く事を快くは思っていない様子で、宿屋の手伝いをさせて、ここを受け継ぐ準備を進めているらしい。
「レインスノークから来た人なら分かるでしょう? このダンベイテの寂れた様子が」
レインスノークにも貧民街や寂れた宿屋などもあったが、全体的に言えばダンベイテには活気と清潔感がない、そう答えると彼女は笑いながら「そうでしょうとも」と皮肉を込めて言う。
「この宿屋はそれでもまだましな方ですよ、三軒離れた宿屋では食事を口にした客が食中毒を起こして医者にかかり、そのまま医者に殺されたそうですから」
彼女はそう言いながら、不吉な笑みを浮かべて振り返る。
「それは怖いな」
「でもここは大丈夫です、衛生面には気をつけていますから──水浴び場もありますしね」
そう言って一階の水浴び場の場所を説明して、彼女は部屋を出て行った。俺も衣服を着ると食事の前に、そこで汗を流す事にした。
食事は確かに安全な物であったようだ。味的にも量的にも満足いく物であったそれらを食べ終えると、就寝の用意をする──やや早い時間だが、仕方がない。この町には見るべき所も無ければ、遊びに足を運びたくなるような場所も無いのである。
人が多く足を運ぶ場所には人が集まり、その為に娯楽施設などの多くの人間が欲する物が作られるが、人の来ない場所は廃れ、寂れて行き、やがて消滅する。どの場所でも同じ事が見られる。その事に国や人種などは関係がない、人間とは結局のところ、大した差異はない生き物なのである。
明日の予定を漠然と考えていたが、ここから離れた場所にあるという、鉱山近くに作られた鉱夫たちの寄り合い所──以前は彼らの宿場町だった場所だが──現在は寂れ、すでに多くの者から廃鉱山と認識されている場所に、向かわなくてはならない。
明日は気の乗らない、徒歩での旅になりそうだった。
*****
翌朝、朝食を取り、保存食などを補充したりしながら街を去る事にした。
荷袋を担ぎながら南西に向かって歩き出す。ここからから先は碌に地図も描かれていない辺境だ。野盗が待ち構えている事はないだろうが(人が通らぬ場所で待ち構えている間抜けは居ないだろう)、魔物や亜人種は別だ、奴らは生きているものなら大抵は襲いかかって来るものだからだ。
それにしてもこの荷袋もだいぶ痛んできている、もっとしっかりとした背嚢が欲しかったのだが、ここのところ訪れた街では、丈夫でいくつかの物入れの付いた理想的な物が無かったのだ。
道らしい物が緩やかに坂を上がって行くと、丘の上から先は森や、所々地面が隆起している間を通る事になるのが見えて、気を引締める。こういった地形には獣や、亜人種との接触が多いのである。
遠くに見えている山──そこに鉱山があるらしいが、一直線に向かう事はできず、道とは言えない踏み固められた跡が微かに残る、土の見える場所を通って進み続けた。
途中で野犬や狼に襲われ、犬頭悪鬼四体に出くわして戦闘になった。幸いその四体は、防具も碌に身に着けていないような烏合の衆に過ぎない相手だった。逃げる振りをして間合いを詰めてきた相手を岩場の陰に誘い出すと、一気に二匹を切り倒し、残り二匹がどうしようかとまごついている間に、一体の首を刎ね飛ばすと、残りの一匹は即座に逃げ出した。
犬頭悪鬼は「コボルド」の様な亜人種。妖鳥鬼は「ハーピー」の様な物をイメージしてます。