咎人の街からの脱出
その建物の中も薄暗い廊下があった。
左右にドアが並び、俺は適当に一つの部屋に上がり込む。
暖炉や引き戸の付いた棚などが設置されている──生活感のある内装。人の気配はないが、テーブルの上に皿や杯が乗っており、それを使用していた者が居るのだと思われた。
巨人の足音が聞こえなくなった、立ち止まって俺の姿を探しているのだろう。
部屋の奥にある別の部屋へと繋がる通路から「ぱたぱたぱた」と、人が歩いて来る音が聞こえる。俺はいつでも戦える心構えをして、なにが現れるのか見守った。
ドアのない通路から部屋に入って来たのは、大きな鼠の頭を持った二足歩行する生き物。仮装ではなく、やはり動物に変身した感じのする、奇妙な均衡をもった容姿。
地味な茶色の衣服と緑色のスカートを履いた、白い毛をした鼠女だ。
「だっ、誰ですか?」
それは怯えたように声を上げる。
声から判断すると、二十代前後の女だろう。
「気にするな、すぐに出て行く」
俺は少々乱暴な物言いをした。
鼠女は手に持った綿織物の束を持ったまま、おろおろと部屋の手前で右に左に体を向けている。
「落ち着け、それより聞いてもいいか?」
「な、なんでしょうか」
「あんたも罪人なのか? なにか──人を殺したりした経験が?」
すると鼠女は首を横に何度も振った。
「ととととっ、とっ、とんでもない、ひっ、人殺しなんて──そんなこと、していません」
ここに集まっているのは罪人だという事だったが、老婆の人形が言っていたとおり、暴行や詐欺という罪状でも、この幻夢界に囚われるようだ。
「そうか、では何故この場所に居るのか分かるか?」
すると鼠はもごもごと言葉を紡ぎ出す。
「それは……悪い事をしたからだと──聞いています」
「ほう、それは誰から聞いた?」
それは……と、言い淀む白鼠。
「白黒の案山子にです」
という答えが返ってきた。
なんでも体の左右の色が違う案山子が現れて「おまえは罪を犯し、この場に送り込まれた」と、告げられたらしい。それも自分の姿が鼠の頭を持つ、毛むくじゃらの姿に変わったあとに。
「もう一つ……外の巨人について、なにか知っているか?」
「灰の巨人ですか、あれはふだんなら私たちのことは襲いません。でも違反者の事は追いかけていくんです」
「違反者?」
「私たちは『咎人の街』の規則に縛られているのです」
守らなければ巨人に捕まり、過酷な労働を押しつけられるのだとか。
灰から作られた身体を持っている巨人だとも、鼠は教えてくれた。
「ではあんたは、なにか罪を犯したという認識はあるのか?」
そう問うと、鼠女はじっと動かなくなり「罪を犯さない人間が居るでしょうか」と、答えたのだった。
「もっともだな。……質問を替えよう、あんたがここに送り込まれる原因となったと考えている『罪』とはなんだ?」
白い毛の鼠は少し狼狽え、手にしていた綿織物を近くの小さなテーブルの上に置いた。
「それはたぶん……友人の夫と、体の関係になったせいだと、思っています」
ふむ、と俺は考えた。
「それで、その友人はどうなった?」
「友人は──死にました」
「自殺か」
こくんと頷く鼠。
友人に裏切られて自殺した女の無念が、寝取った友人をこの場所へ送り込んだというのだろうか? それでは俺は何故、ここに居るのだろうか。
「はっ、殺人が罪だというのなら、確かに俺はここに来る理由が、両手では足りないだろう」
しかし解せない。
殺人にしろ裏切りにしろ、そんな事で幻夢界に意識を飲み込まれていたら、世の中には昏睡状態のまま意識が戻らずに、死体の山が増えているはずだ。
「あんたはルシュタールの人間なのか?」
その質問に彼女は首を横に振り、自分はシャルディムの生まれだと答えた。
地域の問題かと思ったが、それも違うらしい。
これはあれだ、悪辣な上位存在の、支配力を誇示する遊びなのだと思われた。理由など探すだけ無駄だろう、子供の言い分と同じだ。
「わたしが不愉快だと感じたから、それはダメ」と断ずる精神に、理屈など通用しない。
「人を殺した事が?」
恐る恐る尋ねてくる鼠女。
「ああ、もう何人殺したか正確な数は覚えていないが」
そう言うと、鼠女は怯えたように一歩後退する。
「安心しろ、意味もなく殺したりはしない。必要があったら殺すがな」
あんただって、必要だと思ったから友人の旦那と寝たんだろう、それと一緒だ。そう言うと鼠は金切り声を発した。
「わっ、わたしは! 殺してなどいません!」
「ところで聞きたいんだが──」
俺は彼女の言葉に割り込む勢いで質問を投げかける。
「直接殺すのと、間接的に殺すのは、いったいなにが違うと思う?」
直接手を下さずとも、人を追い詰めて殺す事はできる。金で雇った奴に殺させる場合もある。それらの違いはなんだと思う? 俺はそう鼠女に尋ねた。
「わ、わかりません……」
「覚悟だよ」
俺は即座に答えた。
「自分の手を汚してでも、その行為をおこない、その責任を自分で負う覚悟だ。だが、間接的におこなう殺人は、その覚悟の所在が曖昧になる、だから言い訳をして、その罪から逃れようとする訳だ。──『自分はそんなつもりじゃなかった』とか言ってな」
そう言い放つと、鼠女は顔を下に向けた。
自責の念を隠そうと声を張り上げたが、感情的になった時点で、その内に隠された本性が暴かれる。よくある事だ──むしろ見飽きるくらいに。
外から重い足音が響き始めた。巨人が移動を再開したのだ。テーブルの上に置かれた皿と杯が振動でぶつかり、「カチンカチン」と固い音を響かせる。
この鼠女も、この領域について知っている事はなさそうだ。さっさと現世へと覚醒した方がいいだろう。
「邪魔したな」
俺がドアを開けて外へ出ようとすると、鼠女はなにか言いたそうにしていたが、彼女の口から言葉が出る事はなかった。
外に出て狭い路地裏を駆け抜ける。
巨人は建物の反対側を歩いているらしい、足音がゆっくりと遠ざかる。──このまま行けば、門まで行き着く事ができるだろう。
おそらく次の通りに接する場所に出口があるはずだ、街を囲む高い壁が先の方に見えている。幻夢界の法則はまだまだ曖昧であるが、魔法の解析はこうしている間にも進んでいる。
ほとんどの魔法が自由に使えるはずだ。慎重に壁づたいを歩き、門のある方へと駆け出す。
建物の陰にある門と門塔が見えてきた。巨人が歩き去った通りを覗き込むと、巨大な背中がのっそりと動いて、十字路を曲がって行くのが見えた。
「今だ」
大きな門が待ち構える通りの先に向かうと、巨大な門扉の下に、小さな扉が設置されているのを見つけた。巨大な扉を開けて外に出る必要はない、あの小さい方の扉から外に出ればいいのだ。
巨大な木製の門扉に近づき、小さな扉に付いている取っ手を引いたが動かない、押しても扉は開けられなかった。
「鍵か? という事は……」
そう言って扉の横を見ると、黒い掲示板が取り付けられていた。そこには白い字でこう書かれている。
《田畑での農作業をおこなう者のみが食料にありつけます。農作物を育てられない者に生きる権利などない!》
ずいぶんと力強い宣言だ。
案山子が書かせたものなのだろうか? いったいどういった志をもって、この咎人の街を管理しているのだろうか。
「ともかく、この扉の外に畑があるのは間違いなさそうだ」
門の左右にある門塔のどちらかに、ここを開ける鍵があるはずだ。
俺は門塔に近づくと塔の下に行き、開け放たれた建物の中に侵入する。
そこは兵士の休憩室なのだろう、円形状に上へ延びる階段があり、部屋の真ん中にテーブルや椅子が置かれ、壁際に、武器を預けて置く台が用意されていた。
部屋の壁に架けられた鍵束を見つけると、それを手にして出口に向かおうとした、その時に──階段から誰かが降りて来る足音がする。
「誰でありますか?」
緑色の長靴を履いた、つぶらな瞳をした犬人間が降りて来た。
やはりそいつの頭部は大きくて、頭身が狂っていると思われる寸法だ。愛らしいと言えなくもないが、奇妙な均衡に──人間か獣なのか、どちらとも判断がつかない。
「ただの通行人だよ」
俺が言うと、子犬のような大きな頭を持つ、薄茶色の毛を持った男は首を横に振った。へっ、へっ、へっ、と息を吐きながら舌を出し、鼻をぺろぺろと舐めている。
「この街に通行人は、いないのであります」
「ほう、何故だ」
「この街からは出られないからであります」
街の外に出ても、逃げる事はできないのだと言う。
「案山子が脱走者を見逃した事など、一度もないのであります」
「そうか、なら俺が初めての例になる訳だな」
俺が断言すると、子犬はへっ、へっ、へっ、と息を荒くする。
「案山子と戦う気でありますか?」
「向こうがその気ならな」
この街に住む者たちが言う「案山子」とは、間違いなく上位存在の配下か、上位存在そのものだろう。ただの魔物だとしても、かなりの力と知性を持った者だというのは疑いようがない。
子犬の頭を持つ獣人間は、ぼそりと「案山子には勝てない」と呟く。
だから俺は「やってみなきゃ分からないであります」と応えてやった。
鍵束を手に街の出入り口に向かう。鍵を使うと小さな扉が開き、街の外へ出る事ができた。
周辺は見渡す限りの広々とした大地。街の外の天気はどういう訳か、清々しいほどに晴れ渡っている。
視界の先にあるものは、小麦畑や様々な野菜が植えられている畑。果樹園らしいものもあり──「咎人の街」は、おかしな生き物の姿に変身してはいるが、人間らしい生活を送らせてもらえる更正施設であるようだ。
「動物に変身するのも、罪を犯した人間への皮肉のつもりなのだろう」
小麦色の畑や、まだ青々とした色の畑などがあるが、小麦畑の真ん中に、それらしいものが立っているのが見える。
かなり遠くにあるそれは、黄金色の海の中に立つ白黒案山子だ。
街の外は若草や小麦畑などから、植物の放つ匂いが流れてくる。土と草の懐かしい匂い。
案山子の元に行く前に、俺は様々な準備をしてから、街に住む者たちの恐れる存在のところに向かって歩き出す。
次話は金曜日に、その次の話は日曜日に投稿を予定しています。




