アルスゼールの街、鏡を見て気づく事
昇級試験や両替など──
レギに起こった「変化」について書かれています。
石畳が、街の囲壁へと続いている。
高い石の壁──その壁は四角形や円形といった単純な形ではなく、どちらかと言うと星型のように、所々が外側に突き出す形で造られ、門の左右には櫓が設置されていた。
堅牢な城塞のごとき門を構えた入り口には、多くの番兵が街に入ろうとしている者たちを油断なく、厳しく取り締まっている。
囲壁の外にも木造の小屋や、布で作られた天幕などの仮設住居がいくつも作られていた。どうやら街の中に住居を得られなかった者たちが、街の周囲に住み着いているらしい。
「このアルスゼールが、ここら辺の中心的な都市であるのは間違いなさそうだ」
働き口などを求めて街へ来た者が居住権を得られず、街の外に住居を構える事があるのだ。それだけこの街が人口密度が高く、様々な物が集まって消費される──あらゆる富が集中している証拠だ。
いくつかの検問所がある入り口の前、番兵が居る場所に近づいてきた。馬を降りて番兵に戦士ギルドの階級印章を見せる。
「アルスゼールに来た目的は?」
「赤鉄階級への昇級試験を受けに、それと持ち物を売ったりね」
番兵は興味がなさそうな態度で「そうか」とだけ言うと、十五ルートベリアを求めてきた。
「ところで両替屋と馬屋はどこかな?」
そう尋ねると兵士は割と丁寧にその場所を説明し、通っていいぞと言葉を投げる。
俺は馬を引いて門の下を潜り抜けた。
街を囲む壁は相当に厚い。門を守る扉も大きく頑丈で、落とし格子も二重に用意されていた。街を守る門としてはなかなか見ない規模の門扉だ。
街中に入って行くと──さすがに中心都市だ。人の波が他の街と桁違いに多い。俺はすぐに馬の背に跨がると、ゆっくりと馬屋に向かう。
これだけの規模の街だ、ここからの移動手段は馬車や荷車で充分だろう。それこそ南にある港町から物資を運んで来る荷車は、毎日のようにひっきりなしに行き来するはずだ。
「お前には世話になったな」
馬の首をぽんぽんと軽く叩いてやる。
高い視点から人々を見ていると、ここには様々な国の人が居るのだと気づく。ウーラやジギンネイスから来たと思われる人や、蛮人と呼ばれる別大陸の奴隷の姿も見受けられた。
アントワやウルドの民も居るだろう、派手な色使いをした衣服を着ているのはルシュタールの市民で、地味な緑色や茶色などの単色の衣服を身に着けているのは、アントワやウルドの民。北方人らしい白い毛皮を身に着けたような人物も数人見かけた、多彩な民族が商売をしに来ているのだろう。
馬屋に行くと馬を銅板と共に返し、料金を支払った。青毛の馬は厩舎に引いて行かれた。次の雇い主が現れるまで、ここで待機する訳だ。
背嚢を背負い、街道から続く街の中心を通る大通りに出る。荷物を積んだ荷車が馬に引かれて街の外へ向かって行く。
または冒険者たちが街の外に歩いて行く。
武装した兵士たちが列を組み、通りを進んで行く。
この街は様々な人々の活気にあふれていた。
地図では確かにルシュタールの中央に位置する場所にある。しかしそれ以上に、ここが交通の要所となり、この街に運び込まれた物資が、ここから近くの町に運ばれて行くのだ。
この街でなら本屋などの、他の街にはなかなか無い店もあるはずだ。そんな考えを抱いて商店の建ち並ぶ通りを探す。
(昇級試験は──明日でいいか。その前に両替だ)
この街の雰囲気を体験したい気持ちになった俺は、街中を散策するつもりでぶらぶらと商店街はないかと探しつつ、門で聞いた両替屋の方へ向かう。
人々の多く入って行く通りを見つけると、その通りを覗いて見る。──そこには色々な看板が建物の壁から架けられ、肉屋やパン工房など、食品に関係する店が建ち並んでいる場所を通り過ぎる。
道の先にある両替屋に向かい、ピラル金貨をルートベリア硬貨に替えてもらう。店内にある看板に通貨の換金率が書かれ、そこには「テジン硬貨(ブラウギール国の貨幣)は扱っていない」と、ずばりと書かれていたのだった。
安定した価値に定評のあるピラル硬貨の、さらに金貨を渡された両替屋は──表面上は平静を装いつつ、何度も頷きながら皮袋に入った銀貨と銅貨をカウンターに乗せ、内心はご機嫌な様子で「またどうぞ」と声をかけてきた。
我らがピアネス国は、良質な銀山や金山が発見されて以来、そこそこの知名度を獲得しているのだった。
背嚢に硬貨を入れつつ、影の倉庫にほとんどをしまい込んだ。
両替屋の壁には、興味深い教訓が書かれていた。
ルートベリア金貨にはルシュタール王家の紋章が、銀貨には諸侯たちを表す紋章と兵士が、銅貨には市民を意味する農具などが記されている。
それは国家を表している。王は統治と法を意味し、それを支えるのが貴族と兵士たち、そして市民によって国は成り立つのだと。
街の中を散策しようとした時に、遠くからなにやら騒がしい声が聞こえ、多くの人が振り返ったり、そちらに興味を示している。
遠くから確認すると、どうやらスリが出たらしい。この人の多さだ、気づかれずに仕事をおこなった奴が居たらしく、いつの間にか腰から下げていた皮袋がなくなっていた、などと喚いている。
「せいぜい注意しておくか」
油断するつもりはないが、いきなり手にしていた物を引ったくられた経験もある。無駄に脚力も暴力も使いたくないので、裏通りの人通りが少ない道に入って行くと、そこには薬屋に鍛冶屋などがある、表通りの店とは違う、少しうらぶれた感じのする店が並んでいる場所に出た。
その一角に雑貨屋があった。薬や布地や糸などが置かれている店だ。──その中に薬草やお茶を煮出す草の根などが売られており、そこからめぼしい物を見つけ出す。
「おや、バレッタ草の根じゃないか。そうか、ルシュタールで多く採れるんだったな」
乾燥したバレッタ草の根や、魚の浮き袋を乾燥させた物など、調薬や錬金術に使えそうな物をその店で購入する。店主の老婆はいたく嬉しそうに、何度も頭を下げてうやうやしく代金を受け取った。
表通りの方に客を取られているのだろう。確かに見栄えの良くない品かもしれないが、どうせ粉末にするのだ、品質が良ければ形などどうでもいい。
鍛冶屋は包丁だの、鍋だのを扱う店だ。それもあまり質が良くない。俺はその店先を通り過ぎ、さらに大通りから離れて行く。
するとそこから先は段々と、寂れた雰囲気の建物が増えてきた。
はじめはそれほどでもなかったが、人通りは完全に途切れ、石壁から土壁に変わり、やがて木造の──それもかなり、おんぼろの建物が密集する区画に足を踏み入れてしまった。
数人の貧しそうな子供たちが道端でなにやら屈み込み、地面に木の枝でなにかを書いたりしている。
外壁に近い場所──壁の陰に沈む貧民居住区、といったところだろう。
街の中心部が人込みの中に、家畜や飼料の臭いなど──様々な、生き生きとした生活臭に満ちていたのに比べ。この辺りはかび臭く、まるで苔むした森の中から流れてくるような臭いがした。
俺はそこを横切る形で別の通りに入り、中央通りに向かうつもりで引き返す。
まだ空は青く、白い雲がゆっくりと流れていくのが見える。夕方に差しかかる頃だろうが、高い壁の内側から見える空には、まだ夕焼けに染まった雲や空は確認できない。
裏通りを通って行き、荷車が通る道を通過し、住宅地を抜けて大通りまで戻って来た。
すると囲壁からほどほどに離れた地点に、戦士ギルドの看板が目についた。せっかくなので昇級試験の予約をしておこうと思い、大きな入り口を持つギルドの中へと入って行く。
入り口から入った先に受付カウンターがあり、数人の受付嬢が仕切られた向こう側で忙しそうに働いている。
受付に近づくと、一人の受付嬢がやって来て、用件はなにかと尋ねる。
「昇級試験を受けたいのだが」
そう言いながら鉄の階級印章を見せる。
「鉄階級から赤鉄階級への昇級──なら、今からでもよろしいですか? 訓練場の方に、担当の者が二名控えていますが」
という急な申し出を受けたが、実技訓練の延長くらいの考えで、その申し出を受ける事にする。
「分かった、それではお願いしよう」
簡単な書類に名前を書き、印章を使って印判を押す。もちろんそれ相応の金額も支払い、受付嬢の案内を受けて、奥の扉から訓練場へと向かう。
途中で武器などを預け、代わりにいくつかある木製の武器を使うよう言われ、適度な長さの木剣を手にして、昇級試験がおこなわれる訓練場へ向かった。
昇級試験の相手は、この街を中心に活動する赤鉄階級の中でも、そこそこの実力者だという冒険者だった。俺よりも十歳くらい上の男だったが、シグンやディオダルキスとの戦闘を重ねた俺にとっては、まったく脅威にならない相手だ。
たちまち相手の革鎧に数回の打撃を与え、籠手を打ち、持っていた木剣に振り下ろす重い一撃を加えて、武器を落とさせた。
「ま、まいった……」
昇級試験はそのあとも少しばかり続いたが、特筆すべき事はなにもない。ここに居る剣士や槍術士では、俺の相手は務まらなかったのである。
試験が始まって二十分も経たずに、俺の印章は赤鉄階級の印章に替えられる事が決定した。
「おめでとうございます」
二人の訓練教官がボコボコにのされたとも知らずに、受付嬢は至って平然と祝辞を述べた。
「ありがとう」
今日の夜前には赤鉄階級の印章が出来上がると言うので、明日の朝に受け取りに来ようと応えて、鉄の印章を持ったまま戦士ギルドをあとにする。
思った以上に──自分の剣を持っての戦闘技術が、凄まじく進化していると知った。先ほど戦った二名の冒険者は、赤鉄階級になってから相当の時間を冒険や訓練に使ってきたはずだ。決して弱い相手ではない。
それでもなお、魔術の門を開き、時間の流れを引き延ばしておこなわれた、実戦と変わらぬ戦いを繰り返してきた自分とは、決定的な差が出ていた。
なにしろ訓練の相手が違う。
何百、何千という戦士と戦い抜いてきた猛者との、真剣な戦闘訓練を続けてきたのだ。
俺は今回の事で、改めて自分の非凡なる能力に気づかされた。──ただ魔導の道を欲するのではなく、冒険の為、上位存在との戦いの為に備えた力。
それはもはや、人智を超えた先でしか身につく事のない、特異な能力だとも言える。
そしてそれが、自分にどんな変化を齎していたのか、宿屋に部屋を借りに行った時に、はっきりと気づかされたのだ。
そこは少しばかり高級感のある宿屋だった。
外側はそれほど高そうな雰囲気はなかったのだが、玄関から受付のある広い間取りを見た時に、後ろを向いて帰ろうかと思ったくらいだった。
(おいおい、金、足りるんだろうな)
などと不安を感じつつ、覚悟を決めて受付のカウンター前に進み出る。
「いらっしゃいませ」
お一人様ですね、品の良い服装に身を包んだ男の受付は、にこやかに言い、部屋の説明を簡単にしてくれた。
冒険者にはどうもお堅い感じの宿屋だったが、値段はそれほど高いとは思わない価格が設定されていたので、ほっとして銀貨を支払う。
俺は冒険者というよりも、革の鎧を着けた旅人という扱いを受けたのかもしれない。最近は籠手も付けていないので、一人旅をする男に見えたとしても不思議ではないが。
階段を上がって二階の部屋に向かおうとすると、階段の手前に美しい装飾で飾られた大きな姿見が、壁にしっかりと取り付けられていた。
──一瞬、そこに映っている男が誰なのかと、違和感を覚えてしまった。よく見ると俺なのだが、顔立ちや体型が──いつだったかに確認した自分自身の姿と一致しないのだ。
「ぅ──ん? いや、そうだな……」
鏡に近づきながら、鏡に異常がないのを確認すると、まじまじと鏡に映った自分の顔を確認する。
以前の自分は端正な顔立ちという訳ではないし、どちらかというと苦難の続く冒険の中を生き抜いてきたような、いかにも冒険者か、あるいは傭兵とでもいった顔つきをしていたと思ったものだった。
ところが改めて見る自分の顔は、──以前よりもすっきりとした顔立ちになり、強面言われても仕方がないような目つきをしていた顔が、まるで少し若返ったように険が抜け、凛々しく逞しい感じのする戦士の顔、と言っても差し支えない顔つきをしている。
「これが俺の顔……」
いや、まったくの別人になったのではない。離れて見ると違和を感じる程度の変化だ。加齢による表情の変化が予想とは違い、若返って見えるのが違和感の正体だろう。
鏡の前から離れ、階段を上がって借りた部屋へ向かう。自分の外見的な変化をどう理解したらいいのだろうか。
魔神との交渉を越えて、数々の戦いを乗り越えて──そこに生きている俺。
俺が進むべき道の先には、まだまだこうした変化が、奇妙な変質が待っているのかもしれない。
ドアを開けると部屋の中に入り、背嚢を床に置くと、革帯に付けた魔剣や短刀を外して寝台に倒れ込む。
「死を越えた者だけが自己の本質を識る」
そんな魔導についての言葉をどこかで読んだ。
そうだ、異端の魔導師ブレラの残した書物にあった言葉。
俺の変質は、死を体験した事から始まったのだろうか?
その疑問を抱きながら──まるでなにかに呼ばれるようにして、俺の意識は睡眠へと引き込まれていった……
通常、厳しい戦いを経験すると人の顔つきは、険しく、鋭い目つきになり、年齢も老けて見られる場合が多いです。
それとは逆の法則に捕われた──みたいな表現、として見ていただければ。




